甘色

 バレンタインデーってやつは毎度イライラする。女子は友チョコ交換しあって、男子は貰ってもその大半が義理チョコ。何よりあの甘い雰囲気が大嫌いだ。


 今年も朝から女子が騒いでる。昼休みには友チョコ配るために教室から教室へ渡り歩いて。そのせいなのか、教室にはチョコレートの甘ったるい匂いがする。


 独特の匂いも味も、俺は好きじゃない。バレンタインデーにチョコレートを貰えるかどうかに関わらず、バレンタインデーってイベントが嫌い。チョコレートの匂いのせいか、視界まで甘さに浸食されている気がする。


 そんな俺の考えなんか知るはずのない俺の幼馴染み二人ーー晴人はるとしょうは机にうつ伏せになってる。正確には晴人は猫背になって紙に鼻がくっつくくらい顔を寄せて本を読んでる。翔は、珍しく落ち込んでる。


「お前、何落ち込んでんだよ。翔はどうせ如月きさらぎさんからチョコ貰えるんだろ?」


 落ち込んでる翔にとりあえずそう励ましてみる。多分如月さんだったかな。新学期が始まってすぐの五月くらいに、如月さんが翔に告白してた。翔は翔で素直にそれを受け入れるんだよな。


 最初はムカついた。翔と姉貴がいい雰囲気だから、まさか翔が他の人と付き合うだなんて思いもしなくて。で、くだんないことで大喧嘩して一ヶ月は口を聞かなかった。


「言ってなかったっけ? 如月さんとは別れたよ」


 声変わりした後の少し低くなった声で呻くように答える翔。その言葉に晴人は慌てて本から顔を上げる。気持ちはわかる。俺も声が出ないほど驚いた。人間、驚くと本当に声が出なくなるんだな。


 別れたなんて聞いてない。いつ別れたんだろう。別に友達の恋愛事情に口出しする気はないけどさ、やっぱり気になるじゃん。翔の爆弾発言を聞いて俺と晴人の中で何かのスイッチが入った気がした。


「いつ別れたの?」

「いつってそりゃ六月の上旬だよ」

「お前、それ、一ヶ月しか付き合ってないじゃん。しかもその時期ってお前が姉貴泣かした頃じゃん」


 晴人の質問にしれっと答える翔。でも俺にとって問題なのはそこじゃない。六月の上旬と言えば、翔と話してたとかで姉貴が泣いた日だ。人前で泣く姉貴なんて初めて見たからわりと衝撃的だった。


 というか一ヶ月で別れるってどうなの。しかも相手から告白しといて。翔のことだし、面倒だからって自分から振ることはしなそう。一応告白を承諾したわけだしね。


「別れた理由は?」

「別の奴と二股かけてた。それを明かされたうえで振られた。で、振られて泣いてる所をゆかりさんに見られた」


 まさかここで姉貴が出てくるとは。でもあの日、なんで姉貴の帰りが遅かったかはわかった。姉貴のことだ。泣いてる翔を放っておけなかったんだろうな。だって姉貴は……。


「じゃあ告白を承諾して付き合った理由は?」


 晴人のやつが面白そうに翔に訊いてる。晴人がこんなに乗り気になるなんて、嵐でも来るんじゃないか。でもそれ、俺も気になるんだよね。


 翔はめんどくさがりだから、無駄なことはしない。翔が「めんどくせー」ってよく言うのは厄介事に巻き込まれたくないから。つまり、翔は嫌いな奴と渋々付き合うなんて厄介な事はしたがらないはず。


「ちょっとした好奇心。あとは、のこと忘れられるかなって。あの人のこと忘れて如月さんのこと好きになれたら楽だなって思って」

「で、結果は?」


「晴人にしては珍しくグイグイ来るな。結果は……何してもと比べちまう。ずっと、頭からあの人が離れねーんだよ。だから、如月さんを好きになることは出来なかった」


 晴人、質問を続けるのは構わない。けど一つ気になる。翔と言う「あの人」って誰だよ。晴人はそこ、気にならないのかよ。


 というか翔は誰のことを忘れようとしたんだよ。しかも如月さんといる時にもその人のこと考えるのか。翔がそこまで気になってるのが誰かすごく気になる。


「翔、って誰?」


 よし、晴人、よく聞いた。けど肝心の翔が晴人の質問を聞いてない。「あの人」とやらのことを考えているからかどんな音も聞き取れなくなったらしい。


 翔にはこういうことがよくある。一度考え始めたり集中するとそれが終わるまでは周りの音が聞こえなくなる。翔をここまで悩ませる「あの人」って一体……。




 結局「あの人」の正体が翔から語られることはなく。俺と晴人と翔の今日の収穫は女子が掃除当番で一緒だからとくれた義理チョコ一つだけ。やっぱりバレンタインデーってテンション下がるな。


 こんな日は俺の家で話すのが一番。どうせ母ちゃんも父ちゃんも兄貴もいない。姉貴ならいるかもしれないけど。今日みたいな時は会話を邪魔されない俺の家に集まることが多い。


 姉貴が先に帰ってる可能性にかけてインターホンを押してみる。これで出なかったら俺の持ってる鍵で開ければいいや。むしろいない方がいいかも。


あきら?」

「翔と晴人もいる。開けて」


 姉貴はすでに帰っていた。まぁ姉貴は俺らの会話を邪魔したりはしないけど。ただ静かに話を聞くだけ。時折アドバイスもくれる。それが姉貴だ。


 玄関の扉が開くとチョコレートの甘ったるい香りがする。翔と晴人も同じことを感じたんだろう。「何で?」って顔で首を傾げてる。そんな俺らの態度を見ていた姉貴はイソイソと台所に向かうと何かを手に持って戻ってきた。


 俺らはリビングの椅子に座って、姉貴が持ってきたものの正体を見る。それは綺麗にラッピングされた直方体の小さな箱。包み紙についてるリボンの色は青、赤、黄緑の三種類だ。


「友チョコはさっき全部食べちゃった。多分チョコレートの匂いはそれが原因かな」

「姉貴、これは?」

「見てわかんない? チョコレートだよ。私から彰、翔、晴人にあげる義理チョコ。昨日のうちに用意しといたの。どうせ嫌な気分になって私の家に来るなって思ったから」


 さすが姉貴、俺らの行動を全部読んでる。さらに言えばチョコレートのラッピングのリボンの色も完璧。翔は青が、俺は赤が、晴人は黄緑が好きだから喧嘩にならない。


 でも俺はなんとなく気付いてる。わざわざ三個買ったのは誤魔化すため。姉貴が本当にチョコレートを上げたいのは俺でも兄貴でも父ちゃんでもなくて翔なんだと思う。


 横目で翔の方を見ると、姉貴のあげたチョコレートがまるで宝物であるかのように目をキラキラさせて見つめている。晴人はさっそく包みを開けて中身を取り出していた。


 俺も中身を取り出す。箱の中には十粒のチョコレートが入っていた。その一つを手に取って口に含む。チョコレートの甘ったるい味が口の中に広がった。


「甘っ! 甘過ぎるし!」

「文句あるなら食べないでいいよ」


 思わず口を突いて出た言葉に姉貴が不機嫌になる。俺ですら甘過ぎるって感じるくらいだ。翔の奴、このチョコレート食べられないんじゃないかな。


 翔は甘い物があまり好きじゃない。飲み物は基本お茶、緑茶とか紅茶とかそういうお茶全般だ。ジュースとかは一口飲んだだけで拒絶する。そんな翔がこのチョコレートを食べられるなんて思えない。


「三人ともバレンタインデーなのにチョコ貰えなかったの?」

「僕も彰も翔も貰えるタイプじゃないんで……」

「姉貴、悲しいこと思い出させるなよ」

「でも俺、あんたからチョコ貰えただけで十分っスよ」


 姉貴がしれっと俺らの傷をえぐる。というか翔、お前、今日学校で落ち込んでただろ。姉貴からチョコレートを貰った途端に元気になりやがって。


 そんなに姉貴のことが好きなら他の奴と付き合うなよ。たったの一ヶ月でも、仕方なしにでも、付き合うなよ。そう思うのに、姉貴がいる前では翔に言えない。


 そこまで考えてから気づいた。翔が好きなのは、翔の言う「あの人」ってのは、姉貴なんじゃないかって。諦めようとしたんだから不相応だと思ってるんだろ。


 翔と姉貴は三つも年が離れていて。しかも翔にとって姉貴は友達である俺の姉にあたるわけで。翔は厄介事に巻き込まれたくない一心で無意識のうちにいろいろ考えるから、俺が原因で諦めようとした可能性もある。


「彰。もしかして……」


 俺と同じことに気付いたんだろうな。晴人が面白そうに俺に笑いかける。姉貴と翔はなんでかくだらない言い合いを始めていた。


 この二人の雰囲気、俺の目には毒だ。チョコレートと同じ甘ったるい匂いする。姉貴と翔の雰囲気はバレンタインデーの、あの甘い雰囲気そのもの。ほら、俺の嫌いなその雰囲気が、俺の視界を浸食していく。


 でもなんでかな。クラスメートの甘い雰囲気は視界に入るだけでイライラするんだけど、姉貴と翔は不思議とそんな気分にはならない。それはきっと俺が二人の葛藤かっとうに気付いたからで……。


「彰。チョコレート要らないなら私が貰うよ?」


 俺がぼーっとしているのに気づいたからだろう。いつの間にか隣に来ていた姉貴が俺の箱からチョコレートを一粒取り出す。取り返そうと手を伸ばしたけど、手が届くよりも先にチョコレートが姉貴の口の中に入ってしまった。

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