全く出かけないと心がしんどい

矢持 奎

停車でGO

 その日僕は部活の飲み会の帰りだった。それなりに楽しい打ち上げだったが内輪のノリが激しく、まだ馴染めていない後輩に申しわけなく思ったことを覚えている。帰りの電車は10時を回っていたこともあり、先頭車両は特に人もまばらだった。疲れていた僕は席が空いていることを少し喜びながら腰かけ、タブレットを出した。端末の充電はすでに五パーセントを切っていた。

電車が発車した。帰りまで少し時間をつぶそうと思い、僕はツイッターを開いた。タイムラインをさかのぼっている間に電車は加速し、橋に差し掛かり、次の駅に着く……筈だった。

「えーただいま踏切の警報装置が作動したため電車は減速しております」詳しくは覚えていないが、そのような意味のアナウンスが流れたとき僕は初めて電車の速さが駅を出たときからそんなに変わっていないことに気が付いた。電車は減速しています、減速しています……と車掌がくりかえす毎に、普段は流れていく線路沿いの柵の、その網目がより視認できるようになっていった。

 ただいま踏切の警報装置が作動したため電車は停止します、そう声が聞こえたとき僕はまず車窓の外のコンクリート塀の溝まではっきりと見えることに気が付き、次いで自分が橋の上で静止した電車の中にいることを発見した。

 普段高速で走っている、この箱が完全に静止状態に置かれているという状況はすこしおかしくあり、不気味でもあった。実際電車は静止しているのだ。普段聞こえる架線のがたがたという音も、窓の外を流れていく電灯だのマンションだのの残像も、最初からありませんでしたとでもいうように姿を消していた。

停車してからほどなくして、タブレットの画面も暗転した。僕は押し黙った金属板を鞄に押し込め、車内を見渡した。そのとき初めて、電車の外はおろか内部まで息が詰まるような沈黙が支配していることに気が付いた。誰も席を立たないのだ、おおよそ動くためにあるものが止まっているというのに。

目の前の座席に座るサラリーマンは皆黙って顔を伏せていた。手だけが饒舌にスマートフォンを動かしていた。また隣の女性は目を見開き、イヤホンを耳にさして座っていた。目はどこも見ていないようだった。まばらに座った乗客はほぼ皆、顔を手元に向けてオブジェのように動かなかった。

 電車が止まっているんだぞ、誰も何もしないのか?

 やがて、部活帰りだと帰りだと思しき体格の良い男がのっそりと座席を立ち上がり、運転席の向こうをのぞき見、無表情でのっそりと座席に帰った。連れの二人は無言で座って手元を忙しそうにしていた。運転席に近い座席にいた小さい中年男性――携帯を出すこともなく所在なさげに座席に腰かけていた――がひょこっと立ち上がって線路の先をのぞき見、またひょこっと座ってやはり所在なさげに虚空に目線を泳がせていた。僕も立ち上がって運転席をのぞき見、その先の線路上を見ようとした。

 何も見えなかった――踏切のあたりで懐中電灯か何か強い光がこちらの方に動いているのは見えたが。光源さえ確認できなかった。僕が座席に戻るとき、虚空を見やる男性以外の皆が僕の方を見もしなかった。僕は何か場違いなことをしてしまったように思いながら座席に座った。

 長い時間がたったように思えた。いや本当は十分も止まっていなかったのかもしれない。誰もが座席の上で凝り固まったように動かなった。がこん、という音とと揺れが沈黙した箱を裂き、始まりと同じくらい唐突に加速を始めた。踏切に異常がみられなかったため電車は発車します、という声とともに架線のきしむ音だの風切り音だの流れる電灯だのがなにくわぬ顔で定位置に戻り、やがて線路脇の柵はもはや溶けたように細部を隠蔽した。

 電車は正当な減速で駅に差し掛かり、正当にがたんと揺れて停車した。人々は弾かれたように立ち上がりドアをくぐっていき、ざわざわとした音が箱を満たした。

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全く出かけないと心がしんどい 矢持 奎 @K_YAMOCH

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