だくさん

 換金所の隣にあったラーメン屋は空き地になっていた。

 ここのとんこつしょうゆ、好きだったんだけどな、と思って、換金所で景品を五千五百円にして、空き地を横目に駐車場へと向かおうとする。

 空き地の隅にグランドピアノが置いてある。空き地に置いてあるグランドピアノは、グランドピアノとしてというより、今は価値を失ったものとしてこの風景に似合っているような気がした。皮肉なことに、彼は大屋根を開いてグランドピアノとしての価値を主張していた。それにしても誰が捨てたんだろう。わざわざこんなところに捨てるのは大変だろうし、目立つ。ラーメン屋の二階にはラーメン屋の家族が住んでいた。そのうちの誰かのものだったのかもしれない。

 多分、まだ音は出るんだろうなと思って、グランドピアノの正面に回ろうとしたら、イスに座っている男の背中が見えた。一瞬足がすくんだ。霊的なものとか、犯罪的なものとか、非日常に踏み込まれたような気がした。

 男は背を向けているので、まだ私には気づいていない。と思ったときに、この後ろ姿に見覚えがあることに私が気づいた。

 イワオだ。高校のときのクラスメイトの岩井一雄。細長い印象のある顔と体型で、弓道部だった。目立っていたやつではなかったけど、喋る時はそこそこ喋るやつだった。当時は仲も良かった。

 イワオはイスに座った状態から前傾になると、足元にある大きな岩を持ち上げ始めた。少し横にずらそうとしているように見える。何をしているんだろう、とよく見ると、イワオが岩を動かそうとした先に10cmもない小人が地面の上に眠っていた。

「ちょっと」

 と声を出してイワオに駆け寄った。駆け寄る前に声を出したので、イワオには聞こえていなかった。もう一度声を出そうと思ったが「ちょっと」ともう一回言うのに恥ずかしさを覚えてなんと言おうか迷ったが、イワオは動き続けるので「イワオ!」と呼んだらそこでイワオは岩をゆっくり置いて、イスに座って振り向いた。

「おひさ」

 とイワオは息を少し荒げながら言った。

「それ何やってんの?」

 こうやって近くで見ると、小人はファンタジックなイメージとは違い、20歳くらいの普通の男子学生をそのまま小さくしただけみたいだった。上下黒のスウェットを着ていて、どことなく生活感がある。でも、こんな服売ってないし、依然不思議な存在であることは間違いない。

「日陰作ってやってんの」

「なんだ、潰そうとしてるのかと思った」

「ちげーよ」

 イワオはあまりにも普通にしているから、イワオにとって小人の存在はそんなにおかしいことではないことなのかと聞くと、

「いや、別に。いるのに気づいてて無視したら、あとで気になりそうだったから」

 と答えられた。その気持ちもわからなくはないが、いざ目の前にしたらそういう選択はできないだろうなと思う。

「でも、うっかり殺されるとか思わなかった?」

「なんか後輩っぽいオーラあるし、大丈夫かなって思ってたら大丈夫だった」

 結果論のような気もするけど、イワオがそれでも全然良いといったように振舞うので、なんだか私もそれで良いような気がしてくる。

「タケミは何やってたの?」

「仕事帰りにジャグラー打って、その帰り」

「パチスロやるようになったん? 似合うな」

「あんまり嬉しくないなあ」

 そんな話をしていると、小人がゆっくり体を起こした。イワオと私は小人の方を見た。小人はまだ眠そうで、さっきイワオが動かしてた岩に背中を預けて俯いていた。

 見れば見るほど、普通の人間に見えてくる。でもどこかで慣れきれなくて、例えば目を閉じているときに一定間隔で何かに衝突されるような錯覚に襲われるように現実のスケール感を思い知る。

「こんなとこにいると危ないぞ」

 イワオが小人に話しかける。

「うーん、大丈夫」

 小人は眠そうに答える。小人は顔を上げてイワオを見た。

「俺以外のやつらも来れば、俺らの存在が当たり前になるから危なくならない」

 俺以外のやつっていうのは他にもいる小人のことだと思うけど、他に小人なんて見たことない。

「でも、他のやつは来てない」

「そうなんだよなあ。お前らの中には俺らのことを許さないやつがいっぱいいるし、俺らの中にもお前らのことを許さないやつがいっぱいいる。だから来てない」

「めんどくさいな」

「ホントだよ」

 この二人はもともと友達だったんじゃないかってくらい自然に話した。どこか雰囲気も似てる気がする。

 俺ら、って言葉に惹かれた。私の知らないところで小人が、私たちみたいに過ごしているんだ。宇宙人なんかよりも夢がある。

「あなたがここにいるってことは、私たちも小人たちのところに行けるの?」と私。説明的な口調になってしまう。イワオにそれを聞かれたのが恥ずかしい。

「小人ねえ、確かにお前らからしたら小人だな。穴の向こうに行けば俺らが住んでるとこに行ける」

「穴」と私は繰り返す。

「俺も行ってみたいんだけど」とイワオ。

「穴なんて大体どこにでもあるぞ」

 そういうと小人は立ち上がって、寄りかかっていた大きな岩を両手でちゃぶ台みたいにとひっくり返した。私も驚いたけど、イワオも驚いていた。

 岩の下には穴があった。でも小さいし、光が入らなくて全然奥まで見えない。

「いやあ、行けそうにないな」とイワオ。

「まあ、そうだよな。せっかくだから来てもらっても良かったんだけど、来れないんじゃしょうがない。悪かったな」

 そう言うと、小人は穴に飛び込もうとした。

「あ、待って」

 とイワオは小人を呼び止めた。

 小人は穴の前で動きを止め、イワオを見上げた。

「退場曲聞きながら帰ってくれ。あと、また来いよな」

「お? ああ」

 小人はよくわからないと言った顔をしたが、私も多分同じような顔をしていた。こっちを見たイワオが半笑いだった。

「あれ弾いて。翼をください。弾けたよな?」

「あ、うん」

 言われるままに、私はグランドピアノで翼をくださいを弾いた。やっぱりグランドピアノはちゃんと音が出た。あまりにもしっかりした音に聞こえるのは、こんなところで弾いたことがないからかもしれない。恥ずかしい。

 私が翼をくださいを弾いている間、イワオが手を振ったのが視界の端に見えた。そのあと、なんとなく小人の気配が消えたような気がした。弾くのをやめていいのか、引き続けた方がいいのかわからなかったけど、イワオがずっと手を振っているので、弾き続けた。

 とうとう、一曲丸々弾き終えてしまう。幸いなことに、周りに人は見えなかった。

「おーけー、ありがとう」

「うん」

 私はとりあえずイスから立ち上がったが、何を言っていいか分からずイワオとただ見つめ合ってしまった。

「うん、あれ、また今度ここで会おうな」

 とイワオが言って、余計に私は恥ずかしくなった。

「うん」

 それで私たちは別れて、なんだか現実の中で収まる場所を見失ったまま車を運転して、家に帰った。

 寝る前に今日のことを考えて、イワオがまた会いたいのは小人なんだな、ということに気づいた。

 その日、私はラーメン屋に行こうとして一生懸命に穴を掘る夢を見た。

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だくさん @dark3s1

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