サラマンダーの涙

玖万辺サキ

サラマンダーの涙

 昔、サラマンダーという蜥蜴とかげは火を吐くことができた。

 他の生き物は火を恐れ、火を操るサラマンダーを恐れた。

 サラマンダーはこう考えた。


「俺の力は神にも届き得る」


 サラマンダーは自分が生き物の王であると宣言した。


(あのような醜い生き物を王とあがめるなど)

(火が操れるというだけで)


 不満を覚えた他の生き物たちは水の神を訪ねた。

 サラマンダーの炎を消して頂けないだろうか?


  ――他愛も無い。全て水の底に沈めてくれよう。


 それでは丘の生き物に不公平だ。次に氷の神を訪ねた。

 サラマンダーの火を消して頂けないだろうか?


 ――造作も無い。全てて付かせてくれよう。


 それでは我々も死んでしまう。

 最後に生き物たちは大魔導師を訪ねた。

 サラマンダーの火を消して頂けないだろうか?


 ――今から千年ののち、火の星と水の星が月と並ぶ日が訪れよう。

 ――まさにその夜にサラマンダーに涙を流させるがよい。

 ――己の涙に消されたほのおは二度と燃え上がらぬ。


(千年も待ち続けてたった一夜とは)

(あの粗野な蜥蜴とかげに涙など)


「サラマンダーは余りにも凶暴です」

「破壊を繰り返すだけの悪魔です」

「どうかお力をお貸し下さいますよう」


 ――では貴様らのしゆり行おう。


 稲妻が空を切り裂いた。

 大地が揺れんばかりの轟音が鳴り響いた。


 ――だが忘れるな。

 ――かけたしゆは解くすべがないことを。

 ――呪は貴様らにも返ることを。

 ――貴様らに千年が見晴かせるか?

 ――心して誓え。ならば力を貸そう。


 沈黙。


 やがて。

(失脚を約束された王位ならば)

(道化も同じ。腹の底で嘲笑わらってやり過ごせばよい)

 一同は呪がじようじゆするまでの千年間、異議を唱えないことを誓った。


    †


 あくる晩、大魔導師はサラマンダーを招いてうたげもよおした。

 宴の最後に神々からの申し出を伝えた。

 ――この泣沢女なきさわめをお前のもとに千年おくがいい。

 ――さすればお前を神として迎えよう。

 サラマンダーは大満足でこの命を受けた。

 王の座など問題にならぬ。神々の一として迎えられるのだ。

 約束を反故ほごにされたら?

 娘を殺すまでのことだ。


 こうしてサラマンダーは泣沢女なきさわめと過ごすことになった。

 かたわらにおくこと以外、特に約束はなかった。

 だがサラマンダーは、次第に泣沢女に話しかけるようになった。

 おそらく孤独だったのだろう。

 泣沢女はそのたび、黙って静かに耳を傾けた。


 無益な乱暴の話を聞くと、泣沢女なきさわめは大変悲しそうな顔をした。

 その顔を見ると嫌な気分になった。

 それだけでなくほのおが弱くなったようなこころもちがした。


 えき病やいん石を焼き払った話の時は輝くような笑顔を見せた。

 その顔を見るとなにか不思議な気持ちが起こるのを感じた。

 それだけでなくほのおが強くなったような心持がした。


(俺はいずれ神となる。より強大な力が必要となろう)

 サラマンダーは独り考えた。

(力が弱まるようなことは、なるべくしないことだ)



    †



 そうして長い時をて。


 サラマンダーは良きとう者となっていた。

『千年ののちに王は隠れる』

 いにしえよりの伝承は、今や誰をも等しくたたっていた。

 約束の千年を前に、他の生き物たちはきんを犯した。

 しゆの取り止めをうため再び大魔導師を訪ねたのだ。

「我らはおろかしい過ちを犯しました」

「サラマンダーは良き王です」

「どうか呪を取り止めて頂けますよう」

 大魔導師は現れなかった。

 約束をたがえた生き物たちは以来、言葉を話せなくなったという。



    §



 やがて火の星と水の星が月と並ぶ日が来た。

 千年の間力を高めたサラマンダーの体はかたな鍛冶かじが鍛える鉄のように赤かった。

 泣沢女なきさわめはサラマンダーに告げた。

よいでちょうど千年でございます」

「そうか」


 神になる時がきたか。


「私はここを去らねばなりません」

「そうか」


 だが神とは何をべるのだ? 


「最後にあなたに差し上げるものがございます」

「欲しいものなどない」

 全て手に入る。我は神になるのだ……いや待て。

「――ではお前、このままここに残れ」

「それはなりません」

「では何もいらん」

 神の座も。その代わりここに残れ。

「そうは参りません」

 泣沢女なきさわめはこの千年で初めての顔を見せた。

 悲しい悲しい顔だった。


「そんな顔をするな」

 

 我の力が弱まるではないか。


「――お慕い申しておりました」

「ならばここに――」


 残れ。


 そう言う前に、泣沢女なきさわめはサラマンダーにぴたりと身を寄せた。


 ジュッ


 大きな音がして、真っ白な煙が立ち登った。

 煙が消えた時、そこに泣沢女なきさわめの姿はなかった。


 ……何だ?


 辺りを見回した。

 誰もいなかった。 

 美しい夜空の下に、サラマンダーはたった一人でいた。



    ああ。


    そうか。

    このほのおか。


    この我の焔がお前をほろぼしたのだな。


    そうか。


    神とは。


    生命いのちべる者のことか。




 あかく輝く火の星と

 あおく輝く水の星と

 白く輝く月の光が

 美しく輝く夜の空の下で

 サラマンダーは涙をこぼした。



    §



 以来、サラマンダーは火を吐かなくなったという。

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サラマンダーの涙 玖万辺サキ @KumabeSaki

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