ガスライト 第2章

赤キトーカ

第1話 戦慄の弁護士の助言

 それは、ある職場での出来事だった。

「なぜですか!なぜ、僕が辞めなければならないのですか!」

「そうは言ってもね、きみ……。きみは遅刻も多いし、所詮リーダの器に収まる人間ではないんだよ。聞けば、……なんだ、その……うつ病という噂も聞いているし」

「室長!僕がうつ病だから、解雇するというんですか!?それは遅刻は時々はあるかもしれません。それだって、病院に通院しているから、やむを得ないことなんです。僕の言い分も聞かずに解雇……雇い止めをするなんて、あんまりだ!」


「しかしね、きみ……。他のメンバの手前もあるし、一度決定した解雇を撤回するわけにもいかないんだよ」


「僕の生活はどうなるんですか!?」


「それはまた、きみの話しだ。もう、私から言うことはない。あとはきみでなんとかするべき問題だ」


「……ッ!」


こうして僕は、3年務めた、大手ポータルサイト、いや、こんな言い方はやめよう。ヤフーだ。ヤフーの関連会社の退職を余儀なくされた。


「ちくしょうっ・・・!」


そこでの仕事は、実に楽しいものだった。

給料は月額、11万円程度。「健康で文化的な、最低限度の生活」をはるかに下回る、過酷な生活でもあった。でもそれ以上に、楽しい仕事でもあった。


それだけに、僕は一方的な解雇通告に、納得がいかないでいた。


僕はさんざん悩んだ結果、法律に助けを求めることに決めた。


月収11万円だった僕に、弁護士に代理を依頼する金銭的余裕など、ない。

だから、ぼくは、とりあえず、こんなときに皆、まず頼むであろう、「法テラス」に助けを求めることにした。


ぼくは法テラスに電話をかけた。

「すみません。一方的に解雇を受けたので、相談したいのですが……」

法テラスの担当者は言う。

「解雇をされたのですか?どういった事情ですか?」

ぼくは法テラスの担当者に事情を説明した。

「そうですか。うつ病で通院して、それにより、遅刻もしてしまった。それにより解雇されてしまったということですね」

「そうなんです」


「それは、当たり前のことではないですか?」

「はあ?」


「遅刻が多い人が解雇されるのは、仕方がないことですよ。それは、あなたが悪い」

「はあ」


ぼくは言う。

「でも、通院で仕方がなかったんですよ」

「それはあなたの都合でしょう?会社には関係ありませんし、一般的にも認められることではありません」


「……」


ぼくは言葉に窮してしまった。

「そもそもね、法テラスでは、法律相談は行っていないんですよ」


「はあ?」

何を言っているんだ、と思った。


「では、このお話は何なんですか?」

「これは、別に……」


「別にって、なんですか」

「それでは担当の者に替りますから、お待ちください」

「ちょっと……」


ぼくは驚いた。

法テラスでは、法律相談は受け付けていないのだという。

これは後で知ったことだが、法テラスでは、法律相談は受け付けていない。

これは間違いない事実らしい。


法テラスが行っているのは、あくまでも弁護士の紹介。

つまり、担当者がうだうだ言っているのは、個人の感想であり、いわば、世間話と同じようなものだったのだ。


そしてぼくは、法テラスを経由して、住んでいる住所にいる弁護士を紹介してもらった。

それはぼくの住んでいるマンションから歩いて20分ほどの距離の弁護士事務所だった。



ぼくが予約を入れた日にその事務所を訪れると、事務員が出迎えてくれた。

「ようこそお越しくださいました。先生は2階でお待ちですので、どうぞ階段を上がってください」

事務員は男性が2名、女性が2名。普通の事務を行っているようだった。


ぼくは靴を脱いで、事務所に入り、2階に上がった。


そこには、大きな扉があり、弁護士の威圧感を漂わせていた。

ぼくはそこをノックして、中に入る。


「失礼します」


「どうぞ」


その執務室に入ると、そこには、何台ものパソコンが並んであり、本棚には無数の六法全書がずらりと並んでいて、これまた威圧感を漂わせている。


(すごいな、これは……)


「ようこそ。では、お話をお伺いしましょう」


歳の頃、60歳くらいだろうか。初老ともいえる小太りの男性が、ぼくに応対してくれた。


「なるほど。不当解雇に対しての、損害賠償請求をされたいというわけですね」


と弁護士は言った。


しかしぼくの求めていることは違ったので、意見を言った。


「先生、ぼくは損害賠償請求をしたいのではありません。ぼくが求めていることは、復職です。解雇の撤回なのです」


「解雇の撤回ですか?」


「はい。ぼくはあの仕事を楽しいと思っていた。ぼくが住んでいる地方では、こんな仕事はそうそうできるものではありません。ぼくはお金が欲しいんじゃない。もういちど、あの職場で、あの仕事がしたいんです」


弁護士は言う。


「なるほど。しかし、復職となると、難しいことになります。日本の法律上、不当解雇による損害賠償請求は認められることがあっても、不当解雇を撤回して、再度同じ職場に戻るということは、そもそも、制度がないのです」


「どういうことですか?」


「お金、金銭であれば、判決で勝訴できれば、銀行に強制執行をすることができます。損害賠償請求をして、お金を取り戻すことができます。しかし、解雇を取り消して、職場に戻るということは、法律上認められていないのです。あなたが職場に戻りたいと思っても、それを法的に強制することはできないのです。無理やりあなたを職場に連れて行ったり、あなたが職場に行ったりすることは、強制執行の対象ではないのです。その会社が、認めない、と言うのであれば、それを強制することは、できないのです」


「そんな……」


ぼくは愕然とした。

法律の力とは、そんなものなのか……。


「まあともあれ、損害賠償請求も視野に入れて、復職も相手方に申し入れるかたちで法的に介入することにしましょうか。そういうことで、よろしいですね?」


「……わかりました。どうしても復職ができない場合は、お金で解決。復職ができるなら、それにこしたことはありません」


ぼくは、そのように納得した。


「わかりました。ちょっと待っていてくださいね」


弁護士は部屋を出て、ぼくはしばらく執務室でひとり、待たされることになった。

弁護士の執務室にあるパソコンやディスプレイには、事務所の外が常に映っていて、不審者が訪れないかを常に記録しているようだった。


それに、なによりも、部屋にびっしりと並んでいる六法全書、判例に関する本の威圧感が圧倒的だった。ひょっとしたら、これはカバーだけで、ハッタリを利かせているんじゃないかとも思える。


それくらいの圧倒感があったのだった。


「お待たせしました」


弁護士がドアを開けて入ってくる。

その手に持っていたのは、メロンだった。

それも、見る限りでは、安物のようなものではない。

どう見ても高級そうな、さすが弁護士だなと思えるような、立派なメロンをいくつか切られたものを、ぼくに渡してくれた。


さすがにぼくも恐縮してしまった。


「い……、いただきます」


「どうぞ」


「ところでね、アカキさん」


ぼくの名前はアカキである。


「はい」


「アカキさん、あなた、こういう裁判事や法律事に勝つためには、なにが一番大事なのか、わかりますか?」


ぼくはメロンをほおばりながら、考えた。


うーん……。


勝つんだぞ、という想いか。

負けないぞ、という想いか。

負けてもいいから、自分の信念を貫き通すという想いか。


ぼくは考えた挙句、あまり好きではないメロンの甘ったるさを感じながら、言葉を口にした。


「信念、でしょうか」


「……なるほど。でもね、違うんですよ」


「信念でなければ、何だというのでしょう?」


ぼくは深く考えずに聞いてしまった。


それがすべての始まりだとも知らずに。


弁護士は、


こう、


言った。



「シンジンですよ」



「シンジンですか?」



新人?深甚?


ぼくはすぐには理解できずにいた。



しかし次の言葉に、ぼくは唖然とすることになる。



ガスライト。


あの言葉が、ぼくの脳裏に、再びよぎることになるのである。



「南無妙法蓮華経、という言葉を知っていますか?」


決して、偽りではない、フィクションではない、まさしく現実のあの戦慄が、ぼくをまた襲う。


「南無妙法蓮華経、と唱えることです。それですべてはうまくいくのです」


この弁護士は、法テラスから紹介を受けた弁護士だ。


これは間違いのない、フィクションではない、現実の話だ。


それが、なぜ、このようなことを……!?


ぼくは、彼の言葉に深い恐怖を感じた。


それは、すべての始まりにしかすぎなかったのである。












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