第3話 時間

10秒以内に答えよ。


なぜ、執筆を継続しなかったのか。




・・・


無茶である。


なぜ、という言葉は、

その目的や動機について問うものである。


だとすれば、疑問が湧くことがあっても、

質問しようなど努々思わぬことだ。


このエッセイを書くことに対して、

明瞭な目的や動機を見い出せていない私に。


しかも10秒とか。


無茶である。


・・・


時間の為す業がいかに魔術めいているか、という類の疑問には、

10歳の誕生日を迎えたあたりから、誰しも気づいていることだろう。


私とてその例に漏れず、中学生になる頃には「光陰矢の如し」だなと思ったし、

大学生になる頃には、酒が、時間を、宴席から追い出すものだから、

時間が嫉妬して、よくどこかに行ってしまったものだった。


そして、私が酒と適切な距離をとれるようになった最近になって、

時間が私に宛てて手紙を送って来たのである。


「お元気ですか?」


・・・


時間に対して真摯な気持ちを持つことが、

不必要だと割り切っている人は少なくないだろう。


20歳の成人を迎えて「いよいよ大人か」なんて思っていたあの頃と、

翌年の21歳、翌々年の22歳はどのように違っただろうか?


さらに、大人という言葉に特別な意味があるのだとすれば、

18歳で大人になる現在に住まう私が、神妙な気持ちになっていた当時の私に、

どのように気を遣えばいいというのか、分からなくなって来る。


しかし、やはり時間を放置して野放しにしていると、

過ぎ去った時間分の喪失感(のようなもの)があるのは確かなことだ。


「その間、私は、一体何を考え、何に従事し、何に苦しみ、何に興奮していたのだろう」という一切の疑問が、大型低気圧で水位が上昇した一級河川のように、混濁し溢れ出して来る。


・・・


「お手紙ありがとうございます。」


久しぶりの時間への返事というのは、

言葉にするに当たって煩悶を伴い、その気持ちの氾濫が大きいほど、

より一層、返事相手であるところの時間を掴むのに苦慮することとなる。


時間を大切にすることが、何よりの時間節約なのだという、

再帰的な結論を迎えたところで、今回のエッセイに代えさせてもらいたい。


・・・


「次回は、1か月後にでも。」


・・・




というのは、


10秒では語れないだろう?








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特別な夜に 新藤量司 @takk_9

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