つぶやけない本音

花葉

つぶやけない本音

もともとおしゃべりだった私は家ではしゃべらなくなり

もともと寡黙だった夫はますます寡黙になった。

かつては冴えわたっていた私のひとりノリツッコミも滑り倒して撃沈を重ね

数々の名エピソードも今では過去の栄光と化していた。


息子も夫に似て7歳にして寡黙なので家の中は静まり返っている。

7歳で寡黙。静かなる異常事態である。

メールは業務報告ツール。報告内容は家事関連及び息子に関する業務のみ。


なので勤務中のはずの夫から突然届いた「入院する」というメールも

その内容は至極素っ気ないものだった。

入院の原因は虫垂炎、いわゆる盲腸だった。

手術と、1週間程度の入院。

妻として事務的に一通りのものを準備して病院に向かうとだけ返信しようとしたが

夫の不安な気持ちを想像し、珍しく励ましの言葉も添えた。


夫は女性慣れしない男だった。

きょうだいは男ばかり、学生時代も男子だらけ、職種も男性が圧倒的多数。

想像するだけで臭いそうだ。

合コンでファジーネーブルを注文するパステルカラーの服の女にイチコロになるタイプ。

ちょっと目が合っただけで自分に気があるかもしれないと思い込んで突っ走って自爆するのかと思いきやそんな勢いも度胸もなく合コン後の反省会で「あの子いけるかなーと思ったけどなんか違ったんだよねー」とかなんとか聞いてる方は浣腸してやりたくなるようなことを平気で言うタイプ。友人も似たようなのばかりなので誰もツッコまない。浣腸もしない。よってこの愚かしさは永遠に治らない。

同時刻に違う場所で、1次会で解散した合コン相手のパステル女たちがビールをかっ喰らいながら男性陣のことをダサいキモいとこき下ろしている姿など想像もできない男。

唯一身近な女性であった義母もおっさんのような人だ。

どんな人かと聞かれれば私なら女装した狸の置物と答える。

メスの狸ではない。あくまで女装だ。

夫から女性と深く関わった話が出ることはまずなかった。

きっと初体験も風俗に決まっている。

基本的に(私を含む)女性に対しては挙動不審である。


そんな夫なので病室に入った瞬間の光景に私は面食らった。

二人の若い女性看護師に世話をしてもらっている入院中の夫はとても元気そうでとても幸せそうでとても饒舌でとても笑顔で顔色がよかった。つやつやしていて、見たこともないほど無邪気にはしゃいでいた。女性に免疫のない45歳の男は一度に二人もの女性の(業務上の)介護を受け天にも昇るような気持だったのだろう。心の底から幸せだったのだろう。平素は表情を変えず言葉少なに家族と関わる夫がその時は別人のように円滑に会話していた。ようやく私の存在に気づいてからもなかなか落ち着きを取り戻すことができず頬を紅潮させたまま普段の寡黙な自分を取り戻そうとしどろもどろのその姿は病衣を着て点滴をしていなければ完全に仮病の中2だ。


私はそんな情けない夫を持った妻として入る穴がなければ窓から飛び降りて走って逃げ出したいほどの恥ずかしさで口元を引きつらせ、お世話になってます、と小さく挨拶して深々と頭を下げた。


申し訳ございません。申し訳ございません。


おふたりは仕事でお世話をしてくださっていただけで仕事でなければ絶対に口を利くことはないであろう目も合わせることはないであろうましてや触れるなんてとんでもないようなこのおっさんは

相手が女性であることに勝手に喜びを見出して、ほんのちょっと触れられただけで破廉恥な快感に身を包んでそれを隠そうともしない(あるいは隠しているつもりがダダ洩れの)中身が中2で年齢が45のこのおっさんは


私の夫なのです。誠に申し訳ございません。私は心の中で額を床に擦りつけた。


二人の看護師は心の中で私を冷笑しただろうか。

私は自分の奥の疼きを感じた。

何度も頭を下げる私に目の笑っていない笑顔を向けて彼女たちは去っていった。


医師や看護師から聞いた自分の病状や今後の入院生活について説明する夫の声はまだまだ興奮気味だった。心は今でも童貞だ。いや、初の風俗を済ませた直後くらいの興奮具合だろうか。さすがにそれはないか。2度目の風俗の後といったところか。

腕に刺さった点滴には痛みを散らすための薬を入れているとのことだったが

パンダ用の興奮剤でも入れられたのではないかと思うほど意気揚々としていたので私はバカバカしくなり一度帰宅して息子を連れてまた来ると告げて病室を後にした。


次に息子を連れて入室した時はちょっと笑った。

笑いながら夫の姿を眺め、また笑った。バレないように壁を向いて笑った。

バレそうなので売店へ行くフリをしてトイレで笑った。

鎮痛剤が切れて悶絶していたのだ。バカめ。

きっと今は寡黙な7歳の息子に無言で見つめられていることだろう。


家族のことでこんなに笑ったのはいつぶりだろう。とても晴れやかな気分だ。

その夜、私はTwitterでこうつぶやいた。

「家族のことでこんなに笑ったのはいつぶりだろう。とても晴れやかな気分だ」

うわべだけのたくさんの友人知人たちが次々にいいね!をつけた。


そして私は別のアカウントでこうつぶやいた。

「近いうちに会えますか?前みたいにして欲しい」

そのアカウントをフォローする唯一の相手から返信を待ちながら

我慢できなくなった私は自分で相手の代わりをすることにした。

今夜は声も気にしなくていい。声とか、いろんなものが漏れて溢れる。

夫の指よりも私の指の方が、私の奥を弄ぶのが巧い。

返事を待っている彼女の長い美しい指には敵わないけれど。


返事が来ないのは彼女が夜勤だからかしら

昼間の看護師の姿を見ながら同じ職に就く彼女を思い出して

私は密かに欲情していた

これはどのアカウントでもつぶやけない

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つぶやけない本音 花葉 @flowerchild

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ