異物
高柴沙紀
異物
書けない。
頭の中で、情景が刻一刻と動いていく。愛刀を握った主人公が、助け出したヒロインに笑いかけて、そして周りを取り囲む敵に向き直る。
それから、それから……。
物語は頭の中でスムーズに進んでいく。まさに己の一部である、愛すべき(もちろん、誰よりも自分好みのキャラクター達だ。当然だ!)彼らが何をしようとし、何を考えているのか。誰よりも自分が一番よくわかっている。
けれど、それを───この場面を書き表すに相応しい文章が、上手く出てこないのだ。
思いつくまま、言葉を並べる。
それなのに。
違う。こんなんじゃない。
これじゃ、頭の中の臨場感の一端にも届かない。
ああ。こんな言葉じゃ、主人公が全然生き生きしっこない。
違う。
ダメだ。
こんなんじゃない。こんなんじゃない。
画面上に文字が並ぶ。
あっという間に、デリートされる。
もどかしい。
もう頭の片隅では、次の場面が動き出しているのに。
早く先に進みたい。
イライラする。なんで俺は、こんなところで躓いているんだ!
溜息をついて、テキストを保存した。
サイト上に投稿しているこの連載を、好きだと言ってくれる人が大勢いることが、今の俺の何よりの宝物だった。
物語を書くという、自分の最も好きな───唯一、密かに自信を持っている行為を、肯定してくれる人がたくさんいる。
増えていくPVを確認する時の、あの幸福感。
新しいエピソードを投稿した直後から、ダイレクトに反応してくれるレスポンスに感じる手応えに浮き立って、緩む口元。
フォローしてくれる人のペンネームを眺める時の、感謝と入り混じる自負の高揚感。
書かれたレビューを繰り返し読み返しては、新たな意欲に燃えて握り拳を震わせたことなど、数え切れないほどある。
なのに。
ここから、もっともっと面白くなるのに!
ダメだ。
気分を変えなくちゃ。
それでもマウスは、俺の主戦場でもあり、夢の国でもある投稿サイトをクリックしていた。
今日も、数え切れない程の物語がサイトに生まれ落ちている。
いつもなら、切磋琢磨する相手として不足はない、お気に入りの『戦友』達の作品を覗きに行くのだが。
たまにはあまり読まないジャンルの作品を見に行ってみようと思い立ったのは、だから、本当に気紛れだったのだ。
その作品を開いたのは、偶然だった。
物語としては失礼ながら、(俺の作品ほど)面白くはない。
『★0』の評価も頷ける、と不遜なことを思いながら読み進めて、俺は慄然とした。
物語自体は、取るに足りない。
しかし、ある場面を表現する数行の文章が───俺が躓いているあの場面をそのまま、まるで実際に見てでもきたかのように、臨場感溢れる表現で描かれていたのである。
語彙も、その組み合わせも、勢いさえもが、完璧だった。
完璧だった。
俺の物語の、俺の頭の中の、あの場面そのものだった。
これ以上に、あの場面を鮮やかに脳裏に描かせることの出来る文章は、ない。
まるで殴られたような衝撃にも近い敗北感に、硬直していたのは、どれぐらいの間だっただろう。
のろのろと再び動き出した頭の中で、そして、浮かんだのは。
『───あのシーンの迫力には、本当に驚きました。さすが○○さん! すごく感動しました! 本当に面白かったです! 続きを楽しみにしています!』
フォロワーさんからのコメントに、浮かんだ笑みは、苦いものだったのかもしれない。
俺は、無事に躓きから抜け出して、新しいエピソードを快調に連投していた。
あの日。
『★0』なんだ。
この作品のPV数は、きっと。
きっと、大したものではないんじゃないだろうか。
『★0』なんだから。……いいよな。
大丈夫だよな。
俺は、サイト画面を縮小して、隣にテキストを開いた。
そして。
完璧な、数行の文章をそのままコピーしたのだ。
それから、文章を壊さないよう細心の注意を払いながら、申し訳程度に『てにをは』程度の修正を……偽装を加える。
どうせ、溢れんばかりの作品の山の中で、きっと、この小説は埋もれていくんだ。
それなら、俺の物語にその存在の片鱗を残した方が、ずっといいはずだ。
こんなにも完璧な文章なんだから、つまらない物語の中で、誰にも顧みられずにいるよりは。
俺の物語の中で、たくさんの人の目に触れられる方が、きっとずっといいはずだ。
そうだろう?
もともと違うジャンルの物語だから、俺の小説の読者に読まれる可能性は少ないだろう。
この小説が属するカテゴリーにだって、数限りない作品が渦巻いている。そして、そのジャンルには、そのジャンルの愛読者がいる。
けれど俺の作品の読者が、あるいはあのジャンルの読者が、『★0』のこの小説と俺の小説をピンポイントで読み比べることは、まずないだろう。
このサイトには、無数の小説がひしめいているのだから。
案の定、フォローしてくる人達のコメントには、不審を感じさせるようなものはなく、肯定の気持ちだけが送られてきていた。
あの文章をコピーしていた間の、微かなプライドの軋む音だけが、今も心のどこかに響いているけれど、その程度、どうってことはない。
俺は、面白い物語が書きたいんだ。
面白いと言ってもらえる物語を、これからだって書いていくんだ。
ほんの少しの不正なんて、面白い物語の前には何の意味もない。
『★0』しか取れない方が、悪いんだ。
そうだ。
面白さの前には、その方法なんて、その手段なんて、どうでもいいことなんだ!
そのコメントが送られてきたのは、俺が脂汗をかき、震える手で気分転換にサイトへとアクセスした時だった。
『初めまして。○○様』で始まるコメントは、終始穏やかな言葉を綴っていたけれど、俺は喉が干上がるのをどうすることも出来なかった。
ペンネームは、あの小説……『★0』のあの小説の作者の物、だった。
『───かつて、作家の高樹のぶ子さんが書いていらっしゃいました。
「匿名だと無責任に何でも言える、と思う人も多いけれど、実はそうでもなくて、自分から出て行った言葉に反論が来たりすると、我が子が傷つけられたように不快になるようだ。
様々な思いが言葉を生み、言葉は書き手の思いを背負って世間に出ていくのだが、親の姿が見えない状態では子供もまともに扱ってもらえないし、しばしば攻撃も受ける。
そうなると、木陰から世間の反応を見ている親としては、いてもたってもいられなくなるのだ。いくら匿名で送り出しても、否応なく透明なへその緒で繋がっているのが、書き手と言葉の関係らしい。
別の見方をすれば、発信者不明のカタチで世に出された言葉の、これは生みの親へのリベンジなのかも知れない」
と』
心臓が、痛いほどに暴れ出す。
目だけが、コメントを読み続けた。
『言葉が子供であるならば、かどわかされた子供は、犯人に抵抗するかも知れません。
もともと、言葉にはそれだけの力がありますから。
本来、書き手の様々な思いを背負って生み出された、呪文とすらなるものですから。
担ってきた思いを、否応もなく偽ることを強要された子供が憤慨し、抵抗しても、何ら不思議はないと思います』
穏やかな文面は、しかし、おまえが自ら、おまえの物ではない異物を取り込んだのだろう? と暗に糾弾していた。
そして。
『○○様の、これからの作品も楽しみにしています』
コメントは、そう締め括られていた。
俺は、呆然と画面を眺めるしかなかった。
この人は……俺がこうなることを知っていたのだろうか……?
言葉は、呪物だ。
顔も知らない作者のその言葉は、否応もなく納得せずにいられないものだった。
何故なら俺は今、それを嫌というほど思い知らされているからだ。
今まで俺の言葉は、俺の物語に、俺のキャラクター達に、輝かんばかりの命を吹き込んでいた。
それは俺の言葉が、俺の思いを、俺の世界を背負って、俺の物語を受肉させるべく産み落とされた呪物だからだ。
だがそこに、もしも異物が……他人の世界を背負った呪物が、混入したら?
結果が、今、ここにあった。
言葉は、俺を、直接殺しはしない。
だが、一度異物に混入されたモノが変質してしまうように。
ゆっくりと、呪いがその染みを広げていったのだ。
───最初に、連載を続けていたあの物語が死んだ。
どんなに頑張っても俺の言葉、俺の呪物が、組み上げられなくなっていったのだ。
文章が書けないどころではない。一文字も浮かばないのだ。
そして。
最愛の主人公が、続いてヒロインが、砂となって崩れ落ちるように……俺の中から消えていった。
本当に、消えていったのだ。
あんなにも身近に、俺の中に確かにあった
彼らの名前は憶えている。
だが、彼らがどんな性格で、どんなことを思っていたのか、もはや俺には思い出すことが出来なくなっていた。
そして、彼らが生きていた世界すら、俺には思い出せなくなってしまったのだ。
あんなにも俺を奮い立たせ、面白くなると確信していた物語の展開も。
きらきらと輝く、その断片すら。
俺の中から消え失せてしまっていた。
消えたのは、その物語だけではなかった。
何を見ても、何を聞いても、俺には何も思い浮かばなくなっていった。
今までなら、そこから様々なイメージを思い描くことが出来た。
ドラマや漫画の先を想像することも、小説の行間にあっただろうキャラクター達のコミュニケーションも。
何も───何も、思い浮かべることが出来なくなっていたのだ!
言葉は、俺を、直接殺しはしない。
だがその呪いによって、物語を作る俺という存在を穢したのだ。
そして、俺は今、投稿サイトのページを呆然と眺めている。
疚しさなど欠片もない、自らを生成する自尊心を誇らしげに掲げる言葉達が形作る、煌びやかな作品達の乱舞を。
ついこの前まで、当たり前のように俺も降り立つことが出来たその世界は、もはや俺の手の届かないものになっていた。
他人の
面白い物語の前には何の意味もない、もはや誰にも顧みられることのない、何も届けることの出来ない、つまらない存在として。
どんなに脂汗を落とし、目を血走らせようと。
脳裏には情景の欠片、文字のひとつさえ浮かぶことのない。
『★0』でさえも、もはや望むことなど出来はしない。
かつての栄光だけを鮮明に覚えている、痴呆に冒された元創造者として───。
異物 高柴沙紀 @takashiba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます