帰省したら両親が離婚した話。

とりちゃん

1

「あっつう……」

「ねー。なんでこう、田舎の夏って暑いんだろ」

「ここを田舎って言うのは、語弊があると思うんだけど……県民に怒られるよ」


 降車口から降りるや否や、後続に続く乗客の邪魔にならないよう歩道に上がり、一つ大きく伸びをする。

 乗り慣れない長距離バスに揺られることおよそ十五時間。

 時期はお盆前シーズンではあるし、早い時間に出たとはいえ、下りの高速が混むことも予想はしていたけれど――


「まさか、こんなにかかるとは」

「もう昼過ぎてるもんね」


 長い時間椅子に座っていたとき特有の太ももの辺りの痺れを感じ、手で摩る。

 十二時間で着くはずが、十五時間。

 途中休憩を挟むとはいえ、それだけ長い間座っていればお腹は減るし、喉も乾くし、身体は凝り固まる。最後のサービスエリアを寝過ごしてしまったため、手元には空になった麦茶のボトルしかない。

 クーラーの利いたバス内に、口の寂しさを紛らわせるための、小袋に入ったラムネしか持ち込まなかったことは却って失敗だった。

 隣の彼女――といっても姉なのだけど、姉はその辺の理解をしていたようで、きっちり飲み物を持ち込んでいた。

 といっても、菓子の類は持ち込んではいなかったらしく、手元のラムネは三分の一程取られてしまったのだけど。


「あぁ、喉が渇いた」

「だから、私の飲んでいいって言ってるじゃん」

「いや、いいよ。自分の分買うし」

「二十歳にもなって、まだそんなこと気にしてんの?」


 姉は呆れたような、はたまた、ちょっと引いたような。

 そんな雰囲気を漂わせつつそう聞いてきた。


 そんなわけがない。

 たかだか百円かそこらの飲み物をケチった結果、「そんなこと」に多少なりとも精神を揺すられるのは、割に合わないと思っただけで。


「というか、もう二十一だし」

「あー、そうだったね。祝ってないから忘れてた」

「冷たい姉だよね」

「そんなこと言ったら、タカも私の誕生日に何もしてくれなかったよね」

「生憎お金がないもんで。どっかの誰かさんが、仕送り全部使っちゃうから」

「おかーさんまだかなぁ。多分もう来てると思うんだけど」


 そう言って目の前の姉をねめつけてやると、見事にスルーされてしまった。

 それはもう、今し方自分の発言を忘れてしまうぐらい、見事に。


「それに、そういうんじゃないし。逆にそんなこと気にする弟ってどう思う?」

「え、普通にキモチワルイ」

「でしょ」

「そんな弟にはならないでね」

「……はいはい。そんなら、ありがたくいただきます」


 そう言うと、よろしい、なんてふんぞり返りつつボトルのキャップを外し、こちらに渡してくる姉。

 少しむかついたもんだから、当てつけに残り半分程となったボトル内の水を一息に飲み干して返す。

 もちろん多少は温くなっていたのだけど、喉が痛い程に乾いていた僕にはさながら、キンキンに冷えたコーラを飲んでいるかのように感じられた。


 別に、一度や二度仕送りを使われたところで、怒りを覚えるわけでもない。

 同じペットボトルから水分を摂ることに遠慮や嫌悪はないし、二列シートのバスで隣同士になるのも嫌じゃない。

 洗濯物を一緒にされても文句はないし、相手の下着を干すなんてことはもはやルーティンワークと化している。

 「一緒に住めるぐらい仲がいいんだね」なんて言われるけど、そんなこともない。

 そのぐらい僕らは普通の姉弟だし、それはもう一人下にいる弟にも、こっちで暮らす両親にも当てはまることだ。

 普通に仲の良い家族。

 それが僕らの一家を指したとしても、何の違和感もないと思う。


「それにしても、ほんと何もないなぁ」

「あるじゃん。スタバだってあるし、それより近くにはスタバもどきもある。カラオケだって駅前に何個もあるし、買い物だって大丸が目の前にある」

「すごいね、あんまり来たこともないのに。あんた観光大使か何か?」

「逆にこれぐらいしか紹介するところが無かったりして」

「ま、それで困ることもなさそうだけどね。でもなんか、やっぱり、寂しいよね」


 それは、単に景観の問題だと思う。加えて、人の多さとか。

 既に時刻は昼に差し掛かろうというのに、駅を出たその先にはちょっとした人込みすらもなく、なんなら百メートル程をダッシュしても人にぶつかることもなさそうだった。

 もっとも、ここ数年百メートルも続けて走った記憶の無い身としては、実行するはずもないのだけど。


「母さん、来てるかな。ちゃんと伝えた?」

「ん、メールはしたよ。思ったより時間掛かったし、待たせてるかも……って、あそこにいるじゃん」


 そう言われ姉の指差す方を見ると、まばらな人の流れに逆らいながら、こちらに歩いてくる母の姿があった。


「久し振り! ごめん、ちょっと遅くなった」

「まあ、しゃーないやろ。時期が時期やしな」


 近づくにつれはっきりする母の姿は、去年の夏とそう変わらないように見えた。

 会うのは久し振りといっても、まだ一年。

 小さい子供ならばともかく、齢五十を超えようとする目の前の母さんが目に見えて変化するには、いささか短いスパンのように思える。


「外おっても暑いやろし、はよ車んとこ行こか」


 そう言われ、促されるまま駐車場へと歩を進める。

 行き着いた先には、一家五人が乗っても窮屈にならない大きさの白いミニバン。

 そこに乗り込む。

 何もおかしなところはないし、やっと涼しい空間に腰を落ち着けた家族が会話をすることにも違和感なんてあるはずもない。


「それで、お父さんとのことなんやけど――」


 ふといつもの癖で空を見上げると、群青色に染まった空を割るようにして、一筋のコントレイルが走っていた。

 いつからだろう。

 そんな何気ない会話ができなくなったのは。




――――――




 思えば、昔から我が家の大黒柱は母さんだった。

 何か問題が起こる毎に相談した相手は母さんだったし、進学の相談も母さんにしかしていないし。

 給料は父さんの倍程度も貰ってたのも、知っていた。


 といっても、僕は別に父のことが嫌いなわけじゃない。むしろその逆。

 父さんのことは好きだ。

 もっと言えば、皆が父さんのことを好きな、はず。

 少なくとも、僕にはそう見える。

 小さい頃、休みの日にゲームセンターに行きたいと言えば連れて行ってくれたし、適当に買ってきた漫画だって読ませてくれた。

 普段から母さんにはよく叱られたけど、父さんには叱られなかった。

 煙草臭い車の臭いは好きじゃなかったけど、寝る頃には不思議と臭いのしなくなった父さんと、一緒に寝るのも好きだった。

 そんなことが今まで積み重ねられた結果、どちらかといえば、今でも僕は父さんが好きだ。

 あるいは、親近感を覚えていると言い換えてもいいかもしれない。


「この前もな、止めろ言うてるのにニコレット買ってくるし、嘘ついて隠そうとするし」

「あー……嘘つかれるのって嫌やんね。ウチもさぁ――」


 東京に出て長い姉も、普段聞き慣れない関西弁を交えて相槌を打つ。

 さも納得したとでも言わんばかりの反応に、少しだけ苛立ちを感じた。


「でもさ、やっぱり人って、怒られたくないでしょ。後ろめたいって思ってるから嘘つくわけだし」

「いや、それを後ろめたく思わん人やったらそもそもくっついてへんて」


 自身の正当性を主張するかのように反論された。

 大仰に肩をすくめて見せる姉は、言外に「アンタは分かってないなぁ」、と言っているような。

 多分、そういうつもりで言ったんだろう。

 不快だとは思わない。どうせ僕は分かってない。自分でもそれは分かってる。

 分かってるんだ。

 ここ数年で、一緒に住んでいるマンションに四種類もの男を連れてくる、昔から保育士になるなんて、気の利いた夢を持っていた姉とは違う。


「せやなぁ。お母さんも、昔はそんな感じの人が自分に合ってると思うててんけどなぁ」


 どことなく憂いを帯びた、似合わない表情でそう呟く。

 その呟きが耳に入った瞬間、全く以ってそんなわけはないと思い隣に座る姉の方へ視線をやると、姉もこちらを見ていて、視線がかち合った。


「くくっ」

「んふっ」

「え、何わろてんの?」


 自然と笑いが漏れる。

 なんのかんの言いつつ、やっぱり自分たちはかなり仲の良い家族なんじゃないかと、見当違いと分かってはいても考えてしまう。

 そうして笑っていると、既視感を感じる風景が目の前に流れ始めた。


 ほどなく家に着き、先に母さんから手渡されていた鍵を取り出す。

 軋むドアを外に開くと、二階から降りてきた父さんが出迎えてくれた。


「おお、タカ、トモ。久し振りやな」

「ん、おひさー。ちょっと痩せたんちゃう?」


 キイと金属製のドアが擦れる音を聞きつつ、父と姉の間でそんな遣り取り。

 そこに、ちょっとした違和感を感じた。


「……あれ、ほんとだ。なんかほっそりしてる」

「んふふ。そら嬉しいなぁ」


 父は昔から変わらない、その特徴的な笑いの後に、そんな感想を述べてみせる。

 しかし父の現状を知る僕としては、肥えることはあってもまさか痩せることはないだろうと思い、ついまじまじと父を見つめてしまう。


 なんせ父さんは今、絶賛無職。

 引き籠りがちのニート状態だと聞いていたもんだから。



 誰が悪いわけでもない――という訳でもなく、むしろ父に関わる全ての人に原因があったのかもしれない。

 昔は安月給ながらに毎日遅くまで働いていたはずの父さんは今、無職だった。

 ままならない事情もあった。

 昔から母さんと、父さん方の祖父とは決して相性が良く無かったし、顔を合わせれば険悪な空気を漂わせていたし。

 まさか高校を出てそれきり、あの家に帰れなくなる程だとは思わなかったけども。


「お爺ちゃんがな、お婆ちゃんのこと叩いてん」


 そう話した父さんは、その時怒っていたんだと思う。


 ともあれ、普段から横暴であった祖父との関わりを絶つべく、母の単身赴任先に一家丸ごと引っ越したのが今年の春のこと。

 お婆ちゃんは、こっちにはこなかったらしい。


「あの人、私がおらんかったら、なんもできへんからね」


 全く以ってその通りなのは知っていたけど、残り少ない人生をDV男と過ごすという決断に至るその思考は、分からなかった。


 当然父は職を失ったけど、幸いと言っていいのか、我が家の家計は母の収入によるところが多い。

 定年間近でもあった父は、ゆったり保険の切れるまでに次の職を探せばいい。

 あと数年もすれば僕たち兄弟は皆働いているはずだし、その後無理に働く必要もない。それだけの話のはずだ。


 しかし、出迎えてくれたと思ったら、父さんは早々と自室に引き篭もってしまった。

 まるで、何かから逃げるように。


「――な? いっつもこんな感じやねん」


 苛立ちを隠そうともせず、母さんはそう言った。

 おかしいな。

 引っ越した当初は気持ちが悪い程に、鬱陶しい程に、連日仲が良いアピールをかまされていたと思ったんだけど。

 「最近私とお父さん、今までで一番仲ええねん」なんて電話口で話し始めた時は通話料の無駄だと思う一方、順風満帆なようで何よりだとも思ったものだった。

 今はお盆。今まで共に過ごしてきた年月を考えれば、極々短い期間だ。

 だから。


「やから、前にも言うた通り、離婚しよかなって」


 そんなことを改めて言われても、やっぱり僕は分かることができなかった。

 あれほど暑く感じられた、姉によるところの田舎の熱が、まるで元から無かったかのように搔き消えた気がした。

 いや、たまに母さんから掛かってくる定期連絡では愚痴も聞いていたし、その都度母さんを宥めて、時には父さんにアドバイスなんかをしたりもした。

 唯一近い位置にいる弟には、慣れない高校生活を始めていたものの、二人の間を取り持ってもらっていた。

 僕はといえば、面倒だったし、たまに折り返しで電話を掛けて、近況報告をする程度だったのだけども。


「そうなっても、あんたらに迷惑は……まあ、あんまりかからんかもな。ユウは可哀そうやけど 」

「いや、迷惑とか、そういうのじゃなくて」


 この場にいない弟の顔が脳裏を過る。

 分からない。 

 僕はいつだって、分かることができない。

 と同時に、自分の倍以上も生きている両親も分かっていないと、そう思った。


 そこからの話は完全に蛇足というか、正直どうでもいい話ばかりというか。

 なかなか完全禁煙ができなかったり、弟の部活の応援を面倒がったり、自分から進んで旅行の企画なんかをやりたがらなかったり。

 全部、昔から変わらない父さんの姿だった。

 そんなことが母さんにとっては、一々気に障るのだという。

 いや、常識としてそれが子を持つ親の行いじゃないっていうのは、分かる。

 けれども僕は、耳から耳へと話が通り過ぎるのを感じながら、「ああ、バス代が無駄になるかも」とさえ思った。


「いやでも、これからそれをなんとかするって話やろ? 明日もどっか旅行行く計画、お父さんが立てた言うてたで」

「それかてな、私が立てて言うたから立てたんや。ラストチャンスや、言うてな。あんたらが帰ってくるのになんも考えてへんかってんで」

「でも、言われたらちゃんと考えてるやん。なんで――」


 ちょっとした口論の末、「まあ、私がラストチャンスや言うたんやもんな」なんて言って母さんが折れた。

 そんな当たり前のことは心底どうでもよくて、少し西にいった所に存在する、何カ所かの温泉を巡るらしい明日の小旅行に、僕は少しだけ期待していた。


 しかし結局、父さんが企画したその小旅行は実行されることはなかった。


「起こしてくれると思うて……」


 寝坊した父さんは、やっぱり昔と変わっていなかったけど。

 大きくなった僕は父さんを、ちょっとだけ嫌いになって。

 そこでやっと、もう普通には戻れないと、分かることができた。




 数日後には、僕は自宅に帰った。

 姉は元々、小旅行の日に帰る予定だった。保育士が激務で、休みが取れないというのは本当らしい。

 「あとは頼んだよ」なんて言っていたけど、その掛け声は社交辞令的な何かだったように思えたし、どうすることもなかった。

 もう母さんは話す気力もなかったらしい。

 あの朝から二人は、一切会話をしなかった。

 何もしないのであれば、友人もいない、周囲に遊ぶところもない、今時Wi-Fiだって飛んでいない家になんて、何の用もないのだし。

 当初より数日ばかり予定を早めたところで、文句を言う人は誰もいない。

 この後に及んで、僕はこの上なく捻くれていた。


「タカー、父さんからメールきてるの見た?」

「いや、見てないけど」

「そっちにも送ったらしいから見ときなよ。最後なんだし」


 ようやっと家に着いたと思えば、早速そんなことを聞かれる。

 そう言い残して部屋に入っていった姉は、存外さっぱりしていた。

 少し意外に思うと共に、僕なんかよりよっぽど、姉の方が「家族」をしていたのは知っているし、姉なりに整理はついているんだろうと考えた。

 しかし、それにしても、


「んふっ」


 最後って。

 テレビやドラマの話が現実の身に起こったのを、今更思い知って。

 なんだかすごく面白いことのように感じて、なぜか、なぜだか、少し笑えた。

 さっきまで、中々に重い気持ちを胸の辺りにぶら下げてたはずなのに。

 もしかしてこれ、情緒不安定ってやつなのかも。


 そんなことを考えながら自室に戻り、季節外れのシーツに包まれたベッドに身を投げる。

 そして特になんの感慨もなく、そのメールを開いて。



『トモか、お母さんに聞いたかもしれませんが?お父さんもお母さんもこれ以上一緒に暮らしていけないと決断しました。タカにもせっかく上手く行くように色々やってもらったのに申し訳ありません、元々お父さんは別れるつもりはなかったのですが、悪いタイミングで何か訳がわからなくて。これからの生活はどうなるかわかりませんが、なんとか一人で頑張ります、タカも家族を支えて元気に生活してください。最後に会う機会機会があるかどうかわからないのでこんな文章ですまないけどありがとう』



 傍から見ても動揺が伝わってくる文に僕は、動揺した。

 上手く行くように色々なんて、やってない。

 お礼を言われるようなことも、していない。

 何よりもその、見たことのない敬語で綴られたメールの文章に。

 酷く動揺した。

 そこで、初めて泣いた。


 多分、数分も経たない内に。

 感情の揺れが収まったのち、すぐに父さんに電話を掛けた。

 つい先日、嫌いになったはずの父さんに。

 そうしなければ、二度と「父さん」と話せないような、そんな気がした。

 ワンコール、ツーコールと待つと、ブツリと音がする。


「もしもし、父さん?」

『おお、どうしたんや、タカ』


 どうしたんやの前に、「今更」と聞こえたような気がして、言葉に詰まった。

 そもそも、電話して何になるっていうんだ。

 これまで小さな諍いだからと、自分からは一本の電話もしなかった癖に。


「あんな、俺、なんもしてへんねん」

『ん?』

「父さんにありがとう言われることなんかな、なんもしてへん」


 気が付けば、気取らない、慣れ親しんだ言葉が口をついていた。

 懺悔をしている気分だ。

 こうなるまで何もしなかったことを、これほど悔いたことはない。

 さながら草で編まれた船のように、他人に流されるまま生きてきた僕は、「普通の家族」は何もしていなくとも享受できるものだと思っていたのだ。

 勘違いもいいところだった。

 家族とはいえ、生身の人間同士の付き合いだというのに。

 二十一の僕は未だに、ただの子供だった。


『ああ……そういや、電話もメールもせぇへんかったな』

「せやねん、面倒臭かったし、漫画読んでる方がマシやと思てた」

『んふっ、そらそうかもな』


 なぜ笑うのか分からない。

 同じ屋根の下で過ごした四日間、大抵自室に籠っていた父さんとは、ほとんど話もしなかった。

 もっとも、苛立つ母さんの悪口を聞いて不愉快な気分になるのも嫌だから、さっさと逃げ帰ってきたのだけど。


「そんなんしてる間に、色々話せた。色々できた。ほんまに、ごめん」

『ええねん。父さんからも掛けてへんねんからアイコやし……あんな、タカ。聞いてくれるか』

「……なんや?」


 ふと思った。

 父さんとこういった話をするのは、初めてな気がする。

 なんというか、二人きりで真面目な話をするのは。


『正直、何があかんかったか分かってへんねん』

「あかんって、どういう?」

『離婚の理由。母さんな、ボクのこういうとこが気に入らんらしいんや。何回も同じ失敗を繰り返すとか、空気が読めへんとか』


 父さんにそういうところがあるのは、帰省中にも聞かされていたし、事実それは、一般的には「ナイ」行動の数々だった。


『でもな、考えても、何が正しいんか分からへんねん。何をしたら怒られるんか、分からへん。ボクも、そんなんで怒られんのが気に入らんかった。ずっとそうやって、爆弾抱えたままやった』


 そこまで聞けば、もう父さんが何を思ってるのかは、分かる。

 だからその先は、聞きたくなかった。


『やからな、ほんまに、ごめんやけど』

「……うん」

『正直……正直、ほっとしてんねん』


 知る機会はいくらでもあったはずだ。

 逆に、知らせてくれる機会も。

 僕ら家族は「普通の家族」を演じるには、あまりにも、すれ違いが少なすぎた。

 あまりにも、気づくのが遅かった。


『急なことやなかったんや。ずっとこうやった。なんも言わんで、ごめんな』


 父さんのことを、根本的に僕は、分かろうとしていなかった。

 分かり合おうとしていなかった。

 そして、それは向こうも同じで。

 でも、僕らはそれに気づけた。やっと。

 だから父さんも、声を震わせて、謝っているんだ。


『この先、会う機会もあるか分からんけど――「あのさ」』


 言葉を遮る。

 言わんとすることは分かった。

 いざ離婚するとなれば、親権だとか、1カ月に1回だけ会うとか、きっとそんな制約が付いて回ることは想像に難くない。

 もう、今更結果は変わらない。僕らは近々他人になる。

 それでも。


「今度、旅行しよな」

『……んあっ?』


 そんな言葉が、口をついて出た。

 続いて状況に似合わない、間抜けな声。


「次うたら、みんなでどっかいこ。温泉行ってへんしな。ユウと、姉ちゃんも、母さんも連れて。今度は一番、はよ起きんねんで。あれや、男と男の約束や」

『……でも、な。そんなん母さん、嫌やろし。というか、会わせてくれるかも分からん』

「ええやん。僕、ワガママ言わへんええ子やったやろ? 自分で言うんかって感じやけど。ちょうど、そろそろ何か困らせたろ思うててん」


 二人分の鼻を啜る音が、耳朶を打つ。

 それでも、また、一緒に。


「今まで、ありがと。これからもよろしく」

『……おんっ……っ、ありがとなぁ……っ…………!』


 そして僕の両親は、離婚した。

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帰省したら両親が離婚した話。 とりちゃん @ko887

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