12 竜と翼と ⑷

 眼が痛くなるぐらい、太陽の眩しい日だった。


 私たち帝立技術工廠に勤める全員が、バラックに集められた。


 片隅には、軽快な機動性をウリにした最新型『ア式』飛行機が組み立て途中で安置されている。


 ベイくんはこの『ア式』に色々な新素材を試していた。

  

 特に、安価で短時間で造れて、しかも軽くて頑丈な新合金アルミニオンの採用は、いよいよ民間飛行機市場を視野に入れた取り組みだった。


 あの晩ベイくんが提督に切ったタンカが、現実になろうとしていた。


 私たちの気分は、浮いていた。


 そしてそんな気分は。


 「総員、傾注!」


 簡単に掬われてしまうものだと、私たちは思い知った。

 

 「新任の筆頭武官、ヴェロク・ファルブッケンである。技官諸君においては、今後

 その業務を小官が統括する事になった。だが総員、従来と変わらず帝国と竜帝陛下の御為に邁進して頂きたい」


 やたら金ぴかな軍服に身を包んだ武官は、壇上から私たちを見下ろして突然そんな演説を始めた。


 最初の内は訳が分からなかった職工たちだったけど、その内不安げなざわめきがあちこちから聞こえ始めた。


 「ヴェロク武官殿、あー、その、提督はどうなすったんです?」


 声を上げたのはモリディアーニ先輩だった。


 「発言する者は挙手をしろ。ザバロッキ・メルダースなら更迭された」


 再び、場が静まり返り。


 「こう、てつ?」


 すぐに紛糾が始まった。


 「一体どういう理由ですか!」


 「あくまで武官と言う役職であったにも関わらず、内務省直轄だったこの技術工廠を私用したが為だ」


 「提督が?私用?あの方がここでどんなワガママをやったっていうんです!ワガママ言わせてもらってのは俺たちの方ですぜ!」


 「そうだ!提督はいつも俺たちに、自由に飛行機を造らせてくれた。資金繰りから職工集めまで、全部提督がやってくれてたんだ!」


 「だいたい内務省の役人どもが面倒臭がって、軍務省から派遣されてきた提督に全部の業務を押し付けてきたんでしょうが!それを!」


 「だまれっ!!」


 威圧的な一喝。


 私たちを見下す、この態度。


 私は今更のように悟った。


 提督が、これまでどれほど私たちの為に動いてくれていたのか。


 どれほど影から私たちを護ってくれていたのか。


 そしてその護りが、私たちから遠ざけられた事を。


 「貴様ら技術屋風情がぴいちくと口を挟むな!これは軍上層部における決定である。異議のある者は直接軍務省に申し立てよ」


 「こきやがれ、何が軍だ!」


 「さっきアンタ自分で言ったろうが!うちは内務省の組織だぞ、それを…」


 「本日を以て帝立技術工廠は栄えある軍務省の預かりとなった。ここに竜帝陛下の勅書もあらせられる!」


 金ぴか武官が高々と、紫色の印が捺された紙ぺらを掲げた。


 荒れ狂っていた全員が、またしても静まり返った。


 私は、隣に立っていたベイくんの手を握った。


 「ベイくん…」


 ベイくんは、牙を剥いていた。


 「いいか、既に貴様らの身は帝国の為にあると知れ!軍の為、陛下の為、竜民の為、その身を粉にするのが使命と知れ!」


 その眼に、壮烈な炎を宿していた。


 そして、ぎゅっと私の手を握り返した。血管が浮き出るほど強く。


 「貴様らが今日より造るのは新兵器、空中軍艦だ!飛行機などと言う玩具ではない!この新戦力で我らはケダモノどもに天誅を下すのだ!」


 「ふざけないでくださいっ!!」


 ベイくんが、吠えた。


 それと同時に、職工たちも咆哮を上げた。


 私は雄竜たちの熱気に気圧され、言葉を失った。


 それから、私たちの日々は一変した。


 ※


 「技術主任、所長がお呼びです」

 ふいに声をかけられ、私は設計図から目を放し振り向いた。

 何故だか青ざめた顔色をした部下が、ドアを半開きにして私の顔を凝視していた。

 「ああ分かった。すぐに行くよ」

 咥えていた紙巻煙草を灰皿ですり潰し、私は立ち上がった。

 ここはブリガンタイン社自慢の巨大造船所。機械油の濃密なにおいが立ち込め、溶接の鮮やかな火花が彩る、私の世界だ。

 中央には組み立て途中の新鋭駆逐艦『ズ級』が鎮座し、空へ飛び立つその瞬間を待ち構えている。巨大なカイト凧か翼を広げた蝙蝠のような姿をした異様の機体は、これまでの帝国艦船では見られなかった外観である。

 そしてその傍ら。矢じりのように鋭く、白銀に輝く小さな機体。噴進エンジン試作機『ル式』。ようやくここまで形に出来た、祖父の秘蔵っ子。

 ラープの尽力がなければ、この二つの機体は日の目を見る事すらなかったであろう。あれから一週間も経たぬうちに、憲兵どもによって連れていかれた甲殻竜の旧友。

 ――見てろよ、ラープ。

 誰にも聞かれぬように口の中で呟くと、私は所長室へ向かった。

 ノックもせずにドアを開ける。どうせ用件は分かっている。

 「所長、何ですか?観艦式の日取りですか?」

 見慣れない顔が、私の顔を見据えた。

 大股開きでソファに座り、下卑た笑みを浮かべている。長い鼻づらに、どす黒い鱗、爛々と光る大きな眼。

 将官用のマントに身を包んだ、鰐竜。

 私は尻尾の付け根に悪寒が走るのを感じていた。

 「よぉー、おいでなすったか」

 軽口と共に手を上げる鰐竜。隣には、憲兵の腕章をつけた部下を侍らせている。

 間違いない、こいつは、こいつが。

 「やぁ、カモフくん。忙しい所を申し訳ない」

 今にも死にそうな顔色で、所長のダンケンが振り返る。

 「この方々が君にそのぅ、聞きたいことがあるらしいんだ。何でも、そのぅ、ラープ君の件に関してだ。ご存知かな?こちらは」

 「ええ、存じていますとも。初めまして、キリニコフ・ライザー少将。お目にかかれて光栄です」

 私の挨拶に、キリニコフは聞いているだけで虫唾が走るような笑みで答えた。

 「ククッ!さすが技術主任殿ともなると、心にもないことを言う腹芸ぐらいは身に着けているもんだね、カモフさん」

 およそ少将の地位にある竜とも思えない、小悪党染みた物言いだった。

 私が応接間に入るのを確認するなり、所長は小動物染みた落ち着きない動作で立ち上がると部屋を出て行った。何やらごにょごにょ挨拶をしていたような気もするが、よく聞き取れなかった。

 キリニコフはすっかりこの部屋の主気取りで私を対面に座らせると、黒鱗竜の部下に書類を広げさせ、私の身上調査を読み上げさせた。

 どうやらこの場で、尋問を始めるようだった。

 「カモフ技術主任、お伺いしたいのは他でもありません。現在建造中の空中駆逐艦、『ズ級』に関してです」

 黒鱗竜はきびきびとした口調で私に問いかけてくる。上官とは正反対の、折り目正しい制服を着こなした軍民であるようだった。

 「我々の得た情報ですと、あれは先日逮捕されたラインワット・ラープの設計であると言う事ですが」

 「いいえ。あれは私が設計したものです」

 「事実ですか?」

 「はい」

 無論、大ウソだった。

 ラープが『鈍色亭』で私に頼んできたのは、まさにこの事だった。

 『ズ級』はラープによる一世一代の作品である。これまでの帝国艦船とも飛行機とも全く異なる設計概念で造られ、高い機動力と積載荷重を兼ね備えた傑作だ。機体全てを翼で構成された『全翼機型』という新しいカテゴリで呼ばれている。旋回銃塔を搭載し、押し寄せるシュビテ小型機を蹴散らして艦隊護衛に当たることを目的とした、まさに空の駆逐艦である。

 そしてこれが極めて重要な事であるのだが、『ズ級』は駆逐艦などと名付けられているものの、その実は大型飛行機であった。先だってシュビテ小型機に対抗するべく開発された艦載機『ビ式』が一定の戦果を上げていることに目を付けたラープが、そのコネと政治手腕をフルに用いて軍上層部にこの怪物を売り込んだのである。驚くべきことに軍部はこれまでの態度を一変させていた。小型航空機に対する大型飛行機の有効性を認め『ズ級』建造を正式発注したのだ。

 これはクルドハル航空業界にとっては衝撃だった。今まで徹底的にないがしろにされてきた飛行機がようやくを雌伏の時を終えたのだ。

 先日開発を依頼された艦載機『ビ式』は、機体の運動性能を偏重するあまり操縦士の生存性を度外視し、何より予算をケチられ納品までの期間も極めて短く、とても満足の行く出来にはならなかった。ラープが見せてくれた航空史にはまるで我々技術者が喜び勇んであの不格好な空の棺桶を造っていたかのような記述がなされていたが、まったく適当な内容を書いてくれたものである。これだから歴史書などというものは当てにならない。

 しかし今度は違う。今度は予算も潤沢、期間も充分。しかも完成した機体は近々行われる空中観艦式でお披露目されるという運びになっていた。技術者にとって、これ程の名誉はそうそうない。上手くいけば、この流れに乗って更に次々と飛行機開発の依頼がやってくるかもしれない。

 だがそれも、ラープの逮捕が決まるまでの話だった。

 ラープは『鈍色亭』で、『ズ級』の設計図が綴じられたファイルを私に手渡し、頭を下げた。あいつが頭を下げる姿なんか、初めて見た。

 『例え俺が無実だろうが何だろうが、ぶち込まれたら関係ない。犯罪者が考えた艦なんざ、すぐ建造中止にされちまう。だから、お前が設計したことにしといてくれないか』

 私はそれを固辞した。技術屋にとって、他人の作品を奪う事など恥に他ならなかったからだ。だがラープも又譲らなかった。

 『こいつを抱き合わせにして、あの新型エンジン機も採用されるように手はずを整えておいた。せめてもの置き土産だ。頼むよ、俺は何としてもこいつを、空に飛ばしてやりたいんだ』

 私は旧友の言葉を思い出しながら、黒鱗竜の目を真っ向から見据えた。

 「何の事やら分かりかねます。ズ級駆逐艦は私の設計です。ラインワット・ラープには一切の関わり合いもありません」

 キリニコフはまたしても、不快な含み笑いを浮かべてみせた。

 「ク、ク!あんた、思った以上に腹が据わってるねぇ。白竜って奴は大概気弱だと聞いてるが、ご立派な祖父を持つとこうも違うもんかね」

 そう言って顎をしゃくると、キリニコフの部下がもう一枚資料を机に置いた。

 銀色のボディで、回転翼が無い。またも異様な機体の写真だった。

 「これは、正真正銘あんたの機体だな?あんたの爺さん、ベイリン・カモフが考えていた最後の作品。噴進機関、ああ、ジェットエンジンとか言うんだったか?そいつを採用して、何でも恐ろしくスピードが出るんだってな?」

 『ル式』。ラープの最高傑作があの全翼機なら私にとっての傑作はこの空の異端児だ。この機体は速力以外の何も求めてはいない。機尾に取り付けた単発墳進機関により、これまで竜民が、いやさ二本足が辿り着いたことのない速さの世界へ私たちを連れて行ってくれる。未来への魁となる機体である。

 無論、このような実験的に過ぎる作品がそう簡単に採用されるはずもなく、ラープの言う通り『ズ級』と抱き合わせの艦載機としてようやく一機のみ製造が認可された。

 全部、ラープのおかげだった。

 「なぁカモフさんよ。技師にとっちゃあ自分の飛行機は子供みたいなもんだろ?あんた、観艦式でこいつが空を飛ぶ姿を拝みたいよな」

 表情を崩さぬ私に、キリニコフが顔を近寄せた。

 「あんたがカモフ家の竜じゃなかったら、俺はわざわざここまで来ねぇ。あんたの爺さんの信奉者は軍にもちょろちょろいるからな。だけどよ、そいつらへの義理以上に、軍隊ってのはメンツが大事なんだ?分かるか?」

 生ぬるい吐息が鼻先を掠める。

 「例え誰がどう言おうと、ラープは犯罪者だ。俺がそう決めたんだからな!んで、犯罪者が設計した艦を栄えある帝国空軍が使わされました、なんて事は許されないんだ。あっちゃいけないんだよ」

 三日月色をした冷酷な瞳が、きゅうと引き締まる。

 「あんたが一言、あの『ズ級』について本当の事を言ってくれたら、あの銀ピカ飛行機がこれからも順調に造れるよう、手配してやっていいんだ」

 私は表情を崩さない。

 崩してなど、やるものか。

 「俺の温情が分かるよな?身に染みるだろ?じゃあよ、あんたの回答も決まっているはずだ。そうだな?あぁ?」

 今にも私の喉笛に喰らいついてきそうな距離で、キリニコフは尋ねてきた。

 「もう一度聞くぞ。『ズ級』を設計したのは誰だ?」

 私はきっぱりと答えた。

 「私です」

 翌日、私の手元に届いたのは観艦式の日程表と。

 『ル式』実験機のみを製造中止とする通達書だった。

 

 ※


 真っ暗な部屋の中。


 ベイくんが、電気もつけず図面を引いている。


 新型の墳進エンジンを付けた飛行機の設計図。


 こいつの速力がこなす一撃離脱戦法は、現代の空中戦を塗り替える。


 だけど、どうせ採用されない事は、ベイくんも知っている。


 「ダメだ、ダメだダメだダメだ!」


 書き上げたばかりの設計図を、ベイくんはくしゃくしゃに丸めてしまった。


 これで、何枚目だろう。


 私たちは、抗った。


 特に、ベイくんは、抗って、戦った。


 あの、優しかった白竜が、目を血走らせて。


 仲間を集って、お金を集めて、何とか、飛行機を造ろうとして。


 だけど、全部潰された。


 「――くそっ!」


 酷い、お酒の匂い。


 民間航空機の開発は、白紙になった。


 逆らった職工は、皆シュビテ主義者扱いされて、投獄された。


 ケダモノの仲間と呼ばれて、石を投げられた。


 工廠も解体されて、皆は散り散りになった。


 提督は、二度と帰ってこれなかった。


 前線に送られたのだと、噂に聞いた。


 あんなに、おじいちゃんだったのに。


 「くそっ!くそっ!くそっ!!」


 ベイくんは、それでも抗った。


 それで、捕まった。


 軍艦造りに協力することを、無理矢理契約させられた。


 私には、何もできなかった。


 どうすることも、出来なかった。


 私たちの飛行機が、空へ初めて飛んだあの日。


 なんだって出来るつもりでいた。


 でも、違った。


 私は小さな、本当に小さな雌竜に過ぎなくて。


 「これじゃ…これじゃ、ダメなんだ。まだ足りない」


 「ベイくん、少し、少し休もう?」


 私がこの白竜の肩に手を置いてやっても。


 「お酒なんか、飲みながら仕事するもんじゃないっス。少しお水飲んで」


 「うるさいっ!!」


 あっけなく、振り払われてしまう。


 「うるさいっ!うるさいっ!!役立たずっ!黙っててくれ!僕なんかに!僕に、あ、う――」


 私は、もう二度と。


 「ちが、あ、ごめ、ごめんなさい、ゲルダさ」


 「…いいっスよ」


 もう二度と、彼の笑顔が見られないのだろうか。


 「気にしないっス。ベイくんも、気にしない。私も、気にしないっス」


 「ごめん、ごめんなさい――」


 もう二度と、あの空へは還れないのだろうか。


 謝り続けるベイくんの声を聴きながら、私は目を閉じた。

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