11 竜と翼と ⑶
ぶるぶると、エンジンが脈動している。
正面は、地平線までの草っ原。
空は、どこまでも透き通っていて。
その真っ青な空間めがけて、私たちの飛行機が走り出す。
「見てろよあんちゃん、嬢ちゃん!」
パイロットのカッセンさんが、私たちに手を振る。
提督が見つけてくれた、度胸なら誰にも負けない気球乗り。
彼が跨るのは、試作第三号飛行機『白竜』。
私たちの、そして、ベイくんの努力の結晶。
試作第一号『天竜』は、ベイくんが操縦した。そして、見事に落っこちた。
と、いうか、空中に一瞬浮かび上がっただけで地面に不時着した。
私たちは飛行機を造れても、まともに操縦出来るセンスがなかった。
それで雇ったパイロットがカッセンさんだった。
『白竜』が大地を走って行く。私たちは固唾を飲んで見守る。
第二号『風竜』も、飛ぶ前に翼と機体の接合部に不具合が見つかった。
資金的に、この『白竜』で失敗すれば、次はなかった。
エンジンが暴れる。フラッペロンが唸りを上げる。
『白竜』の首が、ふわりと持ち上がる。
ふいに、私の隣にいたベイくんが立ち上がった。
「ベイくん!?」
そして、運動音痴の彼は、突然『白竜』に追いすがって走り出した。
「飛べ!」
大声で、叫びながら。
「飛べ!飛べ!」
そしてその声に、合わせるかのように。
「飛べ!飛べ!飛べぇぇ!!」
『白竜』の機体が空中へ浮かび上がる。
先輩技師たちから、感嘆の声が上がる。
『白竜』はどんどん、高く、青い、空へ。
「飛んでけぇぇぇ!!」
飛び上がって、もう、指の爪ぐらいに小さくなった。
モリディアーニ先輩が年甲斐もなく「ひゃっほぉ!!」なんて叫んでいる。
提督が立ち上がって、手を叩いて、私たちを讃えている。
職工たちが、狂わんばかりに飛び上がっている。
私は、ぼんやりと、馬鹿みたいに突っ立って。
「ゲルダさん!」
ベイくんの声を聴いて、我に返って。
「やった!やりましたよ!飛んだんです!僕らの、僕らの飛行機ですよ!」
私の胸元に飛び込んできたベイくんを、受け止めてやって。
「…しょうがないっスねえ、ベイくんは。自分らは手伝っただけっス。あれは、ベイくんの飛行機っスよ」
その、小さな頭を撫でてやって。
「違います!僕たちの、僕たちの飛行機なんですよ!ほら、もうあんなに高く!」
それからもう一度、空でゆっくりと弧を描く『白竜』を見上げたのだった。
私の生涯で、最高の瞬間だった。
※
帝都に戻って来てみると、都市全体が並々ならぬ熱気に包まれていた。
新聞屋が号外をばら撒き、道行く竜たちがこぞってそれに群がる。教会の前では聖歌隊の子供たちが軍歌を合唱している。至るところから「帝国万歳!竜帝陛下万歳!」の歓声が聴こえてくる。
キオスクでリュピド産の紙巻き煙草を買いながら、私はこれらの喧騒をぼんやりと眺めていた。
「一体何があったんだ」
私の言葉を耳聡く聞きつけた店主が、興奮気味に新聞を突き出してくる。
「旦那、知らねぇんですかい。また大勝利なんですよ」
新聞にはでかでかと『帝国空軍主力たるクラドセラ艦隊 シュビテ連合アル・ディール王国軍を撃滅』という勇ましい見出しが躍っていた。アル・ディールといえば犬民が治める強国の名前である。シュビテの中でも筆頭格だったはずだ。
「空軍さんは大したもんだねぇ。帝国の誉れってヤツですわなぁ」
適当に聞き流して足早にその場を去った。
自宅に帰る前に私には寄る所があった。一晩中夜汽車に揺られて正直尻尾まできしんでいたのだが、友人の呼びかけとあっては無視するわけにもいかない。騒がしい大通りを抜けて、うらびれた街並みへと入って行く。この辺りは帝都十三番街と呼ばれており、一見するとただの商店街だが実は鑑札無しでモグリの酒場や娼館を経営している店の吹き溜まりなのである。
その内の一軒、半地下にある酒場『鈍色亭』。同僚と社内で出来ないような話をする時、私たちはこの店で落ち合う取り決めをしている。
からんと間抜けなベルが鳴り、煙草の匂いに包まれた薄暗い店内で彼は私を待っていた。同じブリガンテイン社に勤める甲殻竜ラインワット・ラープだ。
「よう」
真昼間から酒宴に耽っている彼に、私は渋面をした。
「白昼堂々良いご身分だな」
「構うか、戦勝祝いだ」
ラープは一切感情の籠っていない声で「ていこくばんざーい」等と叫ぶとグラスの中身を一気にあおった。私はため息をひとついて彼の隣に座った。
ラープは祖父ベイリンの熱烈な崇拝者である。私と同様、飛行機造りを志してブリガンテインに入社したものの、現実に打ちのめされくすぶっているクチだ。出会って最初の頃は私が敬愛する翼の創始者の孫と言うこともあり敬語を使ってきたが、今ではすっかり砕けて話し合える仲である。
「よせよ、悪い酒だぜ。それより何だって呼び出したんだ」
「ああそうだった。俺、近々逮捕されることになった」
私は一瞬「そうか」とごく普通に返事をしてしまった。
「なに?」
「まぁこれを読んでみてくれよ」
そう言ってラープが突き出したのは、一冊の本だった。真新しい厚手の表表紙とインクの匂いから新書だということが嫌でも分かる。私は焼き印で『クルドハル帝国航空史』と書かれた表紙を眺めた後、とにかく頁をめくってみることにした。
「…なんだこれは」
私は小さく声を上げた。ぱらぱらと流し読みしただけだったが、この本の内容が当局の網に引っかかることは間違いなかった。最初の内は良い、だが後半へ進むにつれ内容が現代の帝国では受け入れがたい物になっている。現体制への批判。竜帝が戦争を疎んじているとも取れる記述。何よりも最後の方に至っては、空中戦艦ゼ級の詳細な諸元まで書かれていたのである。
「こんなもの一体どうやって、まさか」
私は冷や汗を垂らしながら旧友の顔を見た。
だがラープは首を横に振った。
「俺がそんなものホイホイ話すか。その辺りの内容はそれを書いた連中の独自調査さ。大したもんだぜ全く。まぁだが、その本に俺の名前が出ちまってるのも事実だ」
「取材を受けたのか、いつだ」
「半年ぐらい前かな。取材班の中に上司の身内がいて、断れなかったんだ。まぁ取るに足らない話はしたが、あのワニ野郎の手先はそうと思ってくれないだろうな」
ワニ野郎と言うのは憲兵総監として有名な鰐竜キリニコフ少将である。憲兵隊の他にも様々な情報機関を統括しているあの陰湿な鰐竜は、気に食わない相手や多少疑わしいと思った竜をすぐに連行して点数稼ぎに使うので有名だった。
ブリガンテインからも、情報漏洩罪や反逆罪で少なくない数の同僚がキリニコフによってしょっぴかれている。その大半は謂れのない罪によるものだ。
「どうするんだ。亡命か」
「そうもいかん。あのクソッタレから逃げても無駄だ。第一、この情勢下じゃ帝国の息がかかっていない国で俺たち竜民は暮らせない。まぁ俺の身一つ差し出して納得してもらうさ」
「そう、か…」
本を閉じ、私は何とか頭の中を整理しようとした。だが、無駄だった。
本の内容には、多少なり祖父を擁護してくれている記述も含まれているようだった。しかし、それによって、私の旧友の身が脅かされている。
動揺と怒りと困惑で頭がくらくらする。
「ま、俺も蓄えはあるからな。あいつには賄賂がえらく効くって言うから、積めるだけ金積んでさっさと娑婆に出てくるよ」
「いつ頃、入るんだ」
政治犯の行く先はポリア諸島の片隅にある絶海の孤島だ。三日間でもぶち込まれようものなら鱗の色まで抜け落ちるという。
「そう遠くないな。まだ軍部の友人から連絡が入らないから、暫くは大丈夫だが」
「そうか」
私は頭を抱えた。この、友人でありライバルであり同志である最高の雄竜に、私がしてやれる事はもう何一つ無いのだ。
ラープはもう一度酒をあおり、一息に飲み干した。そのままカウンターへ乱暴にグラスを置いた。叩きつけるような勢いだった。甲高い音に、店主がこちらを睨んだ。
「お前が前に書いてた、あの設計図な」
私は頭を抱えたまま、何も答えられなかった。ラープが焦れったそうに「おい、聞いてるのか」と促した。
「…何だ」
「あの設計図、どうしたんだ。あの新型エンジンつけたヤツ」
「…今は、そんな場合か。お前が」
「いいんだよ、俺の事はもう」
「良くなんかないだろう。このままじゃ」
顔を上げた私に、ラープはにやっと笑ってみせた。
どうして、どうしてこいつはこんな時に、こんないい顔をしていられるのか。
「いいから聞けよ。俺はあれを見て、顔面をぶん殴られた気分になったんだ。あれは、ベイリン翁の遺作をお前なりに改良した奴だろう?」
「だったら…何だ」
「お前は、ベイリン翁が最後に残していた欠陥を、見事に改良してみせた」
「だから」
「でも、上には通らなかったんだよな。聞いてるよ」
ラープが言っているのは、祖父が最後に描いていた妄想に、私が手を加えた設計図である。外気を取り込み圧縮燃焼させ、高圧ガスとして噴出し推進力とする。噴進機関と祖父は名付けていた。これを使えば、現在の回転翼を用いたエンジンなど遥かに凌駕する速力をはじき出す飛行機が造れるはずだった。
しかし祖父は、その速力に耐え得る強度を持った機体を創出する前に、この世を去った。遺されたエンジンだけの設計図で、音速すら超える機体を造るのも私の野心の一つだった。だが会心の作品は上層部からいつもの台詞と共に黙殺された。
予算不足。荒唐無稽。時期尚早。
聞き慣れた言葉だが、いい加減にこたえたのも確かだった。
「いつもの事だけどよ。いい加減むしゃくしゃするだろ?俺もした。物凄くした。だからという訳でもないんだが、こういう物を用意してみた」
ラープが私に、また一冊、今度は厚手のファイルを差し出した。まっさらな表紙の、設計図や青写真を綴じておくファイルだった。
「たまには奴らに一泡吹かせてやろうぜ」
ラープは又、獰猛な笑顔を浮かべた。
私は、ひょっとしたらもう二度と会えなくなるかもしれない彼の手を握り、ほんの少しだけ、泣いた。
※
「天の神の祝福あれ!竜の民に栄えあれ!帝国と紫鱗竜の血族よ永遠なれ!」
何とかという偉い人が、台の上で何か唱えている。
私にはさっぱり意味が分からない。
ただ、目の前の大観衆のざわめきに全身の鱗が粟立つ気分だった。
私たちの飛行機は飛んだ。
あっという間に色々なスポンサーがついた。
そして今日は、試作機の『白竜』ではない。正式採用の『ラ型』がこのレマリア湖畔で一般竜民たちにお披露目される事になった。
帝都の外れにある普段訪れる者も少ない湖の周りは、お祭り騒ぎになった。
夥しい数の、竜、竜、竜。
私たちはスタッフ用に用意された天幕の下で、その時を今か今かと待ち構えた。
「ゲ、ルダ、さん」
隣ではベイくんが、白い鱗をもっと白くさせて、透き通ってすらしまいそうだ。
「吐きそうです、ぼ、く」
「だい、じょうぶっスよ!ベ、ベイくんの飛行機っスよ!?」
何て言ってはみたものの、私だって卒倒しそうだった。
一体どうしてこんなことになってしまったのやら。
私たちはただ単に、空を自由に飛び回りたかっただけなのに。
どうしてこんなにも沢山の竜たちが、よってたかる事になっているのか。
こうしている間にも、きらびやかな軍服に身を包んだ将軍だの、星屑みたいな宝石を散りばめたドレスを着た貴族だのが、私たちに挨拶に来る。
私たちはぺこぺこと馬鹿みたいに頭を下げる。
ああなんで、こんな事に。
「しっかりしたまえ、ご両輩」
何十番目かに挨拶に来た軍民を見て、私はほっとした。
「提督…ッ!」
「情けない声を上げるんじゃない、ゲルダ女史。今日の主役は君たちだろう?」
「で、でも、じ、自分らこんな場所慣れてないっス!作業場しか知らないっス!」
「うん、知ってる。頑張りなさい」
「冷たいっス⁉」
突如、物凄いどよめきが湖畔一面を覆いつくした。
何かと思って見てみれば、私たちの飛行機が空へ飛び立った所だった。興奮した大群衆のせいであまり良くは見えなかったが。
「ここからが、大変なんだからね…」
提督の言葉に、私は「あ、はい、ハイっス!」などと良く分からない返事しか出来なかった。そうだ、ベイくん、ベイくんは。
「ほ、ほら、ベイくん、見るっス!大成功っス!ちゃんと飛んでるっス!皆大喜びの大騒ぎっス!ベイくん、ベイ…」
ベイくんは、白目剥いて口から泡吹いていた。
「べ、ベイくんッッ!!」
「あー、極度の緊張だなぁ。私も初陣でした、した」
私は彼の体を揺さぶったが、ベイくんは結局最後まで目を醒まさなかった。
新聞には空を颯爽と舞う『ラ型』と、パイロットのカッセンさん、それから白目剥いたベイくんの写真が載った。
頭を抱えて恥ずかしがるベイくんを、私は「もー、しょうがないっスねぇ」などといつものように励ましてやった。
私たちは、そんなこんなで、精一杯だった。
提督の言葉の意味なんか、考えもしなかったし。
飛行機が造れなくなる未来なんて、想像すらしていなかった。
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