10 竜と翼と ⑵

 今から思えば、まるでお互い子供みたいだった。


 ベイくんは、本当に全部独学で機械工学を身に着けた青年で。


 あんなに素晴らしい設計図を描けるのに、どこか知識は偏ってちぐはぐで。


 私はしばらくの間、そんなベイくんに工業学校や工廠で学んだ知識を教えてあげるのが日課になっていた。


 「しょうがないっスねえ、ベイくんは」


 なんて、お姉さんぶりながら。


 実際の所、私だって単なる技師見習いだった癖に。


 それをベイくんときたら、小さな男の子みたいに目を輝かせて。


 「ゲルダさん!このオイルは何に使うんですか!?」


 「ゲルダさん!この材質の強度計算なんですが!」


 「ゲルダさん!ゲルダさん!」


 まるで、子供の頃飼ってたペットの小鳥みたいに、私に懐いてきた。


 私も悪い気はしなくって。


 「いいフラッペロン(回転翼)っスねえ。ようやくモックアップの完成っスか」


 「はい!とっても綺麗です!」


 彼は雄竜だったけど、私みたいな雌竜が技術畑にいる事を、何とも思っていなくって。


 「…なんっスか。自分の顔なんかじっと見て」


 「…いえ」


 だから私たちは、きっと惹かれ合っていたんだと思う。


 「ゲルダさんの蒼い角みたいに、綺麗だなぁって」


 「な」


 「す、すいませんっ。僕失礼な、痛いっ」


 「ほ、ほんとに失礼っス!急にな、何を言い出すっスかこの、ガキんちょは!この!この!この!」


 「が、ガキんちょって、僕とゲルダさん二つしか違わないんじゃ…」


 「うるさーいっ!うるさいっス!…あ」


 「…え?」


 だから私たちは、あんなに愉しく、あの機械の翼を造り上げられたんだと思う。


 「て、提督に…先輩技師さんたちまで…いつから見てたんっスかぁ!?」


 「あー、やあ、ゲルダ女史」


 「すまん、その、何だ、のぞき見するつもりはなかったんだが」


 「なーんだよゲルダちゃん。お前さん、そんな顔できたんだな。顔真っ赤だぞ」


 「~~~~~~~~~ッ!!」


 それは、素晴らしい日々だった。


 そして、もう二度と帰ってこない日々だった。



 帝立技術工廠が解体されてから既に十年以上が経過している。

 祖父ベイリンと祖母ゲルダ・カモフが出会い、天高く駆ける機械の翼――飛行機を造り上げたクルドハル航空技術界の星、それが帝立技術工廠だった。だが、時代の寵児として持て囃された彼らの栄光は長く続かなかった。帝国領土の拡大とそれに伴う北方大陸との対立により、大空は硝煙漂う修羅の庭となった。戦場で軍部が求めたのは、航続距離が短く物も積めない飛行機よりも、どこまでも遠く飛んで高射砲を跳ね返す装甲を持つ空中艦だった。

 その方針に真っ向から対立した帝立技術工廠は当然軍上層部の反感を買い、あぶくのように弾け飛んだ。数多の技術者たちは各軍需企業へ散り、そこで軍から受注された仕事をさせられることになった。その体制は現代でも変わっていない。

 私も又、祖父と同様に技師だ。志したのは勿論、飛行機開発。飛行機を航空産業の第一線に再び立たせて、祖父の無念を晴らすのが私の夢だ。その為に、航空企業最大手のブリガンタイン社に入社して、帝国の為に微力を尽くしてきた。

 だが、一技術者の主張など、国家と言う巨大な枠組みの中では蚊の泣き声より遥かにか細い。新型航空機の開発計画案をいくら上に提出してみても、採用される気配は一向にない。そしてやらされる仕事と言えば空中戦艦に用いる新型装甲の素材開発や、より浮力を得られる航空用ガスの研究ばかりである。

 竜民は皆、口々に言う。今更飛行機などで空を飛んで何になるというのか。あんなもの、現代のような国難に遭っていなかった時代だからこそ出来た道楽に過ぎない。今我々に必要なのはもっと巨大で、もっと強力な大砲を積んだ空中艦なのだ。

 その主張は決して間違ってはいないのだろうと、私も思う。空中艦は現代戦において欠かせないものだ。空中艦の優劣により、今後のシュビテ連合との勝敗は決すると言っても過言ではない。

 しかし、それでも私は、あの空を自由に駆け巡る姿を夢想してしまう。

 威風堂々と雲を掻き分け突き進む空中艦の姿は、確かに勇壮だ。だが鳥のように、そして神話に描かれた竜のように、天を切り裂く飛行機の方が、遥かに美しいと私は思う。

 飛行機を造りたい。

 だが、現実がそれを許さない。

 先日私は、数えて十七回目の新型飛行機開発案を上司に一蹴されたばかりだった。そして消沈していた矢先、祖母危篤の報せを受けたのだったが。遠路遥々駆けつけた孫に病床の祖母は極めて辛辣だった。

 結局あれ以降数日リアガルトに滞在したのだが、祖母は口を開けば私を罵りにかかってきた。

 「なんだい泊まっていくのかい!仕事はどうしたんだい、私なんぞにかまけて仕事を疎かにしようってんならタダじゃおかないよ!」

 「あんたの土産、まあ安い味の菓子だね!帝都の店も味が落ちたもんだよ!私の口にはギリギリで合うけどね!アンリさんお茶をもう一杯!」

 「そらそら鱗がくすんでるよ。あんた、朝からちゃんと身だしなみはしなきゃ雄がすたるよ!お爺さんに笑われっちまうよ!」

 口撃は朝昼晩と絶え間なく、傍らでそれを聞かされるアンリさんが終始苦笑いを浮かべていた。労われているのか謗られているのかどうにも分かりづらい祖母の言動は、私以外にあまり真意が伝わらない。

 祖母が私に抱いている心境は複雑である。それというのも、私が空中艦建造に携わっているせいだ。空中艦は、祖父母から仕事を奪った最大の要因だ。空中艦が台頭しなければ、祖父母は心置きなく飛行機を造り続け、夫婦の晩年はもっと平和になっていたことだろう。そんな空中艦を他ならぬ私が造っているのは、祖母にとって耐え難い事なのだ。

 しかし祖母は、私の本音を良く知っている。私が飛行機への情熱を抑え込んでいることを、痛いぐらいに良く知っている。そのせめぎ合いの末が、あのような言動を取らせている。

 私もまた、それを理解している。だからあえて何も言わず、祖母の鋭い舌峰を受け入れている。

 「アンリさんから聞いてるよ。病院にいた方がいいんじゃないかい」

 「…放っておいてくれ。今さら私なんぞが生き延びてどうすんのさ」

 「エミリアも心配してるんだぜ。あとでお見舞いに来たいってさ」

 「馬鹿お言い!真っ平ゴメンだよ!まだ卵を産んで日も浅いだろうが!そっちを優先させなねまったく!」

 妻のエミリアは、祖母の数少ない理解者である。最初は言動に驚いていたが、しばらく話すとすぐその強烈な言葉の裏側に気がついてくれた。

 「…ああそうさ、まだ卵が孵るまで日があるんだ。曾孫が産まれるんだぜ、曾孫」

 私がそう言うと、祖母は苦虫を噛み潰したように口を歪めた。それからシーツを頭から被って。

 「ふん、分かってるよ」

 と、小さな声で唸った。

 次の日、とにかく当面の間安静にしておくこと、何かあったら又必ず連絡することを祖母に約束させて、私はひとまず帝都に戻ることにした。仕事も溜まっていたし、何よりそうしろと祖母がずっと五月蠅かったのである。

 先日病院から貸してもらった車いすをアンリさんに引いてもらいながら、祖母は玄関先まで見送りに来た。

 「さっさと行っちまいな!せいぜい働いておまんまを稼ぐこったね!」

 「ああそうするよ。婆ちゃんも、アンリさんの言うことを良く聞いて、大人しくしていてくれよ」

 「何度も言わなくなっていいよ!あたしだって耄碌してるわけじゃないんだ!」

 帰りの夜汽車にて、窓辺に頬杖を突きながら、私は祖母の顔を思い出していた。

 精一杯に元気そうに振舞い、無理に怒鳴り散らしていた祖母の顔を。

 「…よし」

 計画を早めねばならぬと決心した。


 ※


 「あの、貴方はザバロッキ提督、なんですよね」


 薄暗いバラックの中、試作第一号飛行機の前で。


 ベイくんが、いつになく神妙な表情で、提督に尋ねていた。


 「そうだよ」


 「空軍の創設者。クルドハル航空史の魁。海竜族との戦争を勝利に導いた、あの、ザバロッキ提督なんですよね」


 「随分肩書を並べてくれたけど、私はザバロッキ・メルダースだね」


 「…あの、ずっと前から、聞きたかったんですが、その」


 提督はいつも通り、優しい声のままだった。


 「何故、私がここでこんな職に就いているのか、かい?」


 「…はい」


 実際、それは私にとっても疑問だった。


 提督が偉い軍民だったことは知っていた。


 その気になれば、今頃元帥だの大臣だのをやっていてもおかしくないのだと、先輩から聞いたこともあった。


 それが何故、技術工廠の頭なんて職におさまっているのか。ずっと不思議だった。


 「そうだなぁ、私はね」


 私は、積み上げられた鋼材の箱の山に隠れて、彼らの会話を聞いていた。


 「いっぱいころしたんだ」


 提督はいつも通り、優しい声のままだった。


 ベイくんは、黙ってしまった。


 「私の家は、古くから竜帝陛下にお仕えする騎士の家系でね。私が軍に入ったのは必然だった。海軍なんぞに入らされるとは思ってなかったがね」


 いつになく饒舌に、しかししっかりとした口調で、提督は自分の境遇を語った。


 「でも私は、本当は軍の仕事なんか汗臭くて大嫌いだった。歌劇とか物語の世界の方が、むしろ好きだったんだ。特に、空についての物語は大好きだった。無論、自分の祖先が翼を使ってびゅんびゅん飛び回ってたなんてのは信じなかったがね。それでも、特に竜民が空を目指す話は好きだった。自由で、ロマンにあふれていて…」


 淀みなく紡がれる提督の言葉は、私たちの耳にするすると入っていった。


 「海戦に気球を持ち出したのも、そんな物語から思いついたんだ。『首長男爵と尾白の君』って話からさ。あれに出てくるんだ、気球が。半ばヤケだった。負けが込んでたから。ところがそれが大当たりさ」


 私には、二人がどんな顔をしているか見えなかった。


 「皆私を、英雄だと言ってくれた。私を馬鹿にしていた騎士団や陸軍の将校どもは、歯噛みして悔しがった。一時はいい気分だったよ。だけどすぐに私は、自分が取り返しのつかない事をしたと、気づいてしまったんだ」


 見る勇気が、なかったのだ。


 「それは、なんですか」


 「私のせいで、空は殺し合いの場になった」


 提督の声が、どす黒い何かに染め上げられていくのが、分かっていたから。


 いくら、いつも通りの優しい声色だって。


 いくら、機械工学以外に何にも知らない私にだって、その程度は分かった。


 「これから航空機はどんどん大きくなっていくだろう。竜たちはこぞって空を飛ぶだろう。敵を殺すために。街を焼くために。何もかもを陛下に捧げる為に。私が、そうさせてしまったんだ。神話の中で語られていた美しい空を。歌劇の中で語られていた自由な空を」


 何故だろう、提督が笑い声をあげた。


 「他ならぬ私が、血で彩った」


 耐えきれなくなったのだろう、ベイくんが尋ねた。


 「提督は、それが悲しいんですか」


 どうして提督は、こんなにも穏やかなんだろう。


 「うん。それで軍にいる事が嫌になった。兵士が空を飛び回る前線を見たくなかった。だから軍務省から空軍造りの為に後方へ戻れと言われた時には、二つ返事で承知したよ。周りからは恨まれたけれども」


 「で、でも、そんな事引き受けたら、空軍なんか出来ちゃったら、もっと空の戦いが酷くなるんじゃ…」


 当然の疑問をベイくんが口にする。


 提督は、何でもないように答える。


 「うん。だけどそれはもう、誰にも止められない事だから。私はね、君らが思ってくれているよりもずっと酷い奴なのさ。エゴイストだよ。そのまま机仕事を転々として、気が付いたらここにいた。そういうわけさ」


 「そ、そんな、でもそれじゃあ」


 「なぁベイリンくん」


 提督の声が、一際低くなる。


 たくさんの二本足を殺してきた、軍民の声になる。


 自分が問い詰められている訳でもないのに、私の身はすくんだ。


 「君も、同じことをしようとしているんだぜ。君の飛行機も、いつかは誰かを殺す道具として使われる事になると、気づいているかね」


 「ぼ、僕は」


 「君の性格からして、そんな使われ方は君の本意ではないと思うが、どうかね」


 ベイくんは、とてもとても長い間黙り込んだ後に、こう答えた。


 「僕は、僕も、飛行機を、戦いになんか使ってほしくありません」


 「ふぅん、じゃあ、君は飛行機を世間にどう使ってほしいのかね」


 ベイくんは、この、気弱なようで勇気に溢れた白竜は。


 ぐっと息を呑み込んで、精一杯、声を上げた。


 「ぼ、僕は、竜民誰もが自由に、楽しく、空を飛ぶ!そんな世界を造りたいと思います!だ、だから、飛行機を造るんです!」


 「出来ると思うのかい、それが」


 「出来ます!い、いいえ…」


 それを聞いて、私は。


 「やってみせます!」


 一生、彼についていってやろうと、そう決めた。

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