9 竜と翼と ⑴

 あの小さな白竜が、私の職場を訪れたあの頃。


 私は生意気な技師見習いで、雌竜でも雄竜並みに仕事が出来るんだぞと息巻いていた。


 だから彼にも、あんな態度を取ってしまったのだ。


 「いるんスよねー、お兄さんみたいなポッと出の田舎飛族が」


 フェルトの帽子を脱いで、白竜の少年は深々とお辞儀をしたまま動かなった。


 「そーんな頭を下げたって、無駄っスよー。先輩からそーゆーのはめんどいから通すなって言われてるんスから」


 「お願いします!」


 「だから、お願いされてもっスねー」


 「お願いします!どうかその、設計図を見て下さい!」


 「そう言われてもっスねー…」


 私は、彼が差し出した設計図をちらりと見た。


 そこには、数千年私たち竜民が追いかけ続けた、天駆けるための翼が描かれていたのだった。


 ※


 電話で祖母の危篤を知り、全ての書類を同僚に押しつけて私は帝都駅に走った。

 行き先はリアガルド。幸いな事に切符はすぐ買えた。とにかく駅から自宅へ一報を入れ、その足で電車に飛び乗り私は一路かの地を目指した。祖母が隠居先に選んだリアガルドは、温暖な気候の沼沢地として知られ、丁度春先の今頃はいつも各地から集う観光客でごった返している。ところが今年は勝手が違うようで、辿り着いたリアガルド駅は閑散としており、土産物屋の呼び込みすら聞こえなかった。

 怪訝に思い駅員に尋ねてみると。

 「あぁ、戦時体制ですからねぇ。鉄道旅行も控えるようお触れが出たんでさぁ。これも竜帝陛下の御為にございますからねぇ」

 と、何とも遣る瀬無い回答をされた。仕事ばかりで俗世から離れていると、こういった世の中の流れから取り残されるものである。

 駅を出ると、上空を空中艦隊が横切って行くのが見えた。二隻の戦艦が、複数の巡洋艦と護衛艦を引き連れて我が物顔で空を闊歩している。最新鋭のゼ級戦艦である。あの規模の艦隊であるならば、小国を一日で平らげるのも可能であろう。

 忌々しさに牙を軋ませてしまったが、周りに見られては何かとマズイので顔を伏せていた。それからすぐにタクシーを捕まえて、町外れにある祖母の家へ向かった。

 祖母ゲルダがこの片田舎に隠棲してから十年にもなろうか。飛行機開発の草分けとして名を馳せた技術者ベイリン・カモフの妻となり彼の半生を支えた祖母は、祖父ベイリンが亡くなってから覇気を失い、航空産業の表舞台から退いてしまった。孤独を好み友人も作らず、親類に便りも寄越さない。たまに私が訪れても、毎回さっさと追い出されてしまう。最近は親戚筋からそろそろボケ始めているのではなどと噂されていたが、まさか急に倒れるとは思わなかった。

 電話で祖母宅に勤める家政婦に確かめた所、祖母は既に意識を取り戻し自宅へ移されたということだった。祖母の希望ということだが、意外と病状が軽いのかそれとも病院にいても無駄と判断されたのか、私には分からなかった。前者の理由であることを強く祈った。

 が、私が祖母宅に着いて三秒後、その懊悩は全て杞憂だったと思い知らされた。

 「何だい!何しに来たんだい!」

 元気だった。

 私の心配を他所に祖母は元気そのものだった。

 いや、ベッドに入ってはいたのだ。しかし、上体を起こしこちらへがなり散らすその顔はこれまでと何ら変わらず、鱗の艶も目の輝きもしっかりとしていた。

 私はほっと、胸を撫で下ろした。

 「何しに来たって、アンリさんから倒れたと電話を受けたんだよ」

 「そんで仕事おっぽり出してきたのかい!何をやってんだい全く!さっさとあんたのお役目に戻んな!あの腹立たしい軍艦造りに!」

 「そうは行かないよ。折角来たんだから。お土産に焼き菓子も持ってきたよ」

 「いらないよそんな安物!」

 「帝都自慢の高級品なんだぜ。まあいいけど」

 ベッドの傍らには家政婦のアンリさんが申し訳なさそうに立っていた。

 「少しアンリさんを借りるよ」

 「ああ早く行きな!そのままさっさと出ていきな!」

 「あんまり喚くと血圧上がるよ」

 「五月蠅いよ!分かってるよ!さっさと行きな!」

 アンリさんを引き連れて私は祖母の部屋を出た。廊下に出るとすぐに、アンリさんは私に深々と頭を下げてきた。

 「申し訳ありません。連絡が遅くなってしまって…」

 「いえいえ、聞いていたよりずっと元気そうですね。いつ頃持ち直したんですか?安心しました」

 率直な感想を私が述べると、アンリさんはぶんぶんとかぶりを振った。

 その様子に違和感を覚え、私は声を低くした。

 「どう、したんですか」

 「ご無理をなさっているんです」

 アンリさんの目には、小さく涙が浮かんでいた。

 「奥様は急にふらっとお倒れになって、病院に運ばれました。二、三日で意識は戻りましたが、下半身に麻痺が残ってもうベッドから起きられません。本当を言うとお医者様からは、入院を勧められていたんです。でも、奥様が断ってしまったんです」

 「断ったって…何故です」

 「もう、生きていてもしょうがないなどと。旦那様の所に飛んでいくんだから、放っといてくれなどと仰いまして…」

 「それは」

 私は言葉に詰まった。

 祖父に関して私は余り覚えてはいない。小さな頃の事だったので、失意のうちに死んだという知識程度しかない。飛行機造りに生涯を捧げていた祖父は、軍部により無理矢理空中戦艦建造に従事させられた。祖父が研究していた民間飛行機開発も、軍部によって握りつぶされたのだという。その恨みと悲しみは凄まじく、それまで穏やかだった祖父は酒浸りとなり乱暴な性格になって、祖母をさんざん苦しめたのだと父から聞いた。だが祖母は、そんな祖父に最期まで献身的だった。

 そして祖父を看取ってから、祖母の性格まで一変した。それまでの祖母は飄々としてるが情愛深く、皆から愛される竜だったのだという。

 しかし今では見る影もない。先ほどのように誰彼構わず怒鳴り散らす、攻撃的な蒼角竜。それが現在の祖母だ。それはまるで、晩年の祖父がそのまま乗り移ったかのようであると、親戚から聞かされたことがある。

 それ程祖父の事を愛していたのだろうと、そう思って私は自分を納得させている。あの振舞もこの隠居生活も、全て祖父を不憫に想う故であると。

 「それは…」

 しかし、そこから先に死すら望むようになると話は別だった。

 私は祖母の部屋の扉を、そっと開けた。

 息を切らした祖母が、汗を顔いっぱいに浮かべて震えていた。

 「何だい」

 しかし、鋭い目の光だけは決して絶やさず、私を睨みつけていた。


 ※


 提督と、その竜は呼ばれていた。


 「確かに良くできた設計図だ」


 国務省駐在技術工廠派遣武官筆頭などと頭の痛くなりそうな長い肩書を持っていたらしいが、その呼び名は誰にも使われなかった。


 「そうなんっスよ!凄く革新的な内部構造っス!これなら十分な揚力を得られること間違いなしっス!」


 「やめんかゲルダ」


 例によって軽口を叩く私を、先輩のモリディアーニ技官が小突いた。


 「提督になんちゅう口の利き方をするんだ」


 「だってだって!落ち着ける筈ないっス!」


 そう、私は、今私の隣で棒立ちになっている白竜が持ってきた設計図を見た。


 見て、しまった。


 そして、衝撃を受けた。


 雌竜だてらに航空技術を齧った私だ。この設計図がいかに素晴らしいか。この主翼を元に造られた航空機がいかに軽やかに空を飛ぶか。分からない訳がなかった。


 だから、ついさっきまでの自分の言動は全部棚上げにして、彼をモリディアーニの下へ連れて行ったのだ。


 最初は私同様訝し気だった先輩も、すぐに気が付いた。


 設計図はほうぼうにたらい回しにされ、それを見た者は誰も彼も目を丸くした。


 そして気が付けばこの工廠の最高責任者たる提督の前に、私たちは立つこととなっていた。


 あれよあれよという展開に、白竜くんは訳も分からず目をぐるぐるさせている。


 「あ、あの、ぼ、ぼく、ここにいていいんでしょうか」


 「何言ってるっスか!あれを書いたのは正真正銘、キミっスよ!」


 「で、でも、僕はお姉さんの言う通り、ただの田舎飛族で、というかただの郵便局員でその、あの」


 「ごちゃごちゃ五月蠅いっス!郵便局員だろうがなんだろうが、凄いものが造れるのならケダモノでも人間でも使うのがうちのモットーっス!」


 私が胸を張ると、提督はにっこりと優しく微笑んだ。


 とてもじゃないが、かつては百戦錬磨の海軍提督として名を馳せた竜とは思えない、柔和な笑みだ。


 「ゲルダ女史の言う通りだ。既得権益層から憎まれる我々は、万年職工不足に喘いでいてね。君、名前は何というんだったかな」


 「べ、ベイリン・カモフです!」


 「ベイリンくん。そちらのゲルダ女史とモリディアーニ技官と共に、早速ここで働いてもらえないかな」


 「ほ、ほ、本当にいいんでしょうか!」


 「いいも何も、その為にわざわざ帝都まで来たんだろ?」


 白竜くんは提督の言葉が信じられずにいるようで、暫くの間ぽかんとしていた。


 私はその間抜けな横っ面が、何だか可愛らしく見えてきてしまって。


 「痛い!」


 つい、その頬を引っ張ってしまった。


 「なにするんですかっ!」


 頬を真っ赤にして、涙目になって、白竜くんは私に向き直る。


 その表情が、何だか猛烈にいとおしくなってしまって。


 私は「えへへー…」と意味なく笑うと、彼の肩をぱんぱん叩いた。


 「ベイリン、それじゃあ、ベイくんっスね!」


 彼は「あうあう」などと言って体を揺らした。私はお構いなしだった。


 「これからよろしくっス、ベイくん!一緒に飛行機を作るっス!そんでもって、あたしたちで空を飛ぶんっス!」


 その時の私は、高揚感で胸がいっぱいで、白竜、いやベイくんの手を握り締めていたことにすら気が付かなかった。


 ベイくんは、また数秒呆気にとられていたが、すぐ我に返ると。


 「…はい!」


 満面の笑みで、私の手を握り返した。 

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