7 首長男爵と尾白の君(中編)

 鏡の如き美しさの床。


 一切の曇りなき窓硝子。


 家具も絨毯も新品同様の光沢。


 それだというのに。


 「そういえばここの所男爵様がお出かけにならないわねぇ」


 私、コーデリア・アウスカンプの心は暗い。


 あれ以来、ヴィンディッヒ男爵様と私は一切口をきいていない


 理由は分からない。何か気にさわったのか。


 ただ、その程度であんな子供染みた態度を取る方ではないと思っていたのだが。


 「それどころじゃないわよ。何だか塞ぎ込んでるし、最近は離れに籠もってばかりらしいのよ」


 「そういえば最近お顔も見ないわねぇ。…まぁ、静かなのはいいけど」


 「アゾレス様とは、何かしら話してるのをあたし見たわよ」


 アゾレス様。そう、執事長のアゾレス様。


 あの後、屋敷に帰って数日後。


 男爵様の様子がいよいよおかしいことに気づいた私は、あの執事長に相談したのだ。


 全身を岩肌のような甲殻に覆われた岩石竜であるアゾレス様は、そのごつごつした顔をぴくりとも動かさず答えた。


 「あの方の気まぐれは今に始まったことじゃない。放っておきなさい」


 何とも分かりやすい、外見通り無骨な返事だった。


 しかしあれからもう一月。男爵様は私と屋敷の中ですれ違っても、何故か目を逸らし歩き去るばかりだ。


 ここまで来ると、訳がわからない。


 「あんたは何か知らないの?コーデリア」


 「…何を?」


 「何をって、男爵様の事よ」


 その言葉で私は我に返った。

 

 茶話室の片隅で頬杖をついていた私に、同僚のメイドたちは好奇の目を向けていた。


 「私に聞かないでちょうだい」


 「だってあなた、妙に男爵様から気に入られてるじゃない」


 猫目竜のヘンリエッタが、焼き菓子をかじりながら聞いてくる。

 

 「尾白の君探しに連れまわされるのは、いつも貴女だったじゃないの」


 「きっと男爵様は、コーデリアみたいな黒鱗竜が好みなのよ!いいなあコーデリア、うまくすれば玉の輿じゃない」


 夢見がちな目で夢みたいなことを言うのは、双角竜のアメリアだ。


 乳白色をした角が美しい、嫉妬したくなるぐらいの美竜である。


 「だったら何で尻尾の白い娘さんを探してるのよ」


 「ああ、そういえばそうか。でも尻尾、尻尾かあ」


 「どうして雄竜って、ああも私らの尻尾がいいのかしら。自分たちにだってついてるくせに」

 

 言い出したのは、きらびやかな金の鱗模様をしたフィリアン。


 「まあ気持ちは分かるけどね。ちゃんと太くて長い尻尾って、確かに魅力的だもの。大きすぎても小さすぎてもダメだけど」


 「やめましょうよ、真昼間から尻尾の話なんて、はしたない」


 紅茶を一口飲みながら返したのは、私よりも格上貴族の御令嬢ルシヲラ。


 華やかなメイドたちの話に終わりはなく、いつ途切れるともしれない。


 「…私、庭を掃除してくるわ」


 何となく混ざる気にもなれず、私は立ち上がり茶話室を後にした。


 誰かに呼び止められたような気もしたけれども、無視した。


 何だかひどく、暗澹とした気分だった。


 私の産まれたアウスカンプ家は、代々黒鱗竜の家系だ。


 小さいころから私は、自分のこの真っ黒な鱗が嫌いだった。


 気に食わなくて、自分の体に白いペンキを塗って、ばあやに怒られたりもした。


 同僚たちのように、華やかな角や、目や、鱗があれば。

 

 せめて、この尻尾だけでも真っ白であれば。


 何度、そう思ったことか。もしそうであったなら、男爵様もきっと。


 ――きっと、何だっていうのよ。


 自分の思考の危うさにくらくらする。


 男爵様のお気に入りから外れたくらいで、何だこの情けなさは。


 男爵様がお好みなのは、尻尾の白い、美しい雌竜。


 私のような、不愛想な黒鱗竜じゃない。


 連れまわしていたのは、私の歯に衣着せぬ物言いが気にっていたからであって。


 第一、爵位もない貧乏貴族のアウスカンプ家と男爵家たるヴィンディッヒ家とでは、階級に雲泥の差があるのであって。


 いや、だから何を考えているのだ私は。


 くだらない事をぐるぐる考えている内に、お屋敷の裏庭へ出てしまった。


 だだっ広い庭の手入れは園丁の仕事だが、道の箒がけなどは私たちメイドの役目でもある。本音を言えば、ハウスメイドにやらせないで欲しいけれども。


 庭の片隅には離れと呼ばれている小屋があり、この周りは特に念入りに掃除するよう言われいる。


 小屋とは言ってもこの離れ、並みの家屋よりも遥かに大きい。元は倉庫だったらしいのだが、今は男爵様が私室代わりに使っている。


 私は竹箒を肩に乗せて、先ほどまでの不埒な思考を追い払い、その、離れへと向かうおうとして。


 そこで立ち止まった。


 辺りをきょろきょろ落ち着きなく見回す男爵様と、それに無表情で付き従うアゾレス様が見えたからだ。


 思わず庭木の影に隠れてしまう私。御二方はそのまま離れへと入っていく。


 ドアが閉まるのと同時に、私は何故かほっと胸を撫で下ろした。


 そういえば、ヘンリエッタが最近男爵様が離れにお籠りだとかどうとか言っていたっけ。


 一体、何をなさっているのかしら。


 そもそも私は、何で隠れてしまったのだろうか。


 「あら男爵様、尾白の君よりも、そちらの岩石執事の方がよろしくなったんですの?」ぐらい言ってやれば良かったのに。


 離れには、屋根の明り取り以外に窓もない。陸鳥車の出入り口と、小さな扉があるだけだ。


 男爵様たちが入っていった、小さな扉が。 


 私はその扉に、足音を潜めて近づいて行った。


 聞き耳を立てたが、声も足音も聞こえなかった。竹箒を置いてそっと少しだけ扉を開けると、薄暗い通路があるばかりで誰もいなかった。


 私は意を決し扉を全開にし、離れの中に足を踏み入れた。


 掃除をしに、来ただけだ。そう、自分に言い聞かせて。


 中は埃っぽく、天井には蜘蛛の巣が張っていた。


 暗闇に目を凝らすと、埃の上にいくつも足跡が残っていた。


 随分長い間掃除もされていないらしい。


 段々目が慣れてきた。通路の奥はドアになっているようで、ぼそぼそと話声が聞こえてくる。


 間違いなく男爵様はあの中だ。私は手探りで歩き出す。壁には沢山の絵画や良く分からない物がかけられているようだ。


 音をたてぬように、慎重に。


 ――がさり。


 などと思った矢先、妙な感触が壁を伝う手を襲った。


 よく見てみれば、そこには陸鳥の首がへばりついていた。


 「…ッ!」 


 悲鳴を何とか呑み込んだ。


 壁にかかっていたのは首どころか、立派な陸鳥丸々一羽分のなめし皮だった。


 ご丁寧に羽や嘴はそのままに、眼には硝子玉が埋め込んである。


 きっと生前は立派な陸鳥車を曳いていたんだろうけど。


 子供の頃に追いかけられてから、陸鳥は苦手である。


 私は足早に、最奥の扉へ駆け寄った。そしてそっと、耳を当てた。


 「…誠であるか」


 男爵様のお声がした。


 「はい、間違いなく彼の者こそが尾白の君であると」


 アゾレス様の声もした。いや、ちょっと待って。


 尾白の君が、どうしたって言うの。


 予想外の言葉に、私は焦った。居ても立っても居られなくなった。


 そっと、そうっと扉を開けてみる。せめて隙間からでも覗きたい、話を聞きたい。


 「矢張りそうであったか、いやさ、間違いないのだ!我輩の目に狂いなどなかったのだ!」


 扉の向こうは、予想以上に広々とした空間だった。


 天井は高く、床に置いてあるランプの仄かな明かりでは全体が分からないほどだ。


 しかし、そこかしこに妙な物が置いてあるのは分かった。


 「私も現地に書状をやり確かめました。間違いないとのことです」


 「そうか…」


 それは大きな、それはもう大きな翼の数々だった。


 昔教会で聞いたり、おとぎ話で見たような竜の翼。その、模造品だ。


 木と獣の皮で造られた翼で飛行を試みる貴族がいるのは聞いたことがあった。


 彼らは遊びで、或いは大真面目で、神話の再現をなすべく空を飛ばんとするのだという。


 男爵様もそういったご趣味がおありとは知らなかったが。


 「では、これの完成を早めねばなるまい!」


 それにしては何をしているのだろう、あの首長男爵様は。


 「は、しかし、本当に必要なのですか」


 男爵様とアゾレス様は一心不乱、大きな大きな布に針と糸を振るっていた。


 模造品の翼に囲まれた中、御二方は夢中で裁縫をしているのだ。


 「当然である!ここまでの事をせねば、ヴィンディッヒ家の名が廃る!」


 「そのような事は一切ないかと存じ上げますが」


 「我輩はやると言ったらやる竜なのだ!いいから手を動かせ!」


 「はい」


 必死の男爵様と、相変わらずの岩石顔な執事長。


 私はそっと扉を閉じて、悟られぬよう離れを出て行った。


 そのまま一日、何事もなかったかのように仕事をこなした。


 なるべく、何も考えないようにしていた。


 夜、ベッドにはいる前に、ふっと「そうか、尾白の君が見つかったのか」という気持ちが襲ってきた。


 アゾレス様は仕事の出来る竜だ。あの方が見つけたというのだから、間違いないのだろう。


 ベッドに潜りシーツを被ると、何だかよく分からない寂しさがこみ上げた。


 見つかった。尾白の君とやらが。本当にいたんだ。よかったじゃない。


 これでもう連れまわされることもなくなるのだわ。男爵様に気に入られているとかそうでないとか、気にしなくてもすむのだわ。


 そして、男爵様の傍らに立つ、誰とも知れぬお嬢さんを見ることになるのだわ。


 それはきっと私とは正反対の、真っ白な鱗の雌竜で。


 男爵様はその方に首を絡ませて、あの恥ずかしい口説き文句を囁いて。


 ああ、なんて。


 ちっとも、よかったじゃ、無い。


 私は、その晩のうちに、お暇を貰うことを決めた。

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