3 近現代 大戦勃発と竜帝の船
近代に入り帝国の前に現れたのが、北方における大陸統一陣営シュビテ連合である。
北方大陸の『二本足』は南方大陸以上に多様であるが、いずれも哺乳類であるという特徴がある。代表的な部類では犬民、猫民、熊民、鼠民などが挙げられ、いずれ劣らぬ大国を形成している。彼ら北方の列強諸国は古から諍いが絶えず、大規模な戦いに至ることもしばしばあったのだが、近世の終わり頃から様子が違ってきた。南方を統一し世界に覇を唱える超大国となったクルドハル帝国を警戒し、経済的、軍事的に連携を始めたのである。その動きは近代以降加速し、ついには被差別民『人間』出身の思想家ロイ・マーロウ・シュービッターが音頭を取り巨大な国家連合を創り出した。シュビテの幕開けである。
シュビテリズムと名付けられた、全ての『二本足』が平等に暮らすという思想の下、シュービッターを最高議長に据えて連合は急速な経済成長を果たした。この動きを帝国が面白がる筈はなかった。かねてより竜民は北方の哺乳類たちを『ケダモノども』と蔑み、見下してきたのである。北方と南方の大陸を隔てるアマンガン海峡にて幾度となく衝突が起こり、ついには北方大陸東アズガー半島にて本格的な戦闘が始まった。
初戦において、帝国は常に連合を圧倒した。その要因は何と言っても空軍の戦力差にあった。先進的な空中軍艦によるクルドハル艦隊は、その強大な火力で連合を恐怖せしめた。
連合も負けじと、航空戦力を整えた。早世したシュービッターに代わり彼の腹心であった『人間』ルー・クロプトが総統に就任。連合諸国軍を統合したのを切欠に、いつしか厳格な独裁体制を敷いて国民を強制的に動員し戦いへ駆り立てるようになった。北方大陸における膨大な人口と物量を背景に大型の空中軍艦が短期間で建造され、連合はクルドハルと拮抗する軍事大国と化していく。
帝国、連合関わらず大戦初期に投入された空中艦は大型と言っても精々が大口径の機関砲を搭載できる程度の艦でしかなく、対艦砲はおろか爆撃装備すら搭載出来なかった。だが戦争の過程で両国は次々と新造艦を産みだし、巨大化、重武装化、重装甲化が日進月歩で進んだ。開戦から三年もする内には、既に水上艦を上回る巨躯の大戦艦が空を飛び回るようになっていた。
だが当初、両国の指導者たちは航空兵器がここまでの進化を遂げると考えていなかったらしい。両陣営軍務省の資金の流れからは、既存設計艦の大量生産や改良に力を入れていたことが見て取れる。冒険的発想に基づき大戦艦を建造するよりも、戦前の方針を堅実に発展させていった方がより良い成果を得られるというのは軍略において当然の発想であった。ではそれに反し、何故空中艦は際限なき進化の道を辿るようになったのか。
これに現クルドハル竜帝、ジア八世が意図せずして関わっていたことはあまり知られていない。先代の血竜帝にして実兄ジア七世の急死により即位した現竜帝は、歴代の竜帝と同じく紫鱗竜の血族でありクルドハルにおいて最も古い血を脈々と受け継ぐ存在であった。彼の治世下において帝国は急速な発展と軍国主義化を遂げたが、当の本人は至って温厚な性格をしている。竜民からの支持は極めて篤く、その存在は神格化されている。帝国においては草木一本に至るまでジア八世に頭を垂れぬ者はない。それというのも紫鱗竜の血筋に限らず、ジア八世自身の驚嘆すべき体質が故である。
歴代の竜帝の治世は長くても三十年ほどしか続いた試しがない。暗殺、戦死、病死など様々な理由で天命を全う出来なかった者がほとんどだ。だがしかし、ごく稀に異様なまでの長命を生きる竜帝が顕れると、いくつかの年代記には記されている。最も長い在位期間を誇る霊竜帝アダ一世は、二百八十歳で逝去したとされる。竜民、いや『二本足』全体で見ても長過ぎる寿命であり、その為クルドハル学界はこれを単なる伝承の類いと目していた。一般に『二本足』は、長くても八十代にはこの世を去るものだったのである。だが、ジア八世の存在がそれを覆した。
ジア八世は幸運に恵まれていた。先代の血竜帝は在位中ありとあらゆる政敵を粛清し、時には自ら剣を振るうことも辞さなかった。その苛烈さから血竜帝の異名がついたのであるが、彼のお陰でジア八世が即位した時にはめぼしい政敵が一人たりとも存在しないという有様だった。血竜帝を支持していた者たちをジア八世が積極的に登用した為でもあったのだが、いずれにせよ新竜帝は煩わしい政争にかまける必要がなくなった。又、病に斃れた先帝とは異なり、心身共に極めて健康であった。即位から数えて長い年月が経ったが、体調不良のため公務を外したことは一度もない。結果としてジア八世は百年以上という歴代竜帝において考えられぬほど長く帝位の座に就いており、御年百八十七歳。流石に鱗は節くれてきたが、未だ足取りもしっりしており、頭脳も明晰である。
更に、百歳を過ぎた辺りから玉体にも変化が現れた。ある晩ジア八世が入浴中に、湯浴をしていた女官が偉大なる竜帝の鱗を剥がしてしまった。これは極めて不遜な行いであり、危うく処刑されかけた女官をジア八世自身が取りなして命を救ったらしいのだが、その日から竜帝の玉体からは毎日のように鱗が剥がれ落ちるようになった。脱皮現象だったのである。
これは異常な出来事だった。竜民が脱皮するのは六十代までで、以降は鱗の硬質化が進みやがて甲羅のようになる。百を数えて脱皮が起きるなど、何かの病か、すわ毒でも盛られたかと宮廷は大騒ぎになった。だが典医による診断は異常なしというものであり、関係者は揃って首を捻ることになった。しかし脱皮が進むにつれて、ジア八世に起きた変化は誰の目にも明らかになった。
竜帝の玉体は、成長していたのである。
それも尋常な成長ではなく、最早巨大化と呼んで差し支えないものだった。ジア八世が脱皮する度に尾は伸び、脚周りは太く高くなり、ついには玉衣も袖を通らぬようになった。
いつしかジア八世の身の丈は、ちょっとした家ほどにもなっていた。その巨体は太古の竜を彷彿とさせ、竜民たちはこれぞ紫鱗の血がなせる業と諸手を挙げて竜帝を讃えた。頭を抱えたのはクルドハルの生物学者たちである。進化論を唱えた彼らには、ジア八世の長命も巨大化も全く説明がつけられなかった。ホルモンバランスの異常と思われるが検証が必要であると精いっぱいの声明を出し、近代に入り軽んじられていた教会関係者はここぞとばかりに学者たちをせせら笑った。
原因は分からぬまま、翼の有無さえ除けば太古の竜その物となったジア八世は、神格化され崇め奉られるようになった。産業革命華やかなりし自由の気風溢れた近世は遠く霞み、クルドハルは竜帝を不可侵の存在と見做す強固な君主制国家へ逆戻りしていったのである。竜民たちは、神にも等しい竜帝に世界を捧げんと拡大政策を続け、戦争は激化した。
これに伴い成長を続けたのが航空産業とそれに携わる企業群だったのだが、資本家たちは自らの力を誇示する為ある貢物を建造する計画を立てた。
竜帝の、御座船である。
当時、連合と開戦してから一年が経過していた。太古の姿を取り戻したジア八世に、天空をご照覧するのは竜民の義務であるという訳の分からない主張が評価される程、竜民は愛国心にのぼせ上がっていた。早速『天空号』と名付けられた空中艦が造船業最大手のブリガンテイン社において建造され、竜帝を乗せて空中散歩を愉しむ運びとなった。
が、『天空号』は飛ばなかった。巨大になった竜帝の重量に、機関が耐えられなかったのだ。
又しても、今度はその場で関係者が全員処刑される寸前まで行ったらしいのだが、やはりジア八世が取りなして止めさせたらしい。宮内省関係者の話によれば、殺気立って剣を抜いた近衛兵数人を、竜帝が大慌てで自らの巨体を以て制したということである。
だが更に殺気立ったのはブリガンテイン社並びに航空産業の重鎮たちである。天才にして翼の創始者ベイリン・カモフはとうにこの世を去っていた。帝立技術工廠は解体され民生の軍需企業に分配吸収されていた。資本家たちはベイリンの弟子、孫弟子らを始めとした技術者たちをかき集め竜帝の御座船を我こそが造らんと躍起になった。戦時中にも関わらずこの『御座船競争』は過熱して、ジア八世はこの時期各地の飛行場巡りを毎日するような羽目になった。
当の竜帝は、この状況を案外楽しんでいたらしい。
――いくさ舟を造るよりはずっとマシじゃよ。
などと口にしていたと、とある宮内省関係者は語っている。その言葉の意味が解釈されたことはなく、軍国主義に染まりきった現体制の性質上今後もあり得ぬであろう。
竜帝の思いなど露知らず、各造船メーカーはしのぎを削った。いずれの企業も、まず空中艦の構造を見直すところから始めた。現代においても空中艦は気嚢、ゴンドラ、翼、エンジンというおおむね四つの要素で構成されている。竜帝を乗せ得る積載可能重量を確保するためには、その全てを抜本的に改良せねばならなかった。更に、竜帝を快適に、そして安全に空へ上げるための居住性も確保する必要があった。これまでの空中艦は基本的に軍事用であり、いずれの企業も乗り心地などは二の次に考えていた。建造は難航し、度重なる失敗で関係者が近衛兵に粛清されかかる事案が続発した。毎回寸でのところで事なきを得ていたらしいが。
そんな中、中小企業だったザウツ造船が高濃度浮力ガスの精製に成功し状況は一変する。このガスは非可燃性であり、気嚢へ満杯にすればこれまでの三倍の重量を持ち上げられる浮力を持っていた。ザウツ造船はこれに合わせて艦体を大型化、可変ピッチプロペラを実用化した大出力エンジンを搭載させた御座船を完成させた。この新しい船は竜帝の巨体でも悠々と乗り入れできる大型乗降ハッチを備え、ゴンドラ壁面には強化ガラスを多用し艦内から空中の景観をゆったりと楽しめるようにした。外観にもこだわり、それまで無骨な長方形でしかなかった気嚢やゴンドラを、美しい流線型の竜骨を用い構成した。
航空業界では当時新参だったザウツ造船にとって、この御座船開発は社運を賭けた大博打であった。これにしくじれば多額の負債を抱え、倒産することは目に見えていた。ザウツ造船社長、ボルン・ザウツハウプトは関係者を鼓舞すべく故郷バイゼルデンに伝わる古語で『偉大なるジア』を意味する『ファルデン・ジア』という名前を御座船につけた。尊き竜帝の御名を借りた船が飛ばぬ筈がないという願いを込めたのである。
しかしこの行為は逆にザウツ造船従業員全てを戦慄させた。恐れ多くも竜帝の名を冠しておいて万が一のことがあれば、倒産どころか一族郎党皆殺しにされるのではないか。従業員全員が生きた心地のしないまま、ザウツ造船の粗末な飛行場にジア八世は行幸した。
一同の恐怖をよそにジア八世は流麗なラインの『ファルデン・ジア』を一目見て気にいった。いそいそと近衛兵を引き連れて船に乗り込むのを、ザウツ造船の面々は尻尾をわななかせ喉を鳴らし見守った。
結果だけ言えばザウツ造船は倒産を免れ、関係者の命脈は保たれた。『ファルデン・ジア』は正式に宮廷へ献上され、ジア八世の御座船として正式採用された。帝国空軍はこれまでにない大型の『ファルデン・ジア』を見事完成させたザウツ造船を高く評価し、直ちにこの設計を転用した軍艦の建造を発注した。
ザウツ造船が続いて造り出したのは御座船を改装したブ級輸送艦であった。図体の割に快速なブ級は空の船乗りたちから好評を博し、あらゆる任務に運用された。その頑丈さも特筆すべき点であり、対空砲火に貫通されようと問題なく航行できる強靭な艦体構造をしていた。
やがてこのブ級を元にまた新たな設計思想の艦が建造される。とある前線にて、いつものようにブ級が対空砲火の餌食になった。例によって撃沈は免れてよろよろと航行を続けたものの、開口部から零れた輸送中の武器弾薬が味方の陣地に降り注ぎ大損害を与えた。怪我の功名というべきかこの事件を元に航空爆撃作戦が考案され、更に大型で爆撃用弾倉を備えたデ級強襲艦が開発される。そして更にこれを改良してまた新たな艦を、とばかりに『ファルデン・ジア』は大戦型空中艦の母体となり、その設計思想は現在世界最強と謳われる空中戦艦ゼ級へと結実していった。
偉大なる竜帝の御座船がいくさ舟に用いられても、心を痛める竜民は存在しなかった。竜帝は確かにクルドハルの頂点だった。だが、その意思が真の意味で国家に反映されることは決してなかった。竜民たちは口々に国家への忠誠を唱え、かつての天空への憧憬を忘れていった。竜民にとって空はもう還るべき故郷ではなく、北方のケモノどもを屈服させる為の修羅場に過ぎなかった。そこにあるのは、国権を拡大し世界を獲らんとする野心のみであった。
だがそれは、敵国シュビテ連合も同様だったのだ。
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