2 近世 飛行機と空中軍艦

 南方大陸統一を達成し、『二本足』史上稀に見る広大な勢力圏となったクルドハル帝国は、占領地より得られた膨大な資源を元に産業革命を興した。近世の幕開けである。

 帝国の際限無き発展は竜民たちの生活を向上させ、旧来の権力に取って代わる資本家や企業家が次々と現れた。彼らは貴族や教会の既得権益を奪い取り、国中で重工業を発展させ、大量生産と大量消費が国家経済を回していく図式を完成させる。急速な工業化に伴い社会もまた変革の道を辿って行くのだが、そんな時代のうねりの中でも竜民の空への憧れは変わらなかった。

 平民出身のベイリン・カモフは、そんな空を目指す若者の一人だった。彼は一介の郵便局員であったが、飛行への情熱は本物だった。中産階級の富裕化が急激に進んだ近世初期において、ベイリンのような若者は帝国中に溢れかえっており、身分年齢を問わず『飛族』と呼ばれ独自のネットワークを築きあげていた。

 『飛族』たちはこれまでとは異なる斬新な視点から空へ挑んだ。ある者は海面から上昇気流によって空へ舞上がろうと試みた。ある者は気球に飛び込み台を設け、翼を背負い飛び降りた。足元で爆弾を爆発させ、その衝撃で飛ぼうとする猛者もいた。

 ベイリンも又、独自の飛行技術を研究していた。彼は神話や伝承にこだわるよりも、今現在空を飛んでいる生き物に注目した。蜻蛉や蝶といった昆虫類に限らず、鳥や蝙蝠も捕まえ、育て、標本を造った。そうして気が付いたことは、これまで神話により造られていた歴代飛行翼の構造は、飛ぶことに全く向いていないという冷酷な事実であった。近世は基礎科学が発展した時代でもあった。大気の状態、重力や引力、そして揚力という航空技術には必要不可欠な要素を『二本足』たちが発見しつつあった時代だった。航空力学の萌芽が芽吹きつつあったのである。

 ベイリンに限らず『飛族』たちは新時代の知識にも貪欲であった。発表されたばかりの論文が載った科学雑誌を読み漁り、試行錯誤で実験を重ねた。だが薄給の郵便局員に膨大な資料や実験器材を揃えるのはいずれも難しく、ベイリンは日ごろからろくな物も食べられず常に骨が浮き出るほど痩せていたという。それでもベイリンは諦めなかった。全ては、空を自由に飛び回るという夢の為。彼は仕事が終わると、日々取りつかれたかのように研究へ明け暮れた。

 そしてベイリンは、とうとう理想的な翼断面をした翼の設計図を完成させた。鳥類の翼を基に考案したこの主翼を使えば、空気の塊へ上手に乗り、空へと上昇できるはずだった。だが、足りないものがある。自由自在に空を飛び回るには、根本的な推進力が足りないのだ。ベイリンの段階に至った『飛族』は大勢いた。しかしどれも、この推力不足と言う分厚い壁にぶち当たりそれ以上の研究を断念していたのであった。

 ある日、ベイリンが勤めている郵便局に小包を自動仕分けする機械が導入された。これは秤とベルトコンベアーがついた大きな機械で、郵便物を投入すると重さを計測して所定の籠に入れてくれる画期的な物だった。大半の郵便局員は自分たちの仕事を奪うこの悪魔の機械を嫌悪したが、ベイリンだけは違っていた。彼が釘付けになったのは、油を燃焼させることでコンベアーを高速回転させるその機構だった。

 この回転力をもっと上げることが出来れば、あの翼に推進力を与えられるのではないか。ベイリンは上司に、この機械はどこで製造されたのか尋ねた。

 「帝立技術工廠さ。余計なものばかり造りやがってあのトカゲども」

 トカゲというのは、竜民にとってひどい蔑称であった。彼ら竜民は竜の末裔たることに誇りを持っており、地を這うトカゲ扱いされることを心から忌み嫌っていた。他の『二本足』からトカゲ呼ばわりされようものなら、刃傷沙汰になることも珍しくなかった。それゆえ同族間ですら使うことを躊躇われていたスラングだったのだが、職人から仕事を奪う機会を次々と発明する技術屋たちは、当時それ程嫌われていたのである。

 だがベイリンには関係なかった。彼はなけなしの金をはたいて帝都に赴き、帝立技術工廠の門を叩いた。そして自分なりに研究した主翼と、回転機構を更に発展させ考えだしたプロペラ機関の設計図をそれぞれ手渡した。

 世間からの嫌われ者だった技術工廠は、こうした飛び込みを意外にも歓迎していた。嫌われているからこそ、同好の士をとても大事にしたのである。例えそれが、無名の一民間人であっても。貴族や平民の階級制度に固執していた中世では考えられない事だった。

 持ち込まれた設計図は直ちに技師たちの目に留まり、すぐさま青写真が引かれ開発計画が立てられた。ベイリンも喜んで参加した。職場の郵便局には、手紙一枚に「お世話になりました」とだけ書いた紙をよこして辞意を伝えたという。

 技師たちの情熱とベイリンの直感により、あっと言う間に試作機は出来上がり風洞実験も良好な結果を得た。ここで乗り出してきたのが、当時のクルドハル空軍であった。技術工廠が竜民数千年の悲願に達しようとしているのを知った空軍は、早速強力なスポンサーとして名乗りを上げた。何と言っても、これまで軍事力によって国力を拡大させてきたクルドハルにおいて、軍部は並々ならぬ権益をほしいままにしている集団だった。軍部の援助を得たということは、出来ないことなど何もなかったのである。

 かくして、郵便局員ベイリンは世界初のプロペラ飛行機を造り上げた。機首に一軸プロペラ機関を積んだこの飛行機は単葉機で、ベイリンの鱗と同じ純白に染め上げられた。その完成披露会は盛大に催され、途方もない数の竜民が会場となったレマリア湖に集まったという。貴族諸侯に三軍の元帥提督は元より、経済界の重鎮や教皇に枢機卿といった宗教関係者、ベイリンの故郷ファルド村からも住民のほぼ全員が駆けつけ、その他野次馬を含めると数万に及んだとされる。その中には当時の竜帝、血竜帝ジア七世の姿もあったとされるがその真偽は定かでない。

 ベイリン式飛行機テスト・パイロットのカッセン・ヤッケルは、当時の心境を手記に綴っている。

 ――言い聞かせた。それしかなかった。何度も試験飛行はやった。俺は元より気球乗りだった。整備も、天候も、完璧だ。失敗しようがない。失敗するわけがない。そう何度も何度も自分に言い聞かせた。そうでもしなければ、俺は正気を保てなかった。

 教皇ローヴェレ・ハニアシュビリが天の神に捧げる祝詞を唱え終わるのと同時に、飛行機は葦の原を走り出した。衆人環視の中ふわりと機首が浮かび上がると、そのままレマリア湖の上空へ大気を蹴立てて飛び立った。透き通るような青空を、真っ白な飛行機はそのまま高く高く舞い上がっていった。カッセンは更に綴る。

 ――何で俺たちは長い長い間空に帰りたがっていたのか。俺にはそれが疑問だった。あのベイリンとかいう郵便屋が、何故あんなに空へ熱くなるのかもまるで分からなかった。だけど試験飛行で初めて飛んだその瞬間から、俺は理解した。そこは、確かに俺たちの世界だった。俺は進化論支持者だ。俺たちの先祖が、あんなフレスコ画に描かれたような神聖な生き物だった訳がないと頭では分かっている。だけど俺はあの時、心から信じられたんだ。ああ俺たちは昔、やっぱり竜だったんだ、って。そう思うと、尻尾の震えが止まったんだ。あんな大勢の前でも、あの真っ白な翼を飼い馴らせる気がしたんだ。

 そして、完成披露会は大成功に終わった。飛行機はレマリア湖の上空を何度か弧を描いて旋回し、宙返りすらしてみせた。群衆は沸き返った。竜民数千年の悲願が遂に果たされたのだ。大歓声は天まで響き渡り、技術者たちは自分たちの成し遂げた偉業に涙した。

 因みに、披露会に関するベイリン本人の手記は残されていない。極度の緊張のあまり郵便屋は披露会の最初から最後まで貧血を起こしぶっ倒れていたのである。彼が当日見たものは、夕日を浴びて主翼を黄金色に輝かせた自らの飛行機が着陸する、その光景のみだったという。

 ベイリンと帝立技術工廠の偉業は帝国のみならず北方大陸に至るまで広く知れ渡った。華々しい成功は帝国の素晴らしい未来を予感させた。そしてここに至る数千年分の遅れを取り戻すかのように、急ピッチで技術は躍進した。二号機、三号機と改良型がすぐさま造られ、毎度美しい飛行を世間に見せつけた。

 ベイリンの夢は見果てることなく、彼の最終目標は『一家に一台小型飛行機』であったらしい。安価で安全な飛行機が一世帯に一機あれば、竜民の暮らしは、クルドハルの豊かさはもっと成長する。技術工廠の面々と共に、ベイリンは竜民全員へ翼を授けるべく邁進した。機体の小型化、エンジンの大出力化、コストパフォーマンスの削減など多々問題はあったが、ベイリンの熱意がそれらを解決してしまうのも時間の問題のように思われた。

 だがそれに待ったがかかった。ベイリンらの研究をもっとも後押ししていた、軍部によるものであった。軍部はスピードばかりの飛行機など、プロパガンダ目的以外に必要とはしていなかった。当時、クルドハル空軍は軍事用気球を利用した偵察、輸送、強襲任務を主に行っていた。だが気球は積載量が少なく、風任せの航行は危険で習熟も困難だった。何より、南方大陸を統一したクルドハル帝国は既に北方大陸の列強諸国と対立関係にあり、空軍の増強は急務だった。北方列強は対空兵器として高威力のカタパルトや火砲を装備しており、これに対抗し得る空中兵器を空軍は求めたのだ。

 帝立技術工廠へ正式に『空中軍艦』建造の依頼があったのは、七号飛行機が完成して間もなくだった。それはこれまでの軍用気球を更に発展させたもので、動力機関を積み航続力、積載量に優れたまったく新しい航空機、言い換えれば飛行船だった。ベイリンは当初この要求を頑なに拒否していた。彼が造りたいと願うのはあくまでも竜民への翼であり、空軍の御用聞きをして玩具作りなどしたくはなかったのだ。しかし、現実はそう甘いものではないと、誰もが理解していた。軍部は長い間工廠にとって強力なスポンサーであり、今やクルドハルにおいて連中に逆らえるものなどそうそういなかった。

 飛行機開発は頭打ちとなった。事業は国家振興の為に残されたが、その規模は極めて縮小された。ベイリンの夢、国民飛行機製作の道は断たれ、代わりに空中軍艦用エンジンの建造が命じられた。ベイリンの嘆き哀しみは相当なもので、彼が飲めない酒をあおり慟哭している場面を、当時の同僚が度々目撃している。

 結局のところ軍部やクルドハル政治指導部は、竜民が必要以上に豊かになることを望んでいなかったのだ。権力者たちにとって扱いやすいのは、衣食住を知り自我を持った市民などではなく、上の威光に追従し慎ましやかに生きる領民だったのである。

 ベイリンは現実を突きつけられながらも、牙を食いしばり飛行機を造り続けた。彼が新型機を完成させるたびに、そのニュースは世界中へ報道された。飛行機と同じく新時代の技術であるラジオが、日々素晴らしい帝国の技術力を世界へ知らしめた。ベイリンがいかなる心境でそれを聞いていたか、やはり手記は残されていない。

 かくして新時代の幕開けとして創り出された飛行機はその羽をもがれ、軍部にとって都合の良い空中軍艦が空の主役となった。クルドハル帝国はこれら新兵器を携え、やがて連合を形成した北方大陸諸国、シュビテと空を巡って相争うようになり、その戦争は今現在でも続いている。

 竜民にとって憧れの還るべき場所であった天空は、血で血を洗う戦場へとその姿を変えていったのである。




 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る