選ばれたハサン
「わかりました。あなたがたは悪い人ではなさそうですね。解放してあげましょう。――でも、待ってください。わたくしは客人が珍しいのです。少しの間ここにいてくれませんか? 楽しくお話でもしましょう。そう、一晩くらいは……」
早く帰りたいのはやまやまだったが、そう言われては仕方ない。とりあえず、どうやら放してくれるらしいことがわかったので、一同はほっとした。一晩くらいなら、ここにいても悪くない。言葉に出さねど、みなの意見は一致していた。
船長がその申し出を受けると、女王は晴れやかに笑った。
「嬉しいこと! 今夜は楽しくなりそうですね。わたくし、知りたいことがたくさん……。ちょっと。ときにそこのあなた」
女王がすっとハサンを指さした。ハサンはきょとんとしている。
「あなた……綺麗な顔をしていますね」
「はい」
ハサンは至極真面目に頷いた。顔立ちを褒められるのは慣れている。しょっちゅうだからだ。しかも綺麗な容貌をしているのは紛れもない事実であって、特に否定したり謙遜したりすることもないと、ハサンは思っていた。
女王は笑って言った。
「わたくしは綺麗な顔をして殿方がとても好きなのです。わたくし、あなたのことが気に入りましたよ」
「光栄です」
異国の女王様までたちまちのうちに引き付けてしまうとは、我が身の秀麗さも困ったものだなあ……とハサンは思ったが、しかし悪い気はしない。
「後でゆっくり二人でお話しましょう。――別室で待っていてくださいね」
女王はそう言うと、周りの人間に何やらわからぬ言葉であれこれと指示を始めた。女王のお付きの人間が、ターヒルやアジーズや船長らを促して部屋から出るようにさせる。ハサンも付いていこうとしたが、女王に止められた。
「あなたは別室で待っていてくださいと言ったでしょう」
ハサンは少し困った。ここでみなと引き離されるとは、さすがに不安な心地がする。が、女王の言葉はきっぱりとしていて、反論を許さない雰囲気がある。しかも今は相手の手の内にあるのだ。ここは黙って従っておくのがよいだろう、とハサンは思った。
ハサン以外の一行が、いささか心配そうに彼をみやって、しかし黙って出て行く。ハサンは、大丈夫だ、と彼らを安心させるように頷いた。みなが出て行った後、ハサンのそばにも美しい侍女たちが現れた。そして彼も出るように促す。
ハサンはちらりと女王を見た。女王はやはり美しく、威厳があり、そしてじっと熱い眼差しでハサンを見ていた。正直困ったことになった……気もする。しかし、美人に思いを寄せられるのはやっぱり悪い気はしないわけで……。ハサンは女王の熱視線に応えるように優しく微笑むと、部屋を出て行った。
――――
ハサンが連れていかれたのは、来客用と思しき小部屋だった。絨毯が敷き詰められ、クッションが並び、壁に美しい壁掛けが飾られている。ハサンはクッションの一つにもたれ、次に起こることを待った。待ち時間は長く、ようやく、日も暮れ始めた頃、侍女が現れ、ハサンを別の場所へと連れていかれた。
それは華麗な客間であった。幾何学模様が描かれた壁に、植物が曲線の渦を描く、豪奢な絨毯。ぐるりに柔らかなクッションが並び、その上座に女王が座っていた。
「ようやく一日の執務が終わったのです。これであなたとゆっくり過ごすことができますよ」
女王がハサンを見て、嬉しそうに微笑んだ。その目がすっと細まり、ハサンはなんとなく落ち着かない気持ちになった。女王の周りには、満月のように美しい侍女たちが座っていた。ハサンもとりあえず、空いた場所に座った。
「あの……他の人々は」
「二人でお話しましょう、と言ったでしょう? 私はあなたと……あなたとだけ、お話したいのです」
「はあ……」
どうせなら、アジーズやターヒルも呼んでほしいんだけどなあ、と思ったが仕方がない。ハサンが座ると、客間の扉から、侍女たちが次々と入ってきた。これもまたみな美しく、そして手にご馳走が盛られた皿を持っていた。
「お腹が空いたでしょう? さあ一緒に食べましょう」
皿からはとてもよい匂いがした。ハサンのお腹がぐうと鳴った。気になるところはあれこれあるが、とりあえずここは出されたものを遠慮なくいただくことにしよう、とハサンは思った。
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