王太子の気まぐれ

 ターヒルと同じく、アジーズもまたさっぱりとした付き合いやすい男だった。綺麗な顔にいたずらっ子のような表情を浮かべている。ふざけるのが好きで、しょっちゅう笑っている。けれどもどこかうまくつかめないところがあった。ふざけていても、決してはめは外さないような、自制心が上手く効いているような。


 こいつはただの船乗りではないな、とハサンは思った。その物腰には、どこか、教養と優雅さがある。よい暮らしをしていたのではないかと思われる、そんな雰囲気がある。そこでハサンはある時かまをかけてみた。ある詩の一節をアジーズの前で披露してみたのだ。乗ってくるかな、とハサンはアジーズを見た。アジーズはハサンの言葉に少しきょとんとした後、くすっと笑って次のように言っただけだった。「ずいぶんと洒落た言い回しを知ってるんだな!」


 アジーズは用心深く、なかなかしっぽを出さないように見えた。ハサンはそれ以上詮索するのを諦め、まあそんなに悪いやつには見えないからいいか、と思うようになった。アジーズとターヒル。どちらも旅の道連れとしては、よい人間に出会えたと思えた。


 ハサンは考えるのをやめ、目を閉じた。船室は人の寝息やらいびきやら、時には寝言のようなものやら、また寝返りを打つ音やらで、それなりに賑やかではあった。人たちの間にいるこの状況を、悪くない、とハサンは思うようになった。目を閉じるとたちまち眠気が訪れた。ほどなくハサンも、夢の中へと入っていった。




――――




 アジーズを挟んでハサンと反対側に、ターヒルも横になっていた。ターヒルもまた眠っておらず、目を開けていた。彼もまた、あれこれ考えていたのだ。


 考えていたのはハサンのことだった。あの男、一体何者だろう。


 港を出て1日ほどが経過した頃、船長室に太った中年の男、船長のザイドとアジーズと三人で集まったことがある。その席でハサンのことが話題になったのだ。まず、その話を切り出したのは船長だった。


「気になる船乗りがいるのですが」


 船長はそう言った。三人だけになっていたので、船長はアジーズやターヒルに敬語を使っていた。その理由は……それはこの二人が本当は船長よりも身分が高い人間であるからだった。


 事の発端は唐突な気まぐれであった。ある日突然アジーズが言ったのだ。アジーズ――本当は船乗りではなく、この国の王太子である若者が、こう言ったのだ。


「航海に出てみたい」


 王太子付きの騎士であるターヒルがそれを聞いて戸惑った。「航海……と申しますと」

「うん。ほら、商人たちからよく話を聞くだろう? 商品を持って遠い世界に売りに出かける……。その間の大冒険……。そういったものを体験してみたいんだ」


 ターヒルはますます戸惑った。商人たちからなるほど、そのような話を聞いたことがあるが、それを王太子殿下が体験してみたいとはどういうことだろう。とりあえずターヒルは考えをまとめて、言った。


「なるほど、航海ですね。それならばたくさんの船を集め、大船団で、ええと、多くの従者や護衛を付け、立ち寄り先の港に触れを出し……大がかりなものになりますね」

「いや違う。そうではなくて、ただの一船乗りとして船の旅をしてみたいんだ」


 ターヒルは絶句した。


 この希望は国王陛下の元にももたらされた。紆余曲折と侃々諤々とした議論があった後、驚くべきことに、この気まぐれな王太子の希望は叶えられることとなった。びっくりしたターヒルは志願した。「殿下が航海においでになるなら、私もご一緒します」 アジーズはその言葉に喜んで言った。「うん、私もぜひともおまえを連れて行きたかったんだ」 ターヒルはアジーズが小さい頃からそばにいて、主従というよりも、幼馴染や兄弟といったような親しい間柄だった。(もっともターヒルは生真面目で、決して主従の規を超えてはいけないと思っていた)

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