彼の正体は

 航海の準備は着々と進められていった。船に乗せる人員はもちろん厳選されたものでなくてはならない。王太子の身辺の警護のため、ターヒル以外の腕の立つ騎士たちも、船乗りとして幾人か乗せることにした。それ以外の人間も、身元の確かなものを選ぶ。……はず、だったが。


「気になる、とは?」


 船長の一言に、あいつのことではないかなあ……と予測をつけつつも、ターヒルが聞いた。船長は答えた。


「ハサンという男ですよ。あの、まだ若い、綺麗な顔をした」

「ああ、あいつか」


 やっぱりか、とターヒルは思った。ターヒルもまた、この男のことが気になっていたのだ。


 船乗り、という話であったが、とてもそうとは思われない。船に乗っても、何をしていいのか全くわからぬ様子でおろおろしている。そのうち、気分が悪いと言い出した。仲間に介抱されているのを見ながら、ターヒルは思った。この男、何者だ?


「さほど悪そうな奴には見えない……が、気を付けておく必要があるな」


 ターヒルは言った。アジーズが死ねば、利益を得る連中がいる。そういった連中が、これを機にと、船に刺客を送り込んでいるとも限らない。十分注意する必要があるな、とターヒルは思ったのだ。自分の一番の役目は、殿下をお守りすることなのだから。しかし……。最初の頃、ぐったりしていたハサンを思い出しながら、ターヒルはさらに思った。あれが刺客なあ……。とてもそうは見えないが。




――――




 こうして、ターヒルはハサンに近づいた。仲良くなって思ったが、やはり刺客などには見えない。むしろ、どことなく鈍感さを感じる青年だ。さほど善良……ではないが、しかし悪い奴にも思えない。ターヒルは混乱してきた。


 その後、再び、三人で船長室に集まる機会があった。話題は再びハサンのこととなった。ターヒルが船長に聞いた。


「あの男を連れてきたのは一体誰なのだ?」

「カーシムという男ですよ。でも奴はこの船には乗ってませんでね。ただの斡旋業者で……。奴に聞けば何かわかったかもしれませんが」


 しかし聞くことはできないので、それは残念なことだった。その時、アジーズが、ふと口をはさんだ。


「あの男はどこかでそれなりの教育を受けたことがあるんではないかな」

「何故そのように思われるのですか?」


 不思議そうな顔をするターヒルに、アジーズが、彼がとある詩の一節を口ずさんでいたことを話した。その話を聞いて、船長も頷いた。


「確かに、そんなふうに見えますな。私が観察したところによりますと。どこかさほど悪くない生まれで、教育を受け特に不自由ない暮らしをし……。あのとろさ……いやのんきさは、そういう人間の匂いがします」

「ふむ……」


 ターヒルはそう呟いて黙った。それならやはり危険なのではなかろうか。王太子を亡き者にしようとする輩は、それなりに賢く教養もある人間を計画の実行者として送り込むだろう。その適任者としてハサンが……しかし、ターヒルのその考えはたちまち彼の中で否定された。あのハサンが! あのあまり物事を考えてなさそうなハサンが! とてもそのような役割を任される人間とは思えない……。


「ただの気まぐれなのではないかな」


 明るい声でアジーズが言った。「何不自由ない暮らしをしていたけれど、ふとしたきっかけで故郷を離れ、旅に出て……。そして船乗りになってもっと広い世界に行きたいと思ったんじゃないかな。ほら、私のように」


 そう言ってアジーズは茶目っ気のある顔を見せた。その顔に思わず微笑みながらも、ターヒルもそうなのかもしれない、と思った。やはりどうにも……ハサンがすごく悪い奴とは思えないのだ。

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