ある冬の日

どうしようもない

「宮村ってさ、佐藤先輩のこと好きだよね」

 その質問は唐突に発せられた。何かそれらしい振りがあったとか、話の雰囲気が恋愛系だったとかではなかった。本当に、突然に、何の脈絡もなく、俺と同じ写真部の河野は俺に向かって切り出してきた。

「なんで?」

 何で俺が佐藤先輩のことを好きだと河野は思うのか。色々と思い当たる節はあるが、きっとそれらとは違う理由で河野は俺が佐藤先輩に好意を持っていると感じ取ったのだろう。なんとなくそう思う。

 二人、夕暮れの光が差し込む教室で向かい合って話をしているこの状況は、河野が女だったらきっとそれらしい青春の一幕になったに違いない。いや、男二人で語り合う状況が青春でないと思っているわけではない。ただ、青春という言葉を頭に思い浮かべた時に、俺は真っ先に男と女が向かい合って夕暮れの教室で話をしている情景を連想してしまうのだ。

 青春という言葉に踊らされている。

「だって、宮村、佐藤先輩と話す時だけちゃんと顔を見て話そうとしてるから」

 河野の返答はやはり俺の想像とは乖離していた。普通、好きな相手と話をする時には、恥ずかしさから、相手の顔をまともに見れないなんて事態の方が多いのではないだろうか。俺はそう思うし、むしろ顔を見て話していると相手のことを異性として見ていないと結論付けることもできるんじゃなかろうか。

「そうかな」

 河野の言葉にある河野の論拠はどのようなものなのだろうか。それを知りたくて、わざと河野に話を続けさせる言葉を選んだ。動揺はひた隠しにし、感情はなるべく表に出さないように。

「そうだと思うよ俺は。宮村って、変に計算高いところがあるし。目を見て話すのも、たぶん佐藤先輩に意識されたいからでしょ」

 河野とは長い付き合いだった。小学校三年生のころからの付き合いなので、今年で九年目の付き合いだった。河野は俺のことを大体理解している。少なくとも、今年に入ってから知り合ったクラスメイトたちよりかは。だから、河野の言ったことは凡そ当たっていた。俺は佐藤先輩のことが好きだし、目を見て話すのも佐藤先輩に意識されたいというか、目を合わせないことで生じるだろう不都合を回避することが目的だった。

 計算高いんだろうか。そこだけはよくわからないけれど、客観的に見て計算高いならきっと一面的には真実なのだろう。俺は他人の言うことをよく認める人柄だ、たぶん。

「ま、まあ概ねそうだな」

 動揺が出てしまった。焦りは人を頼りなく、ダメなように見せる。そうしたマイナスなイメージを表に出すのはあまり得策とは言えなかった。

「つまり、宮村は佐藤先輩のことが好きだと」

「そうなるな」

 河野はようやく認めたか、とでも言いたげな顔でこちらを見ていた。河野に対してはなぜか、俺は口で言い負かせたことがなかった。

「やっぱ、宮村は佐藤先輩のことが好きなのか~」

 河野はそう言って、窓の方に移動して暮れていく日に目をやっていた。結局河野はそれを確認して何がしたかったのだろう。そんな疑問が頭に浮かんできた。

「俺は佐藤先輩のことが好きだよ」

 なんとなく言葉にしてみた。どうせ今河野には知られてしまっているし、河野のほかに聞いている人なんて誰もいない。

 言葉にしてみると、奇妙な感覚が俺の内に去来した。それまで、自分の中にあった佐藤先輩への好意が曖昧だけれど、どこかしっかりとした部分もある形になったみたいな気がした。

「そっか。宮村は佐藤先輩のことが好きか」

「で、今更だけど突然どうしたの」

 河野は窓辺にかけていた手を離すと、くるりとこちらに振り返った。その瞳から、何かを面白がっているような気がしたけれど、その実河野が何を考えているかはよくわからない。

 河野は、揶揄う調子で嘘みたいな言葉を口にした。

「この前立ち聞きしたんだけどさ、佐藤先輩お前のこと好きだってよ」

 一瞬、何も考えられなくなった。嘘だ。本当は一瞬で色々なことを考えた。俺のことを好きだと言った時の佐藤先輩の表情だとか、その時の声のリズムだとか、どんなことを考えてその言葉を口にしたのかとか、その発言に至るまでの会話の流れとかをだ。それも、頭の中ではかなり鮮明に思い浮かべた。俺は俺のこういうところが嫌いだった。いつも、俺の想像は現実ではないからだ。

「マジで?」

 でも、ほんの少し期待してしまう自分がいる。

「噓だよ」

 河野は何でもないことのように言って、いつものように笑った。正直むかついた。

「そういう冗談はただ人を傷つけるだけだから、口にしない方がいいぞ」

 俺は本当に友人のことを慮ってそう言った。そこには、何の意図も悪意もない。そのことは、俺の表情がはっきりと物語っていたと思う。

「ごめんごめん。悪気はあった」

「余計に悪いな」

 悪いことが多いと、たまには良いことが起こってほしくなるのが人の常である。

「それはそうとさ、宮村は告白とかしないの?」

 微妙な空気を変えるために、河野はさらっとありきたりな話題を振ってきた。正直、変えるならもうこの話題から離れて欲しかった。

「しないんじゃないの」

「なんで? ていうか、他人事かよ」

「するのが怖い。どうせ振られるしする意味がない。他人事なのは、自分のことだと思えないからだ」

 告白したところで、どうせ振られるのが落ちだ。佐藤先輩は、三年生の間だけで見ても、美人で評判だった。狙っている人が多いし、周りによくいる男友達らしき人たちの容姿も、俺とは段違いに優れていた。そういったことに気後れしていた。佐藤先輩と俺の接点なんて所詮部活の先輩後輩でしかない。けれど、佐藤先輩を好きだという気持ちは俺の中にしっかりとあって。現実的な問題と俺の感情の距離の遠さに、何となく他人事だという気持ちを感じてしまっていた。

「怖いのはわかるわ。まあでも、悩んでてもどうしようもないのも事実だけどな」

 平気な顔して、残酷な現実を突きつけてくるのはやめて欲しい。他人事だと思いやがって。実際、悩んだところでどうしようもないのだけれど。ひたすら、悩んだところで、俺が佐藤先輩のことを好きだという事実と、彼女の周りには俺より魅力的な人がたくさんいるという現実は何も変わらない。

「なあどうしたらいい?」

「お前が思うように行動すれば? そうしたら悪いようなことになるかもしれないけど、宮村の想像通りの良い未来が来るかもしれないし」

 河野は他人事だと思っている割に、助言は適切だった。結局、悩んだところで自分が思うように動くしかない。人から何か言われたからその通りに動いたって、うまくいかなかった時の言い訳として逃げ道にしてしまうだろう。自分が納得することが何より大事だと俺は思っているから、河野の助言は素直に自分の内に入ってきた。

「ま、がんばれよ」

 河野がそう言い捨て、机の上に置いた鞄を手に取った時、完全下校を知らせるチャイムの音が聞こえてきた。時計を見ると、針は既に十八時前を指していた。外に目をやると、日はほとんど沈んでいた。

 河野と一緒に帰ろうと思い鞄を手に取ろうとしたところで、河野は今日予備校で授業を受ける日だったと思い出す。一緒になるのは校門までだ。それなら、別に一緒に帰る必要も特には感じなかった。河野も同じように考えていたのか、俺が手を止めているうちにさっさと教室から出て行ってしまった。

 帰るかと、思い直して、鞄を肩にかけた。もう一度外の景色を見た。夜の帳がすっかり降りていた。

 ふらふらと、特に何も考えずに校門まで歩いていると、少し先に件の佐藤先輩が歩いているのが見えた。肩の少し下くらいまで伸びた黒髪を揺らしながら、楽しそうなリズムで歩いている。佐藤先輩はいつも楽しそうにしている明るい人だ。

 先ほどまで、河野と交わしていた会話を思い出した。ここで、自分から声をかけて「佐藤先輩一緒に帰りましょう」くらいは言うべきではないのか。そういった思いが胸の内に去来したけれど、同時に緊張も訪れて。色々と迷ってしまった。

 佐藤先輩に声をかける男が現れた。ちらっと見えた襟元の色と、親しげな態度から恐らく同級生だろうと察する。佐藤先輩も愛想よく二言くらい受け答えすると、二人はそのまま並んで歩き始めていた。

 佐藤先輩がこっちを振り向くかなとか思ったけれど、現実はそんなことは微塵も起きる気配がなく。暗く、寒い廊下で俺は一人置いてきぼりにされた気分を味わった。

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ある冬の日 @fairymon

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