Bleach
記憶の帰る場所
かつて橋脚であった円柱は朽ち果て、剥がれ落ちたコンクリート片が草の海にまばらに沈んでいる。
橋桁は崩れ落ち、構成していた金属片はとうに持ち去られ跡形もない。
強い日光に照らされて、薄緑の色素が揺れていた。
かつて栄えた都市。
足りない土地を補うように層を増し、人と人を繋ぐために張り巡らされた道の一つがこの場所を覆っていたという。
一方、その橋の上は高層建築の立ち並ぶ中で青空から降り注ぐ自然光を十分に浴びることができる場所として、多くの人々が訪れていたという記録を見たことがある。
時が流れて人が減り、用を為さなくなった建造物は捨て去られ、幾度かの災害を経て都市は息絶えた。
長い空白を越えてもぬけの殻となったこの土地に流れ着いた人々も、休息の時代を終え、また別の土地へと向かっていった。有用な素材かあるいは旧時代の記録を求めて訪れる旅人も、ここ数十年は見かけていない。
打ち捨てられたコンクリート群の他に、もはや人の名残りはない。
私自身も、この土地を訪れるのは十年ぶりだった。
開けた草原の真ん中に、土が小さく盛り上がった場所がある。
動物が土を踏みしめながら行き交い、季節を経て周囲の風景が変わろうとも、座標さえ参照できればその位置を間違える事はない。
ある程度近付けば地中に埋めたチップの反応を検知する事ができる。
センサーのバッテリーは少なくともあと四十年は保つはずだ。
土の中に腕を差し込み、10 cm 四方の薄いケースを掘り出す。動物に掘り返されないようにと深く埋めていたので、少々時間がかかってしまった。
白く簡素な作りのケースは、わざわざ土に還りにくい素材を選んで彼女が自分の手で作ったものだ。
力を込めすぎて砕かぬよう、慎重に蓋を外していく。
素材自体は頑丈だが、各接合部の強度はいくらか信用に欠ける。
箱と蓋の寸法がズレており、本来であればゆるく箱としての機能には欠けるはずなのだが、少し不恰好な溶接の跡が功を奏して相殺されていた。
彼女は工作は得意だと言っていたが、プリンタに頼らずでは限界がある。
そう指摘したときも、ケラケラと笑っていた。
箱の中のメモリーチップを取り出す。チップは箱の大きさに比べてかなり小さいが、それ以外には何も入っていない。
これ以上小さいのは無理だわ、という彼女の台詞が思い出された。
このチップの役目はここまでだ。
コンバータへチップを挿入し、中に入っていた記憶データとあらかじめ保存しておいた現在の記憶データとの整合性チェックを走らせる。
しばらくは待機状態だ。
自分を使えばそれほど時間をかけずに完了できる処理だが、この儀式を始めたときからそうはしないと決めている。
※※※※
「私が死んだらさ、あそこに埋めといてほしいんだ。頼める?」
運転席に座る彼女がそんな言葉を唐突に口にした。
ハンドルを手放した左手の人差し指が示すのは、草原の中心。
森で捕まえた鹿を乗せたトラックが、タイヤで幾度も踏み締められた獣道を駆けていく。
「構いませんが、共同墓地ではなくてよいのですか?」
「今更あそこに戻るってのもなんか違うしねぇ」
言葉に続けて吐き出されたのは小さく長い溜息。
「事故でも起きなきゃ当分死にはしないだろうけどさ、その事故が起きてからじゃ遅いから早めに言っとくわ。よろしくね」
「はい、わかりました」
断わる理由などはない。
「ただ、あなたが事故に遭って命を落とすようなことがあった場合、私も同時に機能停止になる可能性が無視できない程度にはありますが、その時はどうしますか」
私が発言を終えるや否や、彼女は目を見開いて私に視線を向けてきた。
それから数瞬の後、大声で笑い出す。
「前を見てください。自動制御装置が壊れてるので危険です」
「あっはっは、はいはいわかったよ」
視線は元に戻しながらも噛み殺した笑い声と共に肩は揺れ続けている。
文脈を考慮してもこれといって面白みのある発言ではなかったはずだが、どうやら彼女にとっては違ったようだった。
おそらく、学習しても到達できない感性だ。
「そんときはそんときで仲良く朽ち果てよう。そういう終わりも悪くない」
※※※※
整合性チェックは滞りなく終了した。
今のところ、私の記憶領域に問題はない。
コンバータからチップを取り出し、ケースを掘り出した穴に投げ入れる。
カチリ、とプラスチックたちのぶつかる音が小さく響いた。
※※※※
「質問があります」
「ん?珍しいね。何?」
夕食を終え、床に就く用意ができたあと、私は彼女に問い掛けた。
雲のない星空の下、ランプに揺れる炎が彼女の頬を照らしている。
「あなたが亡くなった後の私の処遇についてです。遺体の処理の仕方までは指示を頂いてますが、その後について特にお話がありませんでしたので」
「その後はもう私いないし、君の自由だよ。お世話係を晴れて卒業だ」
「自由と言われましても、単独で活動することがこれまでありませんでしたから、却って身動きが取れなくなるのです」
「そうなの?君のお仲間なんて徒党を組んだり喧嘩したりで好き勝手やってるみたいだけど」
「私は大分古いモデルですから。規格も違います」
「あぁそっか、君、お下がりだったからなぁ」
彼女は空を仰ぎ見る。
流れ星を探したり星座を見つけようとしているわけではない。
考え事をする時、首を上に向ける癖があるのだ。
十五分以上、彼女はそのままにしていたが、ようやく何かを閃いたらしく、くるりと首を動かして私の方を向く。
「君ってさ、その身体、どれくらい保つの?」
「これですか?しっかりとメンテナンスを続けていればいつまでも保ちますよ。勿論、中のパーツや外装はすっかり別のものに入れ替わりますが」
「ネットワーク越しに自我を移動したりってできたっけ?」
「サブセットならできますが。今も偵察用端末が三体稼動しているはずです、どこかで壊れていたりしなければ」
「君自身は?」
「原理的には可能ですが、十分な帯域と設備がないと難しいですね。今はもう条件が揃う場所を見つけるには偶然に頼るしかないと思います」
ふうん、と呟いて彼女は再び口を閉じる。
これは先程の沈黙とは違い、考えを巡らせているのではなく何かを言い淀み逡巡しているようだった。
こういう時も待つに限るというのが経験から得た対応である。
「あー、そうね、私が死んだあとはさ、旅しなよ、旅」
「旅、ですか?」
「そう、世界中をね、じっくりと」
※※※※
記憶データのうち、前回の分との重複分に圧縮処理を施した。
そして、調達してきた新たなチップをコンバータに挿入し、記憶データの複製を開始する。
これが終われば、チップをケースに入れた土の下へと戻すのみである。
※※※※
「旅をするのはかまいませんが、何故ですか?」
「私たちってここを拠点にして生活してるでしょ」
「そうですね」
「時々遠出はするけど、昔の人たちみたいにさらに遠くの土地へ行くようなことはなかったし、多分、これからもしないよね」
「はい」
「私がいるからね、物理的に難しいわけさ」
「……それは」
「いや、別に悲しんでるとかじゃないからね。現実にそういう状況だよねって話。旅してみたいって思うこともあるけど、この場所を離れたくないって気持ちの方が強いからずっとここにいるわけ。骨も埋めたいし」
彼女の表情はいつになく穏かなものだった。
「私が死んだあと、君一人ならそれが可能でしょ?だからさ、代わりに色んな場所に行ってきてほしいんだよね」
「あなたのお願いとなれば、もちろん旅をしてきます。ですが、本当にそれは代わりになるのでしょうか」
「まぁ、ただ旅してこいってだけだと放り出したのと変わらないよね。だからさ、時々でいいからさ、ここに戻ってきて、旅の記憶を残していってよ」
「記憶データのバックアップをこの場所に、ということですか」
「んー、そんな感じかなぁ」
※※※※
データの複製が終わり、整合性チェックも恙無く完了した。
取り出したチップをケースに入れて、慎重に蓋を締める。
前回は摩耗で緩んだ蓋の修理をしていたので、箱がしっかりと噛み合った。
ケースを元の場所へと慎重に下ろしていく。
底に敷き詰められたチップに触れたのを感じた辺りで手を離す。
かき出した土を元の場所へと戻していき、掘り出す前と同じ程度の土の盛り上がりを作り上げていく。
何度も何度も繰り返した作業だが、一度も飽きを感じたことはない。
これは、墓参りという習慣と同型なものなのだろうな、と思う。
※※※※
「ねぇ、昔さ、私が死んだあとのことについて話したじゃない?あれ、ちゃんと覚えてる?」
「はい、記録してあります。再生しますか?」
「は?録音してたの?」
「重要な情報だと思いましたので、後でしっかりと参照できるようにと。映像もありますが、今は映せるものがないですね」
「いや、いいよ」
「では音声のみで?」
「それもいい、覚えてるから。君が覚えてるか確認したかっただけ」
「記憶管理は堅牢にできてますし、むしろ指示がない限り忘却できません」
「指示があれば忘れちゃうんだ。ちょっと不自由ね」
「実際は、忘却したことになっているだけですね。忘れたという体で処理すればよいだけなので、記憶領域を弄るよりも安全です」
「そういう仕組みのことって機密情報だったりしないの?」
「製造元はもう存在しませんから、気にする必要はありません」
「ドライだねぇ」
「過剰な水分は避けたいですね、機械ですから」
※※※※
かつて彼女が根城にしていた場所に、生活の痕跡は少しも残っていない。
残すような指示はなかったし、むしろ自然のままにしてくれと言っていた。
この土地に、彼女の足跡は何一つ残っていない。
土の下、メモリーチップよりも更に深くに埋められた彼女の身体も、とうに全てが土へと還っている。
メモリーチップの中にも、彼女に関する記録は含まれていない。
※※※※
「残してほしいって言った旅の記録だけどさ、あれ、メモリーチップか何かに保存してこのケースに入れといてくれればいいから。そんで、私の近くに埋めといて」
そう言って彼女が取り出したのは、数日前に作っていた白い箱だった。
「そんでね、そこには私が死んだあとの記録だけ入れてくれればいいよ。それまでの記憶は、なくていい。むしろ、入れないで」
「それは構いませんが、何故ですか?」
「私の記憶は私が持ってるからね、無くていい。容量の節約。その分たっぷりと旅レポ入れといてよ」
くっくと小さな音を立てながら微笑む彼女に向けて、私は質問を重ねる。
「あの、今更これを言うべきかどうかは悩んだのですが」
「うん、なに?」
「旅をするのは構いません。私自身が楽しみにしている部分もあります。ですが、その記録を、ただ保存しておくだけというのは、どういった意味があるのでしょうか。あなたは人格データを記録しないと決めていますから、エミュレータ上で記録を参照することもありません。旅の記録をこの場所に残しても、ただただ情報の書き込まれたチップがあるというだけです」
「意味が見出せないと、やる気が出ない?」
「そういうわけではありません。ただ、あなたは死後の世界などのオカルトを全く信用していませんよね」
「ま、そうだね」
「ですから、旅の記録をこの場所に残していってほしいという指示も、あなたが死後にそれを参照するためということではないはずです。だからこそ、あなたの意図が見えず不思議に感じているのです」
「意味がなくてもやってみたいことってあるでしょ?」
「あなたはそういう人ですが、同時に、それを他人に求めたりもしません」
「見透かしたようなこと言うねぇ」
「学習の結果です」
私の返事を聞いて、彼女はまた笑う。
「いやね、別に深い考えがあるわけじゃないよ」
「そうなんですか?」
「いつもそうだったでしょ?」
「時と場合によります」
「喰えない返事だねぇ。まぁいいや。私はね、君がちょっと心配なんだ」
「私が、ですか?」
※※※※
やるべきことを終え、私は再び旅に出る。
世界は広く、足を踏み入れていない土地だらけだ。
次の目的地はまだ決めていないが、旅の途中で知り合いとなった者達から聞いた話を元に候補は絞り込んである。
今回はひとまず西に進み、海を越える手段の調達に取り組む予定だ。
海岸沿いには何度か訪れたことのある街があり、そこでは身体のメンテナンスもしっかりと行える。
次にこの場所に戻ってくるまでには今回以上の時間がかかるだろう。
すると、帰ってきたときにはこの土地の風景がどう変化したのかを観察し楽しむことができる。
※※※※
「君は私に縛られすぎていると常々思っていた」
「確かにそうかもしれませんが、それが私の在り方ですから」
「うん、それはね、もう長いこと一緒にいて身に沁みたよ。ずっとずっと前から、君を無理に私から切り離そうとするのはきっとよくないことなんだろうなと考えていた。でも、君をこれ以上縛りつけたいわけでもない」
彼女の口からは淡々と言葉が流れている。
「だから、君が帰ってくる場所を用意しようと思ったんだ。それは、この場所に縛り付けられているだけじゃわからない、見えないものだ。旅をして、私以外とも交流を深めて自分の生き方を見つけてほしいっていうのもあるけど、離れて思いを馳せて初めて特別なものだとわかる、そういうものを君にあげたかったんだ」
※※※※
いくつもの土地を訪れ、時には数ヶ月以上同じ場所に滞在することもある。
だけど、私はいつか必ず戻ってくる。
そういった場所を、人々はかつて「家」と呼んでいた。
彼女が私に遺してくれたものは、今も確かにここにある。
君と。 本田そこ @BooksThere
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