「ぁ……っ」


 20メートル先。

 切れかかった街灯の下、その明滅する光の輪を避けるように…しかし確かに、人影がそこにあった。


 背が高く、帽子を被って…それ以上はよく見えなかった。驚きのあまり、叫び声も出なかった。


「……」

 がく、がくと口を震わせながらその場に立ち尽くす。


 え、と、こういうときって、どう、すれば、いいんだっけ…?





 人影は、消えた。

 電灯の点滅の感覚の隙に。


 それがわかってから、私はその場にへたり込んだ。




 何分かそうしていたが、やがて、ゆるゆるとだが立ち上がることができた。






 帰らなきゃ。


 あいつから、逃げるために。









 ああ、私のアパートだ、脳が認識した時には、もう泣きそうなほど安心していた。

 それがいけなかったのかもしれない。


 だから門柱をくぐった瞬間、物陰から飛びついてきたに、私は途方もない金切り声をあげて驚いた。


「た、タク、くん…!?」

「へへ…びっくりした?」

「…ったりまえでしょー!?」

 私の彼氏だった。全身の力が抜けていく。そのまま彼に抱きついて…思わず目頭が熱くなる。ばかばかと、弱々しい拳を彼氏のスカジャンに打ち付ける。


「こらー!そんなとこでいちゃついてると家賃増やすよ!!」

 大家さんの怒号に背を押されるようにして、私と彼氏は部屋に戻った。





「えー?じゃあ、私の後をついてきてたのは…」

「そーそー。全部俺。駅からずーっとね」

 彼氏はさも自慢げに語る。まったくこっちの気も知らないで!

「でもよかったよー。変なストーカーとかじゃなくってさ…」

「ははは。安心しろぉミカぁ、そんなやつがいたら俺がぶっとばしてやっから!」

「も~、調子いいんだから」

 子供みたいな彼氏だけど、いざという時にはちゃんと頼りになる。

 会社でもお局さんから身を固めろと愚痴のようなお小言をこぼされるけど、そろそろ考えてもいいかも、なんて。




「あー!また靴散らかして…」

「ごめんごめん…ってミカもじゃん」

「あはは…そうだけど」

 私のパンプスと、彼氏のスニーカーが並んで散らかっている。あ、このスニーカー、もうつるつる…。


 …誕生日にサプライズで買い替えてあげてもいいかな。能天気にテレビを観ている彼氏を、少し睨みつける。

 ―待ってろよ、今度は私が驚かしてやるからなっ。


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