足音

参径

 夜。


 灯りも少ない、人も通らない住宅街は、夏なのに寒気がするほど不気味だ。

 私は残業も終わり、すっかり暗くなった家路を急いでいた。


(それにしても、もうちょっと街灯とか増やせなかったもんかね。電球、切れかかってるのもあるし)


 私の家は住宅街の奥まったところにある安アパート。家賃は安いが、駅までは結構遠くて不便だ。

 …特にこんな夜には。



「…早く帰ろ」

 自分に言い聞かせるかのように、私はバッグを背負いなおした。



 ―その時だった。




「誰っ!?」

 気配を感じて振り返った背後には、しかし誰もいなかった。

 ―でも確かに、気配はした。だって、風の流れというか、温度の変化?というか…とにかく、そういうもろもろが、違った気がしたから。


「気のせいか…」

 わざと声に出して呟く。もしストーカーとかの変なやつだったら、気付かれたってわかるでしょ、今ので。

 さっ、さっと、あたりを素早く見回す。気配は消えていた。







 しばらく、夜道を歩く。いつもは気にならない風の音が、妙に胸をざわつかせる。



 角に来たところで、私はピタッ!と立ち止まった。

 私のパンプスとは違う、もっと甲高い足音が響いたから。

「…誰なの」

 振り返る勇気はない。幸いにも、それ以上足音が近づいてくることはなかった。


 角を曲がる。速足のペースで、何歩か進む。この通りだけやけに暗い。

 …相変わらず、足音がついてくる!

「…誰!?」

 声と同時に振り替える。…誰もいない、多分…暗すぎてよくわからない。


 遠くを走る私鉄の音が、どこか遠い別世界のことのように聞こえる。




「…誰、なの」


 さっきまで感じていた気配が、私が振り返った瞬間だけ途切れるなんておかしい。



 向き直る。速足で歩き始める。

 角を曲がる。

 この辺りは川の中州―いわゆる三角州にあたる。西側に広がる川から流れ込む生ぬるい夜風に、なぜか少しだけ、安心感を覚える。

(――よし)

 ここを北上して、突き当たりの三叉路を左の下り坂のほうに折れて…そうすれば右手に、私のアパートが見えてくるはず。

 バッグの肩紐を握り締める。


 大丈夫。全部、私の気のせい。



 そう切り替えた私はしかし、その場から踏み出すことができなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る