8、不安
父にご神託のことを知らされてから、私はなんとか気持ちを立て直して学校へ向かった。
途中、広場にあった掲示板を覗きにいくと、そこには十数人ほどの人だかりができていた。皆、ご神託の掲示を目にしようと訪れたのだろう。私と同様に通学中の学生が過半数だった。
その大きな掲示板の隣にはアウラ教会の兵士が歩哨に立っていて、公文書に悪さをされないようにと目を光らせている。
掲示板で一際目を引くように貼り出されているのは、高級そうな紙に書かれた厳かな文章。……女神様のご神託を写経したものだった。
そこには父に聞かされた通りの内容が書かれていて、文の末尾にはこれが公式の文書であることを示すアウラ教会と国王の印が押されている。
こうして大衆の目に晒されたその掲示はまるで私に現実を突きつけるかのようで、もし父の言葉が嘘だったら…などという甘い考えをあっさりと否定してしまうのだった。
「…………はあ…。」
私は小さく溜息をつき、人垣から数歩ほど離れる。
……どうしてこんなご神託が……。…………ミシェルは大丈夫だろうか…。
「あ、セシリア。おはよーう!」
すると突然、背中から声を掛けられる。そこにいたのは学友の一人のヘレンだった。
ヘレンは手を振りながら私に歩み寄る。
「……ヘレン、ご機嫌よう。ヘレンも掲示を見にきたんですわね。」
「うん。昨日パパから聞かされたけど、やっぱり公式な発表を見ておきたくてさ。セシリアも?」
「はい…。……そうですわ。」
私は力なく頷く。
「……どうしたのセシリア? 元気ないね。なんか目が赤いよ?」
そう言いながらヘレンは私の顔を覗き込んでくる。私は泣き腫らした目元を見られまいと、思わず顔を逸らした。
「なっ、なんでもありませんわ。大丈夫です…。」
「そう? それじゃ一緒に学校行こ! 遅れちゃうよ!」
私の沈みきった心とは対照的に、ヘレンは晴れ晴れとした笑顔で私の手を取る。私は手を引かれるままに歩を進め、学校へ向かうのだった。
広場を離れる際、後ろ目にちらりと掲示板を見る。
掲示板の周りには変わらず人だかりがあるが、私にはそれがまるで動けないミシェルを多勢で取り囲んでいるかのように見え、より胸を傷ませた。
「いやー、なんか今回のご神託って変わってるね! あれって誰かが魔王を倒しに行くのかな?」
びくり、と肩が跳ねる。
……あんな異例なご神託を見て、話せる学友が側にいたのなら、話題にするのは当然だった。
「さ……さあ。どうなんでしょう。…………。」
「右手に火を、左手に雷を…ってさ、火と雷の魔法が使える人ってことなのかな。そんな人いっぱいいそうだけどねぇ。私も火系だし!」
ヘレンは当然、ミシェルのことなど知らない。まさにこの内容通りに、右手に火を、左手に雷を纏う人の存在など、……火と雷という2系統の魔法を同時に使える男の子の存在など、知る由もない…。
だから、こうして他人事のように話すことができる。まるで今日の天気や最近見つけた素敵な服の話をするかのように気軽に、会話を楽しむ材料の一つとして口にすることができる…。
私はヘレンの言葉に何も返すことができず、ただうつむいて歩くしかできない。
ヘレンはさすがに私の様子がおかしいと察したのか、何度も大丈夫かと声を掛けてくれるが、私は大丈夫だと答えるしかなかった。
掲示板の広場から私たちの通う学校まではほどほどに近い。
学校の門に近づけば当然他の学友たちとも合流し、朝の挨拶を交わすことになる。そうして必然的に集団となり、皆それぞれの教室を目指すのだ。
そして仲の良い子同士で勉強の話や魔法の話、流行りの服の話などが繰り広げられるが、ご神託の日の翌日は当然、ご神託の話が話題の中心となる。
…とは言っても、例年ご神託で告げられるのは向こう一年の経済やお金の周り、農作物のことや災害、流行病などのことである。
もっぱら社会を動かしている大人たちに関心のあるような事柄ばかりで、学生である自分たちにはそれほど興味のないことがほとんどだ。
それでも、12歳を迎えたら一人前の大人だとするこの国の風潮は私たちに背伸びをさせて、ご神託の話題を話すようになったら大人の仲間入りであるかのように、意識してご神託の話を持ち出させるのだ。
……しかし今回は少し違う。
知識や経験の少ない学生であっても、誰かと共有して語り合うにはあまりにも丁度いい内容が、ご神託で降ったのだ…。
「ねーねー、昨日のご神託さぁ…。」
「誰かが魔王城を目指すって言ってたよね!」
「魔王倒してくれるのかな?」
「わっ…、私火系なんだけど、旅立たないといけないのかな!」
「あんた女じゃん! あははは!」
……そんな会話が、学校のいたるところで交わされていた。
その賑わいは例年の比ではなく、噂話が大好きな年頃の学生にとっては絶好の話の種だった。
当然、私はとてもそんな輪の中に入ることができない。私は教室に到着すると自分の席に座り、ただひたすら時間が経つのを待つのだった。
……右手に火を、左手に雷を宿した勇敢なる男子が旅立ち、魔王城を目指す。
女神様の降したご神託は、こうした噂話によって街全体に拡散していく……。
私はできるだけ周りの会話を耳に入れないために今日の授業の予習をしようと教科書を開くが、当然集中できるはずもなく、ただ意味もなくページをめくっているだけだった。
始業前の教室の喧騒の中、一人の学友の声が耳に入ってくる。
「わ…私、火系と雷系の魔法使える男の人知ってます…!」
ドキン、と心臓が大きく鳴った。
思わずその声の方を見ると、少し離れたところで5人ほどの学友たちが輪を作っていた。その中で一人の女子が不安そうな顔をし、みんなの注目を浴びている。
……私は願う。……お願いだから、ミシェルの名前を出さないでほしい。
ミシェルはただの冒険が好きな、ちょっと意地悪だけど優しい男の子なんだ。これ以上彼に注目を浴びせるようなことはやめてくれ。
魔王を倒しに行くなどという恐ろしい旅の主人公として、槍玉に挙げるのはやめてくれ…!
「え、それって誰? 知ってるの!?」
「はい…、私の魔法の先生が、火系と雷系の両方を使えるんです! き、きっとマウロ先生が……。」
ところが、彼女の口から出てきたのは別の人物の名前だった。
……私は思わず、安堵の息を漏らす。
…しかし…きっとこの学校の中だけでも、彼女のように心当たりがあると言う人はたくさんいるに違いない。その中に、ミシェルのことを知っている人はいるだろうか…。
「えー、でもそれってどうなんだろ…。なんか、ただ火系と雷系使えるってだけだと、イシュタンバインだけでも結構いそうな気がしない?」
「そうだね…。男子って限定されてるけど、それでもたくさんいそう…。」
「そ…、そうでしょうか。…そっか……違うのかな……。」
これ以上、ご神託の話を聞きたくない。ミシェルの名前が出てくるかもしれない恐怖がこれ以上続いてほしくない。そう思い、私は耳を塞ぐ。
……父の話では、ミシェル・ファーレンハイトに魔王討伐の命を与えるということは既に決定事項らしい。
それならば、この学校の生徒たちがどうこう言ったところでその決定は覆ることはないし、この教室でミシェルの名前が出ようが出まいが関係なく、その決定はミシェルの元へ伝えられるのだ。
それなのに私には、今この教室でミシェルの名前が挙げられてしまうことが、…………いや、今この場でミシェルの名前が誰かの口から発せられ、私の耳に届くことこそが、ミシェルにその絶望的な未来を与えてしまうように思えて、少しでも周りの音が耳に入らないようにと耳を塞ぐのだった。
……到底論理的ではない。
先ほどあの子がミシェルではなく自分の魔法の先生の名前を挙げた時、私は安心した。
……しかしきっと彼女にとっては、自分の先生がその対象になってしまうのではと不安で仕方なかったはずだ。
むしろ彼女にとっては、ミシェルの名前が挙げられた方が、完全に他人事でいられることができて安心なのだ。
…………誰だってそうだ。誰だって、自分の親しい人がそんな危険な旅に出させられるなんて考えたくないし、認めたくない。
さっきあの子が自分の魔法の先生の名前を挙げた時、私は安心し、どうせならその先生だったらいいのにと考えてしまった。
自らの保身のために他者を差し出し、結果的に他者の不幸を願ってしまう。…そんな自分が、いた。
「…………っぐ、…う…っ。」
ギリギリと胃が痛み、吐き気がしてくる。胸の動悸が止まらず、体温さえ上がってきている気がする。
不安と恐怖、そして自己嫌悪で心が押し潰されそうになる。
私はなんて罪深い、愚かな人間だろう。
ああ女神様、願わくばその御言葉で私を癒してください。
…そして願わくば、どうかそのご神託をなかったことにしてください……!
………ミシェルを助けて……!!
「ちょっと……セシリア大丈夫!? 吐きそうなの?」
「ど…どうしたんですかセシリアさん!? …い、医務室に…!」
私の様子を見た学友たちがざわざわと集まってきて、私を介抱してくれる。
治癒魔法の使える子が魔導書を取り出して治癒魔法のヒールを掛けてくれるが、精神的なことが原因である私の症状には効果がなかった。
私は学友の肩を借りて教室を出て、医務室で休むことになった…。
医務室のベッドの上で仰向けに寝転びながら、私はぼんやりと何もない宙を見つめていた。
教室の喧騒から離れたおかげで少しは落ち着いたが、相変わらずキリキリと胃の痛みは続いていて、ミシェルへの憂いと共に私を苛んだ。
「………………謝らなくては……。」
ぽつりと独り言を呟く。
…そうだ。ミシェルに謝らなくては。
『……………私、…貴方のこと…嫌いですわ…。……貴方のこと見てると、…惨めになるんですのよ……。』
昨日ミシェルに掛けてしまった言葉を思い出す。
私のためにたくさんの話を聞かせてくれたミシェル。綺麗な石や花をお土産に持ってきてくれたミシェル。甘くて美味しいアイスを食べさせてくれたミシェル。
そのミシェルに、私はなんと心ない言葉をぶつけてしまったのだろう。
…旅立ってしまう前になんとか会って、一言謝らなくては…。
けれど、私はミシェルの家の場所を知らないし、彼が普段どんな生活をしているのかも分からない。彼の通う学校ですら場所を知らないのだ。
この街を闇雲に探し回ったって、会える可能性は低い…。
これまではミシェルの方から私のところに来てくれていたから会うことができたが、私の方から彼に会いに行ったことは一度もない。
……今更ながら、どうして家の場所くらい聞いておかなかったのかと後悔する。
…それなら、また彼の方から私に会いに来てくれないだろうか。
これまではミシェルが私の都合に合わせ、毎週決まった曜日の決まった時間に来てくれていたから会うことができていた。
次のそのタイミングは、いつも通りならば3日後。もしもミシェルが会いに来てくれるなら…。
「…………さすがに……虫が良すぎますわね…。」
ミシェルにあんな酷いことを言っておいて私のところへ会いに来てほしいなど、自分勝手な妄想だ。
私はごろりと寝返りを打ち、下唇を噛む。
…………もしも、…もしも一縷の望みがあるとするならば、王政からの命をミシェルが断り、旅立ちを拒否してくれることだ。
……しかし、それをしてしまうと「女神様のお告げに背いた」ということになり、その噂はきっと悪評となってミシェルに肩身の狭い思いをさせ続けることになるだろう…。
それからしばらく、私はベッドの上でなんとかミシェルに会う方法を色々と考えるが、いつの間にか瞼を閉じ、眠りについていた。
目が覚めたのは、ちょうどお昼の休憩時間になってからだった。
起き上がると胃の痛みも消えていて、なんとか午後からの授業を受けられそうな精神状態を取り戻していた。
医務室を出て教室へ戻ると、心配してくれていた学友たちが近付いてきて声を掛けてくれる。……その心遣いは、素直にありがたかった。
幸いにも休憩時間は始まったばかりで、友人たち数名と一緒に食堂へ向かい、昼食をとる。この時間になるとさすがにご神託の話題も話し尽くしていたらしく、食事中は授業のことや最近の流行のことなどで盛り上がり、無難な時間が過ぎていった。
そしてあっという間に時間が過ぎ、放課となる。
結局学校にいる間はミシェルの名前を聞くことはなかったし、ご神託のことについて新しい情報が出てくることもなかった。
私はミシェルのことについて何か情報が手に入らないだろうかと考えながら、足早に帰宅する。
……本音ならば、今日はこれから街を歩き回って情報収集をしたいところなのだが、今日は魔法の課外授業の日だった。
「……先生、今日もよろしくお願いいたしますわ。」
「ええ、よろしくねセシリア。」
屋敷の一室で、私はぺこりと頭を下げて先生に向き合う。
テレーゼ・クロンティリス先生は非常に優れた光系の魔法使いで、3年前から私の師匠として魔法の手解きをしてくださっていた。
先生のおかげで私は魔法技術がぐんと向上し、治癒魔法の分野で学校のトップになれたのだ。
優しいだけでなく厳しさもあって、いくら感謝と尊敬をしてもやまない、大好きな先生だった。
「それじゃ、いつものように基礎をやろっか。」
「はい。」
私は薄く目を閉じ、ふーっと息を吐いて呼吸を整える。
全身の力を抜き、身体の中に意識を向けて、身体を循環する生命エネルギーを感じとる。
…やがてそれは薄い光となって発現し、私の身体を覆う……。
「…………うん、いいわね。そのまま続けて。」
今やっているのは、魔法を使うための基礎トレーニングだ。
魔法を使うためには身体の中の生命エネルギーを感じ、それを自在に操れるようにならなければならない。
そのための基礎として、生命エネルギーを光に変えて体外へ放出するという訓練を行うのだ。
その光はとても不安定なもので、膜のようにゆらゆらと身体の表面を薄く覆っている。その膜をいかに安定させ、揺らぎを抑えて長時間維持するかというトレーニングである。
優れた魔法使いほどその揺らめきは少なく、光量や膜の厚みを長時間一定にし続けることができる。
この状態を維持するにはかなりの集中力を要し、個人個人の資質や才能、肉体的な疲れや精神状態などによって大きく左右されるのだ。
先生に魔法を教わる時はいつも必ずこの基礎から始めることになっているのだが……。
「……セシリア、どうしたの? いつもよりすごく不安定…。…何か悩み事でもある?」
「………………う。」
……このように、悩み事があればその精度に即座に影響を及ぼし、先生ほどの魔法使いにはすぐに看破されてしまう。
私は心を無にしようと努めるがなかなかうまくいかず、意識すればするほどに光の膜はゆらゆらと揺らめいていく…。
…ちなみに、この身体が薄く発光した状態を保ったまま、頭の中で魔法の陣と公式を組み立てていく作業のことを「詠唱」という。
それはまるで頭の中で一つ一つブロックを積み上げていくような、あるいは紙に書かれた文字を一文字ずつなぞっていくような作業で、凄腕の魔法使いほど詠唱の時間も短くて済む。この詠唱が終わった段階でその魔法名を口にすれば、魔法が発動する。
この身体に光を纏っている状態は、いわば魔法を使うための準備段階であり、私たちは「待機」と呼ぶ。
いかに円滑にこの待機状態を作り出し、素早く正確に詠唱を行うか。簡単に言ってしまえばそれが、魔法使いが魔法を使う現場で求められる技術である。
高度な魔法ほど公式も複雑で、詠唱にも時間が掛かるし間違えやすい。
「……基礎はこれくらいにしましょう。…ちょっと不安だけど、今日はちょっと新しいことやろっか。」
「…………はい。」
先生は一冊の魔導書を私に差し出す。それは肉体補助系の魔法が多く収録された中級者向けの魔導書だった。
これまで治癒系の魔導書ばかりに集中して取り組んできた私にとっては初めての魔導書で、いつもならばその新鮮さと期待で胸が膨らむところのだが、さすがに今日ばかりはそういう気持ちになれなかった。
頭の中はミシェルのことばかりが駆け巡り、なかなか目の前の授業に集中できない……。
結局、ろくに集中できないまま授業は終わりを迎え、私は玄関で先生をお見送りしていた。
散漫になっていたことを途中で何度も先生に叱られ、貴重な時間を頂いているのにと申し訳なさが募る。
「セシリア…。……本当に大丈夫? 何があったの?」
そう尋ねてくる先生の表情は心配だろうか。それとも…呆れだろうか。
「…………先生。…精神状態をケアする魔法ってご存知ないでしょうか…。」
「………………。…残念だけど、魔法の源は精神力なのよ。肉体の健康ならある程度魔法で癒せるけど、精神状態ばかりは魔法ではどうしようもないわ。……強いて言うなら、闇系の魔法で洗脳するくらいね。」
魔法を使うためには集中力が必要で、そもそも集中するためには健全な精神状態が必要となる。
いくら肉体が健全であっても、不安や恐怖、怒りなどの要因によって精神状態は簡単にぐらつくのだ。…原因を取り除かない限りは、健全な精神状態を保つのは難しい。
ミシェルに会いたい。ミシェルに謝りたい。そんな気持ちばかりが心を支配し、今の私は到底魔法どころではなかったのだ。
「……何があったのかは聞かないでおくけど、次までに復習はちゃんとしておいてね。…それじゃ。」
「あ、ありがとうございました。その…今日はすみませんでした……。」
私は先生に深々と頭を下げる。先生はにこりと微笑んで、背を向けて歩いていった。
約束の旅 しろてつや @sirowizard
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