第2話 此岸をさまようモノ

まほろとみすずを導くように、月明かりがうっすら道を照らし出す。ハイキングコースも、夜ともなればひとっこひとり通りやしない。ザワザワと枝葉が揺れる音が不気味に響く。元より怖がりのみすずは、まほろの手をぎゅっと握りしめた。

「おねえちゃん、やっぱり帰ろうよ」

「もう、みすずは怖がりだなあ」

まほろとみすずは双子の姉妹、鏡に映したようにふたりはよく似ている。ただ、まるで気質が違うので、ふたりが呼び間違えられることはほとんどない。好奇心旺盛でなんにでも飛び付くのがまほろ、臆病で引っ込み思案なのがみすずだ。

「ばんちゃんとふーちゃんは強いんだから、なんにも恐いことないって。でしょ?ばんちゃん!」

まほろはぱっと笑顔を花開かせて振り返る。そこには常人の目には映らない影がふたつ。鎧兜に身を包み、馬にまたがるその姿は絵巻物さながらの出で立ちである。

「そのふざけた呼び方はやめろ、まほろ!」

「やだっ!ばんちゃんはばんちゃんだもん!」

鼻息荒く武者が叱責するのにも、まほろはめげない。彼らを乗せた太い馬が、ばんえい競馬のようなので「ばんちゃん」。まほろは武者にそう名付けた。

「ふーちゃんも、ふーちゃんだからね!」

「承知しております」

頷くのに従って、滝のような黒髪がサラリと揺れる。それが昔飼っていた愛猫を思わせたので、同じ名前をまほろは『彼女』に与えた。その女は化粧もしていないのに肌が白く、頬にはほんのりと朱がさしていた。重たげな鎧を涼しい顔で着こなす彼女を、まほろはいたく気に入っている。

「まったく、この俺にとんだ名前をつけおって…」

武者が眉間にしわを寄せると、まほろの肩口からにゅるりと白蛇が顔を出す。これもまた「この世ならざるもの」であった。

「ですが旦那。旦那と姐さんを憑依させられるような依り代よりしろは、この双子くらいでやす。辛抱なすって」

「分かっておる!……獲物の方はどうだ?」

「しばしお待ちを。……まほろ」

「OK!私、これ、好き」

女武者の姿が夜闇に溶けるように消えると、かわってまほろの手の中にすらりと長刀なぎなたが現れる。それをまっすぐ立てて持つと、まほろはパッと手を離した。すると石突きは、中空で見えないなにかに当たったようにコンと音を立てる。そしてそこから波紋が広がり、まるでまほろの足元だけ水に満ちたようになる。波紋が消えると、波が押し返すようにいくつかの円が連なって押し寄せた。

「あっちだね!いっぱいいる!」

まほろは嬉々として前を指差す。彼女が言う方へ向かうと、視界が開けた一角に出た。そこからはキャンプ場を見下ろすことができる。まほろの背後に女武者が再び立ち現れる。

「…殿。あれにございましょう」

武者はニヤリと口角を上げた。

「ほぅ、雑魚ばかりだが数はいるか」

ランタンの火が消えたキャンプ場に、人影が十重二十重とえはたえうろついている。傍目にはそれは、夢遊病の人が大勢うろついているかのように見えるかもしれない。でも現にその光景を目にしたのは、まほろ・みすずの双子とその背にいる霊達だけだった。そして彼女らの目には、湖畔をさまよう人にまとわりつく影がはっきりと見えている。みすずは思わず目をつむった。

「怖いよぅ。ぼろぼろの人いっぱいいる…」

反対にまほろは目をきらきらとさせる。

「よーっし!ばっさばっさいこー!」

まほろは今にも駆け出しそうな勢いだ。しかし武者がそれを許さない。

「二分しては手応えがない。お前は控えておれ」

「えーっ!またふーちゃんと見てるだけなの-?つまんなーい」

「また私が行くんですかぁ?」

まほろとみすずが同時に嘆く。正反対の不満を口にする双子を前に、武者は苛立ちを露わにする。

「とりかえばや、と言いたいのは俺の方だ!」

白蛇は各々をなだめるように首を揺らす。

「五行が同じもくでやすから、旦那の器はみすずが最良。これもなにかの宿世すくせと思ってあきらめなすって」

「そういうことだ。みすず、とっとと出るぞ」

「うう…」

みすずはそっと目を閉じた。武者の姿が消えると同時に、ふわりとみすずの身体が浮き上がる。みすずの手の中には手綱があらわれ、その先には一頭の馬がいる。その毛並みは美しく、闇に鬼火がさまようのにも似ていた。どっしりと筋肉をまとった太い脚が、ごっごっと地を鳴らす。それはまるで、主の命を待ちきれないとでも言うようだった。目を開けると、みすずの顔から弱気な表情が消え、不敵な笑みが浮かぶ。

「はいっ!」

どっとみすずが馬の腹を蹴る。馬は一声いななくと、一直線に坂を駆け下りていった。みすずの身体が馬と一体になったように揺れている。その振動は武者に生の感覚を呼び起こした。みすずの瞳がらんらんと燃える。

「いいなー、ばんちゃん楽しそう」

片割れの背中を見送って、まほろはそう羨んだ。

「ええ…。山懐は殿の最も得意とされるところです」

月夜の湖畔に馬は躍り出た。みすずが手をかかげると、そこに太刀が現れる。みすずは太刀で風を斬りながら、馬を走らせた。

「はーっはっはっ!どれ!楽しませてもらおうか!」



『キャンプ場利用客30名が緊急搬送されました。伊豆市では熱中症による集団搬送が相次いでおり、市は注意を呼びかけています。ニュースは以上です。まもなく正午をお知らせします』

輔は晴香の家でそのニュースを耳にした。思わず、カレーを食べる手が止まる。

「最近ほんと多いわねえ」

麦茶片手に、晴香の母がつぶやく。

「輔くんも気を付けるのよ。今日もトレーニング行くんでしょう?」

「はい」

「水分補給こまめにね。この間みたいに倒れちゃうわよ」

「……はい」

「? 輔くん、オクラ苦手だったっけ?」

「い、いえ、そんなことないです!」

どこかぎこちない輔の返事に、晴香の母は首をかしげる。無理もない。彼女には自分の前にいる男の姿は見えないのだから。

「輔、腹でも痛いのか?たしかにこの煮物、見た目は泥のようだが、晴香殿が作ってくれたのだからうまいじゃろう。すべてたいらげねば男がすたるぞ??」

ーーうるっせえええええええ!!!!!

と叫べない分のパワーをぶつけるように、輔はがつがつと夏野菜を口に運ぶ。このお節介な霊と、輔が出会ったのが一昨日のことだ。


紅蓮と出会ったあの日、輔は家に着くなり、がくりと膝を折った。這々ほうほうていでなんとかベッドまでたどりついたが、どうにも手足のしびれや汗がとまらない。気後れしたけれど、輔は晴香の家に電話した。父親と二人暮らしだから、輔は家にひとりでいる時間が長い。そんな輔をいつも気にかけてくれるのが、晴香と彼女の母親だ。

「お母さんがおかゆ作ってくれるって。はい、ポカリ」

「悪ぃ…」

重たい腕で輔はペットボトルを受け取る。身体を起こすと、頭がぐらぐらした。

「う…」

輔は思わず手で顔をおおった。自分の弱っている様を、輔は人にほとんど見せない。そういう性格を知っているからこそ、晴香の胸はずきりと痛んだ。

「ねえ、紅蓮さん。これってやっぱりヨリシロになったからなの?」

ーー私をかばおうとしたから…

晴香は不安に揺れる瞳で枕元の方をあおぐ。そこには先ほど現れた謎の霊・紅蓮があぐらをかいて浮いている。紅蓮は、ふむと腕組みした。

「どうかのう。そのへんはわしには分からん」

「無責任かよ…てかおっさん、まだいたのか」

「やらねばならんことがあるからな」

「紅蓮さんはなにをしたいの?どうして私たちを助けてくれたの?」

そう聞き返す晴香を紅蓮は指差す。

「そなたたちが、わしのなすべきことに関わっていたからだ」

「私たちが?紅蓮さんのなすべきことって?」

晴香が矢継ぎ早に質問するのを、紅蓮はまあまあと制する。

「順を追って話す。晴香殿。そなた、もとより、霊につけられやすいであろう?」

「う、うん…」

「それはそなたの『力』に寄りついておるのだ。花の香りに虫が寄せられるように、霊は強い力に寄っていく。あるいは救いを求め、あるいはその類い稀な依り代としての素質に目をつけて」

「ねえ、そのヨリシロって、なんなの?」

首をかしげる晴香の前をすっと白い影が通っていった。

「そのあたりはわたくしがご説明しましょう」

見覚えのある姿に晴香は思わず声をあげた。

「さっきのもふもふの子!」

「もふ……?」

輔は重たいくちびるで晴香の言葉を繰り返す。と同時にその口から、ほうと息がもれた。

ーーつめて…

ほてった首筋にひんやりと心地よい重みが伝わる。「もふもふ」という語感に反したその感触は、それが「この世ならざるもの」であると輔に直感させた。

「さっきの落武者さんが蛍みたいになったとき、このもふもふちゃんが現れたの。なんて言ったらいいかな。オコジョと、キツネと、ダックスフンドを足して割ったみたいな……」

晴香の言う通り頭の中で演算してみて、輔はニヒルな笑みを浮かべる。

「幽霊の次は妖怪か?今日は妙なのがわんさか出てくるな……」

「妖怪とは失敬な。わたくしは人間がミサキと呼ぶところの神使しんし。見た目からクダギツネと呼ぶものもあるようですが」

輔の首に巻き付いたそれは凛とした声をしていて、どこか神秘的な空気をまとっている。

「輔の具合はどうじゃ?」

紅蓮が問いかけると、クダギツネは白い尾をふわりと揺らした。すると輔の首もとがぽっと明るくなる。思わず晴香が身を乗り出すと、輔の首には翡翠色の数珠のようなものが下がっていた。晴香の脳裏に先ほど目にした光景がよぎる。

ーーさっきの落武者さんの首にあったのと似てる……

ただ、ぼろぼろに朽ちていた落武者のそれとは違い、輔の首にあるものはしっかりと玉がつまっていて、玉ひとつひとつがつややかに光っていた。その不思議な輝きにしばし目を奪われていたが、晴香はあることに気づいて顔をあげる。

ーーそよ風…?

窓を開けているわけでもないのに、輔の髪がさわさわと揺れている。

の気のあなたに対して、彼はもくの気。火をあおる風であり、薪でもある。あなたを使役する際、この者は己が身を消耗しやすいのです。まあ、鍛練すればそれにも耐えうるでしょう」

クダギツネがもう一度白い尾をふると、数珠のようなものは見えなくなって、風もやんだ。

「ねえ、今のって…?それに、輔が薪ってどういうこと…?」

晴香が問いかけると、クダギツネは謹厳とした口調で語りはじめた。

「今のは霊魂の本質です。その者の力の源であり、また、その者の属する五行をあらわすもの」

「ごぎょう?」

「この世は陰陽五行のことわりの上に成り立ち、森羅万象はすいごんもく、いずれかの気を伴います。紅蓮は火の気、輔は木の気。相生そうせいの関係にある五行ですから、紅蓮は輔に憑依することでいっそう力を増す、というわけです」

そのとき輔がふーんと声をもらした。

「…じゃんけんみたいなもんか」

「じゃんけん?」

晴香は猫のような目をいっそう丸くする。

「木は土に強いけど、金属に弱い、とか、そういうことだろ」

「えーと・・・???」

晴香はものを考えるより感じるタイプだ。理屈を理解するのは得意ではない。疑問符を飛ばす晴香のために、輔はより平易な言い方を試みる。

「木は土に根をはれるけど、斧とか金属で叩かれたらイチコロだろ?そういう具合に五つの要素が、これはこれに強い、これはこれに弱い、ってなってるってこと」

「おー、なるほど!」

晴香がぽんと手をたたくと、クダギツネもぱたぱたと尻尾をふってみせる。

「智恵は働くようですね。ものの言い方はなってませんが、少しはあなたのことを認めました」

「そんなえりまきみたいな格好で言うことかよ……」

「おや、不満ですか?気にくわないならどきましょう」

クダギツネはとんと輔の肩を蹴ると、晴香の肩に飛び乗った。

「やれや、れ……?」

輔は肩をぱっぱっと払おうとして、ふと気づいた。

ーーさっきまですげー身体重かったのに…

不思議そうな面持ちで、輔は手を握ったり開いたりする。手足がうそのように軽くなっていた。

「気付いたようですね。わたくしがあなたに気を送って差し上げていたのですよ。どけと言われたのでどきましたが」

「冷えピタならぬ、クダピタちゃんだねえ!ありがとう!」

晴香はクダギツネの耳のあたりをよしよしと撫でてやる。といっても、紅蓮同様、触れるわけではない。正確には撫でる仕草をしているだけなのだが、それでもクダギツネは気持ち良さそうに目を細めた。

「・・・なるほど、依り代として求められるはずです。今時これほど強く、清々しい気を持つものはいません。家系でしょうか」

「うちはオガミヤだったんだよって聞いたことあるけど」

「拝み屋…民間の霊能者ですね。では術式の手ほどきなどは?」

「時期が来たら教えてあげるって言われてたんだけど、教わる前におばあちゃん死んじゃったから…」

「お母上かお父上は?」

「ふたりとも霊が見えないの」

「それゆえ力の扱い方を知らない、と」

「力の扱い」という言葉に、晴香はハッとした。

「私も・・・なにかできるようになる?」

ーーそれなら…

今日起きたことがフラッシュバックのようによみがえる。級友の青ざめた顔、じっとりと汗がにじんだ輔の手。

ーーもう、誰にも、あんな思いさせずに済む

「無自覚なのですね」

クダギツネは晴香の手の中からするりと抜け出た。そして、ふわりふわりと宙を蹴ると、晴香の目の前で足を止める。漆色の瞳がじっと晴香を見据えた。

「あなたなら五尺の魂はもちろん、強力な五事ごじを持つ霊を憑依させることが可能でしょう」

「・・・それって、すごいこと?」

そうであってほしい、という気持ちをこめて晴香はそう問うてみる。

「だからこそ霊が寄ってくるのではありませんか。いいですか、五尺というのは」

「そんな説明いい」

低く、短く、クダギツネの言葉を遮ったのは輔だった。その声にはじかれたように、晴香は輔の方を振り返る。

「輔?」

輔は応えなかった。眉間にしわを寄せて、じっと押し黙っている。

「ようは・・・晴香が強い霊を憑依させられるってことだろ?」

晴香ははじめ、それになんの問題があるのか分からなかった。けれど、しばらくしてある考えにいきあたり、甘やかな思いがほんのりと胸に広がる。

ーー心配、してくれたのかな?

と思ったところで、我ながらご都合主義すぎる想像に、晴香はわーっと声をあげて頭を抱えたいような気持ちになる。

けれど、実際の輔の胸の中では「心配」という一言では片付けられないような気持ちがうずまいていた。焦りや怒りにも似たその気持ちは、ひどく輔の胸をかき乱す。

ーー・・・もやもやする

「わしが五尺じゃ。五事は『視』」

と、そこへ、自分を忘れてくれるなとばかりに、紅蓮がひょいと顔を出す。

「・・・だから、いいっつってんだろ」

「まあ、そう噛みつくでない」

憮然とする輔に、紅蓮はずいと歩み寄って耳打ちした。

「本当にこの娘を守りたいなら、最後までよう聞け」

それまでの飄々とした調子とは打って変わった、真剣な声色。輔の背筋に緊張がぞくりと走っていく。一言一言粒立てるように言われたせいか、「本当に」という言葉が妙に耳に残って、輔は思わず言葉を失った。

「もう話してもよろしいでしょうか」

と前置きして、クダギツネは陰陽五行の理について再び語り始めた。

「霊達は己のまとう五行に基づく特殊な力を有します。それが『五事』です。紅蓮殿の五行は『火』、火の五事は『視』。紅蓮殿には先を見通す力があります。それにより紅蓮殿は怨霊の出現を予見したのです。それを討つことこそ紅蓮殿の宿願」

「・・・それがおっさんの言ってた『なすべきこと』ってわけか」

冷静さを取り戻そうとするように、輔は淡々と頭の中を整理する。

「さよう」

「で、その、予見とやらによると、その怨霊ってやつはいつ、どこに現れるんだ?」

紅蓮の答えは意外なものだった。

「そこまでは分からん」

「分からんって・・・なんだよそれ」

てっきり1999年7の月・・・といった、予言によくある「お決まりの形」を示されると思っていた輔は頓狂な声をあげてしまう。

「わしが五事の力で見るのは『この先起こることのあらまし』じゃ。それがいつ、どこの出来事なのかまでは分からん」

「それに、血縁者でもない限り、特定の亡者の居所を探ることはできないのです」

クダギツネの言葉に、輔は自分の胸がどくんと大きくはねるのが分かった。

「・・・・・・血が繋がってたら、死んだ人の居場所、分かるのか?」

「玉の緒をたぐりよせればいいのです。玉の緒は記憶をつなぎ止めるだけでなく、縁をつなぎあわせるものでもあります」

「そうなんだ!素敵だね」

ぱっと笑顔を咲かせる晴香に対して、輔の表情は物憂げだ。でもそれはあまりに些細な変化で、晴香ですら輔の異変には気づかなかった。

「でもそうしたら、紅蓮さん、どうやってその怨霊を見つけるの?」

「そこでクダギツネ殿の世話になっておるわけだ」

「クダちゃんの?」

「個人を探すことはできませんが、此岸しがんーーこの世をさまよう霊魂の気配自体は私が感じ取れます。私が紅蓮を見つけたのもこの力によるものです」

「じゃあ、キツネが気配を感じたらそっちに行く、っていうのを繰り返せば、その怨霊にいつか行き着くってわけか。・・・えらい遠回りな話だな」

「輔の言う通りじゃ。だからわしがそやつを追いかけて・・・千年は経ったか」

「千、年・・・!?」

想像も及ばない永い時に、輔と晴香は絶句した。

「・・・そんなに長い間、ずっと探してたなんて・・・ねえ、紅蓮さんは、いったいなにを見たの・・・?」

自分が見たものをまぶたの裏に描くように、紅蓮は目を閉じる。ふたたび目を開いて言った言葉には、「必ずそれを止めてみせる」という決意がにじんでいた。

「・・・怨霊が生者を操り、人をあやめさせる姿だ。それも一度や二度ではない。だれかがそやつを止めぬ限り、永遠にそれが続く」

「あやめさせる…って?」

問いかける晴香の様子があどけないだけに、輔はその意味を答えるのを少しためらった。

「……殺させる、ってこと」

「こ……!?」

晴香は思わず口をおおった。輔はじっと押し黙っている。反応こそ違うが、ふたりは同じように「終わりのない殺戮」に衝撃を受けていた。

「どう、して、そんなこと・・・」

晴香の口からはそんな言葉がもれでていた。

「あやめた人間の霊魂を己に取り込むためだ。それを繰り返し、八尺邇やさかにの霊となろうとしている」

「ヤサカニ、ってのは?」

「玉の緒の丈です。通常なら人は死ぬとき玉の緒が千切れて、魂…記憶のつまった玉が散り散りになります。そうして形を失い、自分が何者であったかを忘れ、彼岸へ渡るのです。それがこの世の正しい在り方」

「彼岸って…お彼岸のヒガン?」

日常からかけ離れた言葉の中から、かろうじてその一言を晴香は拾い上げた。

「ええ、『あの世』とあなた方が言う世界です。ですがこの世に強い遺恨を残していると、玉の緒が結ばれたままとなります。そして死の直前の姿を保ち、此岸を彷徨うことがある。このときの玉の緒の丈が一尺です」

「一尺」という数えかたに反応したのは輔だ。

「おっさんは五尺って言ってたよな?」

「そうじゃ」

「記憶は意志の跡。意志はすなわち己です。強い意志を持って死んだ者は、よりはっきりと己の姿を保つことができる。己の最も生気に満ちた姿でもって、此岸に留まるもの。この玉の緒が五尺。通常はこれが限度です」

「ヤサカニはその限度を超えたヤツ、ってことか・・・」

「そういうことです。他人の霊魂をんで、常軌を逸した力を得たもの、それが八尺邇の霊」

「そいつをただの『霊』とは分けて『怨霊』って呼んでるわけだ」

「さよう。その怨霊は霊魂を食み、力を蓄え、備えておるはずだ」

「なにに?」

紅蓮は静かに首を横に振る。

「…そこまでは。だが、わしがこうして探しあぐねている間も、そやつは非道を重ね、着実に力を肥やしておるはず。これ以上、野放しにするわけにはいかんのだ」

「…と言い張る紅蓮に目的を達成させ、彼岸へ渡すのが私の使命です」

言葉に熱がこもっていく紅蓮に対して、クダギツネは淡々としていた。

「キツネはずいぶんドライなんだな…」

「人の道など知ったことではありませんからね。私のなすべきことは、乱された理を正す、それだけです」

「…怨霊をおっさんに成敗させて、おっさんがあの世に行けば万事まるくおさまるってか」

「まあ、そうなります」

「ずいぶんな言われようだぞ、おっさん」

「わしはクダギツネ殿がいなければ、あてどなくさまようしかない身じゃ。気にせん」

「ねえ」

晴香はじっと紅蓮を見つめた。肌の感じからすると自分の父親よりは若いくらいの年齢だろうか、とそんなことに思いを馳せる。

「紅蓮さんは千年間、ずっとひとりでこの世をさまよってたの?」

「そうじゃ」

ーーお友達も、家族も、もう向こうに行っちゃったのかな・・・

「・・・辛かったね」

「いや・・・。わしはそれだけのことをせねばならんのじゃ」

「せねばならん」という言い方が、輔には印象深かった。輔には紅蓮の顔立ち、体つき、出で立ち…そういったものは分からない。だからこそ、小さな言葉遣いがとても気になる。

ーーなんか、正義感だけでやってるんじゃなさそうだな

「・・・ともかく、その怨霊を止めることができれば、おっさんは安心してあの世に行くんだろ。でもさ、見つからなかったらどうすんだよ?」

「いや、今度こそ見つかるかもしれんのじゃ。晴香殿、そなたの傍におれば」

紅蓮はごつごつとした大きな手で晴香を指さす。

「わ、わた、私?」

「まさに千載一遇の好機です。この千年でこれほど活発に霊達が動き始めたのは初めてのこと。その中心にいるのがあなたなのですよ」

「『花の香りに寄せられる虫』とわしが言ったのはそういうことじゃ」

「霊は必ず肉体を求めます。八尺邇ともなれば、それに耐えうる器は限られてくる」

「・・・その器として、晴香に目を付けるかもしれない」

静かに、噛み締めるように輔は言った。

「俺たちは強い霊が寄ってきたら困る、おっさんは早く怨霊を見つけたい……いっしょにいればお互いにとって具合がいいわけだ。いいぜ、その話、のった」

すんなりと事態を受け入れた輔に対して、心穏やかじゃないのは晴香だった。

「ま、待って! 私がヨリシロじゃダメ? 私はすごい器なんでしょう? 私・・・!」

ーー自分のせいで、輔が傷つくなんて、イヤだよ・・・!

今まで感じたことがないような不安に、晴香の胸は痛いくらい強く、どっどっと鳴る。しかし、晴香の提案は静かに、きっぱりと却下された。

「それは無理です」

クダギツネはそう言うと、ふわりと尾を揺らす。

ーー光だ

ぼんやりとした明暗しか感じられない輔の目にも、その輝きはしっかり届いた。

「これって、私の…?」

晴香の首には黄金色の数珠がきらめいていて、そこを中心に光が散らばる。

ーー万華鏡の中にいるみたい……

光の氾濫の中で、クダギツネの姿はいっそう荘厳に見えた。

「あなたの五行は金、火の気の紅蓮を憑依させれば、器のあなたが壊れてしまう」

「そんな…」

クダギツネがもう一度尾をふるい、あたりから光が消え失せたときだった。

「なあ」

輔は晴香の方をじっと見据えた。その目に相手が映らなくても、大切なことは相手を見て言う、というのが輔のポリシーだ。

「俺のこと頼りないって思ってんのか?」

「そうじゃない…!そうじゃないけど…!」

晴香は言葉をつまらせる。輔のことは信じている、でも、もしものことがあったら……その想いを、輔の自尊心を傷つけずに伝える術は彼女にはなかった。

「だったら俺のしたいようにさせてくれ」

そう言うと輔は晴香に背を向けた。晴香の胸に鈍い痛みが走る。輔もまた、晴香を傷つけずに自分の想いを伝える言葉を知らない。

ーー俺は、守りたいものを、自分で守れるようになりたい

「なあ、俺の力って、まだ、伸びるのか?」

「伸びるでしょうね。もともと依り代としての素質は、男より女、大人より子どもが強いものですが、あなたは例外のようです。五尺の霊である紅蓮を憑依させた、それで十分あなたの霊性は示されました。おそらくは目が見えないために、その他の力が研ぎ澄まされたのでしょう。修練次第で力はいっそう増すと思われます」

「輔の霊性が増せば、おのずとわしの力をより強く引き出すことができる。修練ならまかせろ。わしの得意なところじゃ。忙しくなるぞ。よき深山幽谷しんざんゆうこくを見つけねばならん。輔、ついてこれるな?」

顔は見えないけれど、きっと紅蓮は自分を試すように笑っているのだろうと輔は思った。だから、輔もニヤリと不敵に笑って答えてやった。

「上等だ」

強力な第三勢力の登場を、このときまだ誰も予想していなかったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

声が聞こえる 紺藤まこと @mkt_kondo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ