声が聞こえる

紺藤まこと

第1話 声が聞こえる


「髪切った?」

そんな些細な言葉が晴香の視界をにじませる。

「…なんで、分かったの?」

「うーん……機嫌がいいから?」

「……当たり!こんな感じ!どう?」

晴香は輔の手をとって、自分のショートヘアーへ導く。

「結構短くした?」

輔は晴香の癖ッ毛をそっと指先で確かめた。

高野輔、高校2年生。生まれつき、目が見えない。


「そうそう!だって夏休みだもん!夏真っ盛りだよ!だから思い切りショートにしたんだー!」

晴香は夏が好きだ。同じ高校には通えない輔と、多くの時間を共有できる貴重な季節だから。

「俺もそろそろ切るかなー。どんくらい切ろう?」

「んー、いつもの感じなら3cm?でももうちょい切ってみてもいいと思うよ!イメチェン!」

晴香の突き抜けるように明るい声が、輔の耳に心地よく響き渡る。隣の家に住んでいた輔と晴香が、こうしていっしょに過ごすようになったのは何歳の頃からだろう。ふたりはそれを覚えていないけれど、お互いの秘密を共有したことは忘れない。


「はるかちゃん、そのひとに、おへんじしちゃダメだよ。そのひと、ゆうれい」

輔と晴香は「この世ならざるもの」の存在を感じることができる。

「なんでわかるの?」

晴香のそうした感受性はあまりに強かった。あまりにはっきり霊の存在を感じるものだから、生者と区別できないことがあった。

「あのね、こえがちがう」

輔は目が見えない代わりに、音ひとつから多くのものを感じとることができた。個人の区別、そして「故人」の区別。

「たすくくん、すごいね!」

幼い輔にとって、その一言がどれほど嬉しかったか。自分の特異な秘密を話しても、気味悪がらずに誉めてくれる。家族を除いたら、そんな存在は晴香ひとりだった。

「またわたしがおへんじしちゃいそうなときは、たすくくん、おしえてくれる?」

自分を必要としてくれる。輔は幼心にそののことが嬉しかったのかもしれない。

「いいよ」

そしていつしかその思いは「晴香のことは自分が守る」、そんな決意へ成長していった。


ーーでも

輔はそうした晴香への思いを口にしないまま、高校生になった。言ってはいけない気がしていた。

踏切のカンカンと鳴る音が夕暮れ時の風に溶けて消える。

ーー言わないままがいい、きっと

ふたりでよく歩くこの畦道を、あと何年、晴香といっしょに歩けるだろうと。そんなことを思ったときだった。妙な音が輔の鼓膜をかすめる。

「なんか…変な足音が聞こえる」

「足音?」

「ずりずり足を引きずるみたいな…」

輔の耳は、かなり遠くの音をも拾う。晴香は音の所在を探して、あたりを見回した。

「どこ?」

「後ろ……あっ、倒れた」

「えっ!?」

慌てて振り返って、晴香はいっそう驚いた。

「あの子、うちの制服!おーい!だいじょうぶー!?」

このとき、輔も、晴香も、それが自分たちの世界が大きく変貌する予兆とは思いもよらなかった。


「あれ?みっちゃん!?」

倒れた身体を抱き起こして、晴香はそう名前を呼んだ。

「知ってるやつか?」

「うんっ!クラスの子!みっちゃん!聞こえる?」

晴香が、クラスメートの青ざめた顔に手を伸ばしたときだった。

「お前の方が良い器になりそうだ」


ーーまずい!

「離れろ!」

それが晴香に向かって叫んだのか、少女の声の向こうにいる『なにか』に叫んだのか、輔は自分でも分からなかった。本能的なものがそう叫ばせたのかもしれない。晴香は反射的に手を引っ込めようとした。でもそれをクラスメートの華奢な手が、めりりと指先が食い込むほどに強く鷲掴みした。妙にギラギラした瞳で、クラスメートはにたりと笑う。


ーーこの感じ……!

「輔!来ちゃダメ!」

晴香は幼い頃、同じような目を見たことを思い出した。祖母の節くれだった手がそっと自分を抱き寄せてくれた感触と共に、言葉がよみがえってくる。

『あなたはこの家の血を強く受け継いでいる。だから覚えておきなさい。この世ならざるのの存在。その中でもーー』

「みっちゃんになにかとり憑いてる!!」

晴香が叫ぶや否や、『それ』はずるりと姿を現した。

「ほう。依り代に身を隠したそれがしを見抜くとは。巫女かになにかの類いか」

それは映画に出てくる落ち武者さながらの姿をしていた。ただ決定的に違うのは、圧倒的な現実感だ。朽ち果てた鎧兜のきしむ音、かさついたざんばら髪、そして鼻をつく死臭。

「う…っ!」

押し寄せる質感の波に、晴香はよろめく。

ーーこれ、ちっちゃい時に見たのより、ずっと…!

晴香が祖母の背中越しに見たものは、もっと存在感が希薄だった。これほどに、はっきりした存在感を持つものにでくわしたのは初めてで。食い込んだ級友の指先から、ざわざわと悪寒がせりあがる。たまらずその手を振り払おうとするが、級友の青ざめた顔に晴香はハッとした。

ーーみっちゃんが危ない…!

そう思った一瞬に、武者の霊はつけこんだ。スッと姿が消えたかと思うと、級友の目がまたあの怪しい光を宿す。晴香がまずい、と思ったときには、ぐいと腕を引かれ、逆手に締め上げられていた。その力は明らかに大人の男のそれだった。

「ううっ!」

「晴香!」

「おっと動くなよ、小僧。この娘がどうなってもいいのか」

「くっ…!」

輔は二の足を踏んで歯がみする。

ーーどうすれば…どうすればいい?

乱れる思考を、輔は必死にまとめようとする。

ーー晴香も、晴香の友だちも、助ける方法は…!?

そのとき輔の耳に、水のさざめき立つ音がした。

ーー……イチかバチか!

輔は脇の水田に向かって、手にした白杖を放り投げた。バシャンと波立つ音に続いて、水鳥の羽音がバサバサと重なる。武者がふっと短く息を吐き出すのを、輔は聞き逃さなかった。

ーー気が、それた!!

輔はテイクダウンをとるレスリングの選手みたいに、少女の腹に飛びついて、そのままその背を地面につけた。少女はその拍子に晴香を手放す。晴香がどっと膝をつく音を確認して、輔は心の中でガッツした。

ーーよしっ!

少女がじたばた暴れるのを、輔は力いっぱい押さえつけた。

「さっさとこの子の中から出ていけ!」

「こしゃくな小僧め!……チィ!木の気の人間か!」

ーーモクノキノ人間?

輔が思わずそう反芻した時だった。がしっと、頭をつかまれたかと思うと、そのままぐぐぐと輔はのけ反らされてしまった。

「んぐ……っ!」

「五行の分は悪くとも、剛力で負けるそれがしではない!その娘を我が主君に捧げる邪魔立てをするならば!貴様の首、へし折ってくれるわ!!!」

ーーだんだん、力が強くなって……っ!

少女の腕は次第に力を強め、ぎりぎりと輔の頭を引いた。息苦しさと共に、輔の思考は朦朧としていく。そのときだった。

「あなたの目当ては私なんでしょう!?みっちゃんと輔を放して!ふたりには、手を出さないで!」

かすかに声を震わせながら、晴香はそう言い放った。

「ばっ…か!」

「……ほう。殊勝な心がけだ。ならば、我が主君にあいまみえるまで、それがしがお前を依り代としよう。さすれば、この娘は解放する。小僧にも手は出さぬ」

「……わかった」

「やめろ!!!」

晴香をかばうつもりが、逆に晴香を危機にさらしている。そんな自分に輔ははらわたが煮えくりかえった。

ーー晴香を渡してたまるか……!

自分の頭にかけられた手をぐっと握り返す。引き剥がそうと力を込めても、それ以上の力で頭を押さえつけられる。

ーー力が、欲しい……!

強く切望したそのときだった。

「わしの声が聞こえるか」

耳の中で響き渡るような、独特の感覚が輔をおそう。それは、今、対峙している霊とは別の「この世ならざるもの」の声だった。

「ぐわ…っ!」

少女の背でゆらりと武者の影が揺れる。同時に輔の頭にかけられた手がゆるんだ。その訳は輔と晴香にも知れた。

「熱……ッ!」

ふたりは火の粉を払うようにみじろぎした。まるで目の前に大きな火柱でも立ったように、ふたりの身体を灼熱感がおおう。あまりの熱気に頭がくらくらするくらいだった。揺れる視界の中で、晴香はその姿をとらえようとする。

ーーお坊、さん……?

高下駄、黒い僧服、燃えるように赤い髪ーーそうしたものが断片的に晴香の目に飛び込んでくる。筋骨隆々とした太い腕は、教科書で見た僧兵を晴香に思い出させた。

「わしに名を与えてくれ」

それは晴香ではなく、輔に語りかけていた。大きな背中が晴香に向けられている。晴香は不思議とそれを頼もしく感じた。

「そうすればわしはお前の力となれる」

「名前……?力……?」

気づけば輔は、その声に応えていた。それだけ「力」という言葉は輔にとって魅力的だったし、それを語る声を、輔は信じていいように思った。その声は今まで彼が耳にした、どの霊の声とも違っていた。哀しみも、恨み辛みも、迷いもなく。あるのはただ、まっすぐさだけだった。

「この娘を助けたいのだろう。わしとお前がいっしょになれば、それができる。さあ!」

熱に浮かされたような思考の中で、輔はたしかにそれを聞いていた。

「助けたい……!」

「ならば名を!力を与えるにはそれが必要だ」

「なまえ……」

輔の耳の奥で、チリチリと炎のはぜる音がする。そこからひとつの言葉がわいてくる。

ーー紅蓮の、炎……!

そして輔は、火中に身を投じるようにして、腹の底から声を張り上げた。

「お前の名前は『紅蓮』!!紅蓮!俺に力をよこせ!!!」

「あいわかった!!」

そう声が答えた途端、輔は身体がいっそう熱くなるのを感じた。一方、僧形の男の姿は、影が闇に消えるように、輔の身体に重なりあって消えていく。

「輔!?」

晴香は思わずそう呼んだ。消えいく刹那、男は晴香の方を振り返ってニィと口の端を吊り上げた。どこか不敵な笑みだった。

「心安く待っておれ」

男がそう言うと、輔の身体に変化が起きた。外からジリジリと焦がされるような感覚がふっと消えて、身体の奥でなにかがかっかっと燃えているような感じに変わった。血のめぐる、潮騒のような音が輔の耳で響き渡る。

ーーなんだ、これ……?

輔が思わず自分の耳に手をあてがったときだった。

『よくぞ応えてくれた。感謝する』

声が、聞こえた。

「紅蓮……?」

『そうだ。お前を依り代にして憑依した。この声は今、お前にしか聞こえん。お前が心に思うたことも、わしにしか聞こえん。そうだ、名を聞いていなかったな。お前の名はなんという?』

声が響くたび、どくんどくんと輔の胸が脈打つ。血といっしょに、身体中に力がみなぎっていく。

『……輔、高野輔』

高揚感の中、輔は自然と自分の名前を告げていた。

『たすく、か。よい名だな』

そんなやり取りを知るよしもない晴香は、固唾を飲んで輔の様子を見守っていた。

ーー輔……!

突如現れた僧形の男を信じるほかない今、晴香は祈るように手を握り、輔の無事を願うしかなかった。

「……とんだ邪魔が入ったな。どこの坊主か知らないが、邪魔立てするなら消えてもらおう!」

鋭く声をあげて、武者の霊は再び少女の身体に身を隠す。輔の頭をつかむ腕に力がこもる。輔はもう一度その手をつかんだ。

「いなくなるのは、お前だああああ!」

ぎりぎりと筋肉が音を立てそうな勢いで、

輔は思い切り少女の手を引っ張った。

「うりゃあああああ!!!」

ぐぐぐ、と輔の頭から少女の手が離れていく。先ほどまでとは比べ物にならない力がわいていた。

「ちぃ…っ!」

武者にとり憑かれた少女はがばっと足を立てると、そのまま輔を思い切り蹴り飛ばした。

「輔!」

晴香がとっさに輔を抱き止める。

「少しばかり力を得たところで、それがしにかなうと思うでないぞ!」

武者が吠えると、少女の手の中に、どこからともなく一振りの太刀が現れた。同時に少女はひどく咳き込む。

「太刀の顕現ごときで音をあげるとは…やはりこの依り代では具合が悪い。早々に貴様らを片付けて、そこの娘に鞍替えしようぞ!」

輔は自分の肩を抱く晴香の手に、そっと自分の手を重ねた。

ーー絶対に、守る

そう心に誓うと、輔は少女に向かって仁王立ちした。その姿を見て、晴香はふと祖母を思い出す。

ーーおばあちゃんがしてたのに似てる……!

輔は両手でこぶしを握ると、ゆっくりそれぞれの人差し指と中指をそろえて立てた。

『これは刀印。獲物の代わりとなるものだ。あの程度の相手なら、これで十分。輔、お前、目が見えぬのに、敵との間合いがとれるのか?』

ざり、と夏の土がうなり声をあげる。少女は半歩さがって太刀をかまえた。輔はそれに正面からにらみ合うように、立ちはだかる。

『わかる。足音とか、呼吸とかそういうので。……あと1歩踏み込んだら殴れる』

『……なるほど。ならばこうしよう。お前はとにかく初太刀をかわすのに集中しろ。その間にわしが急所に打ち込む』

輔は自分の左手が、力を入れていないのに腰へ動いていくのを感じて、紅蓮の言う意味を理解した。その様は鞘を手にした侍の姿に似ている。

『おっさんに腕を貸しゃいいんだな?』

『そうだ。いくぞ、輔。一気にカタをつける』

紅蓮がそう答えると、輔の右手が口元へ向かう。念仏を唱える僧侶のように。

『真言を唱える。わしの言葉を真似ろ』

『わかった』

『ノウマクサンマンダ…バサラダン……』

輔の唇が、静かに紅蓮の言葉をなぞっていく。それをかき消すように高笑いが響いた。

「がっはっは!丸腰とはなめられたものよ!主の出陣を待ちわびて幾星霜!それがしの武勇伝に刻まれること、あの世で誉れとして語るがいい!」

少女が八相の構えから動こうとしたそのときだった。

「カン!」

輔が鋭く声を上げると、その右手に青い炎が宿った。左手を添えると、炎はごうっと一際大きくなる。

「とくとく去ねよ!」

少女は叫び声を上げながら、大きく太刀をふりかぶる。

輔は半歩足をひいて、少女の太刀をかわす姿勢をとる。

『よくやったっ!』

そう紅蓮が答えたときには、輔の両腕は少女の首元めがけて突き出されていた。バリンとなにか砕ける音がする。

ーーなに?

その音は晴香にもはっきり聞き取れた。音と同時に少女の身体は支えを失ったように前のめりに倒れる。間髪入れずにそれを輔が抱き留める。

「ぐわあああああ!」

武者は断末魔をあげながら、少女の身体から抜け出た。もがき苦しむ武者の首元でなにかぼうっと光っている。

ーーお数珠……?

晴香の目には、それはぼろぼろになった数珠のように見えた。それはみるみるうちに朽ち果てて、空へのぼっていく。同時に武者の身体も、風にさらされた砂像のようにざらりと崩れ去る。琥珀色に光るそれが空を目指す様は、蛍が飛び交うのに似ていた。

「……やっつけ、たの?」

晴香は思わずそう言っていた。

「ええ。初陣にしてはあっぱれです」

「え?」

新たな「この世ならざるもの」の声のする方を、晴香は仰ぎ見た。白い影が晴香の前にふわりと落ちる。

「わたくしはこの者の魂を送り届けて参ります。また後程」

それは小さなキツネのような生き物だった。目に見えない階段をのぼるように、空を蹴りながら、それは武者の身体だったものの後を追っていく。白い影が夕闇に消えていく様を、晴香はぼんやりと眺めていた。

「晴香、救急車」

輔が自分を呼ぶ声で、晴香ははっと我にかえる。

「…輔!…みっちゃん!」

輔の腕から級友を預け渡されると、晴香はその身体をぎゅうっと抱きしめる。

「熱中症みたいなもんだって。ちゃんと休めば平気だっておっさんが言ってる」

「おっさん?」

「もしやそれはわしか」

そう言ってするりと現れたのは、先ほどの僧形の男だった。

「さっきのお坊さん!」

「紅蓮でよい。そう輔が名付けた」

「そうなんだ…あの…助けてくれてありがとう……えっと……」

「わしより輔を労ってやってくれ。わしの依り代になったのも、すべてはそなたを想えばこそだ」

「う……!うっせぇ!勝手なこと言うな!おっさん!!!」

輔は思わずかっとなって、紅蓮に拳を上げるが、すかっと空振りしてしまう。

「当たらんぞ、霊だから。それよりキューキューシャはいいのか」

「おっさんがその話を遮ったんだろうがああ!」

輔の声が夏の畦道にこだまする。


……こうした輔たちの様子を、じっと見つめるものがいた。電線に留まった、一羽の烏である。烏は天を仰いでカァと一声鳴くと、電池が切れた機械仕掛けの人形のようにぽとりと地に落ちた。それを気に留めるものも、一羽の烏になにが起きたのかを解するものも、いなかった。

同時刻某所ーー

一羽の烏が身じろぎすることなく、くちばしをカチカチと鳴らしていた。物言わぬはずのその口は、常人の耳には聞こえない言の葉を発している。

『紅蓮でよい。そう輔が名付けた』

その烏は紅蓮の声で、紅蓮の言葉を発していた。そしてその烏を腕に留めた者がひとり。

「……聞くべきは聞いた。行け」

そう命じられると、烏は金縛りから解放されたようにひどくばたついた。そして恐ろしいものでも見たように、カァカァと鋭く鳴きながら飛び去る。その烏が目にしたものは、常人の目には映らないものーー「この世ならざるもの」であった。

「御館様。真言を唱えるネズミ一匹ーー、それに御館様の気にあてられて、有象無象のものが目を覚ましたようですがいかがいたしましょう?」

天狗のような出で立ちに、鳥の面をかぶった男はひざまずいてそう言った。その前にはもうひとりの「この世ならざるもの」がひかえている。堅牢な鎧兜に身を包んだその男の目が、暗闇でギョロリと光って動く。あわれ、運悪くその目を見てしまった野ネズミはチィと鳴いた後、ぱたりと気絶した。眼光鋭い男は、そんなものは気にも留めず、四方をギョロリギョロリと見渡すと、ふんっと鼻を鳴らす。

「……どれもそのまま泳がせておけ」

「はっ」

「私の居所すら掴めぬ生臭坊主になにができるというか、笑わせてくれる。その意味ではお前は本当に役に立つのう」

男は無骨な手で女の白いあごを撫でていた。この者もまた、この世のものではなかった。

「……わたくしのすべては、御館様のために」

その女は「女」と呼ぶにはあどけなさの残った声をしていた。けれど、どこか憂いを帯びた瞳は妖艶で、それはまさに女と呼ぶべきものであった。

自分の膝にしなだれかかった女の頭をなぜながら、男は暗闇を睨めつけた。その眼差しの先には、紅蓮と、その器たる輔が描かれている。

ーー我が宿願、止めると言うなら止めてみせよ……!


恐るべき怨霊をめぐる戦いの渦中にいることを、輔と晴香が知るのはその少しあとのことであった。

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