帰り道

ケリィ

帰り道


「かえりたいなー」


 八月の騒がしい蝉の鳴き声の中、そいつは妙に際立つ声で言った。


「帰りたいって…。今まさに帰ってるだろ。それともなんだ、お前の家は学校なのか?」

「何言ってるのとうちゃん。学校に住んでる奇特な人なんていないよー?近頃のアニメでもないのにさ」


 いつものように、とても楽しそうな様子で軽口を叩く。

 今野藍いまのあいは猫のように細い目をして笑った。


「んー、かえるはかえるでも、その『帰る』じゃないんだよね〜」

「?他に何かあるのかよ」

「ンッフフ…。当ててご覧なサーイ」

「変な口調やめろよな」


 かえる…。

 かえる…?

 なんだろうな。


「あれあれ?分かんないかな、わっかんないかなー?」

「うるさいな…。暑くって考えがまとまんないんだよ」

「やる気がないだけでしょ。天下の秀才、赤坂藤ちゃんが分からないわけないじゃん」

「本気だっての」


 俺の言葉を聞くと、嬉しそうにニシシと笑う。

 それなりに長い付き合いだ。何事も手加減はしない俺の性分は十分に分かっているはずだと言うのに、悪趣味な奴である。


「あと、その呼び方やめろよ。妙に老けた気分になる」

「んじゃあ、藤五ちゃんで」

「ちゃん付けをやめなさい」

「しょうがないなー、藤五は頑固ですねーー」


 登り坂に差し掛かり、自転車から降りる。

 俺1人ならまだしも、藍に登りきれと言うのは酷だと思ったからだ。

 そこそこに長い坂だし。


「所で、分かったかな?」

「知らん。土に還る方の『かえる』しか思いつかないな」

「還るねぇ。まぁ、いい線行ってるんじゃないかな?」

「はぁ?」

 何言ってんだこいつ。

「物騒なこと言ってんじゃねえよ」

「あ、いやいやごめんね。方向としてっていうか、なんだその、言葉の属性?とかがね。同じ方向かなーって」

「…属性って、なんだよ」

「あっ、そうか。藤五はゲームとかやらないものね」

「ああ、確かに」


 小学生の頃、流行りだった格闘ゲームで友達を泣かせてから1度もやっていない(その男児がガチャプレイだったのもあるが)。

 今となっては良き思い出である。


「ならば教えて進ぜよう」

 と言って自転車を止めて、道の反対側へと躍り出た。


 そして急に、坂の向かいの海を指差し、

「あれは水属性」

 次は隣町の森を指し、

「あれは木属性」

 太陽を指し、

「火属性」

 最後に地面を強く踏み、

「そして、土属性ね」

 と言った。


 あまりにも子供っぽい動作に呆気に取られてしまった。急に走り出すものだからみっともなくってしょうがない。

 ましてや今は制服だ、そこんとこいい加減自分は年頃の女子ということを自覚するべきだと思うのだ。


 別に何も見てないけど。ええ、見てませんとも。


「おらおらどこ見てんですか藤五くんよ」

「何も見てません」

「本当かね?」

「本当です」

「良かろう。話を戻して、『還る』って単語はさ、さっきみたいに土だとか、母体とするものと付随して使われることが多いじゃない」

「まぁ当たり前だな」

「そう。その属性、エレメンタルが似てるのさ。へへん分かったか、大ヒント頂いちゃったよねー」

「何カッコつけた後セルフでおちゃらけてんだよ」

「あーもう、そういうの恥ずかしいから言わないの!私は慣れてるからいいとして、君のマジレス相当人に聞くからね。嫌われるよ?」

「別にその程度で嫌うやつなら友達じゃないだろ」

「かぁ〜っくいいねぇ〜!」


 まぁこいつの冷やかしは無視するとして、益々分からない。

 どれもこれもそぐわないものばかりで、あるはずの答えからは程遠くなるばかりである。


「どう?分かったかな?」

「…分かんねえ。ギブアップだよ」

「よっしゃ私の勝ちぃー。へっへへーん。ぱんぱかぱーん!」

「はいはい、私の負けですよ」

「土下座して敗北を認めたまえよ」

「理不尽すぎる…」

「ダッシュでコーラ買ってきて」

「ドサクサでパシるな」


 本当に子供っぽいんだよなこういう所。だからこそ付き合いやすいところもあるけどもが。


「で、答え知りたい?」


 …正直どうでもいいけど。

「おう」

 とだけ言っておこうか。


「あのね、かえるはかえるでも、私が言ってたのは『カエル』の事なの」

「…はい?」

「カエルだよ蛙。ゲロゲローってやつ」

「はあ?」


 ますます訳わかんねえ。


「要するに、かえりたいってのはさ、カエルになりたいってことなの。カエリたいなーって」

「そんな造語分かるかい」

「イントネーションで分かるかなーって」

「分かりません」


 坂が終わったが、自転車を引いて歩き続けている。

 暑さはそんなに気にならなくなっていた。


「それに、カエリたいってなんだよ。じゃあカエルになることはカエルって言うのか?」

「細かいなー、別にニュアンスでいいじゃん。日本語なんてそんなもんだよ」

「お前の親父さんが聞いたら泣くようなセリフだな」

「あんな学問ジジイなんて知らないよーだ」


 こいつは勉強が苦手である。

 むしろスポーツ型。


「で、大会はどうなんだよ」

「わわっ、急に何?…私に興味出てきちゃったり?」

「アホか、なんとなくだよ」

「んー、まぁ勝てるでしょ。みんな頑張ってるし、私がいるし」

「…ヒューヒュー、かっこいいー」

「棒読みすぎ、やり直し」

「指導はいらんわい。…にしても、頑張ってる、って、まるで人事だな」

「えー、だって人事だもん」

「お前も練習くらい、たまには顔出せよ」

「暑いからやだー」


 全くこいつは…。

 オンとオフの差が激しすぎる。

 やる気スイッチガバガバだな。


「そんなんじゃ、カエルはカエルでも、井の中の蛙になっちまうぞ」


 言ったあと、すぐに後悔した。

 意図せずにせよ、かなり強い言葉になってしまった。

 これではまるで、こいつを責めているみたいじゃないか。


 そんな俺の葛藤とは反対に、藍は存外にあっけらかんと返してきた。


「別にいいんじゃないかな」

「……え?」

「良いじゃん、井の中の蛙」

「お前…、怒ってないのか?」

「どこで怒る様な事があったのさ。こんな事じゃ、怒らないよ」


 そう言ってシシッ、と笑う。


 そしてそこで、俺はこいつが怒った所を、1度も見たことがないのに気づいた。


「第一、私思うんだ。『井の中の蛙』って、褒め言葉じゃないかなって」

「どういうことだよ」

「だって、大海を知らずに自分の世界で生きていけるんだから」


「自分の世界を作って、そこに安住できる…。これって究極の贅沢じゃない?」


 一陣、風が吹いた気がした。


「……」

「それにさ、『井の中の蛙』って、井戸の中じゃサイキョーなんでしょ?」

「…まあ、そうだな」

「だったら尚更良いじゃん」

「どこがだよ、広い視野で捉えたら小さい存在で満足してるって…」

「藤ちゃんならさ、知ってるよね」

「何をだよ」

「『鶏口牛後』って、よく言うじゃん」


「井戸っていうちっちゃい所でアタマ張ってるんだったら、わざわざ海で弱くなる必要ないじゃん」



 いつの間にか、家の近く。

 こんな話をしているうちに、徒歩で着いてしまった。


「あのさぁ、それに何でカエルを海に行かせるのかな?カエルって海大丈夫?生きれる?」

「んー、どうなんだろうな」


 ダメな気はする。

 よく良く考えれば、前提からして野暮なのだろう。

 何故わざわざ満たされているものに先を見せるのか、それに意味はあるのか。


 まさかこいつからこんな考えが聴けるとは思いもしていなかったがな…。



 分かれ道に着いた。

 俺は右で、藍は左。


「じゃ、ここいらで」

「おう、また明日な」


 そう言って別れる。いつものことだ。

 しかし、ふと気づいた。


「なあ」

「ん!?何もう、ビックリするなあ」

「お前、結局何でカエルになりたかったんだ?」

「えー、決まってんじゃんかそんなん」


「カエルって、涼しそうじゃん?」


 …想像以上に、くだらなかった。













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帰り道 ケリィ @Kery

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