第3話 お姫様がいました

 伸びた所だけを乱暴に切り取ったぼさぼさの灰色の髪に、薄汚れた衣服が下層の出であることを言葉もなく理解させる。黄ばんだ上着に隠れた手が持つのは、短めの三又槍だ。1mと少しの柄の先についた両端の刃は錨のように曲がっている。

 奇妙なのはその持ち方。定石というものを考えるにあたって最初かその次に論外となりそうな形だ。小学生男子が掃除の時間にやるようなバランスゲーム。石突を右掌にのせて、倒れないように細かく位置を調節している。

 なんかすごい頭悪そうだが、よく見ると刃先が微塵もぶれていない。根っこが生えているみたいに直立している。遊びかなにか知らないが、空手アホ一代に近い世界の住人かもしれない。


「あー、もしかしてここの城の騎士ってことは、ないよな」

 

 男が虚を突かれた顔をして、すぐにひぃっひぃっ、と引きつったような笑い声を漏らした。槍はやはり揺れない。


「おいおい、お前さんもどっかの田舎から出て来たのか?こんな騎士様がいるわきゃねえだろ。傭兵さ。よーへー」


 ……まあ分かってたよ?もちろんね。あくまで確認、つまり作業だ。なんのことはない。しかし傭兵にしたって随分と、なんというか情けない恰好だ。鎧も無ければ盾も無い。水洗いだってしているか怪しいゴワゴワの服だけだ。昔の傭兵は明日も知れない仕事であることと、戦場でとにかく目立つために派手に装ったとツイッタでみたことがあったが。こいつはそういった余裕も無いということだろうか。

 だが俺の本能、あるいは俺の中の魔剣はこいつの戦力を警戒している。少なくともこいつに勝つことが、と確信出来ない。

 男が一歩踏み出す。一歩下がる。男が大股で歩きだす。俺は間合いを保ったまま下がっていった。


「おいおいどうしたよ?お前さん結構ガタイ良いじゃねえか。近づかなけりゃどうにもならんぜ。剣士なんだろ?」


 にやにや笑いながら、挑発する気があるのかというほど適当な煽り。やはり槍先は微動だにしない。大股に見えるが、足は地面からほとんど離れず。獲物にとびかかる前の肉食獣特有の、あのじりじりとした足運びだ。

 何が来る。持ち替えて突き?槍は叩いても威力があるらしい。殴りかかってくるか?懐に入れるだろうか。


「どうした。敵なのか!?」


アレクシアの声が木霊する。答える余裕は無い。背後の壁の気配が強くなる。


「ん、女連れか?ははあ、おっぽり出された騎士様か」

「まあそうだな。俺も雇われってこと」

「あの姉さん金持ってそうじゃなかったがねえ。まあ戻ってこれても無駄になると思うが」

「なん」


だ、まで言えなかった。歩く姿勢のままで男が跳んだ。真っ直ぐ伸びる脚に反して、背中が見えるまで捻られた上半身。

穂先が倒れた。指し示すのは胸の中心。血液が入り込んだかのように全身の毛が逆立つ。

だが動かない。奴は俺を見ている。灰の髪の隙間から飢えた犬のような視線。捻られた肉と骨が、きしみを残して回転。

服の中から現れたのは黒い腕、義手だ。腕そのものを投槍器として、満身の弾性をもって打ち出した槍は虚空にて分離。中に鈍い光沢を持つワイヤが見える。


胸に錐のような先端が突き立つまで腕一つ。そこで動いた。逆手に取った剣の腹で穂先を滑らせる。金属板特有の弾力でたわむと、張り詰めた風が後方に飛ぶ。

地を蹴ると、ほとんど四足で走る。男の義手から繰り出す鋼糸が止まり、巻き戻る。見える。奴の牙が。腕から無数に生える乱杭歯が俺の後ろに回り、盆の窪をちくりと刺す。

すれ違いざまに転がって頭を守った。背中が熱い。背筋から太腿に体液がつたう。腕にも赤がにじんでいる。柄にも薄い刃が付けてあるようだ。掴むのは厳しいだろう。


「おお、すっげえ。後の鎌刃まで避けた奴は久しぶりだ。お前さんも悪魔と契約した口か」


笑いながらも即座に距離をとっている。反撃の隙が無い。


「なんだよそのビックリ機構は。それも悪魔製か?」

「ひはっ、あいつらもそのぐらい気前が良けりゃいいんだがね。生憎これは全財産おっぽりだして買った鉄クズさ。だが俺の魔剣、"餓狼の倦まぬ牙ルプス・インデフェスス"は、的に命中させる動作ならば限り無く精妙に出来る。こりゃ自慢だぜ。すげえだろ」

「うんすごいすごい。ほんとすごいから今日はこれまでで」

「そうもいかんね。当てるまでやるのが必中のコツさ」


畜生め。しかしあれをまともに攻略するのは不可能に近い。第一間合いが違いすぎる。

だが我に秘策有り。出来れば使いたくなかったが、この後に及んでは止むを得なし。

剣を横に捨てる。突然の不可解な行動に、男の注意が逸れた。

そこで包丁をぶん投げる。当てようとはしない。明後日の方向に放物線を描く。俺は家の中に立っていた。鞘に入れていた包丁は天井にぶつかって転がっている。拾う。

 真横に呆けて立つ槍使いがいた。


「喰らええええい!」

「ぬおあ!?」


 必殺無敵ヤクザキック。瞬間移動に対応できるはずもなく、崖から転がり落ちていく。雄たけびが下から聞こえてくる分には死んではいないようだが、流石に這い上がるのは無理だろう。とりあえずアレクシアを引き上げるためにロープを下ろし。

 がつん、と横からシャベルで石を叩くような音。槍の鎌刃が地面に深く埋まる。


「あああああおらあ!」


 どどど、と地団太を踏みながら崖を駆け上がってくる。重力に遠心力が加わってかなりの負荷になるはずだが、よほど身が軽いのかそのままの勢いで飛び上がり、期間を果たす。


「やるな!なんの魔剣だおい!なにがなんだかわからんかったぞ!」

「わからんのはおめーだよ。なんだ今の中国雑技団か馬鹿野郎」

「ひは、はは、ははは!こりゃあなにがなんでも首を取りたくなった!つまらん仕事だと思ったが、信心深いといいことがあるらしい。いくぞこらあ!」


 悪魔と契約して信心もくそもねえだろ。と突っ込む暇もない。今度は顔の真ん中に飛来する三叉の鉄礫を、包丁で上にかちあげる。こめかみのあたりの髪が湿り気を帯びた。まずい。目から潰しにきたようだ。遠近感が狂えばお陀仏だ。さっさと決着をつけねばならないが、決定打の持ち合わせ乏しい。城壁を背にして追撃を阻むが、これでは逃げ場も狭くなる。槍が奴の手に戻り、再び投擲の姿勢に入る。

 その時腕が引っ張られた。あの世からの気の早いお迎え、ではないらしい。落とさないように巻いていたロープだ。

 槍が手から離れ始める。考える時間は無い。腕を交差して前に突っ走る。肉で止められる運動量を超えている。それは投げた本院が一番知っているだろう。耳まで裂けんばかりに頬肉が吊り上がる。銀閃が伸びる先は喉元。腕から痛みより先に衝撃がくる。それを弾くように腕を振り上げ、ひっくり返るようにして避ける。背中からの圧で肺が潰れ、ごふ、と漫画のように呻く。次の手はもうない。槍がくれば串刺しになるだけだ。

 分離した槍が戻り始める。


 そして空中で引きずられるように曲がった。


「なにい!?」


投擲武器の使い手にとって、最もやられたくないことは武器を投げ返されることだ。投げ槍の中にはそれを防止する為にわざわざ結合部を壊れやすくしているものまである。

 あの槍にも、戻る途中で掴まれないように柄に刃、紐には棘が仕込んであった。そこにロープをかける。といっても膠着状態で不利なのは俺だ。だからは引かない。引くのはだ。


「うりゃあああ!」


 絡まった紐のほどけにくさというのはイヤホンをポケットに入れたことのある者ならだれでも分かるだろう。男の義手が悲鳴をあげ、たまらず倒れこむ。地面を掻いてもがくが、全体重をかけて急坂を駆け上がるアレクシアに比べ姿勢が不利に過ぎる。ずるずると縁近くまで引きずられたところで、波打つ金が目に飛び込んだ。


「ご苦労!帰っていいぞ」

 平らな場所まで来ると、重石となっていた男をまた蹴り落とす。流石に縄を絡めたままではどうすることも出来ずに転げ落ちていった。


「いやあ、助かりました。まじで危なかった」

「うむ、名のあるつわものだろうな。しかし詰めは甘いがあれを相手に一本取るとは大したものだ」

「へえ」


 まあチート使ってますからね。

 だがこれほど大騒ぎして誰一人城から出てくる気配が無い。あの傭兵も新手を呼ぶ素振りさえ見せなかった。というかこんな城の端っこにわざわざくるなど、まるで脱走だ。


「ここら辺は昼寝の習慣があったりしますか」

「まさか。見張りが居眠りすれば吊るされても文句は言えん」


それはそれでどうかと思うが。


「何かあったな」

「例えばどんな?」

「中に行けば分かることだ」

「ごもっとも」

「入るぞ。また上ってくれ」


 否応など今更あるはずもなく、俺は城壁に手をかけた。








 城の中はそれほど広くない。内積に比して壁が厚い。やたらと圧迫感がある造りだ。二人が袖をすらずに歩ける以上の用をなさない通路をアレクシアに先導される。辛うじて山のてっぺんを目指しているのは分かるが、城のどの座標にいるのかさっぱりだ。マップ表示機能なんて親切設計は対応していないようである。

 そして相変わらず人っ子一人いない。互いの息遣いが反響する箱の中で、泥の中にうずまったようだ。


「今どこら辺ですか」

「この先の階段が頂上の塔に続いている。主君はそこにおられるはずだ」

「逃げられちまったってことは」

「あり得ん。重臣どもは結託して主君を傀儡にしようとしていた。私が追われたのはつい先日だ。なにかあったのだ」


 やな予感しかしない。ふと、焦げ臭い風が薄暗い通路の先から流れてきた。壁に布がこすれる。アレクシアが剣を右脇に構える。顔程の大きさの窓から差す光の奥、一段と濃い影の中から、飾りの多い服を着たおっさんがにじりでてきた。


「ゲオルグか」

「えーと」

「敵だ」

「なるほど」


 となれば後は締め上げるだけでクエストも終わりか。長く苦しい戦いだったまる。調子が悪いのか、倒れるからだをどうにか引き起こしつつこちらにやってくる。


「ゲオルグ、此度の裏切り今は問わぬ。エルフリーデ様はどこだ」


 ご主人さまはエルフリーデとかいうらしい。そういや聞いてなかった。おっさんは聞いちゃいないのか身体を震わせてあたまをがくがくと揺らす。具合が悪いようだ。


「二度は言わん。答えぬなら斬り捨てて通るぞ」


 顔が急にこちらを向いた。ちょっとびびった。アレクシアは平静を保つ。おっさんはぶるり、と痙攣すると、口から黒煙を吐き出して倒れた。ダイイングメッセージさえ書き残さない。


「煙を吹く魔剣とか?」

「記憶に無いな。それに息絶えている」


 アレクシアがおっさんの顔をぐい、と持ち上げる。よくみれば眼孔になにも入っていない。黒々とした炭の塊がいくつか零れた。耳も同様だろう。答えられないはずだ。皮膚がみるみるうちに黒ずんでいく。内側から、焼石でも飲み込んだみたいに。魔剣だ。間違いない。使われたんだ。


 アレクシアの腕に蔦が絡みついていた。スーパーで半額で売ってるレバーみたいな色の、棘のついたつるが。

 ポニーテールを掴んで千切りとる勢いで引っ張る。実際何本か抜けた。怒られそうだが今はいい。蔦がしなった。今度は幻ではない。有刺鉄線のような、縄の間に棘を埋め込んだ鞭だ。アレクシアの小手を強かに打つはずだったそれは、おっさんの死骸の後頭部を粉々に崩落させて、壁をぱしん、と叩いた。

 

 こつり、こつり、と軽やかな足音。普段ならばその音色だけで心が浮き立つような可愛らしい銀色のしぶき。少女が姿を現した。そよ風に揺れる小麦畑の曲線をなぞる髪。小ぶりな顔は血の気が失せ、かっと見開いた蒼く血走った大きな瞳。紅白のドレスは白い部分が返り血を浴びて赤黒く変色している。


「エルフリーデ様」


 つまりお姫様だった。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔剣買いました @aiba_todome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ