第2話 城に向かいます

 騎士アレクシア・フォン・リンドブルムの置かれた状態は、正に絶対絶命である。

政治を奸臣に牛耳られ、主君に申し開きする機会も与えられないまま追放。おまけに追手に追い込まれ馬を失い徒歩かちで逃走中という数え役満であった。

途中で現れた謎の浮浪者に追手が気を取られた隙をつき、辛うじて包囲を突破できたものの、数の不利は変わらず、体力は削れいく一方である。

軽装を生かして引き離そうとするが、追跡者は決して焦らず一定の速度を維持してこちらを休ませない。

体についていけなくなった足が木の根と噛み合い、しまったと思った時には眼前に土壁が迫っていた。


咄嗟に前腕に衝撃を逃して受け身を取るが、最低限とは言え鎧は鎧。逃避行に疲れ果てた腕では支え切れない。

「かはっ」

一瞬胸が詰まり、口の中が酸っぱくなる。息が苦しいと脳が気づき始めた。

これ以上の逃走は体力の浪費と判断し、松の巨木に背を預けて迎え打つ体勢に入る。

勝ち目はまず無い。しかし大人しく死んでやるのも気に食わない。アレクシアは騎士であった。


木に寄りかかって、だらりと剣を持つ腕を下げる女。歳は少女と言ってもいい獲物に、しかし追手は油断しない。

当然である。元は同じ旗の指す方へ隊列を組んで走った同僚。その実力はお互いに良く知っている。

三方から圧をかけつつ、1人を打てばもう2人が後ろから斬れる間合いで、待ちの姿勢を崩さない。時間が味方をするなら、こちらから動く必要は無い。もうすぐ浮浪者を片付けた増援も来る。既に勝負あったと言っていい。


「ええい、貴様ら!先代からの恩を忘れて兇徒におもねるか!恥を知れ!」

「いや、耳に痛いんですがこっちも生活がかかってるんで」

「妻子を養うためにはどうしても……ね?」

「博打で有り金スッたんであんたの首が無いと酒が買えねえ」

「貴様ぁ!」


 三者三様の動機ではあるものの、彼女に味方する者はいない。それを責めるアレクシアとて、全ては自らに力がないためだと分かっている。

金、数、純粋な暴力。どれ一つ満足に持っていない己は正義では在り得ない。正義とは力によってうち立てられる概念である。

 そして力無き故にどことも知れぬ森の土に還るのだ。小さく息を吐き出し、祈りの文句を唱える。まさか天国に行けるとも思えないが、最後に縋るくらいは神も許して下さるだろう。

  両手を首元まで上げて、剣を肩の高さで地面と水平に構える。肩で心臓を守り身体ごと突きにかかる、いわゆる雄牛の構えである。軽い鎧では大の男の剣戟を止められはしないが、即死はしない。せめて一人でも道連れにする心づもりであった。

 捨て身の覚悟を感じたか、兵士たちもそれぞれに構え、最後の一撃を待ち構える。


「隙ありゃあ!」

「どわ!」

 

 アレクシアと正対していた兵士が前のめりに飛ぶ。そのまま体全体で着地すると、痙攣して動かなくなった。残った二人が硬直する。3対1という数の有利に基づいて戦術を組み立てていた頭が、奇襲と同時、敵と同数になった現実についていけない。

 しかしそんなことは元より決死の身には関係ないことである。アレクシアが鹿の如く跳ねる。肩から五体を投げ打つような突きは、素行不良の男の喉に吸い込まれ、その頭を兜に縫い付けた。噴水のように血液が噴出。輝くような金の髪が見る間に赤に染まった。

 ついに劣位に立った最後の兵士と、ノリで加勢した謎の浮浪者が思わず後じさる。


「潮目が変わったようだな。2対1だ。どうする?」

「あ、自分やっぱ数に入ってますか」

「当たり前だ」

「そうですか」


 間抜けな会話ではあるが、横で聞いている兵士としては生きた心地がしない。命をかける理由は彼には無かった。にかわで固めたように握っていた剣から手が離れる。決着はついた。






思っていたよりえげつない。いや殺し合いなのは分かっていたが、見た感じそう歳も離れていないお姉さんが返り血浴びて凄い目でこっちを睨んでくるのは正気度SAN値に悪い。こんなに目がすわっている人初めて見た。

何かに使えるだろうかと貰ってきた小ぶりの両手剣がやけに重い。ぶん殴ってそこらへんに転がしておくという大変雑な方法で無力化された兵士Aを捨て置いて、俺は何故か金髪の女の子と歩いていた。というのも、このアレクシアと名乗った女騎士に頼み事をされたからである。


「助っ人ですか」

歳はあんまり変わらないが、血塗れの剣をぶら下げた人に敬語になるのは仕方ないはずだ。いやほんとむっちゃ怖い。美人だけど白い肌に点々と返り血が付いてるし。

「うむ。見ず知らずの者に頼む事でないのは分かっている。命を救われた恩も返さず何をと思われようが、何しろ時間が無いのだ」

相変わらず言葉は解らないのに意味だけは伝わる。これが魔剣効果か?便利だな魔剣。


大雑把な説明によると、彼女の主君のお姫様が悪い家臣に閉じ込められていて、それを助けようとしたアレクシアは街を追い出されてしまったらしい。

どうにか忍び込もうとうろちょろしていたが、隠密の経験も無い高級そうな鎧を着た美少女なんて電飾巻いているようなものだ。あっという間に見つかってここまで追い詰められていたそうだ。


「先ほどの動き常人のものではなかった。魔剣使いとお見受けする。礼は必ずする。どうか。主君を救い出す助けが欲しいのだ」

「いや自分、そんな荒事得意な方じゃないんで」

「何を、あの立ち回り初めてでは。いや、魔剣使いか。悪魔と契約してまもないのか?」

「悪魔?」

「ん?契約したのだろう?悪魔と。でなければ魔剣は使えないはずだ」


あいつ悪魔かよ!いや怪しさ抜群で一周回って誠実そうだったけど。え、じゃあ魔剣って持ってたら破滅フラグ?


「あのー、そもそも魔剣ってどんなものなんですか?」

「む、親に教わらなかったのか?ああ、いや、そうだな。こんな所で彷徨うにも理由はあるか」

「あー、はい。そんな感じです」

何か勘違いしているようだが、話を合わせた方が面倒は少なそうだ。

「ふむ、しかし平民にしては良い身なりだな。それに縫製も見たことがないやり方だ」

「これは拾いものなので」

「……そうか。いや言うまい。こんな時代だ。生きるためには奪うことも必要だろう」


勝手に納得してくれて大変助かる。異世界から来ましたなんて言って座敷牢にぶちこまれたくない。女騎士はアクアマリンを嵌めこんだような大きな瞳を伏せるが、直ぐにまた前を睨んだ。


「それで魔剣だったな。貴殿は魔術の事は知っているか?」

「えっと、火の玉出したりとか、空を飛んだりするやつですか?」

なんか可哀想なものを見る目をされた。なんだい、説明書なんてなかったんだからしょうがないだろ。

「自らの力を誇大に謳う呪い師がよくふくほら・・だな。魔術に世界の真理をひっくり返すような力は無い。それは神が行われる奇跡だろう。魔術は人の力、言い換えれば意思の業だ」

「意思?」

「例えば瓶に入った酒を取りたいとする。普通なら自分の手で杯に注ぐだろう。貴人なら召使いに酌をさせる。ところが魔術師は全く見ず知らずの者に酒を持ってこさせる事が出来る」

「それってただ頼むとかじゃなく?」

「術者によるな。言葉巧みに思考を誘導する者もいれば、突如自分に惚れさせることで何でもさせる恐ろしい奴もいる」


なんというか、それは魔法と言うより催眠術の類いでは。どうにも夢がない。そんな失望の表情に気付いたか否か、アレクシアは言葉を継ぐ。


「まあ貴殿が思うような超人ではないことは確かだ。しかし例外は常にある」

「それが魔剣、と」

「その通り」


魔術とは意思の力。意思は偉大なるものだが、それだけで何かを成せる訳ではない。よほどの力ある術者でも魔術だけで人を害するのは不可能に近いだろう。だが、悪魔と呼ばれる悪意の底に住まう意識。彼らは人と魔術を奇怪な術で重ね合わせ、その精神そのものを武装とせしめる。

 それは昆虫類の如き精密な身体操作であったり、五感の外からの不可思議な知覚、あるいは人知を超えた生殺与奪の業であったりする。使い手の精神に依るものであるため一人一つの魔剣しか扱えないが、強力なものとなれば一騎当千の活躍をみせることもあるそうだ。


「じゃあ俺もなにかこう、凄いパウアー的なものをどっかから出せたりするんですか」

「そんなもの私に分かるわけがないだろう。魔剣というものは契約した瞬間に出来ることが頭に入ってくるというが、なにかないのか?」


 目を閉じて頭の奥に手を伸ばしてみる。魔法、呪術、格ゲー、ニンジャ、天狗……脳内の中二フォルダからの応答はない。ええい、余計な時に人の心を抉りにくるくせにこういう時ばかり。


「いや、なにも浮かばないんですが」

「なら無銘だな。特に理由もないが漠然と強くなりたい者は大抵そうなる。反射や動作が機敏になったりする」

「え、それだけ?セールスマンのアン畜生は英雄剣とか言ってたんですけど」

「なんだそれは。英雄の魔剣なぞ聞いたことも無いな。悪魔の甘言だろう。連中は概して嘘は言わんがやたらと物事を強調する癖がある」


 詐欺じゃねーか!つまりなんだ、割と殺意の高いお兄さんお姉さんが闊歩する中世オープンワールドで包丁一本で生き残れと。TAS様じゃねーんだぞ。


「帰るか」

「待て待て、もうちょっと、ほんの少しだから。日が沈むまでには帰れるから。もう暫く付き合ってくれ、おお!見えたぞ。リンドブルムの街だ」

 

木々の隙間から灰色の城と街がぼんやり浮かんできた。

 中世と聞くと、オランダのアムステルダムのようなパステルカラーでレンガ造りの町並みを思い浮かべるが、目の前に映るのは悪魔城じみた要塞とくすんだ木造建築だ。まあ実物なんてこんなもんか。

人の気配はするが、どうにも活気が無い。太陽は地面に垂直に輝いているが、通りに人影は2つ3つばかりだ。

 城は山のてっぺんあたりに四角い石造りの館があり、そこから巻貝みたいに城壁が続いている。山から見下ろされる形で街並みが広がり、その外周に更に壁。いかにもな城塞都市だ。


「しかしえらく頑丈そうな城で」

「元は古帝国の前線基地であったのを改造したものだからな。難攻不落で有名だぞ」


やはり思い入れはあるのか誇らしげだ。今からそこに忍び込まなければならないのだが。


「で、どこかに秘密の出入り口でもあるんですか」

「知らん」

「ん?」

「分かる訳がないだろう。私はただの騎士だぞ」

「えっ、じゃあどうやって入るの」


思わず素が出たじゃないか。


「こ、こうあれだな。見つからないように門の端っこからどうにか」

「無理に決まってんだろ!?ガキの使いじゃないんだぞ」


そりゃあ追っかけられる訳だ。国産RPGの勇者だってもう少し気を使うぞ。

しかし難しいと分かると逆にやる気が出てくる。見たところ、確かに軍勢を入れるのは不可能そうだが、山の上に建てられているだけあって壁も直線ではない。死角が必ずあるはずだ。

剣を置き、鞘に入れてズボンに差していた包丁を手放す。家に戻ると納屋からロープと軍手を出し、また包丁を握る。


「どうした?急に剣を置いて」

「いや、ちょっと用意を」

「なんだ、縄なんてどこに入れてたんだ?」

「魔剣です魔剣。城の裏側に回りましょう」


どうも俺が消えた事に気付いていない。脳内で補正されているらしい。どこか不気味だ。だが悩んでいる暇は無い。夜ならば侵入も容易いだろうが、脱出した後が問題だ。アレクシアだって夜の森では土地勘も効かないだろう。迷ったらそのまま野垂れ死にだ。


「うん、あの崖のところ、少し城壁が凹んでるな。あそこから登れば見えない」

「いや、無理だろうあそこは。ほとんど垂直だぞ」


城の裏に一筋の裂け目のような崖があった。地盤が脆いらしく、壁の土台が避けるように曲がっている。アレクシアの言うように90度近い斜面で、頂点あたりは人がどうにか体を突っ込める程度の幅しかない。

だがいけるという確信があった。これが魔剣の力というのならそうなのだろう。森から這い出る。岩肌に指をかけて腕に力をこめると、軽々と体が上がる。ジャングルジムを上るような気楽さで、数十mはある岸壁をよじ登る。もう足がすくむ高さのはずだが、まるで気にならない。

 2分もかからずに石垣の前に立っていた。後はロープを下ろしてアレクシアを持ち上げ、また壁を超えれば城内だ。


「いや凄まじいな、魔剣使いというものは。すまぬが縄を下ろしてくれ、情けないがこの崖は無理だ」

「いや、すいません。ちょっと無理になりました」

「何?」

 アレクシアの焦った声が下から反響してくる。流石に叫びはしないが、困惑の気配がありありと伝わる声だ。

「まさか一人で行く気か?無茶だぞ、いくら貴殿でも道も知らずに城は歩けん。私が案内する、上げてくれ」

「いや、そうしたいのはやまやまですが、流石に二人目は許してくれないんじゃないかなあ」

「え?」


「まあ、そうだねえ。流石の俺様も二人がかりはおっかねえなあ。俺の槍より速く動けるってんなら試してみてもいいがね?」


 灰色の髪をしたやせぎすの男が言った。周りに人はいない。崖の上に二人。小学生の遊びのように石突を掌にのせた槍がふらりと揺れ、三又の錨のような刃が空の青を写した。


 

 




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