壱ノ拾壱 夢と現実

金色の座布団が置かれている床の間のある座敷は四畳ほど。それ以外には家具も窓さえもない味気ない空間だった。航太郎はそれから毎日、夢の中で気が付くと、金色の座布団に座っていた。それは至福な感触を伴って、毎夜素晴らしい夢を見せてくれた。


例えば航太郎が新しいシンセサイザーが欲しいと願う。

『お主の夢、叶えようぞ!』

あの野太い声の後で、ドンと最新のシンセサイザーが目の前に姿を現す。しかも、以前から思い描いていた個人所有の音楽スタジオの中にそれは出現したのだ。もちろん全て使うことが出来る。指に触れるもの、見えるもの、聞こえるもの、どれもが実在感を放っていた。

あまりのリアルさに最初は恐怖にも似た興奮を覚えた航太郎だったが、日を追うごとに現状に慣れつつあった。


夢の中では再結成した新生バンド〝サイエンス″の新リーダーを旧サイエンスのメンバーだったドラムの鴻巣琉衣こうのうするいに据えた。心身に不調を来たし田舎へ帰っていた彼を説得し、再び東京へ呼び戻したのもの指示によるものだった。

同じ痛みを分かち合った者同士、航太郎と琉衣の結束力は強く、より打たれ強い。

デモテープの制作、ライブ活動にオーディション。

航太郎の側にはいつもがあり、その導くに従ってさえいれが全て良い方向へ行くし、恐いものはなかった。


それが例え夢だとしても、、、。

しかしそんな自覚も航太郎から消えようとしていた。


ある日、航太郎はバイト先の居酒屋で突然の眩暈めまいに襲われて倒れた。そのまま救急車で病院へ搬送され、様々な検査を受けたが異常は発見されなかった。気休め程度の薬を処方され帰宅。次の日にはバイトをクビになった。最近様子が変だったのを自分でも気づいただろうと、苦い顔した店長に言われた。


確かにこの数日は、寝ても寝ても異様に眠かった。いや、本音を言えば夢の世界から目覚めたくなかったのだ。

今の航太郎にとって起きていて見る現実は常に色を失っていた。事実、画面にノイズが入ったようにザァーとモノクロに揺らいでいた。


どちらが夢で、どちらが現実?

戸惑う航太郎に、あのが確信を持って告げる。


わしがおる、この世界こそがお主にとっての現実じゃ』


「ですよね、神様が導いてくれる世界ですよね」


金色の座布団はいつでもと共にそこにある。全てを与えてくれて、迷いを払ってくれる。正しい道を示し、その通りに行動すれば何もかもが航太郎の望むままだ。もはやは航太郎にとって全知全能の神になっていた。


航太郎は暗がりの中で手を伸ばすと、柔らかく至福の場所が現れる。ただ身をゆだねるだけで途端に夢の世界はイキイキと輝き出す。


ついに〝サイエンス″は大手音楽会社のオーディションに合格し、デビューすることになっていた。ともかく今、とても忙しく充実しているのだ。

もはや色を失くした日常に、身を置いているヒマはない。


「早く起きなきゃな…」

航太郎は満面の笑顔で、自室のベッドに横たわった。


…壱ノ壱弐に続く

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