第四話「社畜は何とか眠りたい」

 俺が異世界に召喚されるようになって、早くも一ヶ月が経とうとしていた。


 薄々勘付いていた事だが、どうやら俺の体が眠りにつくと精神が異世界へと移動し、目覚めると元の世界に戻ってくる、という仕組みシステムになっているらしい。

 なので連日、会社から帰宅して床につくと、次の瞬間には異世界で目覚める……という生活が続いていた。

 一応、体の疲れは取れているようだし眠気を余計に感じるという事もないが、俺の主観では全く眠っていない訳なので、何だか変な感覚だった。


 人間は眠っている時、ただ単に体や脳を休めているだけではなく、記憶の最適化や感情のリセットなんかも行っているという説を聞いた事があるが……今の俺はそれが出来ていない状態になっているのかもしれない。

 早々に「異邦人エイリアン」をぶっ倒して、お役御免やくごめんとなりたいところだった――。


 とは言え、その「異邦人」はあれ以降全く姿を見せていなかった。

 一度目の襲撃と二度目の襲撃の間が七日、俺がび出された時の三度目の襲撃が更に七日後の事だったというので、てっきり七日周期でやってくるものだと思っていたが、今のところその気配は無かった。

 早く来てほしい気もするが、迎撃態勢も万全とは言えないので、悩ましいところだ。


 この一ヶ月近くの間、俺達はバリケードの製作・設置や新しい武器の量産、街の人々の避難訓練などにいそしんでいた。

 職人達が独自に作り上げた弩砲バリスタ投石機カタパルトの出来は素晴らしく、十分に実用に耐えうるレベルだった。数を揃え城壁の上に設置すれば、「異邦人」に対して牽制けんせい以上の効果が望めるかもしれない。


 その武器を扱う兵士達の訓練も忘れない。

 曖昧あいまいだった指揮系統の整理を進めた上で、主だった兵士を集めて対「異邦人」を想定した戦術の討論会ディスカッションなどを頻繁ひんぱんに開いたところ、行き当たりばったりだった(らしい)兵士達の考え方に変化が起こり、自主的に改善を進めるようになっていった。


 そのせいか、街の人々は以前よりも更に巨兵――俺の事をあがめるようになっていた。

 だが、はっきり言って俺は何もやっていない。

 きっかけを与えただけで、諸々もろもろの改善は街の人々自身の努力によるところが大きかった。


 ふと「巨兵など目覚めさせなくとも、街の人々は自力で『異邦人』に対抗できたのでは?」と思い、正直なところをマリアムに伝えた事があったが、「過ぎた謙遜は、相手にとって侮辱にもなりますよ?」と、彼女には珍しい不機嫌な表情と共にを受けてしまった。

 確かに、彼女達自身が俺のお陰だと感謝しているのなら、それを素直に受け取るべきなのだろう……。


「――元々、この街の人々は古くから伝わる『変わらぬ日常を過ごせ』という教えと共に暮らしてまいりました。新しい事などせず、ただひたすらに『今』を維持する事が、私達の全てだったのです。『異邦人』という未曾有みぞう脅威きょういを前にしても、私達が頼ったのは巨兵という古い信仰でした……。

 でも、もしかしたら誰もが、心の何処どこかで変化を求めていたのかもしれません。その変化のきっかけをくださったのは、紛れもなく騎士殿なのですよ?」


 ――マリアムの独り言のようなつぶやきが、何故だか心に深く残った。


   ***


「だからさぁ、そこは創意工夫で何とかしてもらいたいわけよ? 仕事なんだからさ? 『出来ない』は通用しないのよ?」


 ある日の事だ。

 昼休み直前のオフィスに、営業課長の軽薄そうな声が響いた。見れば、同僚や後輩の何人かが、営業課長と揉めているようだった。

 どうやら、納期直前のプロジェクトに対し、顧客から突如として仕様変更が言い渡されたらしい。


「そんな事言っても……こんな変更、一日や二日じゃどうにもなりませんよ!」

「だいたい、ここの仕様はこれで問題ないって、先方との打ち合わせで何度も確認したじゃないですか! なんでこんな、直前になって……」


 ――なるほど。

 何度も何度も顧客と打ち合わせし、徹底的に煮詰めたはずの仕様が突如として変更になる。今までに何度も見てきたパターンだった。

 しかも大概の場合、残り日数が限られているタイミングで言ってくる。つまり「無茶振り」が多い。

 特にうちの会社の場合、下請けも同然なので足元を見られがちだ。営業課長は全身ズッポリと下請け根性に染まった人なので、顧客のイエスマンでしかない。

 無茶振りなら無茶振りで、追加コストを認めさせるなり日程を調整するなりしてほしいところだが、あの営業課長にそれは望めないだろう。


 営業課長は、社内的にはデスマーチ案件ばっかり取ってくる死神のような存在だが、顧客側は使として重宝しているらしく、名指しで仕事が舞い込む事もある。

 それが社長の目からは「お得意先の覚えめでたい優秀な営業」として映るらしく、評価はすこぶる高い。理不尽な話ではあるが、まあ、そういう会社なのだ。


 ――さて、営業課長と同僚達の押し問答は、いよいよののしり合いの様相をていしてきた。

 そろそろ仲裁に入らないとまずいだろう。


   ***


「――で、巻き込まれてりゃ世話ないよな……」


 思わず独り言をもらすが、答える者は誰もいない。キーボードを叩く音が虚しく響いているだけだった。


 時刻は深夜。

 あの後、営業課長と同僚達をなだめつつ、課長には「顧客にきちんと追加工数を認めさせ、納期の調整が出来ないか念押しする」事を了承させ、同僚達には「(俺の連日の残業で)こちらのチームはちょっとだけ余裕が出てきたから少しは手伝える」事を伝え、何とかその場を収める事に成功した。


 もちろん、なあなあにならないように、課長にはその場ですぐ電話をさせる事も忘れない。

 結局、納期をずらすのは無理らしいが、追加工数についてはあっさり了承してもらえた。課長がどれだけイエスマンに徹していたか、分かろうというものだった。


 そこからの二日間、俺のチームからのヘルプ要員を加え、毎日終電まで粘りつつ作業を進めた結果、なんとギリギリ納期に間に合う見通しがついてきた。

 だが、本当にギリギリなので、最終チェックする時間すらなさそうだった。それは流石にまずい。

 という事で、納期前日の今日、俺を含めた数人が徹夜で作業して余裕を作り、翌朝出勤してきたメンバーに引き継いで仕上げてもらう、という流れになった。


 オフィスに俺一人なのは、他のメンバーが夜食を買いに行っている為だ。俺は外に出るのも億劫おっくうだったので、一人残って作業を続けていた。


 しかし、異世界に召喚されるようになってから初めての徹夜だ。

 眠らなければあちらの世界には移動しないので、今頃マリアムが「騎士殿が目覚めない」と気をもんでいるかもしれない。そう考えると、ちょっと申し訳ない気持ちも湧いてきた。

 まあ、こちらも仕事だ。一日位はいいだろう……。


 ――ぼんやりとそんな事を考えていた、その時だった。


『――ケテ』

「ん?」


 今、誰かの声が聞こえたような?


『――ケテ、キシ――』


 やっぱりだ。遠くで誰かが、俺を呼んでいるような……? これは、もしや……。


『――スケテ、キシドノ――』


 ――今度こそ、はっきり聞こえた。「助けて、騎士殿」と!


「くそ、今日に限って!!」


 幻聴でなければ、今のはマリアムが助けを呼ぶ声だろう。考えたくはないが、恐らく「異邦人」の襲撃を受けているのだ。

 ならば、すぐにでも眠りに入って、あちらの世界に駆け付けなくては……。

 だが、徹夜作業に備えて、俺は先程カフェインたっぷりの栄養ドリンクを飲み干したばかりだった。眠気は全く無い!


 とりあえず気を落ち着けて少しでもリラックスするしかない。

 目を閉じて深呼吸するが……早鐘のような鼓動が聞こえるばかりだ。


「――そうだ」


 ふとある事を思い出し、鞄の中を漁る。底の方に使い古したピルケースを発見し、開けてみると……あった。

 ――白い幾つかの錠剤。それは、以前処方された睡眠導入剤だった。

 使用期限切れもいいところだし、即効性のあるものでもないが、無いよりは遥かにマシだろう。


 飲みかけのペットボトルのお茶で、錠剤を飲み下す。

 そのままデスクに突っ伏し、俺は羊の数を数え始めた。古典的な方法だが、今はわらにもすがりたい。


 ――早く、早く眠らなければ。

 俺は、祈るような気持ちで羊を数え続けた。


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