第10話


――イリヤ、こんなときお前ならどうする。


 戦術的なことを考えながら飛ぶのがあまり得意ではない武吉は、頭の良かった生前のイリヤを思い出していた。飛んで堕とすだけの自分とはまるで違い、よく考えて戦える奴だった。戦闘中だけではなく常に何かを考えている奴だったが、それに気づいたのは一緒にテスト飛行した日で、何を考えているかを把握したのは例の殴り合いをした日だ。操縦専門だったが偵察もそれなりにできる、視野の広い奴だったなあ……と思い出して懐かしむ自分は、冷静なのか散漫なのか。多分両方なんだろうな、と自己完結させた武吉は、少ししんみりした気持ちで正面を見た。相変わらず空は黒点だらけだし、海上も地獄だ。


 時代錯誤。その一言が脳裏に焼き付く。


 機体が足りない。搭乗員も足りない。上の理解も生産力も、何もかもが足りない。極東が吹っ掛けた戦争なのに、全てにおいて遅れを取っている現実を目の当たりにした武吉は、絶望を感じざるを得なかった。自軍の艦隊を攻めたてる敵機が、寄ってたかって子猫をつつく烏に見える。弱い者いじめ。滑稽。こんな無様を晒してまで抗い、戦う意味はあるのか。こんなことで大勢を殺し、資源を失ってまで守る価値が、今の極東にはあるのか――


「……っ!」


 許されざる思考にハッとして、武吉はひとり震え上がった。駄目だこんなの、士気に関わる。一人でも多く生かすと決めたばかりなのに、お前は何を考えている。奥歯を噛みしめて自身を諫めた武吉は、もう一度海上を見下ろした。隊列を崩した船団からは多くの乗組員たちが放り出されており、海面に点々と人影が見える。そして無防備に漂う彼らを……敵機が容赦なく撃ち殺している……。


「――はぁ……っ!」


 武吉は感情に任せて大きく強く息を吐く。行き場のない怒りと情けなさと悲しみが綯い交ぜになって押し寄せ、処理できずにもどかしい。閃光を放ってしぶく海面から人影がなくなり、代わりに青が赤に汚れていく。何があったかなんて、考えるまでもない。


 操縦桿を強く握って正面を睨み、武吉はひとり無断で編隊から離れて高高度から輸送船へと近づいていく。その直前に機銃の弾丸が眼前を掠めてキャノピーを割り、無線もなにやら怒鳴り散らしていたがそんなの知らん。編隊のうちの一機なんて性に合わない。単機で好き勝手飛んでこその《南洋の羅刹》だ。自分は兄より軽度か同等の馴致不能だと思っていたが、たぶん本当はそれ以上の馴致不能なのだろう。御上の命令に従って作戦を遂行するより、こうして好き勝手に飛びまわる方が能力を発揮できるような気がしていた。


 ほぼ垂直に突っ込んだ先には、魚雷を携えた雷撃機が飛んでいる。そいつを真上から狙撃してすぐに操縦桿を引き、水平飛行の体制を整える。こんな飛び方、またイリヤに怒られる。武吉は苦笑交じりに笑んで、魚雷を放せないまま体勢を崩して着水するのを見届けた。その後は速度を落とさずに輸送船団の周りをぐるりと旋回し、低空・中空から攻撃する獲物を探した。これ以上は殺させない。少なくとも、放り出された乗組員たちの救助が終わるまでは――。


 そう思った途端、救援を求める短艇を狙う敵機が視界に入る。極東兵たちが怯え慌てる様まではっきりと見え、武吉はほぼ無意識に方向転換していた。短艇と敵機の間を横切って妨害し、威嚇射撃で挑発する。これであいつの標的が俺になればいい。そう思っての行動だった。


 またイリヤに怒られる。追尾してくる《ボーファイター》の気配をぼんやり感じながら、嫌と言うほど繰り返された反省会を思い出していた。


 自己犠牲的な飛び方をするたび、「お前は海軍の搭乗員としての自覚が足りない」と説教をするのだ。死ぬのは一瞬だが育てるには何年もかかるのだから、その命を大事にしろ。なぜそんなことをしたのか。代わりになる手段はなかったのか。口は悪いが根は真面目だったイリヤは、そうしてひとつひとつ確実に、原因を洗い出そうとするのだ。


 なぜそんなことをしたのか――助けを求める味方を、見殺しにしたくなかったから。


 代わりになる手段はなかったのか――そんなの考えもしなかった。


 長時間の飛行と度重なる戦闘、更に慣れない考え事までしたせいか疲労困憊で、思考能力が鈍っている。こんな状態なのに増援はなく、今ある戦力だけで凌がなければならない。担当時間外の陸軍航空隊も姿を見せることはなく、一機も応援に来なかった。



 こんなの勝てるわけない。一番の要因はカメリアの戦力でも戦線で戦う将兵の度量でもなく、極東の内部構造だと武吉は確信していた。同じ極東軍でも陸と海では全く異なる組織とされていて、よほどのことがなければ協力しない。海軍にしても《保守派》と《革新派》に分裂して啀みあい、現場のことを鑑みない的外れな命令が下されるばかりだ。岐点になったミッドル海戦で気づき、軌道修正してくるかと思ったが甘かった。相変わらず意地を張り合った結果に大勢が死んでいるが、きっと《保守派》の連中にはなにも響いていないのだろう。


(勝てなくても……生きるために戦わなければならない……!)


 多分もう一息だと己を鼓舞した瞬間、今までに感じたことのない衝撃が武吉を貫いた。次いで灼けるような熱烈な痛みに支配され、呼吸もままならぬ状態で悶えた。


「――――……ぁッ!」


 声にならない叫びを上げて、大きく開いた口から大量の血を吐き出す。疲労で朦朧としているあいだに撃たれたことに気付けなかった武吉は、自分の腹に空いた大穴を目の当たりにして混乱している。正面から食らった弾が、武吉もろとも機体を貫通したことにも気付けない。反撃しなければ。反射的に思って操縦を試みるも、体が僅かも動かない。かろうじて動かせる目で、ぐるりと反転する景色を見送っている。天井に見えた海面では、また閃光を放ってしぶき、短艇が消え失せた。また守れなかったのかと思うと堪らなく情けなくて、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。


 守れなかったのは船団だけではない。多くの人たちと交わした約束、そのどれも守れていなかった。一甲たちと野球をすることも、イリヤの遺品を届けることも、花江を娶ってやることも、家族と桜を見ることも、兄の背中を守ることも、何も果たせず終わるのか――


「――――――……っ!」


 ごめん、兄さん。必ず帰ると約束したのに、俺はそれを守れない……。燃えながら墜ちていくのをどうにもできないまま、己の力不足と不甲斐なさに絶望していた。泣きながら噛みしめた奥歯が砕けたところで、目の前の『赤』が爆ぜる。為す術なくそれに飲まれた三笠武吉は、約束の四月を目前にして南の空に散った。志半ばで道を絶たれた青年の悲鳴は爆音にかき消され、誰にも届かない。




  【南の空に桜は咲かず・完】


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南の空に桜は咲かず 志槻 黎 @kuro_shiduki

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