第9話



 武吉がイリヤの戦死を知ったのは、二月中頃のことだった。胸に重傷を負った自分が意識を飛ばしている間に、代役としてルンガに出撃したのだそうだ。帰路での夜間上空掩護を担い、ひとりで艦上爆撃機一、戦闘機三を撃墜するという大活躍の末に散ったのだと報告書に記されていた。


 イリヤ。お前も逝ってしまったのか、骨の一つも残さないで。


 武吉はいまいち現実を受け止めきれないまま、医務室の寝台の上で呆然と記録を読んでいる。最後に残った僅かな足場も崩れたような感覚だったが、絶望に転落する前にぐっと踏ん張って耐えた。夜戦でこれだけの戦果を挙げたのだ。きっと満足しているに違いない。――たとえ自分が死ぬことになっても、大きな戦果を挙げて有能だと示したい――。イリヤは生前、何度もそう言っていた。


「三笠」


 戦果報告書を握って呆然としているところに声をかけてきたのは、井町大佐だった。予科練時代の教官だった高級将校で、エリート嫌いのイリヤが唯一、全幅の信頼を置いていた人物だった。


「楽な姿勢で聞いてくれ。まずは、よく生きて帰ってくれた」


 直ちに寝台上で正座をしようとした武吉を制し、固い握手で労った。

 彼はとても優しく、身分よりも実力や本質を見てくれる男だった。だからきっと、『混血だから』と軽く流されかけているイリヤの戦死も本気で悼んでくれているのだろう。その原因を作ってしまったのが自分なのだと思うと、胸が裂けそうな程の罪悪感に苛まれるのだった。俯いて固く握る手が震える。


「三笠、自分を責めるのではないぞ。お前も桐生も、よくぞ立派に役を果たした」


 それにいち早く気づき、宥める井町もまた涙声だった。多くの教え子たちを戦場にて散らしてしまった彼も、きっと絶大な罪悪感を背負っているのだろう。『生徒の無事と飛躍こそが、教育者の幸福である』。教育の道に進んだ兄は、よくそう言っていた。


「目覚めて早々に申し訳ないが、三笠、お前に次の任務がある」


 武吉が落ち着くのを見計らって、本当に申し訳なさそうな声で井町は言う。見慣れた雑嚢を丁寧に武吉の膝に置いた後、一世一代の告白をするかのような面持ちで向き直った。


「明日、駆逐艦一隻が内地へと戻る。それを持って内地へ帰り、教官として搭乗員育成に努めるか。ここに残って生存の確約なき海戦に参加するか。どちらかを選びなさい」


 じっと武吉を見据える井町は、祈るような目をしていた。ラボールに着任してからも常々「教官が足りない」とぼやいていたから、きっと前者を選べと思っているのだろう。だが、選ぶまでもない。武吉の答えはすでに決まっていた。


「空で戦って勝ち抜いて、生きてこれを持ち帰ります」


 これが愚かな選択だとは重々理解している。けれど戦線から退き、戦わずに帰るなんて選択肢は端からない。そんなことをすれば、生きていても後悔が残るばかりだ。そのうえ軟弱者の烙印を押されて、それをネタに難癖つけられて、兄の立場が危うくなる可能性だってある。そんなの駄目だ。


「教官が足らないということは良く理解しています。しかし自分は、ここで退く気はありません。最後まで戦います。それに、人に何かを教えることは得意ではありません。井町大佐もご存じのことかと思いますが」 

「……やはり羅刹の名は伊達ではないな」


 誰より穏やかに見えるくせして誰より闘争心が強い部分は、練習生の頃から変わらないか。何度死にかけても、地獄を見ても変わらない本質が心配になって、井町は小さく息を吐いた。これ以上、優秀な搭乗員を損失するのは避けたい。特にこの異質な三笠を失いたくなくて、教官への転身を提案したのは井町だった。


『あの三笠がそれに応じる訳がない』。他の幹部らは挙ってそう言っていたが、まさにその通りになってしまった。奴らの方が三笠を理解していたのかもしれない。そう思うと、少しだけ寂しかった。


「そうだな、わかった。私は一足先に内地に戻り、搭乗員の育成に専念するよ。お前が生きて帰ること、心待ちにしている」


 儚げに笑う井町と固い握手を交わして、その日のうちに別れた。

 武吉も翌日は新たな命令を拝命し、その日に向けての回復訓練に打ち込んだ。次の任務は、珍しく陸海軍が連携して行う、大規模な輸送作戦の上空掩護だそうだ。



          ※



 ラボールを有するノヴァ島の沖を、十六隻の艦隊が航行している。その内訳は将兵六九〇〇名余りと装備、車両、食料品を積んだ輸送船八隻と、それを護衛する駆逐艦八隻。さらにその上空を航空機で掩護するといった体で、時間ごとに陸海で分けて出撃するというシステムで従属している。午前の今は海軍の持ち回りだ。この状況、あとで絶対口論になるんだろうな。決して仲の良くない陸海関係を思い出しつつ、下方に広がる光景に目を向ける。


 ラボールの港を出て暫くは予定通りに進んでいたが、八時間後の今、連合軍の爆撃機によって一隻の輸送船が傾いだ。黒煙を昇らせて沈んでいく船も構わず進み続ける艦隊を、三笠武吉は無感動に見下ろしていた。


 あの船はきっと、『想定内の損害』扱いなのだろう。出発前に聞いた作戦内容と、想定の結果を思い出して眉間に皺を寄せる。呆れや怒りを超して何も言えない。これが今の心境だった。


 この作戦は、海峡を挟んでノヴァ島に隣接するパプア島の戦力増強を図ったものだ。ルンガは落ち、他の島々も続々撤退、守備隊玉砕と最悪の結果を迎えた駐留地もある。その劣勢を食い止めるべく、まずはパプア島で力をつけはじめたカメリア軍を抑えたかったのだろう。こんなもの、『無謀』の一言に尽きる。それが全体の戦力差を鑑みて導きだした、武吉の素直な感想だった。


 ここらの制空権も制海権もカメリアに奪られているし、輸送作戦に不可欠な事前準備――敵基地の航空撃滅戦も満足にできないほどの航空戦力になってしまった。その上、撃滅戦に向かうはずだった航空機の半数を輸送船の護衛に充てるという馬鹿げたことをやらかしている。まずは基地を叩かなければ、そこから続々と迎撃の敵機が飛び立つのに。それをエリートだと言い張る高級将校たちが決めているのかと思うと、本当にどうしようもない泥船に乗せられた気分になった。


 最前線では極東とカメリアが戦っているが、内地では《保守派》と《革新派》が戦っている。戦争が激化し、泥沼に嵌まってもそれは収まらず、寧ろ苛烈になっているらしかった。《革新派》が取得した情報を元手に斬新な作戦を立てても、伝統を重んじる《保守派》に退けられる。《保守派》の無謀な作戦に《革新派》が異議を唱えても、持ち前の権力を駆使してゴリ押されてしまう。


――極東は本当に勝つ気があるのか?


 未だ身内同士で討ちあう上層部に、本当は諸外国と戦う気がないのではないかという不安と猜疑が湧き上がる。けれどそこに行けない自分が真偽を確かめられるわけもなく、黙って戦い続けるしかない。


 俺が名を挙げることで兄が――《革新派》が力をつけられるなら、泥船にだって乗ってやる。消沈しかけた戦意に無理やり火をつけて、沈む輸送船の上空を旋回する。海に落ちた兵士たちを狙う敵機を追い払いながら、武吉は駆逐艦による兵の回収作業を見守っていた。


 この先の俺の役目は、一機でも多く堕とすことではない。ひとりでも多く移送させ、予想された結果を覆すことだ。全滅覚悟、成功の可能性は四から五割、輸送船半数の損失は有り得ること――可能性よりも必要性重視から決行した作戦で無意味に死んでいくなんて嫌だし、させたくもない。撤退する敵機と沈みきった輸送船、航行をはじめた駆逐艦を見送った武吉は、もう一度旋回して、先行する船団を追った。 



 大きな動きがあったのは、翌日の朝だった。目的地のラエが見えはじめた、ダンピア海峡航行中のことだ。パプア島から航空機の大群が押し寄せ、鮮やかな青空が、無機質な黒点で埋められていく……。


(やはりただでは通してくれないか……)


 これまでの航行中は比較的穏やかというか、カメリアにしては手緩いと感じていた。このまま穏便に通してくれないかな……なんて生温い希望を抱いていたが、やはりあるわけないか。武吉は小さく舌打ちして、大きく頑丈そうな敵機を睨んだ。


 昨日の朝と同じ要領で船を狙っているのか、低空で飛ぶ雷撃機は先遣隊に任せた。次いで飛来し、高高度から急降下爆撃を試みる爆撃機とその直掩機の群れの討伐を任命された武吉は、一抹の不安を抱えたまま高高度へ上がる。低空から攻め込む雷撃機が気がかりだった。


 これでは勝てない。武吉は直感でそう思った。思い出すのは昨日の朝に沈んだ輸送船と、大破して撤退した駆逐艦だ。あれを狙ったのも低空を飛ぶ雷撃機と重攻撃機だった。なぜ執拗に低空を飛ぶのか。確実に横腹を突き、船体を割った原因は……?


 武吉は違和感を払拭しようと、要因を考えながら直掩の戦闘機を掃射していく。多分、雷撃機の魚雷のせいなんだろうとは思うのだが、あれの命中率はさほど高くなかったはずだ。水切りの要領で海面を跳ねるし、水に入った途端に潜り込み過ぎて目標に当てづらいし、とにかく扱いづらかったはず。カメリアはどんな手法で当てている? それとも方法じゃなくて魚雷そのものの作りが違う? それを考えると興味深く、好奇心を刺激されたが、今は楽しんでいられる状況ではない。武吉は輸送船団を絶えず気にしながら、敵機の爆撃を妨害し続けた。




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