解答編
「犯人は水鳥輝夜だな」
警部補は、タメていた割に驚く程あっさりと犯人の名前を言った。
「でも一体、なんで水鳥輝夜が犯人なんですか」
「まあ落ち着け。順番に説明してやる」
手短な場所にあった椅子に勝手に座り、警部補は自らの推理を披露する。
「まず犯人はこの部屋で、被害者を殺害する。突発的か計画的な犯行かは断定できないが、おそらく前者だろうな。凶器はこの部屋にあったんだろうし、犯人は何も工作をしていない」
「はあ、なるほど」
「そして殺人という犯罪を犯した恐怖で、彼女は思わず逃げ去った。窓の外へと飛び出して、そのまま非常階段から外へ逃げたんだ」
「それは――――」
警部補の発言に巡査は少しも驚かずにこう返した。
「それは、見ればわかりますよ」
警部補が窓の方へ視界を向けたので、巡査もそれにつられて窓を見る。
窓の高さは二階ぐらいの高さに存在していて、つまりそれはジャンプすれば余裕で届く距離という事だ。
「まあ俺が読んでいるミステリなら、この窓が開いてても密室って事になったんだろうが、どっこいこの世界は現実だし、ましてやここは現実の世界だ。ミステリの世界とは違う」
そこまで言ってから、警部補は一息ついた。
「ここは月だからな。ミステリみたいな地球が舞台の世界じゃない」
警部補の読んでいる探偵小説は所詮地球が舞台だ。月じゃない。だからこそ警部補は推理小説を好んで読んだ。彼らの生きている地球という未知の世界に強い憧れを持っていたのだ。
勿論その時代の地球と今の地球では状況は異なる。数百年、下手したら千年以上も前の推理小説――――つまりは古典文学で描写される地球には、少なくとも月に人が移り住む事なんて予測していない。
「月じゃ重力はかなり小さいですからね。あれくらいの高さ、女の人でも十分でしょう。でも問題は、どうして犯人が水鳥輝夜だって予測できたかという事ですよ」
「そんなん、ダイイングメッセージを見ればわかるだろ」
警部補は指先で床の一部、つまりは被害者の残したダイイングメッセージを示す。
「『↓』なんだから、つまりはここを示しているんだよ、それは」
「こことは」
「だから月だよ。月と言えば、かぐや姫だろ」
下向きの矢印は、通常重力の方向を示していて、それはつまり地面であり土地であり、そして星である。今俺たちがいるこの月と関係性の深いのは、かぐや姫と同じ名前を持つ水鳥輝夜だろう。
そう説明した警部補だったが、しかし巡査はいまいちピンと来ていない様子だった。
「おい、俺の説明をちゃんと聞いているのか」
「かぐや姫ってなんですか?」
「おいおい、知らないのかよ」
無理もないかと、警部補は無理矢理にでも納得した。かぐや姫という物語はもはや古典文学に属される。授業でも出ない物語だ。興味のない若者が知らなくても当然で、知っている警部補の方が特殊なのだ。
しかしそれでも、警部補は文句を言いたくてしょうがなかった。
「まったく、今時の若いもんは。自分の国の古典文学も知らないのか」
「自分の国って言ったって、そんなのこの月にはないですよ」
「国は無くても、国家ごとに土地が分けられているんだから国でいいんだ」
月の土地は、地球の国々がその国ごとに管理している。ここも日本が管理している日本国領の一部で、在住している人間だって日本人が多い。
S県C市P地区。味気の無いアルファベットでの分類は、何もない土地に領土を作った名残でしかない。
地球ではもっといろんな、多彩な土地の名前があるのだろうなと、警部補はいつも考えていた。
「兎に角警部補殿。これで犯人は分かったと、そういう訳ですね」
「まあな。とは言っても、こんなのは推理とは言えないし、それになにより俺たちが頭を働かせる必要なんてどこにもないからな――――」
警部補が言い終わるや否や、被害者の鑑識をしていたロボットが音声を発した。
それは人間の生声に近く、普通の人間では聞き分け出来ないレベルの人工音声だった。
『鑑識が終了しました。窓枠及び遺体の一部から被害者とは別の人間の生体反応検出。DNA照合の結果、水鳥輝夜さんの物と推定されます。一致率100%』
その報告を聞いて、警部補はため息をついた。
「……………………これで事件終了だ」
これが小説だったら、ミステリとは言い難いな。
警部補は内心そう思った。
**************************************
警部補は死体のあった部屋で、一人考え事をしていた。ようやく一人――――機械の存在を人とカウントしたとしても、本当の意味でようやく一人だ。
「――――ふう」
壁にもたれ掛け、一息つく。推理小説に出てくるたばこという存在を吸いたい気分だった。もっとも、警部補はそれを吸った事はないし、見た事だって一度のないのだが。
空気という資源が重要なこの月では、空気を汚すたばこは原則禁止だ。地球に行ってたばこなる物を吸ってみたい。それもまた、警部補の夢だった。
「さてと」
腕時計で時間を確認すると、時刻は標準時――――つまり、地球に合わせた時刻で午後になっていた。月の日の出入は地球のそれとは違う。しかし人間の体内リズムは当然地球に合わせているので、こういった標準時が必要になる。
時間を見た後は、コートから手帳を取り出してスケジュールを確認する。
コートも手帳も、今となっては古い遺産のような存在だ。どんな状況でも体温を一定に保ってくれる
「…………俺も歳をとったかもな」
若い巡査は一足先に被疑者の元へ向かった。人を捕まえて裁くという行為は機械にはできない仕事だ。そこには責任があるから。
いまや人間の仕事というのは、責任を取るというただそれだけがメインになっている。責任を取る行為の最大級は自ら命を絶つ事かもしれないが、機械が自分を壊した所で意味があるとは思えない。頭を下げるという行為に意味を持たせられるのは人間だけだ。
「嫌な時代だよ、まったく」
警部補は空を見上げる。窓によって切り取られた空には、地球が悠然と浮かんでいた。思えばあの星を見るための窓なのだろう、月から見た地球はほとんど動かないのだから。
月に住んでいる人間は、地球に強いあこがれを抱く。それは母なる大地へ帰りたいという本能なのだろう。
かつて地球に住んでいた人類は地球からあふれ出し、月にまで移住するはめになった。増えすぎた人口をコントロールできなくなった結果だった。人口を増やす行為、つまり子供を作る事が敬遠されていた時代だってあった。
「…………行きてえな」
口から出た言葉と内心は違う。本当は、彼はあの頃へ戻りたいのだ。
ミステリの探偵達がいた時代。彼らは目の前の殺人事件に自らの知恵と知識、そして観察眼だけで挑んでいた。それは人間の能力の可能性、そして美しさを示していた。
だから彼は、そんな推理小説を好んでいたのだ。現実とのギャップ――――月と地球の違いにも苦労するし、トリックが理解できない――――物理法則が地球とは違うから――――という点だって苦にならないくらいに、彼はそれが好きだった。
ところがこの現代において、ミステリのような謎も解決もどこにもない。
謎なんて機械の手によって瞬く間に解析――解決ではなく――される。それも総当たり式のような、美しさのかけらもない方法でだ。
警部補はそれが悲しくて悔しかった。
機械によって仕事を奪われ、人間は自分で考えたり行動する事が少なくなった。人間の可能性、そして限界が少しずつ削られるような、そんな気さえしてくる。
「俺だって…………」
俺だって、探偵小説のような世界にいれば。
その言葉の続きは口に出すどころか、心の声にすら出すのを止めた。それを認めた瞬間、生きるのが辛くなるから。
警部補は空を見上げるのを止め、扉の方へと向かう。
遺体も回収した、犯人も自供するだろう。もうこの部屋に来る事もない。
「……………………」
警部補はもう一度、窓から地球を見上げようとする。
しかし角度の関係上、その位置からは地球は見えなかった。
「…………さて、仕事に戻りますか」
それだけ呟いて、警部補――――本名、田中スターライトは部屋を出て行った。
窓枠の中で悠然と佇む美しい星が、そんな彼を母親のように見守っていた。
―了―
あの星は見ていた 西宮樹 @seikyuuki
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