あの星は見ていた

西宮樹

問題編



「ふぅむ」


 日本国領S県C市P地区のとあるマンションの一室、彼は一人頭を悩ませていた。手を口元にやり、思案顔で部屋を見渡す。、その部屋を。

 彼は刑事だ。スーツの上からはよれよれの茶色いコートを着ていて、コートは窮屈そうに膨れ上がっている。

 彼は刑事といえばコートという、あまりにも古すぎる考えの持ち主だった。部下どころか年配の上司にすら理解されない考え方で、実際スーツの上からコートを着たところで何の意味もないのだが、それでも彼は自分の信念の元、コートを着用し続けている。

 

「さて、と」


 彼は部屋を見渡す。

 奇妙な部屋だった。俗に言うワンルームマンションで、寝室やダイニングを兼ねた部屋にはキッチンが隣接している。廊下は玄関や風呂場、トイレと繋がっていて、手狭ではあるものの住みやすい部屋であるといえる。

 いや、手狭と表現するのは少し違う。手狭なのは幅や奥行き、平面的な間取りの間取りの話であって、実際にその部屋に入って受ける印象とはちょっと違う。

 

 この部屋はマンションの最上階に位置しており、太陽の光を入れるためなのだろう、高いところに窓がついている。その窓は今開け放たれており、窓から外がよく見える。

 確かこの窓の外にはサンルームのような形状をしたベランダ、その傍には非常階段があったはずだ。このマンションに到着した時に、刑事は一通り外から現場を眺めていた。


「ははぁ、なるほどな」


 窓によって切り取られた空には、が収まっていた。なるほど、そのための窓だったのかと、彼は関心した。人類の大半が憧れる、あの星が。

 窓の大きさはかなり大きくて、人が通過できるくらいの大きさは確保されていた。

 窓の開閉は内側から行うらしく、窓の傍にタッチ式のボタンがついていた。あれを押して開閉する、そういうシステム。

 窓は一般的な形状の、片引き窓というやつだ。

 つまり一般的な窓の形状であり、それについて彼も疑問を持っていなかった。

 今、部屋の中で思案にふけっている彼の、目下最大の疑問、それは…………。


「こいつが誰に殺されたかだな、問題は」


 部屋の中央、カーペットに横たわるのは一人の男性。当然ながら何も言わずに、そこでただただ佇んでいる。

 頭から出血しており、顔や皮膚からは生気――――つまりはが抜けて青白い色を纏っている。



 物言わぬ、がそこにはいた。



 彼の周りでは今だに鑑識が行われており、あちこちでピカピカ光っては記録するたびに、彼は眼を細くしていた。

 

「えっと、被害者は…………」


 彼はコートのポケットから手帳を取り出す。これもまた、全時代の遺物だと仲間内から馬鹿にされている一品だ。わざわざ紙に書くなんてと言われる事も多いが、しかし彼はこの書くという行為を重宝していた。書く事で頭の考えが整理されるし、覚えるのだって早い。そして覚えておいた情報は即座に脳内で取り出せる。そんな部分に彼は魅力を感じていた。

 取り出した手帳には、以下の事が書かれていた。


・被害者の名前は箍詰たがつめ和樹かずき

・死亡推定時刻は標準時で昨日の午後五時ごろ

・死因は頭部への打撃による脳挫傷

・凶器は被害者宅の花瓶と推定

・花瓶は部屋の片隅に置いてあり、底には血液がついていた

・被害者は宇宙技術者で、死亡した日は休暇だった

・被害者に恨みを持っていた人間は調査中

・部屋の鍵は指紋認証で、登録されているのは本人のみ


「……………………やれやれ」


 これだけじゃ何にも分かんねえ。彼は内心呟く。

 そのまま彼は天高く設置された窓に目を向けて、美しく佇む星を見上げていた。


「小説みてえだ」


 彼の趣味は読書だ。とりわけミステリ――――しかも古典文学と言っていい程昔のミステリを好んで読む。

 あまりにも昔の事なので、現実とのギャップに苦労するし、トリックが理解できずに教科書や辞書を引く事だって多かった。

 でも彼は、その小説に出てくる刑事や探偵に強く憧れていた。それにトリックだけじゃない、昔の小説の舞台は彼にとっては憧れの世界だったのだ。その結果が時代遅れのコートや手帳に現れている。


「まさしくそんな感じだな、こりゃ」


 密閉された室内。唯一開いている窓は高い所にあって、手を伸ばしただけじゃ届きそうにもない。

 まさに古典ミステリ。彼の読んでいる小説ならば探偵が華麗な推理を披露して事件を解決するのだろう。

 しかし現実は違う。小説のような推理なんて、あるはずもないのだ。

 唯一探偵らしさを発揮できそうな部分と言えば――――。そこまで考えて、彼は足元を見る。被害者の手の先、血で書かれたそのを。


「ダイイングメッセージってやつか」


 血で書かれた文字を見て、不謹慎だと分かっていても彼は心を躍らせる。

 これこそ探偵の本領発揮。まさに読んできたミステリのようじゃないか。

 床に書かれた文字は、文字というよりは記号だった。下向きの矢印、『↓』が書かれている。うつ伏せに倒れた死体の、上方向に伸ばされた右手が書いたその文字は、被害者自身を示しているようにも見える。

 これは一体、何を示しているのか。彼は少しだけ考えて、そしてその思考を止めた。


「警部補殿。失礼します」


 部屋の中に、もう一人の男性が現れる。

 スーツに身を包んでいて、見た目はまだ若い。少なくとも、今だに前時代の遺物にしがみついている彼よりはよっぽど若いだろう。

 その男は、この警部補の部下だった。階級は巡査。


「おう、なんだ」

「被害者の身辺調査が終わりました」

「で、結果は?」

「被害者、箍詰は仕事を真面目にこなしていて、職場でのトラブルはなかったようです。ただ…………」

「ただ?」

「女性関係ではトラブルを抱えていて、どうやら浮気をしていたとの事です」

「ほお」


 警部補は足元の死体を見る。とても浮気をしているようには見えないが、まあ人は見た目では判断できない、そういう事だろう。


「本命の彼女の名前は水鳥みどり輝夜かぐや。そして浮気相手は音谷おとや伶佳れいかという名前です」

「ほぉ。随分とまあ、古臭い名前だな」

「まあ確かにそうですね。それで二人は、何でも昔からの知り合いだったらしいです」

「じゃあこいつは、彼女の友達と浮気していたってのか」

「というよりは、彼女と浮気相手、そして自分の三人が昔からの知り合いだったらしく」

「は、そりゃまた随分と大胆だな」


 もしそうだとすれば、相当に恨まれていたに違いない。なにせ彼氏が自分の友達と隠れて付き合っていたのだ。本命と浮気相手、どちらの立場でも被害者が憎くて当然だ。

 しかしそう考える一方で、警部補は彼の事が少しだけ羨ましくなっていた。

 警部補は独身で、しかも付き合っている人間もいない。ひと昔前は独身男性も珍しくはなかったが、しかし最近はそうでもないのが実情だ。独身というだけでかなり浮いてしまう。

 しかし警部補は、女にもてなかった。故に、足元に転がっている彼の心情を理解できない。


「二人とも容疑は否認していますが、アリバイはありません」

「普通に考えれば、どちらかが犯人だろうな」


 そしてそれを導く鍵はこのダイイングメッセージにある。

 そしてそのダイイングメッセージの謎を、警部補は

 驚くほど単純で、そしてなんて直接的なのだろうかと警部補は内心がっかりしていた。この『↓』はし、なんだったらではないか。

 やはり現実には探偵はいない。そんな現実を叩きつけられた気分になる。もっともこのご時世、犯人なんて科学捜査ですぐに分かってしまう。なんだったら刑事の存在すら要らないレベルだ。


「さて、と」

「何か分かりましたか」

「ああ、というよりは、

「つまり」


 警部補は、部屋の中央まで歩み始める。そして長い事タメを作ってから、振り向きつつこういった。

 それは、小説の中に出てくる探偵のようだった。



「謎はすべて解けた」





 

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