track 8
浜辺に女がうずくまってた
細切れ噛みながら
アイを吐き出していた
きれいな歌だ
汚い息でさ
醜い涙だ
ぼくは厭き厭きしてるよ
笛を吹けば世界は切り替わる
隠したお宝もどうでもよくなるなあ
きれいな歌だ
汚い息でさ
醜い涙だ
ぼくは厭き厭きしてるよ
頭が腐るね
墜ちてく便器でさ
頭に蟲が湧くね
親指姫はひねりつぶしたよ
†††
何が言いたいのかほとんど要領を得ない、ただ破滅的なだけの歌。
それでもこうして思い出すと、やはり少しだけセエセエする。
去年の12月だった。山下たんぼと観に行った小さなライブ・イベントで、無名の青年が歌っていた曲だ。その日のステージの最期に、青年が発狂しながらギターを打ち壊すサマはなかなかに愉快だった。山下たんぼなどはつい勢い余って握手なんか求めに行ったほどだ。けれど、青年は内心うれしいくせにどうでも良さそうな冷たい表情を取り繕っていた。その様子に、ぼくらはびっくりしたものだ。その様子が、どこかぼくらと似た倒錯を物語っている気がしたから。
――どうして、ぼくらは人間になど、憧れてしまうのだろうか? とりわけぼくなどは、初めから、夢見ることすら赦されているはずのない悪魔だというのに。
はっきり言って、人間なんてクソだ。憧れるほどのものではない。家族愛とか、友情とか、そんなものなんの美徳でもない。誰かを大切にするなんて、要するにただのえこひいきだし、きれいごとだ。「どうしてあの子が……」「どうしてアイツなんだ!」その涙ほどもっともらしく、その涙ほど醜いモノはそうそうない。けっきょくは我が子や我が友かわいさ、ひいては自分が可愛いだけじゃないか。そのうえその取り繕った人間の皮の裏で、いったいどれだけの罪を忘れて人は生きているか。それをあまりに幼い頃に理解してしまえばこそ、山下たんぼはその極致である両親からの盲目な愛情を激しく忌み嫌った。それでも、けっきょく山下たんぼは悪魔といっしょに人間ゲームへ興じることを選んだ。もう一度、ニンゲンを目指してみたいと。
――もしかするとぼくは、そんな不毛な執着や葛藤を次第に忘れていった山下たんぼに対して、退屈を感じ始めていたのかもしれない。ほんの少しずつでも、健全なずるさと図太さを身につけていった河合由梨に対しても。だからだろう。きっと。人間ゲームのスイッチが切れたのは。じゃあ、鏡子は? たぶん、ついでだ。仲間内の誰かから興味が失せれば、必然残った仲間もつまらないモノに思えてくる。そういうものだ。どうせそうだ。ほら、ほんとにただの屑だ。根本的な屑だ。初めから、ぜんぶくだらないゲームだったってのに。アイツら、みんな俺に騙されてさ。マジで傑作だよ――
「――違うわ!!」
気がつけば、背後に鏡子が立っていた。
「……なんだよ。なんでアンタがここにいるんだよ?」
「いくら呼んでも出てこないからじゃない! 勝手に入らせてもらったのよ!!」
「はぁ? いったいどうやって――」
「これよ」
突き出された鏡子の手の平には、古ぼけた合鍵が載っている。
「……こんなものまだ持ってたのかよ。さすがは鏡子さん、ストーカーの素質は山下たんぼ以上だな」
「茶化さないで!」
「はいはい。で、なにが違うんだ?」
「かまちが騙しているのは、わたしたちじゃない! あなた自身よ!」
「なに言ってんだか。バカじゃねえの? ああそっか。やっぱ女はみんなバカなんだよな。とくに心の弱った女はいい餌食だよ。河合由梨も山下たんぼも、アンタもね。なかでもあのバカ女、河合由梨は――」
「もう! どうしてそんな風に言うの!?」
「飽きたからだよ。だったら、わざわざ騙す必要なんてないだろ? アンタも、それこそ自分自身のこともな」
「だったら! 早くわたしをヤりなさいよ!」
「……ふ~ん。ヤるって、どっちの?」
へぇ。こうしてじっくり検分してみると、鏡子もなかなか良いカラダをしている。暗い欲情が、わずかに下腹部を勃起させる。
「っ……バカっ……!」
「おいおい、なに泣きそうになってんだ? らしくもねえ。ていうかさ、あんま調子乗んなよな。あんな片手間の攻撃を避けたくらいでさ。アンタなんて、その気になりゃ一瞬だぜ?」
「嘘つき! そんな度胸もないくせに!」
「ああ、そうさ俺は嘘つきだよ。でも、もう騙す必要もないって――言ってるだろ!?」
鏡子は瞬時に横っ飛びし、身をかわす。攻撃の線はただ虚ろに空を切る。
「河合由梨はさ、ほんとにちょろかったぜ!?」
鏡子はまた、身をかわす。
「こんな悪魔のこと、暖かいとか言っちゃってさ。勝手に信じ込んでくれるんだぜ? バカだろ? いくらワラにも縋りたかったからってさ」
また、避ける。そのまま鏡子が目の前に立つ。
「なあ。ほんと、バカだよ――」
「もうやめて!」
「――っ」
鏡子の鋭い閃光のような平手が走る。頬がじんじんする。それに。なぜか、胸までがヒリヒリする。
「……由梨を悪く言わないで――ってか? どうせ死んでるんだ。誰も傷つかないだろ?」
「あなたが! 傷ついてる!!」
「……え?」
鏡子はすっと、ハンカチを差し伸べ、ぼくの目元や口元を拭う。ああ、また出てたのか。あの白々しく濁った液体。
「ねえ、かまち。よく考えてみて。あなたはどうして、幻覚に浸ってまで由梨やたんぼさんとの日常に戻ったの? やっぱり、大切だったからじゃないの?」
「ただの茶番だよ。どうせ搾り足りなかっただけだ」
「でも! あなたは、たとえそれが夢だとしても、ほんとうに由梨を大切にしていたじゃない。たんぼさんを、慕っていたじゃない。その気持ちに、嘘はなかったはずよ」
「……どっちにしてもさ。意味ないじゃんか。けっきょく、またさっさと飽きちまったし」
「違うの。それはあなたが、誠実だったから。幻覚と記憶の歪みに翻弄されながらも、自分の罪と、きちんと向き合おうとしたからじゃないの? だって、あんなの、初めから如何にも穴だらけの夢だったじゃない。そうでしょ?」
「……また、そうやって他人のことをいい風にばっかり見ようとするんだよな。アンタたち、おめでたい連中はさ。――なあ、鏡子。現実を見ろよ。ぼくはただ、自分勝手な人間ゲームを愉しむためだけに、アンタたちを利用したんだよ? 人の心の弱みや同情につけ込んでさ。しかも飽きればすぐにポイだ。ズッタズタにして」
「違うわ。それは結果論よ。そのうえ過程を歪曲して認知しているわ」
「ほら、結果はそうだって、アンタも認めるんだろ? 過程なんてどうでもいいんだよ」
「違う! あなたは……暖かいもの。あなたの心からわたしの心に流れてくるものは、とても暖かいのよ」
また暖かいだってさ。いい加減聞き厭きた言葉に、つい乾いた笑いが洩れる。
「――また、それか。鏡子まで言うんだね。でもさ。そんなもの、結局は他人を垂らし込むための表面的な魅力に過ぎないんだよ」
「そんなこと、ない! わたしには、あなたの心が――」
鏡子はなにかを言いかけて口を塞ぐ。
「わかってるよ。心を、読んでるんだろ? 答えられないなら、それでいいさ。でもさ、それでぼくのことが本当に全部わかるわけじゃないだろ? それでちゃんと心の奥の奥まで見通せるのかって、そういうわけじゃないだろ? 誰にも本人にも見えていないようなドロドロした無意識の領域まではわかんないだろ? アンタが読んでるのは、あくまでぼくの心のほんの上澄みに過ぎない。なあ、そうなんだろ?」
「っ……それは――」
「――ほらやっぱりそうだ。アンタはぼくの取り繕った心の上澄みしか見ていない」
「……だとしたら、なんだって言うの!!? ヒトの心なんて、なにからなにまで掻っ捌いて突き詰めればきっとみんなクソよ! しょせんは生物だもの! でもだからなんなの? あなたが自分をクソだと思うのも、ただそれをネチネチと自分で暴いてるからじゃないの!」
「そんなことはどうでもいいんだよ。でもほら、その考えで行くなら、ヒトなんてけっきょく結果がすべてだろ? なにをどう想うかじゃなく、なにをどう行なったかだ。で、ぼくはなにをした? 女を三人もはべらせて、優しさなり弱みなりを振る舞って心に寄生し続けた。で、かまちハーレムでせいぜい人間ゲームを愉しみました。そんで、飽きたらみんな殺しました――っ」
あ~あ。下卑た笑いが溢れて止まらない。昔っから、アニメや漫画のどうしようもない下衆野郎に憧れていたけど、いざなってみるとあまり気分のいいものじゃない。残念すぎて、つい本気で死にたくな――
「っ」
鏡子の閃光のような突きに押し飛ばされる。目の前に黒く濁った線が走る。それが、鏡子の手の平をサックリと掠める。
「バカ! 危ないだろ!」
「お願い。もう少し話を聴いて」
鏡子は涙の浮かんだ瞳で、凛としてぼくの目を見つめてくる。やめろよ。震えてるじゃないか。なんでそんなに無理するんだよ!?
「いい? かまち。二人を殺してしまったことは、あなたにとってもう過去の過ちなのよ。今のあなたなら、生きて償えるのよ? みんなの願いは、知っているんでしょ? だったら、生きなきゃダメなのよ。それが罰だと思って。――あなたの脳はね、あなたのお父さんとたんぼさんが頑張ったおかげで、あなたが強く意識に願う通りに、誰かを心底大切に想い続けることができるのよ。もう、誰も殺さずに生きていけるの」
「……あの男も余計なことをしてくれたもんだよ。そんなことしたって、スイッチひとつでいつでも誰でもゴミになるんだろ? 最低だよ。そもそもニンゲンの才能を持たない奴がそこまでして人間ぶったってなんになる? 醜悪なだけだろ」
「なによ、ニンゲンの才能って……」
「人間が人間ぶるための才能だよ。それを持った奴が、けっきょく善良さや愛情とやらを謳歌できる。言うなれば人間であるための免罪符みたいなものだ。それを持たない化け物が人間のフリをしようなんていうのが、そもそもおこがましいんだよ。鏡子だって、才能のないクソ親どもに苦しめられたクチならわかるだろ?」
「……でも、それはニンゲンの才能がなかったからじゃない! だってそんな胡乱なもの、初めから誰だって持ってないのよ!」
「さっきも言ってたアレか? 人間はそもそもみんなクソだって? だからみんな仮面を被って生きてる化け物だって? んなわけないよ。世の中には二種類の人間がいる。クソとクソじゃないのと。それが真実だ」
「もう! かまちの言っていることはいつも支離滅裂なのよ! さっきは『はっきり言って、人間なんてクソだ』とか言い切っていたくせに! その場その場で無理矢理ツギハギして! けっきょく、そうやってウジウジしていたいだけじゃないの!」
「……だろうね。だから、クソだって言ってるんだよ。それだけだ」
ぼくだって、もうどうしたらいいかわからないんだ。こんな風になるのが、一番クソみたいだってわかっているのに。
鏡子は一度すうっと目を瞑り、それから静かな眼差しで語りかけてくる。
「……ねえ、かまち。今も、かまちは憧れているんでしょ? かまちの言う人間というものに」
「……ああ、そうだね。他者への共感性を欠いているのに、それを後ろめたく思う社会性だけは残念ながら持ち合わせてしまっている。だから、絵に描いたような本物の下衆野郎にはなりきれない。その方が、いっそ人生も愉しいだろうにね」
「それでいいのよ。夢見ることができれば、人はまだ人に向かえるのよ。光あるほうへ」
「……まあ、ぼくは失敗したけどね。けっきょく人の道を逸脱した」
「……ばかね。まだ終わっていないじゃない。わたしとあなたがいる限り、まだみんなの想いを背負えるのよ」
「……きれいごとだ」
「いいのよ。きれいごとで。わたしは想うのよ。人間とはきれいごとによってのみ定義される生物だって。――あのね、わたしにはヒトの悪意の渦が見えるの。その意図までは解らないけれど。だからね、嫌でも知ってしまうのよ。人間の本性はみんなクソだって」
「……そっか。なんだか由梨ちゃん、みたいだね」
「……そうね――それでね、かまち。要するに、あなたの言うニンゲンの才能というのは、なんの疑いも迷いも無しに、ごく自然にあたりまえに他人を愛することができる……そういう才能のことを指しているのかしら?」
「そうだね。そうかもしれない」
「……でもね。少なくとも、悪意の渦が見えるわたしからすれば、それは最も忌むべきものなの。だって、それは……ただの欺瞞よ? そんなの、そんなの……きれいごとですら、ないわ――」
突然、鏡子はぷるぷると震えてうずくまってしまう。きっと、心の内側で、何かが弾けようとしているのだろう。ずっと圧し殺して来た何かが、ついに出口を見つけようとしているのだろう。ぼくはバカだ。それを、ついそっと解き放たせようとしてしまう。心底、自分が人間ぶりたいのだと思い知る。
ぼくは鏡子の頭を静かに撫でる。揺れる瞳をやんわりと見つめて。
「鏡子……もう、吐いちゃえよ」
「…………んっ」
「さ、言っちゃおっか」
鏡子は、すすり泣いている。ぼくは背中を、ぽんと叩く。
「……うぐ……ん! う……んっ――」
凄惨に、泣き叫ぶ。とてもこの世のものとは思えない悲痛な叫び。鏡子はいったいどれだけの苦痛を圧し殺して生きてきたのか。ぼくは自らの想像力の浅さを憎む。
「違うの! 違うの! あなたは! あなたを憎まないで!!」
「え――?」
鏡子は泣き喚きながら、ぼくに激しく抱きついてきた。
「かまち! かまち! ありがとう!! ほんとに、苦しかったの!! 苦しかったの!!」
「……うん」
「クソなのは! クソなのは!! アイツらなの!! あのクソ女と!! あのクソ男よ!!!」
「……うん。ぼくだって嫌いだ。アイツら」
「うん! うん! 知ってるよ! だから、うれしかったの! 無理だって言ってるのに! 『だって、なんかソイツらムカつく』って! わたしの代わりに怒ってくれて!! ほんとうに、うれしかったの!!」
「……そうか。よく、そんなこと覚えてたね」
「あたりまえよ! ありがとう! かまち!! ありがとう!!」
鏡子は泣きじゃくりながら、ぎゅうぎゅうとぼくの体を締めつけてくる。しばらくの間、背骨がみしみしと軋む。やがて力が抜けてしまってから、鏡子は訥々と言葉を紡ぐ。
「――あのね。あのクソ女はね……それこそ、かまちの言う、ニンゲンの才能に溢れていたの。自分の悪意には一切気づかず、あくまで自分を人間と思い込んで……人間ぶって……母親ぶって、無自覚にわたしへ悪意の渦を向けたの……幼いわたしには……その黒くてぬめった渦が、ほんとうに怖かったの……苦しかったの……」
「うん」
「それでね……わたしは子どもらしくかわいく振る舞うことができなかったの。いつもいつも……怯えてばっかりで。そしたらね……そしたらね……お母さん……わたしを見棄てたんだよぉっっっ――」
また、鏡子は激しく泣き叫ぶ。いったい、どれだけの苦痛と我慢を強いられてきたのか。とても計り知ることができない。
「お父さんなんか……お父さんなんか……家には……働いてお金を入れたらいいと思ってるだけの……クズだったの……かわいくないわたしのことなんか……ハナから相手にしてくれなかった……ずっと……ずっと……わたしを邪魔モノ扱いするんだよぉっ!!」
また泣き喚く。それなのに、それなのに。鏡子はあのクズどものことを未だにお母さん、お父さんと呼んでいる。それは、あまりにも理不尽で、残酷なことのように思えた。
しばらくしてから、鏡子は目尻を子どもみたいな仕草で拭いながら、また言葉を紡ぐ。
「あのね……かまちにもたんぼさんにもね……ううん、あの由梨にもね、悪意の渦は少なからず渦巻いていたの。それでもね……みんなはそれを決して他人に向けなかったの。いつも繊細に……自分を疑って、周りを気遣って、自分のなかにそれを押し留めていたの……それはきっと……不健康なことなのだけどね……それでも……心の弱いわたしには……ほんとうに……ほんとうに優しかったの」
「……そうか。きっと由梨ちゃんにとっても、そうだったんだろうね」
鏡子はこくりと頷く。それから、しっとりとした瞳でぼくの目を見つめる。
「わたしはね……かまち。あなたに恩返しがしたいって、ずっと想っていたの。あの日、あの冬の寒い夜に、わたしを冷たさや怖さや苦しさから護ってくれたから。――それに、ずっとひとりで生きてきたわたしに、みんなとの居場所をくれたから」
「…………」
「うん、困るわよね。こんなこと急に言われても。自分が生きていていいのかどうかも、わからなくなっている状態だものね。――ちょっと待ってね。わたしからも……送れないか試してみるから」
鏡子はなんだかよくわからないことを言って、そのままぎゅっと目を閉じてウンウンと唸り始めた。けれど、どうやらその成果はなかなか現れないようだった。
「……そうね。きっと、この場合。受信側の問題もあるのよ。――うん、きっとそうよ」
鏡子は自分に言い聞かせるようにつぶやき、稚気を含んでくすくすと笑う。
「ね、かまち。ちょっと目を瞑ってくれる?」
「え? う、うん」
顔のすぐ近くで、微かな甘い声が鳴る。
「ありがと」
――唇の形をそっとなぞるような、壊れものを労わるような優しいキス。心が、すうっと包まれた心地になる。
「わたしの初めてよ。あなたにとっては、ある意味初めてじゃないのが残念だけれど」
「――え。じゃあ、あのときも」
「そ。ずっとツケていたのよ」
うれしそうに言う。
「おいおい! やっぱストーカーじゃねえか!!」
鏡子はくすくすと笑う。うん。ほんとうに楽しそうだ。
「ね。もう一回送ってみるから。受けとめてほしいの」
鏡子は穏やかな眼差しとともに言う。
「え、なにを?」
――その瞬間、ぼくの心のなかに、鏡子のほうからなにかが流れ込んできた。ほんとうに暖かい、得体の知れないなにか――それこそ、冷たい深海へふと射し込む太陽の光線そのもののような。心が、なんの理屈も根拠もなく、ほんのりと暖まっていく。
「よかった。届いたようね。きっとそれが、あなたがわたしや由梨にくれたものよ」
なぜだろう。自分勝手な涙が湧き出そうになる。だって、それがいったいなんだって言うんだ? 罪は……消えやしないのに……。
「ううん。こんなときぐらい、勝手でいいのよ。だって、わたしもそうだもの」
鏡子はぼくの頭を胸にすうっと抱き寄せる。ダメだ。もう堪えられない。けっきょく、ほんとうにぼくは赦されてしまう。
「ううん。それはね、これからゆっくり償えばいいのよ。だから今は、自分のために泣いてもいいのよ」
鏡子はそう言いながら、ぼくの頭をふんわりと包――
「……っ」
「そう。それでいいのよ」
「――生きても! 生きてもいいのかな……!?」
卑怯だ。返答を解った上で訊ねるぼくが居た。
「ううん。いいの。きっとそれで……」
鏡子はただ、母のようにぼくの頭を包み続けてくれた。その暖かいなにかで、ぼくの心をじんわりとほぐしてくれながら。そしてぼくは、もう一度生きることを選んだ。時間をかけて、ゆっくりと自分を赦してしまうことに決めた。それが、みんなの想いに応えることにもなるのだという、そんなおめでたいきれいごとを本気で信じてみようと。
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