track 7
「――ええ、そうです。
「……特記事項ね……行方不明までの経緯についてかな?」
「ええ、それもあるのですが……他になにかないですか?――たとえば、霧幸かまちに関してなにかを計画していたとか……」
「そういうことなら……確か、五年前だったかな。あったよ」
「――詳しく教えて頂けないでしょうか?」
「もちろん、いいよ。そうだね、まずはそこに至る経緯から話そうか?」
「ええ。お願いします」
「霧幸龍司に宿った悪魔は結婚の少し後に覚醒してね。霧幸龍司も、息子が生まれる頃には状況をある程度把握できていたのが幸いだったね。息子には個人的な感情を一切持たないように努めていたよ。それでも、自分とおなじ道を歩ませないようにするのが親としての義務だと、使命感めいた感情を奮い起こして日々研究に勤しんでいたんだ」
「――研究……自分で選んだモノを、心底大切に想い続けるための脳手術……ですね」
「うん。噛み砕くとそんな感じみたいだね。ウチも難しいことはよくわかんないけどさ。ていうか、その辺のこと、もう知ってるんなら話が早いや。五年前にその研究がようやく身を結んでさ。息子をなんだかんだ理由つけて病院に行かせて、手術を決行したんだよ」
「――それで、失敗したのですね」
「うん。その通り。悪魔の印によって干渉がブロックされちゃったみたいでさ」
「その後、彼はどうしていたのですか?」
「それからも、他の方法を探していろんな研究に明け暮れていたね。出口なんて見えなくて、ノイローゼになって。ただ狂ったみたいに研究に夢中になっていたよ。もう四六時中、頭のなかが難しい数式とか化学式とか専門用語だらけでさ。思念を読んでるこっちまで気が狂いそうだったよ」
「それで……そこからいったいどういう風にして、彼は姿を消してしまったのですか?」
「う~ん……けっきょくウチが悪いんだけどね。突然、街中で思念が掴めなくなったんだ」
「え? そんなことって。それじゃあ、もしかして……死ん――」
「でもさ。死体は挙がってないんだ。街中だよ? 死んでたら騒ぎにもなるし、すぐに見つかるって」
「……あの、彼の最後の思念って、覚えていますか?」
「ちゃんとは覚えてないよ。でも、いつでもどこでも、もう心此処にあらずって感じだったからね。あいかわらず、頭のなかで自分の研究に没頭していたよ」
「……それじゃあ、いったいなにが?」
「……わかんない。ウチの力不足だと思うよ。きっと」
「そんなことないはずです。きっとなにかが……霧幸龍司の件、あまり思い詰めないでください。なにかわかったら、また連絡します。ほんとうに、ありがとうございました」
「ウチは大したこと話してないよ。じゃあね」
霧幸龍司のかつての担当者は、それだけを告げるとすぐに電話を切った。
わたしは帰りのバスを降りてから、先生に教えてもらった番号に早速電話をかけた。電話に出た彼女は飄々と振る舞っていたけれど、それが反って内心の辛さを引き立たせているような気がした。わたしたちは、いつだってすぐに自分を責め苛んでしまう。そんな不毛な暗い渦へ、幼い頃に突き落とされてしまった。常日頃からそうやって苦しんでいるのに、仕事で大きな失態などしてしまえばいったいどれだけの思いをするか……それはわたしにとって想像に難いことではない。
けれど、霧幸龍司のそれは決して彼女のミスではないはずだ。きっと、なにかがあるはずだ。
わたしは逸る気持ちの行き場を求めるように、早足で帰路を歩いた。アパートの近くまで来ると、かまちの思念が聞こえてきた。――どういうわけか、かまちは河合由梨の遺した日記を読んでいた。いったいなにがどうなっているのか、まるで見当がつかなかった。
――みらい郵便?
ポストを開けると、ダイレクトメールに混じって、なにやら胡乱な差出人からの便箋が入っていた。わたしはなにか予感めいたものを感じて、即座にその便箋を開いた。
中には、さらにふたつの便箋が入っていた。一枚はわたしに。もう一枚はかまちに宛てて。それらは、どちらも山下たんぼからのものだった。わたしは送り主のその名に、胸を刺される思いだった。わたしが見殺しにした山下たんぼからのメッセージ。まるで死後の世界から送られてきたかのような、不吉な匂いのする手紙。いったいどんな恨み辛みがまくし立てられているのだろうか。あいかわらず愚かで歪んだ物の見方をしてしまうわたしはそう思った。
けれど、震える手指で破いた便箋には、思いもかけない、痛いくらいに心の篭もった手紙が詰まっていた。
――前略、夜月鏡子様
こんにちは。もう、今はずいぶん寒くなっているのかしら? この手紙は今から二ヶ月少し前に、最悪より少しマシな状況を想定して書いておいたものよ。だから、まだ私が生きているようなら、手紙は読まずに私に返してちょうだいね。すごく恥ずかしいから……
まあ、読むだけ読んでもらって後で笑い話になっても、それはそれで良いことなのだけれどね。この手紙が有効な状況になることに比べれば……だって、それはとても辛くて哀しいことなのだから。
と言っても、いきなりこんな話をされても、いまいち事態が飲み込めないわよね? まずは簡単に、この手紙を書いている現在の状況を説明するわね。
今は9月20日。計画が実行に移されてから二日が経過しているわ。たぶん、今のあなたなら、悪魔を宿した人間への脳手術という可能性についてはもう聞きかじっているのじゃないかしら? けれど、細かいところも含めて、一応きちんと説明しておくわね。
かまちのお父さん、霧幸龍司は、今までずっと、悪魔の呪いからかまちを救い出そうと闘い続けていたの。それも途中からは妄執にも似た不毛な闘いだったのだけれど。だって、科学の力だけでは駄目だったのよ。悪魔の印の執拗な呪縛へつけ入るためには。
けっきょく、今回導入することになった案は、すでに五年も前に彼が見つけていたものとほとんどおなじものだったわ。
悪魔の印はね、宿主の愛好対象への感情が少しでも薄れ始めた瞬間に、それを大切だと想うためのすべての脳神経のつながりを乗っ取ってしまうの。それをすべて、破壊衝動によって塗り代えてしまうの。だから、それが大切であったほどに壊したくて堪らなくなる。残酷よね。霧幸龍司もまた、そのからくりを自力で暴いていたわ。そして、その残酷な呪縛から逃れるためには脳神経のつながりを強化してしまえばいいと考えたの。決して、大切なモノへの感情が一切薄れることのないように。
では、なにかを大切に想うための脳神経のつながりとは、具体的にはなにかしら? 人がなにかを大切に想うとは、根本的にはどういうことなのかしら?
それは……非常に乾いた話になるのだけれど、対象が自分にとってどの程度の快を与える存在なのか。それに尽きるのよ。つまりは、ヒトなんて自分にとって心底気持ちのいいモノを尊いと想い込んでいるだけなのよね。人には思想や信条、いろいろとあるけれどけっきょくそれを培うのも、そういった根源的な感情なの。もちろん、そうして培った思想や信条があればこそ、感情が移ろった後でも、人は人としてなにかを大切にし続けることができるのだけれどね。――これは、もう少し後でする話においても重要なポイントになるわ。
だから、霧幸龍司は対象への快の指数を決定する脳神経のつながりを強化できれば問題は解決できると考えた。周期ごとに押し寄せる堪え難い破壊衝動には、その都度適当なモノを壊して、せめて人を殺めることのないように生きていけると考えたの。
けれど、その計画はもちろん失敗したわ。さっきも言ったけれど、科学の力だけでは無理だったのよ。悪魔はね、そんなに甘くなかったのよ。――でもね、それほどケチでもなかったわ。きちんと、ある定められた方法で定められた代償を支払えば、せめてもの脳への干渉を許してくれるの。
霧幸龍司は今、外界から物理的にも霊的にも完全に隔離された状況で儀式のための準備をしているわ。三十三日間をかけて、悪魔に身を捧げるためにあらゆる現世のしがらみからその身を清めているところよ――ごめんね。こういう形でしか、あなたに真実を話すことができなくて。あなたが天使の組織に属する人間であることは彼らも知っているの。そのあなたに何も教えないことが、契約の条件だったのよ。彼らには私がちゃんと約束を守っているかどうかを確かめる手段があって、だからせめて計画が終わってしまうまでは彼らの言うとおりにしておくしかなかったの。
知っている? 悪魔もまたね、あなたたち天使の思念を読み得る素質を持っているのよ。この世界の天使と悪魔という巨大なシステムに組み込まれたあなたたちは霊的に深くつながりあっているの。だから、天使も悪魔も互いに精神世界を通じて思念を読みあうことができるのよ。――悪魔は天使に比べて戦闘に偏った素養を持つようだから、そういった方向に関しては天使に比べて弱いようだけれどね。それでも、訓練の量しだいでは可能なのよ。
そして彼らは悪魔と天使、それとそのどちらでもない人間も含んだ少人数の団体なの――だから、ぜんぶ終わってしまうまではあなたに何も話してあげられなかったの。
彼らは日々、悪魔や天使に関する様々な研究や精神世界の探求とか、それからシステムそのものを打ち壊すための瞑想だとかに励んでいるそうよ。目的は「クソみたいなこの世界を改変するため」、だとか言っていたわ。まったく、胡乱な話よね。
けれど、その研究の成果は間違いなく本物よ。私は彼らの存在を見つけ、コンタクトを取ったの。そして、彼らが霧幸龍司を説得し、儀式の準備を執り行い、現在に至っているわ。――定められた代償。それはね、被施術者と同じ印を持つ宿主の肉体と魂なの。つまり、この手紙が届く頃には、かまちのお父さんはもう亡くなっていることになるわね……。
とりあえず、これが私にとっての現在の状況よ。次は、あなたたちにとっての今の状況を説明するわね。ここからは憶測に過ぎないのだけれど、もし万が一、私と由梨がすでに死んでしまっていて、それでもあなたがまだ生きているようなら、このルートでまず間違いはないはずよ。
まず、あなたも把握している通り、かまちはこの施術についてなにも知らないわ。彼らも慈善事業でやっているわけではないの。施術が終わって、かまちの予後を見守ったら前後の記憶を消して、何事もなかったかのように家へ帰しておくそうよ。もちろん、それでも私から置手紙をするなり、いくらでも方法はあるのだけれど、それを伝えるのはあなたからしてもらうのが一番いいと思うの。だって、事実を知ったところで、かまちが自分自身の過ちを呪うことに変わりはないだろうから。――けれど、彼らのことについては伏せておいてほしいの。あなたの属する組織にも、かまちにもね。もしかまちがすべてを知れば、彼らのことが天使たちに筒抜けになってしまうわ。そして天使たちの間にその情報が広まれば、どこかの有害な悪魔に知られる可能性もそれだけ大きくなるでしょ? 私はなるべく、彼らに対して誠実でありたいの。彼らが世界を変えようとしているのがもし事実なら、私はなるべくその邪魔をしたくないの。それは私にとっての願いでもあるのよ。だからかまちには、脳手術のことだけを伝えてくれるかしら? お父さんのことに関しては、研究のし過ぎで過労死したということでもいいし、生死には敢えて触れなくてもいいわ。
――なんだか余計な面倒ごとまで押しつけるみたいで申し訳ないのだけれど……とりあえず状況の説明を続けるわね。
まあ、彼らの施術を受けたかまちが何を想って、どんな風に過ごしていたかについては、今のあなたのほうがよくわかっているわよね。だからそこは飛ばすとして、どうしてかまちがあんなセカイに囚われることになったのか……その理由と、今後の展開について伝えるわ。
あのね、霧幸龍司の肉体と魂を喰らった悪魔の印は、幻覚と記憶の歪みを誘発する霊的なオーラを放出するの。ちょうど、たくさん食べた後の人間がゲップをするような感覚に近いのかしらね。その影響は、約一年間にも及ぶと彼らが言っていたわ。
だからかまちはあんな風になってたのだけど……きっとかまちのことだから、一ヶ月もすればもう正常な世界認識と正確な記憶を大体は取り戻している頃だと思うの。だって、あのかまちが、自分の罪を忘れたまま偽りの幸福に甘んじ続けるなんて、到底考えられないものね。
そしてもしかすると、今頃は私の家や由梨の家を訪ねて、由梨からの手紙もすでに受け取っているかもしれないわね。だとしたら、ますます自分を呪っているはずよ。どうすればいいのか、心が混乱を極めているはずだわ。ね、そうでしょ?
――でも、施術についてなにも知らないかまちが、どうやって私たちを大切にするように自己規定できたか、それも一応説明しておくわね。
彼らはかまちへ施術のことを説明しないのを前提に、意識による自己規定のほかに、その補助となるべつの仕組みをチップに導入したの。それは他の脳神経のつながりから、宿主が大切にしたいと望むであろう対象を自動的に算出する仕組みよ。ほら、さっきも言ったでしょ? 感情が移ろった後でも、人には思想や信条があるって。それに、記憶もあるわ。それらを参照することで、宿主が「なにを大切に想いたいか」を推測することが出来るの。ただ、これはあくまで補助的なもので不安定なところもあるから、意識による自己規定が最も安心できるのだけれどね。だからこそ、このことだけは、絶対にかまちに伝えてあげなくちゃ意味がないのよ。
それでね、鏡子。――いろいろと一方的に押しつけてしまう形になってしまったけれど……あなたには、その役目をお願いしたいの。もう、あなたしかいないのよ。そして、それはきっとあなたのためにもなるのよ。だって、このままじゃ、なんにも残らないでしょ? 場合によっては、あなたは私と由梨を見殺しにしているかもしれないわね。でも、それはなによりも仕方のないことだし、もう私たちにとっても心底どうでもいい事柄なの。だってそれは、自分たちで選んだ道なんだから。私たちが第一に望むのは、もちろん私たち四人の幸せよ。けれど、もしそれが潰えたなら……せめて残されたあなたたちだけでも幸せになってほしいの。それが、私たちの第二に望むことなの。ううん。きっと、あなたがこうしてここまで手紙を読んでいる今に至っては、それが私たちのいちばんの希望なのよ。だから、ぜひ叶えてほしいの。かまちにも、あなたにも、幸せになってほしいのよ。
あとは、私たちがなぜすべてを知ってまで、なぜひとまずでも避難しなかったのか、それを伝えておかなければならないわね。でないと、私たち、ただの「死に急ぎ野郎」になっちゃうものね。
あなたは教えてもらっていないでしょうけれど……悪魔の呪いには「等価交換」という仕組みがあるのよ。どうしても壊さずにはいられないほどの破壊対象が、自分の意志ではすぐに壊しにいけないような状況にある場合、換わりに自分か誰かにとっておなじくらい大切ななにかを壊してしまうの。手当たり次第にね。かまちにとっての私や由梨とおなじくらい大切なモノよ。それはきっと……誰かにとっての大切な誰かになるわ。つまり、かまちは関係のない誰かを殺してしまうことになる。かまちには、人殺しになんてなってほしくなかったのよ。
状況は、これで大体わかってもらえたかしらね。ここからは、私からあなたへのメッセージになるわ。だから、もし冗談半分でここまで読んじゃってるなら、絶対にこの先は読まないでね。自分の遺言を生きてる間に読まれることほど恥ずかしいことなんて、そうそうないと思わない?
――鏡子。ありがとう。
あなたに出会えて、ほんとうに良かったわ。
あなたは……きっと自分自身のことを異物のように思っているかもしれないけれど。自分だけが裏切り者だって。自分だけが、四人じゃなくふたりの世界に居たって。
でもね、それは違うの。私は知っているわ。鏡子、あなたが私たち四人の時間をほんとうはとても大切にしていたこと。だって、みんなが揃って四人で居るときのあなたって、ほんとうに幸せそうだったもの。とくに、みんなでご飯を食べるときなんかね。ほんとうに幸せそうだったのよ。私も、それがすごくうれしかったんだから。でも、だからこそ、四人の輪に踏み込みきれなかったあなたの辛さも、私はわかっているつもりよ。
ほんとうは……私たちにもっと心を赦したかったのよね。でも……それがどうしてもできなくて。幸せを、四人の団欒を、なかなか自分に赦してあげることができなくて。それで、自分はかまちを護りたいだけだ、かまちの笑顔を見ていたいだけだ、ってふたりの世界を装って。――そうするしか……なかったのよね?
鏡子……私はね。正直に言って、あなたの御両親が憎いわ。ものすごくよ。だって、彼らはあなたの心を滅茶苦茶にしておいて、自分たちは大したことなんてしていないと思っているわ。本気でよ。そんなの、クソッタレじゃないの。
あなたはもうどうでもいいと思っているようだけれど、それはきっと嘘よ。強がり。そうでしょ? あなたもほんとうは彼らを憎んでいるはずよ。心を圧し殺さなくていいの。無理に彼らを赦す必要なんてないのよ。復讐は無意味だけれど、そんな風に自分を殺して苦しめてしまうことのほうが、よっぽど不毛で哀しいことだわ。
いい? あなたが心に負った傷には、金輪際あなた自身の責任はないのよ。
それに、親は子を棄てるかどうかも、どんな風に扱うかも選べるけれど、子は生まれるかどうかすら自分で選べないのよ。なによ、このパワー・バランス? クソッタレだと思わない? たとえなにがどうあったとしても、親のほうに子をきちんと見て育てる義務があると思わない? ましてや、育児放棄や暴力なんてほんとにクソのクソじゃない。――だからね、鏡子。まずは彼らよりもなによりも、真っ先にあなた自身を赦してあげて。ううん。赦すもなにも、あなたは初めからなにも悪くないのよ。
……悔しいわね。こんな言葉もけっきょくただの言葉だものね。けっきょくなにも変えられない自分が歯痒いわ。
あのね、鏡子。私は、あなたに泣いてほしいの。そして、笑ってほしいの。私たちと過ごした時間も、四人の想い出にして生きていってほしいのよ。もう、ふたりだとか言わないで。それは孤独で哀しいことだから。私たちは、ずっと四人だったのよ。たとえ私や由梨が死んだとしても、それは永遠にずっと変わらないわ。
……私はね。鏡子、あなたにほんとうに救われたのよ。
私は、人は苦しみながら生きなきゃいけないって思っていたわ。人間なんてみんなクソだから、せいぜい自ら苦しんで生きるのがせめてもの義務だと思っていたの。ほんとに浅はかで、厨二病みたいな思考よね。もちろん私も、そうやってなにもかもを否定することに意味はないとわかっていたわ。それでも、私はその歪んだ毒の渦から、どうしても抜け出せずにいたの。そして、けっきょくそんな穢れた自分自身が一番のクソだって、そう思うことしかできなかった。
でも、あなたやみんなに出会えて、私は少し変われたわ。
私はね、初めはただ、大切にしてみせられる誰かが欲しかったの。ほんとうに、それだけだった。人間性の尊さを、自分のなかの光を、信じさせてくれる適当な誰かを探していたの。――クソみたいな考えでしょ? そもそも、そうやって自分のために誰かを大切にしてみせたところで、そんなものは虚しい自演に過ぎないのよ。だから、けっきょく出口なんてない。そう思っていたわ。
けれど……あなたや由梨、それにかまちとずっと四人で過ごしているとね、次第にそんなことがほんとうに取るに足りない問題に思えてきたの。たとえ自演でも、あなたやみんながますます大切になっていくうちに、人間性の尊さがどうとか光がどうとか、どうでもよくなっちゃったのよね。そんな抽象的な問題よりもなによりも、ごく単純で素朴なものが欲しくなったの。この四人みんなで幸せになりたい。四人みんなが幸せになってほしいって、そう想ったの。もう、その想いが自演だろうがなんだろうがどうでもいいくらいにね。
だから私は、あなたやかまちのことを勝手に調べさせてもらったの。失礼だとは思ったけれどね。私は、あなたやみんなを傷つけるこの世界がゆるせなかった。あなたたちと過ごす内に、心底憎むようになったわ。けれど、私には闘える気がしたの。このどうしようもなく残酷でクソッタレな世界から、みんなの心を護るために。きっと、私のギフトはこのためにあったんだって、そう想ったの。私はあなたたちから、初めて自分の生きている意味や証をもらったのよ。あるはずもないと思っていたそれを、あなたは私に与えてくれたのよ。
だから、ありがとう、鏡子。あなたとおなじ時間を過ごせて、私は幸せだった。あなたと出会えて、ほんとうに良かった。だから、あなたも決して私たち四人の想い出に嘘をつかないで。――そんなことしたら、私や由梨が絶対に許さないんだからっ。
私たちは四人だった。今までも、これからも。そうでしょ? だから、あなたにはゆっくりでもいいから、私や由梨の遺した願いを素直に受けとめてほしいの。ほんとうに、ゆっくりでいいのよ。もう、がんばらなくていいの。それ以上、他人に優しくなんてならなくていいから。これからは少しずつでも、自分自身に優しくなってあげて。
これで、私からあなたへのメッセージはおしまいよ。名残惜しいわね……。
でも、あまり長々と続けても仕方がないものね。さようなら、鏡子。
手紙を読み終える。
――私たちは四人だった。
その言葉は、わたしにとってどこまでも優しく響いた。たんぼさんは、わたしが圧し殺したまま忘れていたわたしを、冷静に見つめてくれていた。閉ざした心の向こうを、殺されていたはずのわたしの心を、暖かく見守ってくれていた。わたしは、彼女の視線や微笑みのたおやかな優しさを思い出した。まるで走馬灯のように、チラチラと頭のなかを駆け巡るそのイメージに、不思議と心が満たされていく。
――たんぼさんがお母さんだったら良かった。
そんな子どもみたいな想いつきといっしょに、気づけばわたしは、それこそ幼い子どものようにえんえんと声をあげて泣きじゃくっていた。
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