track 6
家に帰ると、バカみたいに眠った。
目が醒めると、もう朝になっていた。
人を殺した身で、ダラダラと惰眠を貪った。
正しい身の振り方なんかいくら考えてもわからなくて。すぐ疲れて、厭になって。考えることすら放棄して。そうやって、すぐ自分に甘える。現実から逃げる。ぼくはほんとうにただの屑だ。性根から、腐りきっている。悪魔がどうとか関係ない。どちらにしても人として終わっている。きっとほんとうの罪悪感というものを知らないから、こうして未だにのうのうとしていられるのだろう。ほんとうに腐りきっている。
それなのに、河合良子はあんな風に優しい言葉を放った。解ってる。けっきょく他人だからだ。そうやって、みんな自分の理想を勝手に押しつけて、他人のドス黒い部分に蓋をしようとする。自分が見たくないからって。そりゃそうだ。誰もそんなものは見たくない。それは自身や世界の黒さを映す鏡にもなりうるのだから。ヒトの持つあらゆるおぞましさは、誰の目も届かない狭い個室へと圧し込まれるべきなのだ。その暗い密室で、ヘドロが溢れて窒息しようが、いずれ破裂を向かえようが。そうあるべきなのだ。ほんとうに、世界はうつくしい。初めから、歪んだ心に居場所などありもしないくらいに。
――ああ、これか。この残酷で生易しいうつくしさこそが世界からの罰なのか。
ぼくは理解した。そして、受難の思いで、ようやく河合由梨の遺した日記へ手をかける。
手に持つと、それはずしりと重い。如何にも少女じみた装丁のそれは、今のぼくにとって血に塗れたナイフのように凄惨で生々しい。
ぼくは悪魔が聖書の表紙をこじ開けるかのように、苦渋と共に河合由梨の日記帳を開く。
《――あれは一体なんだったのかな。あたたかくて眩しかったの》
表紙の裏には、「深海少女」の一節が薄いシャープ・ペンシルで書き添えられていた。可愛らしくて弱々しい、少女の字で。
日記の本文もまた、そんな字で書きとめられていた。
《5月23日 やっと見つけた逃げ場には先に高等部の人がいた。でも、あたしから近寄らなければ大丈夫。その人はまるでこちらを見ようともしないから。それに、どうしてかな。少しだけ、あたしと似ている気がした》
それが初めに付けられた日記だった。
それから、日を跨ぎながら日記は続いていく。
《5月28日 学校はこわい。教室はもっとこわい。暗くてねばっこい渦がいっぱい広がっていて、息が苦しくなる。どうしてだろう。去年まではまだもう少し世界はやさしかったのに。でも大丈夫。お母さんのつくってくれるお弁当があるから。かわいくてあたたかいお弁当があるから。お母さん、いつもありがとね。あたしはまだまだ大丈夫だよ》
《5月31日 わかってるんだ。あたしがひどい人間だってこと。じぶんだけ上手いこと立ち回って。少しでもやさしい場所に逃げ込んで。お母さん、あたしどうすればいいのかなぁ。わかんないわかんないよ……》
《6月1日 昨日の日記がきらい。大きらい。なにもしないくせにうじうじして。ねえ、それで良い子ちゃんぶってるつもりなの? って。でも、消さない。みにくくても目なんか当てられなくても、それがあたしだから》
《6月3日 お母さんが遠回しにやさしい言葉をかけてくれた。ありがとね、お母さん。あたしは大丈夫だからね。これ以上、心配かけないようにするから》
《6月5日 どんどん教室がこわくなる。大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ。そう言い聞かせないと、圧しつぶされてしまいそうだ。ただ逃げているだけなのに。やっぱりごめんね、お母さん。あたしはどうしてこんなに弱いのかな?》
初めの頃は、ただただ苦しそうだった。けれどこれ以降、日記の文字も本文もひとまず明るいものに変わっていく。ようやく、歪んだぼくへの罰が始まるのだろう。
《6月7日 今日のお昼は、少し雨がパラついていた。あたしは物置小屋から伸びた小さな屋根の下でお弁当を食べた。高等部のあの人もそこで食べていたから、いつもよりずっと近くてドキドキした。でも、あれはなんだったのかな。心に少しだけ、なにかあたたかいものが流れ込んできて、すごく心地がよかった》
《6月8日 今日は晴れ。なんとなく気になってあの人の方をチラチラ見ていると、すぐに目が合った。あれ? もしかして、あの人もあたしのことを見てくれていたのかな?》
《6月11日 今日は、少しおもしろいことがあった。あの人がパンのかけらを地面に落っことした。あの人はそれをすかさず拾って、口にすばやくつめ込んでいた。なんだかなつかしかった。ひとりじゃなかった頃は、男の子たちが3秒ルールだとか言っておなじようなことをするのをときどき見かけたっけ。でも、あの人はもう高校生なのにね。だからかな。あの人はなにかを思い出したみたいに、とつぜんあたしのほうを見て、それからずっとそわそわして、よく聞こえない声でぶつぶつ言い訳をくり返していた。あたしはちょっとおかしくなって、お弁当を吹き出しそうになったよ。少し、元気になれた。これで、また今日もこわくて苦しい世界に耐えられる。そう思ったよ。ありがとね、お兄ちゃん》
《6月15日 最近、あのお兄ちゃんがいる屋上へ行くのが毎日楽しみだ。今日はお兄ちゃんが口ずさんでいた唄が、風に乗ってうっすらと聞こえてきた。やわらかくて、線の細い、やさしげな声だった。いつかもっと近くで聴けたらいいな》
《6月18日 今日もまた目が合った。やっぱり、うれしかった。お兄ちゃんはそれきり目を背けてこっちを向いてくれなかったけれど。早くまた、雨が降ってほしいな。あ、そうだ。今日から毎日、てるてる坊主を逆さまにしてつるそうかな》
《6月20日 今日は雨がたくさん降った。てるてる坊主のおかげかな? お兄ちゃんの近くでお弁当を食べられたよ。やっぱりあたたかかった。心の深くまで、光が射し込む感じ。でも、これっていったいなんなのかな? たとえお母さんでも、こんな風に感じることは今まで一度もなかった。お母さんがとってもやさしいってこと、あたしは知っているのに》
しばらく、少女の甘い夢に溢れた日記が続いた。本格的な梅雨入りを迎えてからは、ほんとうに毎日がうれしそうだった。そしてそこで繰り返されるのは、ともかくあたたかいだとかやさしいなどと言った、すっかり聞くのにも使うのにも厭き厭きしたような、そんな曖昧でおめでたい紋きり言葉だった。
件の飛び降りが起きた日からは、また日記の調子が変わってホッとした。過去の話とはいえ、他人が苦しんでいるサマを読んでホッとするなんてね。ようやく、らしくなってきたようだ。だって、ぼくは悪魔だから。河合家の親子が言っていることは、ぜんぶくだらない妄想に過ぎない。ヒトの感覚なんてアテになるものか。幻覚や幻聴すら、ごくありふれた現象だというのに。ほんとうに愚かな連中。こんなにも盲目に信じ切って。ぜんぶ初めから演技だったっていうのにね。
ぼくらの関係が始まってからの日記は、ほんとうに見るに耐えないものだった。滑稽すぎて。おめでたすぎて。
《7月20日 世界は終わってしまった。もう、あたしも死のうって。そしたら、あのお兄ちゃんがこわれた世界のすき間からとつぜん現れた。あたたかいお兄ちゃん。やさしいお兄ちゃん。でも、それはあたしにはもう眩しすぎるから。あたしはただただ、死んだ目でこわれた世界をながめ続けた。それなのに、お兄ちゃんはなにも言わずに、なにもせずにただただそんなあたしを待ってくれた。あたしをひとりにさせてくれながらも、ひとりにしないように、そっとしておいてくれた。そうやって、心に流れ込んでくるあたたかいもので、ゆっくりゆっくりあたしの心をほぐしてくれた。ほんとうにあたたかかったんだよ。だから、あたしは必死で手を伸ばせたんだよ。勇気をふりしぼって。もう一度、じぶんにずるくなってでも生きようって。最低でも生きようって。そう想えたんだよ。ありがとね、かまち。これからも、ううん、これからこそ、よろしくね》
《7月21日 夏休みに入って、さっそくかまちと遊んだ。お友だちと遊ぶのなんてほんとうにひさしぶりで、うれしかった。それに、今日はかまち以外にもあたらしいお友だちができたのだ。鏡子ちゃんとたんぼちゃん。どっちも、ほんとうにすてきなお姉ちゃん。あたしたちは、みんなで小さな森のなかにある館に遊びにいった。かまちのおじいちゃんが昔、レコーディングのためだとか、友だちを集めてさわぐときだとかに使っていた館なんだって。今はなにもないけれど、これからいろいろそろえていくよって、かまちが言っていた。そして、かまちはみんなに合いカギを配ってくれた。好きなときに使ってくれていいって。ここはこれから、俺たちみんなのアジトになるんだからな! なんて、子どもっぽいセリフを言いながら。そのときのかまちは、なんだかとてもきらきらしていた。その姿が、あたしにはうれしかった。鏡子ちゃんもたんぼちゃんも、想うところはたぶんおなじなのかな、とてもおだやかにほほえんでいた。今ここに広がっている世界は、とってもすてきでやさしいなって、そう想ったよ。それからは、みんなでわいわい大そうじをしてから、お菓子を食べたり、ジュースを飲んだりしながらいろんなことをお話した。鏡子ちゃんもたんぼちゃんも初めて会うのに、ぜんぜんそんな感じがしなかった。なんだか、お母さんが一気にふたりも増えたような心地になったよ。鏡子ちゃん、たんぼちゃん、今日はありがとね。たくさん生きる力をもらったよ。それに……ありがとね、かまち。あたしやみんなに居場所をつくってくれようとしてるんだよね。なんとなくだけど、わかるよ。ほんとうに、ありがとう》
さようですか。でもごめんね。初めからぜんぶ嘘だったんだよ。バカな奴。ぼくのことなんにも知んないくせに。そうやって信じちゃうんだから。ほんと、おめでたいにも程があるよ。
それから日記の描写はどんどん細かく長大になっていった。なんでもない日常のことまで、河合由梨は誰がどんなことを言っただとか、そのとき誰がどんな様子だったか、自分はどう思ったかなどをいちいち書きとめていた。まるで毎日夢みたいなおとぎ話を紡いで、大切に宝箱にしまい込むみたいに。
ぼくは一枚一枚、その気違いじみたうつくしさと対峙するように目を見張りつつ、ページを繰った。河合由梨の誕生日会の日記を読んでいる最中などは、つい嘔吐してしまったくらいだ。あんまり凄惨な生うつくしさだったから。トイレに駆け込んで汚い便器に顔を突っ込むと、少しだけホッとした。
一度吐くと、嘔吐が近くなってしまったので、ぼくはそのまま汚い便所に這いつくばっていたいけな少女の日記帳を読んだ。少女がぼくへの恋心を意識するようになってからは、ますます嘔吐が頻繁になった。あげく、少女が「じぶんはかまちの支えになっているのかな?」なんて悩み始めた頃には吐くものなどなにもなく、ただ空っぽのえづきのみを繰り返した。――ぼくの支えになっているかだって。ほんとバカだね。違うんだよ。まずもってして論点がさ。きみは利用されてただけなんだから。単なる心の餌に過ぎなかったんだから。
日記は日を追い、月を追い、そんな風に凄惨を極めた。けれど、四人の関係が一周年を迎えてしばらくあとに、突然不可解な記述が現れる。
《7月29日 たんぼちゃんが教えてくれた。かまちのこと。それに鏡子ちゃんのことも。たんぼちゃんは今もひとりでいろいろとがんばって、みんなの希望を探してくれているみたい。あたしはね、なにもできないけれど、もうこれ以上逃げたりなんかしないよ。だって。かまちが必死に迷いと闘いながら、作ってくれた居場所なんだもん。ずっと大切にしたいよ。ずっといっしょに居たいよ。あらためて強くそう想ったよ》
おいおいおいおい。いったいなんの話だ? 逃げろよ。ぜんぶ知ったんならさ。ふつう誰でもそうするだろ? こんなイカれた殺人鬼。とっとと置いて逃げてしまえよ。
《8月2日 でも、これってやっぱりあたしのワガママなのかな? あたしを殺しちゃったら、きっとかまちはすごく傷つくんじゃないかな? たんぼちゃんに相談したら、トウカコウカンがどうとかって教えてくれた。むずかしい話だったから、細かいことはよくわからなかったけれど、ともかくあたしたちが逃げちゃうとね、最悪の場合に代わりの誰かが殺されちゃうかもしれないんだって。それはイヤだよ。かまちに人殺しになんてなってほしくないよ。ごめんね。これはあたしたちのワガママなんだ。でもたんぼちゃんがね、今日も必死で希望を探してくれているよ。あたしはバカでなにもできないけど、それをみんなといっしょに待ち続けるよ。――ごめんね、かまち。やっぱりあたしはざんこくだよね……》
等価交換? なんだ、それは? 山下たんぼは、ついにぼく自身ですら知らない絶望を見つけていたのか? 道理で一時期出席率が低下していたわけだ。そんな裏事情があったなんて。しかも、わずかに時が遅かったとはいえ、山下たんぼは最終的に目指した地点まで辿り着いていたようだ。
《9月14日 よかった。ほんとうによかった。たんぼちゃんがやっと希望を見つけてくれたよ。それに、もう話も取りつけてあるって。すぐに実行に移ってくれるだろうって。でも、ほんとうにすごいや。ありがとう、たんぼちゃん》
それから、日記はまた一層きらきらとした日常の描写に戻っていく。まるで未来を夢見るように。あたらしい世界を待ちきれずに、落ち着かない足踏みを繰り返すように。
そして、最期の記述がこれだった。10月20日付けの日記の末尾に、まるで運命を暗示するかのように少女の漠とした不安が書きとめられていた。
《――明日はみんなの森の館でサプライズだ。ドキドキするよ。でも、どうやって説明するのかな? たんぼちゃんは、私が上手いことやるわって言っていたけれど。上手くいくといいな。また、あたしはなにもできないけれど、こんなあたしでも……いっしょに幸せになってもいいのかな?》
最期の日記を読み終えてから、もう一枚ページをめくると、そこには手紙が挟まっていた。
《かまちへ えっと……なにを書こうかな。お手紙って初めてで、よくわかんないや笑 えっとね、ごめんね、かまち。これを読んでるってことは、けっきょくあたし、かまちの手を汚させちゃったんだよね》
――おい! なんでおまえが謝るんだ? もうやめてくれ! そうやってぼくを追い詰めるのは!
――つい、そんな身勝手な怒りが込み上げてくる。ほんとうに屑そのものだ。
《って、あやまっても仕方がないよね。でもね、とにかくかまちはもうじぶんを責めないでね。だって、あたしはかまちに命を救われているんだよ。あのとき、もしかまちが来てくれなかったら、きっとあたしは死んでいたんだよ。だから、殺したことをあんまり重荷に思わないでね。それに、これはあたしたちがじぶんで選んだことなんだよ。かまちに人殺しになんてなってほしくないって。あたしたちなら、最悪のことが起きても大丈夫だからって。もう十分助けてもらったからって。たんぼちゃんもね、かまちもほんとうはよくわかっているだろうけれど、ほんとうにギリギリまで思いつめていたんだよ。きっと、かまちはまたあたしたちを利用しつくしたとか、思うんだろうけれどね。――えへへ。あたしもね、最近ときどきだけどかまちの考えていることがわかっちゃうんだよ~。――でもね。それを言うなら、あたしたちだってかまちをじぶんのために利用していたんだよ。あたしもそれが、ずっと後ろめたかったりしていたんだよ。でもたんぼちゃんが言ってくれたよ。――人と人はね、どうしようもなく利用し合う生きものなの。けれど、それが良いことか悪いことかは私たちが決めるのよ。あなたは、私たち四人の関係を否定できる?――って》
ああ、そうだよ。人は互いに利用し合う生きものだ。それが要するに社会を築くということであり、支え合って生きるということなのだから。それ自体は決して否定されるべき事柄ではない。でも、そんなあたりまえのことは小学生の頃から知っている。それでも、社会には、その輪のなかに本来入っていてはいけないアウトサイダーというものが存在するだろ? たとえば、殺人鬼とかさ。そんな奴がみんなのなかに紛れ込んで、最悪の嘘をつき続けたんだよ。四人の関係? そんなもの否定するに決まってるだろ。だって、その首謀者がとんでもない悪魔だったんだから。なのに利用し合うとかどうとかって、そもそも論点が可笑しいんだよ。しかもソレ、もうとっくにズタズタになってるし。
《ん~~。こんなこと言ってもむだなんだろうな……もう、なんて言えばいいのかわかんないよ。――あ、そうだ。でもね、かまちがこれを読んでいるってことは……あたしたちは死んでいるけれど、たんぼちゃんが用意してくれたものはちゃんとわたせたってことだよね。お父さんの願いも叶ったってことだよね。それに、きっと鏡子ちゃんもまだ生きているんだよね》
ん? なんであの男の話が出てくるんだ? いったいなんだって言うんだ?
《え~とね、あたしはただなんにもせずに待っていただけだけど、たんぼちゃんはずっとかまちやみんなの未来のためにがんばっていたんだよ。かまちのお父さんも、ずっとかまちのためにがんばっていたんだよ。それに、鏡子ちゃんは今だっていろんなものをしょい込んでかまちをまもろうとしているはずだよ。それなのに、じぶんでじぶんを追いつめるなんていけないんだ~。あたしたちを殺したなら、ちゃんと責任をとって幸せにならなくちゃいけないんだよ~!》
また意味不明なことを。殺した責任で幸せになるなんて、それこそ異常殺人狂の妄言じゃないか。コイツはぼくにほんもののサイコ野郎になれってのか?
《ん~~。これじゃ、だめかな……ふつうにコイツなに言ってんだ? って思うよね。えへへ。でもね、かまちはほんとうにあたたかかったんだよ。それは幻想なんかじゃないんだよ。あたしが感じたものはれっきとした、天使とあくまのシステムにのっとったものなんだって、たんぼちゃんが教えてくれたよ》
なんだよ。天使と悪魔のシステムってよ。しれっと意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ。
《だいたいね。あたしがあんな風になってなければ、かまちはあたしたちとつるむことにならなかったよね。あたしが、かまちがずっとガマンしてきた引き金を引かせちゃったんだよ》
そんな理屈通るか! それこそ、弱った人間を喰いモノにするっていう最低のヤリ口じゃねえか! 大体なんでおまえはそんなに必死なんだよ! そうやっててめえの理想を他人に押しつけやがって。いい加減にしろ! とっとと騙されてたことを素直に認めやがれよ!
《かまちはね。今のかまちはね、ほんとうに在りたいじぶんでいられるんだよ。たんぼちゃんとかまちのお父さんがね、そういう力をかまちに授けてくれたんだよ。むずかしい話はよくわかんないけど、そういうモノなんだって。そしてそれはね、結果的にだけど、あたしたちの命と引きかえに受けとった力なんだよ。だからね。責任をとってもらわなくちゃいけないんだ。あたしたちの夢見たかまちのまんまでいてくれなくちゃだめなんだ。かまちだって、ほんとうはそれを望んでいるくせにさ。いいかげん、素直になってよね。――そうだ。これがあたしたちを殺した罰なんだよ。あたしたちはあたしたちの理想をかまちに押しつける。かまちはそれを背負って生きてくの。逃げちゃだめなのだ。ちゃんと、鏡子ちゃんを幸せにしてあげてね》
卑怯だ! 卑怯だよ! そんな言い方されたって。もう――
三枚重ねられた手紙の最後の一枚には、歌の詞のようなものが書き添えられていた。未来への期待と不安、両方が入り混じった哀しい詞だ。
†††
「樹海のぼくら」
哀しみの海を抜けたあたし 扉を開けて笑うの
このままいつまでも居られたら そんなあたしは幼かったね
時が流れて 感謝に満ちて やっと見えた暗がりの向こう
手を伸ばしても届かないよ きみもまた傷を隠していた
あれはぜったいほんとだったの あたたかくてうれしかったよ
もうそんな風にじぶんを騙さないで 素直になってよね
樹海のきみは わざわざ迷う
光に怯えて嘲笑う
樹海のきみを だけど知ってる
優しいきみは決して嘘じゃないんだよ
昼も夜も怯えて過ごした でも今なら 笑えるの
手を伸ばして しがみついたら きみは静かにほほ笑んでいた
だけどきみは暗がりのなか 傷を隠して笑っていたの?
待っててね あたしは無力だけど そばに居るから
樹海のきみは 独りで迷う
光を夢見て 泣いてるの?
樹海のきみは でも忘れてる
この森は「俺たちみんなのアジト」でしょ?
「こんなにぼくは汚れてしまった」いつかきみがそう思うなら
あたしが見ているきみを見てよ まだ信じられない?
声にできない秘密を抱えて生きて
道を外れて 罪を背負い どこへ向かうの?
ねじれたきみは まだ夢を見る
闇はきみを 隠しきれないの
孤独な少女 手を伸ばしたら
それを今度は掴んで放さなきゃいいんだよ
樹海のぼくら 必死で走る
歌う それぞれの祈りの歌
樹海のぼくら 幸せ目指す
心ゆるせる この場所をもらったから
この森の中で ずっと笑うの
†††
なんだよ。
なんだよそれ!
死んじまったら、殺されちまったら。もう笑えねえじゃねえかよ!
クソ!!
クソッ!!
クソクソクソクソクソクソッッ!!!
この屑が!!
どうして泣いてんだよ!?
おまえが殺したんだろうが!
わかってて! 餌にしたんだろうが!
クソッタレが! 白々しいんだよ! 気持ち悪いんだよ! 白い汁は! 精液だけで十分なんだよ!
ぼくは汚い便器に顔を押し付けて、空っぽのえづきを何度も繰り返した。
白々しい涙を振り払って、ぼくは冷たい雨の音を聴こうとした。
けれど、嘔吐に憔悴しきった心に聞こえてきたのは雨の鳴り止む音だった。どうしようもなく、雨の鳴り止んでしまう音だった。
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