track 11
――音楽が、壊せるものならよかった。
中等部の頃、ぼくはなんとなく灯かりに誘われて、ときどき路上へ歌いに出ていた。
そんな日のこと。誰かにこんなことを言われた。
「きみは表現者としての才能があるよ」
だってさ。たいそう熱っぽい調子だった。
単純なぼくは舞い上がった。ますます音楽にのめり込んでいった。
けれど、今にして思えばそんなものは金輪際要らなかった。
そんなものより、ニンゲンの才能が欲しかった。それさえあれば、音楽なんて初めから要らなかった。
音楽が、一体なんになった?
いろんな音を知ったところで、それがなんになった?
心を音楽に赦すほどに、幼稚な衝動はますます迷子になった。
振動は、いつだって無意味だった。
それはむしろ、ますますぼくを歪にさせた。
弱い心にとって、音楽はただただ甘い毒になった。
そうして、ぼくは人の道を致命的に逸脱した。
字義通り、致命的に。しかも命を落としたのはぼくじゃない。どこかの誰かさん、約二名だ。
――え? 手遅れだった? 誰だかの誕生会が終わったら、自ら姿を消すつもりだった? だから運が悪かっただけだ?
あれだけ、壊すことを愉しんでおいて。
最悪の問題を、散々先延ばしにしておいて。
散々、メッタクソにしておいてから、あとでどうにかするつもりでした?
おめえはどこの政治家だよ。
初めからわかってたんだろうが。
そのイカれた性癖の、最悪にして絶対のルールを。
人とモノが同じじゃないってこと、比べものにならないってこと、わかってたんだろうが。
周期なんて関係なく、飽きたらその場でヤっちまうって。
きっと、そうなるって。みんなが大切になっていくほどに、確信していったんだろうが。
そうやって、縋るほどの光も、なくなっちまったんじゃねえか。
どーせいつかは飽きるってよ。
なのにおまえは、ダラダラと縋り続けた。あるはずもない光に。
それでも、ぼくは答えに辿り着いた。ただ、区切りが来るのを待っていただけだ。由梨ちゃんの、二回目の誕生日パーティーを。
またユリチャンユリチャンか。
そうやって、おめえは甘え続けただけだ。
共依存って言葉、知ってるよな?
そりゃ知ってるよな? 今や使い古されて、ありきたりになってる言葉だもんなあ。
おめえはけっきょく、少しでも長く、強く、ニンゲン様の気分でいてたかっただけなんだよ。そのナントカってのをダシにしてなあ。
まったく、呆れるよなあ。反吐が出るよなあ。悪魔のくせにニンゲン様に憧れるなんてなあ。
あのなあ、おめえはバカじゃねえのか?
ニンゲン様はな、ハナっからニンゲン様なんだよ。ニンゲン様なんてな、憧れてなるようなもんじゃねえんだよ。
――ていうかさ。なあ、二重人格のフリなんてすんじゃねえよ。
元々、俺たちゃ、ふたりでひとつだろ? いや、そもそもふたりですらねえだろ?
だって、さっきから支離滅裂だぜ? どっちがどっちかもわかってねえんだろ?
「アアアアアアアアアアアアッッ!!! ウルサイッッ!!!! ウルサイッッ!!! ウルサイイイイイイイイッッ!!!」
気がつくと、ぼくは凄惨な金切り声を上げていた。
今夜の茶番も、たいそうくだらなかった。
なぜ、こんなことになっているのか。
なにが起きていたのかはようやく解ったけれど、あいかわらずそこは解らない。油断をすれば、自作自演に陥っているぼくがいる。場合によってはどこまでもリアルな幻覚と幻聴で現実を侵食してしまうほどだ。
ぼくは、かつて触れ合った玩具をふたつ壊した。
その現実から逃れるために、ぼくは欺瞞に欺瞞を重ねた。
想像や回想でハリボテの現実を構築し、都合の悪い記憶には蓋をした。
でも、デジャヴや思考・感情の不自然さを除くことはできなかった。
けっきょく架空の暖かい現実は、本物の虚しい現実には打ち克てなかった。
それはできるべくもなかった。本物の現実はどこまでも、残酷で獰猛なのだから。
それにしても。
大切だったものほど壊したくなる――
そのルールは、如何にも悪魔的と言える。
どこまでも嗜虐的で、まるで悪魔が、人間として生きようとする欲求そのものを嘲笑っているかのようだ。ぼくだって、一応ヒトとして生まれてきたはずなのに。
でも、そうやってぼくを嘲笑っているのは他でもない、このぼく自身なのだ。なんて自己完結。まるでナメクジの自家受精じゃないか。マスターベーションよりずっと気持ち悪い。あまりにも歪で醜悪で滑稽だ。
いみじくも茶番の悪魔が言っていたとおりだった。
ニンゲンになど、決して憧れてなるようなものではないし、なれるものでもない。
ニンゲンだのなんだのと自己へ向かい過ぎた関心は、ますますそいつを自己愛の奴隷に変えるだけだ。歪んだ自意識の渦へと埋没させ、身動きも取れなくさせてしまう。
だからこそ、悪魔は音楽という領土を敢えてぼくに残し、夢見ることを誘い、赦し続けたのだ。
ぼくは悪魔に自ら魂を差し出していた。それも他人の魂を。
ニンゲンになりたい――
そんな血迷った夢のために。
膿んだ夜だ。
バリバリと、世界を貪り喰らうように降る雨が、今は実に心地よい。朽ち石や砂利を喰らうような快感。セエセエする。
意外にもこの雨の元ネタはランボオだったのかもしれない。中也のほうならまだ可愛げもあっただろうに。
ステレオをつける。
ぼくはまた、自分を赦し続ける。ソレでいいやと。自分で自分を嘲笑う。
今のこんな状況に、ぴったりの曲がある。
ドルメンズ。
何年か前に、灰野敬二と対バンしていた無名のバンド。
「あくまのうた」だって。ほんと今の俺にピッタリだよねえ。
†††
あくまのうた 詞と曲:イマハシリョヲタロウ
もういろんなこと忘れてるそぶりで 平然としていられるなと 思っているのかい
二度と直せないものを 壊してしまう前の気分で ずっと過ごす
そう思っていたら そう思っていたら
遠い声が聞こえるよ かすかなあの子の声だ
僕は耳ふさいだんだ
あの子を救ってあげて僕は引き換えに死んでしまいたい
忘れてしまう 考えてしまう 忘れてしまう 考えてしまう
忘れてしまう
けれども生きてるんだよな
あの子の笑い顔と ふさぎこんだ顔が
何回も浮かんで 浮かんで 沈んでった
あの子のことを 八つ裂きにしてバラバラにして
あげくにローラーで押しつぶして
今さら何を言ったとしても 救われることはないよ
遠い声が聞こえるよ かすかなあの子の声だ
僕は耳ふさいだんだ
あの子を救ってあげて僕は引き換えに死んでしまいたい
†††
はじまりの頃は、怯えながらもまだわずかな希望を信じていた。
そうやって、ずっと過ごせると想っていた。想っていたかった。
それでも怖くて怖くて堪らなくて。そのうちいつか希望も潰えて。
何度も何度も何度も何度も、この曲を聴いていた。
そうしてぐずぐずしているうちに、ぼくは完全に取り返しのつかない道へと至った。
もう、赦されていいはずがない。救われていいはずが。
なのに。それなのに。どうして今こんなにも心を撃たれてしまうのだろう。ほんの少しでも、救われた気になってしまうのだろう。あの仔のほうは、決して救われやしないのに。
ほんとうにいい曲なんだ。これ。
ギターがさ、いいんだよ。ノイズが、優しくってさ。
知ってるかい? こういう耳を、世界を、埋め尽くすような優しいノイズ・サウンドのこと。シューゲイズって言うんだぜ。昔こういう音を出し始めた連中がさ、靴紐をさ、ジッと見つめながら演ってたんだって。なんだか、うつくしい話だよね。
――ごめん。ちょっと嘘入ってるけどさ。
――いったい誰に話しかけているんだろうか、ぼくは。
――ダメだ。人に餓えている。いったん味を占めてしまってから、ぼくはどこまでも弱く、ずるくなった。
でもさ、どうして、こんなに哀しくなるのかな。どうでもよくなったから、壊したはずなのに。
スピーカーから、オート・リバースで「あくまのうた」は流れ続ける。
歌が、声が、心に響く。
ほんとにいい歌、歌うんだこの人。
イマハシリョヲタロウさんか……
全然知らないこの人が、こうやってぼくの雨に撃たってくれる。
やっぱりこれは哀しい雨なんだって気づかせてくれる。ぼくは、ほんとは今でもこの雨から抜け出したいんだって。それだけは嘘じゃないんだって。
――あーあ、こうやってぼくはまた自分を赦してしまうね。
――こんな日に限って余計なこと覚えるんだ、か。
ぼくにとってなによりも余計なものは、間違いなく音楽だった。
ねえ、イマハシリョヲタロウさん。ぼくらはずるいね。死にたくなっても死にたくなっても、それでもやっぱり狡猾に立ち回って、罪を赦しながら生き延びているんだから。
だからどうしてもぼくは想うよ。
音楽が、壊せるものならよかったって。
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