思い出は観覧車と共に

腹筋崩壊参謀

【短編】思い出は観覧車と共に

 正直言ってしまうと、俺がどうやってここまでたどり着いたのか、全くと言っていいほど思い出せなかった。いつ家から出かけ、どのような道を進み、そしてどうしてここに足を踏み入れることができたのか、思い出そうとしてもそれらの記憶に一切行き当たらなかったのである。

 だけど、たった1つだけはっきりと覚えている事があった。確かに俺は、この場所――町のはずれに佇む小さな遊園地に来てほしい、とどこからか聞こえる声に促されたのだ。


 そして、観覧車を見上げる位置に立った俺の傍に――。


「……ふふ、こんばんは」

「……おぉ……よう……」


 ――可愛らしい笑顔と綺麗な衣装、そして儚げな雰囲気を醸し出す、俺が何よりも大事にしたいと思い続けている女性が、そっと現れた。

 俺の目に入ったその美しい宝石は、昔と全く変わらない輝きを魅せていた。


 本当に来てくれるとは思わなかった、と嬉しそうに語る彼女の言葉に、俺はつい苦笑いをしてしまった。当然だろう、俺の方もまさかこの場所を今になって訪れる事が出来るなんて、自分でも信じられなかったからだ。でも、きっとそれは君が届けてくれた声のお陰だ、あの声のお陰でどんな障壁もものともしない程、無我夢中になってこの思い出の遊園地に辿り着くことが出来たのだから――つい夢中になって口から発してしまった言葉のベタさや気恥ずかしさに顔を真っ赤にしてしまった俺に対し、彼女は嬉しさを存分に溢れさせた笑みを見せてくれた。


「本当に、久しぶりだね……」

「ああ……」


 彼女の優しげな姿を見つめているだけでも、俺の体に溜まっていた長年の疲れが抜けていくような気がした。ついそんな様子に感慨深くなり、一瞬涙をこぼしそうになるまでに感極まると言う少し恥ずかしい姿を見せてしまった俺の肩を、彼女は優しく叩き、励ましてくれた。泣くのは後、せっかく夢が溢れる遊園地に来たのだから一緒に楽しもう、と誘ってくれたのだ。そして、ぜひ最初に乗りたいと告げたのは、俺たちの視界いっぱいに広がる観覧車だった。

 失礼ながら、俺はその時彼女の言葉に一瞬耳を疑ってしまった。ずっと俺たちの目の前に聳え立っていたのは、あらゆる部位が汚い赤茶色を帯び、たくさんの夢を作り出してきた記憶の中の光景とは無縁の代物だ。それに乗ることなんて出来るのか、そもそもゴンドラが――そんな疑問を抱いた、その時だった。突然、たくさんの眩い光が俺の元に飛び込んできたのである。突然の出来事でくらんでしまった俺の目がようやく慣れたとき、視界に広がっていたのは昔と同じ、いや俺の記憶の中にあったものよりも遥かに美しく輝く、多くの人々の夢を乗せて回り続けていたであろう観覧車の姿であった。


「……これは……!」


 夢なのか現実なのか、俺は何を見ているのか――つい唖然としてしまった俺の動揺は、再び彼女の優しい笑みによってかき消された。昔から、あの笑顔には俺の苦しみや辛さを解き放ってくれる、不思議な力があった。今回もまた、観覧車での楽しい時間を味わえるという楽しみを与えてくれたのだ。

 心が落ち着いたのち、俺と彼女は足並み揃えて入口へと向かった。つい数分前まで疲れ果て、動くのもやっとになっていた俺の足は、彼女の歩みとともに軽やかなものへと変わっていた。


「え、タダで……いいのか?入場料とかは……」

「大丈夫だよ。もう、昔から心配性なんだから……」

「え……あ、すまない……」


 でもそんな慎重さも、君にとっては素敵な要素だ――そんな誉め言葉につい顔を真っ赤にしつつも、俺たちは回り続ける観覧車のゴンドラに足を踏み入れた。昔ながらの風貌にどこか似合わない、たくさんの電球で彩られた丸い車内は、2人にとっては丁度良いほどの広さだった。そして、俺たちの体はそっと宙に浮かび始めた。

 やがて眼下に広がり始めたのは、今まで一度も見たことがない幻想的な景色だった。ジェットコースターにメリーゴーランド、ゴーカートにお化け屋敷――ずっと昔に時を止めた記憶があるはずの様々な施設が、俺と彼女の前で夜の黒さを払拭させるかのように輝き、幻想的な世界を創り出していたのだ。その様子につい目を奪われしまった俺の傍に、彼女がそっと寄り添いながら告げた。目の前に広がるこの光景こそが、ずっと彼女が思い描いていたである、と。



「……覚えてる?この観覧車で私たち……」

「ああ、心配ないよ……君が、最初に言ってくれたんだよな……」

「うん……」


 あの時も、俺を優しく導いてくれたのは彼女だった。本心を表に出すのが苦手でいつもどもってしまう俺を、彼女は優しくもしっかりとした言葉で励まし、そして俺がずっと思っていた言葉を代弁してくれたのだ。その時、気恥ずかしさと嬉しさが入り混じってしまった俺の行動を、彼女はばっちり覚えてしまっていた。うっかりゴンドラの中で立ち上がり大声を張り上げてしまったという奇行を改めて言われてしまうと、俺はただ顔を真っ赤にすることしかできなかった。



「わ、忘れたかと思ってたよ……」

「えへへ、ごめんごめん……でも、本当に私にとっては大事な思い出だったんだよね……」

「そうか……俺もだよ……」


 それから長い月日が過ぎ、昔の記憶が新しい出来事にどんどん塗り替えられていく中でも、あの時の思い出だけはいつまでも忘れず心の中に残り続けていた。そう言えば、あの時もこの遊園地は俺たちを祝福するかのように輝き続けていた覚えがある。もしかしたら、と思いながら見つめた俺の手は、に刻まれたあの姿へと変わっていた。

 ようやく俺は、何故彼女が今になってこの遊園地へと誘ってくれたのか、その理由にたどり着くことが出来たのだ。


「……そうか……そういう事だったのか……」


 俺と彼女が乗るゴンドラは、一番高い場所から少しづつ暗い地面へ向かって降り始めていた。あの時から様々な出来事があった、と語りだす彼女の言葉を思い出しきることが出来なかった俺の心を示すかのように下がり続けていた。一緒に食べたご飯の味も、楽しく出かけた旅行も、うっかり喧嘩してしまった時の思い出も、俺の中で全て真っ黒に塗り潰され、頭に描くことが出来なかったのだ。しかもその中には、この楽しい遊園地の中で過ごした様々な記憶も含まれていた。

 そして、楽しく語り続けていた優しげな笑顔、そこから放たれる愛らしい声に耐えきえなくなった俺は――。



「……どうしたの!?」

「ごめん……ごめん……俺、分からないんだ……」

 

 ――気づいた時には、観覧車の中で大粒の涙を流し始めてしまった。男としてあってはならない事かもしれないけれど、どうしても我慢が出来なかったのだ。大事な彼女との思い出を悉く忘れてしまった俺はなんて情けない存在なのだろうか、どうして彼女を置き去りにして長い間過ごしてしまったのだろうか――様々な後悔が入り混じりながら泣き続けていた俺の顔を、そっと優しい感触が包んだ。奇麗なアップリケがついた、昔からのお気に入りだというハンカチを、彼女は俺の悲しみを拭うために用意してくれたのだ。


「……私、貴方が悪いなんて全然思ってないよ」

「……でも、俺は……」


 その後に続こうとした言葉は、あまりにも意外な行動で中断させられた。

 ほんのわずかな時間で、俺の涙はぴたりと止まってしまった。当然だろう、あどけない表情の彼女が持つ柔らかい唇の感触を俺は存分に味わってしまったのだから。彼女の体全体が、まるで不思議な魔法でできているように感じた。周りに広がる、幻のように美しく輝き続ける遊園地の光景と同じ、いやそれ以上の力を持つかのように。

 そして、涙の跡を拭き続ける俺に、彼女はそっと言った。もし何もかも忘れたとしても、そもそもそのような記憶自体が存在していなかったとしても、全く問題はない。楽しい記憶は、これから幾らでも作り出すことが出来るのだから、と。



「……観覧車から降りても、この遊園地にはたくさんの乗り物がある。それに、観覧車にこのまま乗り続けても、また新しい景色がみられるかもしれない。だからだって、これから2人でもっとたくさん作れる。私はそう思うよ」


「……遊園地と同じ……そうか……そうだよな……」


 怖い建物の中で肝をつぶす思いをし、スリル満点の乗り物に乗ってたっぷりと興奮し、そして優雅なショーを2人で一緒に楽しむ――少しづつ近づいてきた遊園地の地面に建つのは、俺たちに最高の夢を創り出してくれるたくさんの施設だ。こんなに楽しい出来事が待っているはずの場所で、哀しみに浸ってばかりはいられない――また俺は、彼女の言葉に助けられてしまった。やっぱりいつまで経っても敵わないな、とようやく笑顔を創り出すことが出来た1人の不器用な男に向け、宝石のように美しい美女は、むしろ逆だ、と優しくもはっきりと告げた。どれほど時が経っても、いつまでもこの場所、この光景を覚えてくれた事が、自分という存在をずっと留めてくれたのだ、と。


「……ありがとう」

「……こちらこそ……」


 そして、俺は自分でも驚くほど自然に、彼女の瑞々しい唇の感触を確かめていた。もう何も怖がることも恥ずかしがることもない、この遊園地の中では自分の思いのまま、素直な気持ちで行動することが出来る――その事を実感したのが理由かもしれない。


 顔を真っ赤にし合いつつ互いに笑い合う1組のカップルを乗せたゴンドラは、ようやく終点へたどり着こうとしていた。これを降りた後は昔から大好きだったあの乗り物に乗ろう、という俺の提案に、彼女は少しだけ表情をこわばらせてしまった。そういえば、絶叫系とか何とか新聞でよく書かれている乗り物は苦手と言っていたっけ。でも、一度自分に正直になることの幸せを実感してしまった俺は、敢えて彼女の心に遠慮しない決心を固めていた。


「さっきまでずっと励まされっぱなしだったからな……大丈夫、怖くなっても、俺がずっと傍にいるから」

「本当?本当に、絶対に、大丈夫?」

「……ああ。今度こそ約束する」


 もう絶対に君の傍を離れたりなんかしない――ゴンドラの扉が静かに開くまで、俺たちは互いの感触とその決意を確かめ合い続けた。

 これからこの場所で創り続けることになるであろう、たくさんの思い出への期待を存分に込めながら。


~~~~~~~~~~~~~~~~


『トアルテレビ1800、次のニュースです。

 1ヶ月前から行方不明になっていた○野×郎さん(90)が、遺体となって見つかりました。

 遺体が発見されたのは、十数年前に閉園し現在はフェンスで封鎖されている遊園地跡の敷地内で、警察は事件の可能性も含め捜査を進めています。


 ○野さんをよく知る人の話によりますと、数年前から痴呆症を患い、放浪癖があったそうです。

 また○野さんは生涯を通してであったとの事で……』

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