第二章 不動の騎士_2



 私が連れていかれたのは、演習場の近くに建つ団のしよだった。

 詰め所と言っても貴族子息がつどう騎士団のものだから、その内装は無骨というよりはどちらかというと優美だ。

 ごていねいじゆうたんかれた部屋で待っていると、かたぐちきんぱつを切りそろえた男の子がお茶を出してくれた。彼も騎士団のもんしようが入ったかんとうを着ているから、見習いのしようちがいない。

 そうしてしばらく待っていると、部屋に防具を外したスチュワートとアーヴィンの二人が入ってきた。よろいの下に着るダブレット姿は、いつもの貴族然としたかつこうとは違って見える。

「フランチェスカ。どうしてあんな所にいた? ひきこもりのお前が」

 部屋に入ってくるとあいさつすらもなく、スチュワートは私をとがめるように言った。

 先ほど令嬢たちに対応していた態度とは大違いだ。

「───騎士団の練習を見学していたのです。いけませんか?」

 言い返してくるとは思っていなかったのだろう。スチュワートはおどろいた顔になった。

 私はと言えば、どうしておこられなければいけないのかとやけになっている。

「二人とも落ち着いて。座って話そう」

 年長者のゆうか、アーヴィンがいやそうにするスチュワートを私の向かい側に座らせた。彼は小姓の青年に三人分のお茶を用意させると、彼に部屋から出るように言った。

 残ったのはかぐわしいかおりの新しいお茶と、次期国王候補の三人だけ。

「それで、聞かせてもらおうか。どうして演習場にいたのか。私たちの弱みでもにぎりに来たのか?」

 あいそうなスチュワートから投げつけられた乱暴なセリフに、私はいかりを通りしてぜんとしてしまった。

 どうしてここまで言われなければならないのか。怒りのあまり、頭に上っていた血がき出すかと思った。

「お言葉ですが、別にあなた様を見に来たわけではありませんわ。わたくしはアーヴィン様にお会いするためにこちらに参ったのです」

 せいいつぱいスチュワートをにらみつけながら言うと、彼はこんわくしたように眉を寄せた。

「おい、それはどういう……」

「俺に? 一体どのようなご用件でしょうか」

 このままではけんになるとでも思ったのか、アーヴィンが落ち着いた口調でスチュワートの言葉をさえぎる。

 勢いで〝会いにきた〟と言ってしまったが、別に用事があったわけではない。

 内心ではものすごあせっていたが、それを外に出さないように必死で取りつくろう。

「用、というほどのことではないのです。ただ、わたくしはあまりにあなた方のことを知らないので、どのような方か知るために参りました。だんの様子を拝見しようと思いまして」

「それは、投票のために?」

「何も知らないのに、適当な方に投票するわけにはまいりませんから」

 人見知りの私にしては、堂々とした受け答えができたと思う。彼らのことを知るためにここに来たのは本当だし、スチュワートではなくまずはアーヴィンを見に来たのだって本当のことだ。

「……何も、知らないだと?」

 信じられないとでもいうように、スチュワートが言った。

「ええ。ご存じの通り、わたくしは十年以上しきこもっておりました。いまさらだというしつせきならば甘んじて受けますわ」

 きようを通り越して、きもわったのかもしれない。

 言いたいことを言うと胸がすっとした。

(そうだ。ひきこもっていたのが今更外界とかかわろうというのだから、反発があるのは当たり前。私もかくをしなければいけなかった。次期国王を選ぶという重責から、逃げないという覚悟を)

 きんちようして多分変な顔になっているだろうけれど、構わずスチュワートの目をじっと見つめた。

 すると絶対言い返してくるだろうと思ったのに、彼は顔をせて席を立ってしまった。

「……急用を思い出したので、今日は失礼する」

 スチュワートは彼らしくない小さな声で押し殺したようにそう言うと、すたすたと部屋を出て行ってしまった。

 私は啞然として、心なし小さくなったように見えるその背中を見送った。

「くく……ははははっ」

 とつぜんの笑い声に、ぎょっとしてそちらを見やる。

 すると先ほどまでかんろく十分だったアーヴィンが、まさしく破顔していた。

 彼は口を大きく開けて笑い、あろうことかじりを指でぬぐっている。

「な……なにがおかしいのですか?」

 意味も分からず笑われるというのは、心地ごこちの悪いものだ。

 思わずそう問いかけると、彼はさきほどとは打って変わってやさしい目で私を見た。

「いや、失礼。スチューをあんなに落ち込ませられることができるのは、あなたぐらいだと思いまして」

「落ち込ませる? わたくしがですか?」

 アーヴィンの言う言葉の意味が理解できない。

 スチュワートは少し話しただけでも、めつに自分を曲げない人間だと分かる。それが落ち込んでいるところなんて想像がつかない。さらに言うなら、一方的に言われてばかりの私に、彼を落ち込ませることができるなんてとても思えないのだが。

 一体彼は今のやりとりの何を見て、どうしてそんな風に思ったのか。

「ふふ。あなたはかしこい女性のようだが、どうにも少しにぶいようだ」

 アーヴィンはおかしそうにそう言って、カップをかたむけた。

 一体何が言いたいのだろう。面と向かって話すのは初めての相手だが、まるで言葉の通じない異国の人と話している気分だ。

「スチューが可哀かわいそうだな。これでは」

 彼は独り言のように言って、カップのお茶を飲み干した。

 ふと、私はあることに気が付く。

「あの、お二人はずいぶん親しいのですね?」

 アーヴィンは今、スチュワートのことをあいしようであるスチューと呼んだ。

 同じ王族なのだからファーストネームで呼ぶことは珍しくないが、愛称で呼ぶとなるとほど仲のいい相手ということになる。

 今までのこうけいしや会議で、二人が親しく話しているところなど見たことがなかったので意外に思った。

「親しい、といってもたまに剣を交える程度だが。王族の中でという意味で言えば、そうかもしれませんね」

 会議で会う時よりも、彼はじようぜつだった。

「では、どうして後継者会議の際には、不仲そうにうのです? あなた方がこんであるなど、わたくしは全く知りませんでした。おそらくはモランこうも……」

 何より不思議だったのは、彼らがおたがいに投票し合わないという点だった。

 不仲であるシアンやひきこもりで女の私より、気心の知れた相手に投票したいと思うのは当然だろう。

 だというのに、投票の結果はいつもすべて白紙だ。

「それには俺も困っているんです。スチューは曲がったことのきらいなやつだから、後継者会議もなれ合わず正々堂々と戦おうと言い出して……」

「というと?」

「自分に投票するなということですよ。彼は親しいからというだけの理由で自分に投票されるのがまんならないらしい」

 仕方がないやつだとでも言うように、アーヴィンが小さく笑った。

 先ほどの大笑いでも思ったが、彼のそんな顔を見るのは初めてで私は驚きをかくせない。

「───それはまるで、あなたがマクニール公に投票したがっているように聞こえますわ」

「実際その通りですよ。俺はあいつこそ、次期国王に相応ふさわしいと思っている……あなたには申し訳ないが」

 突然謝られたので、いつしゆんその意味が分からなかった。

 しかしよく考えてみれば、候補者の一人なのだからまあこういう風に言われるのもおかしくはないのかもしれない。むしろ、女である私をアーヴィンが正式に候補者の一人として見ていることの方が意外に思えたが。

「いいえ。だれが誰に投票したいと思うのかは自由です。謝っていただくようなことではございません」

 そう言うと、なぜかアーヴィンはうれしそうな顔をした。

「立派に───ご成長なさいましたね」

 彼の口調は優しかった。

 私は彼の言葉にめんらう。

(まるで、以前どこかで会ったことがあるみたいに言うのね)

 しかしおくをひっくり返してみても、後継者会議で招集される以前に彼に会ったという記憶はない。

「失礼ですが、以前どこかでお会いしましたでしょうか?」

 アーヴィンの不興を買うのは覚悟の上だったが、返ってきたのはただの温和なみだった。

「覚えていらっしゃらないのも無理はない。以前お会いした時、あなたはまだ幼かった」

 彼の言う、〝以前〟というのはいつだろうか。幼いということは、物心つく前。少なくともひきこもりになる前のことだと思うのだが。

「あなたにお会いしたのは、ファネルこうしやく家の庭先でのことです。父のつかいで公爵家にうかがったのですが閣下は来客中で、ひまを持てあました俺は勝手にお庭を拝見していました。あなたは庭の奥で、ボール遊びをしていた。もう十五年程前になります」

 他人の家の庭を勝手に散策するというのは、今のれい正しいアーヴィンからは想像もできないことだ。

 しかし十五年前なら私は三歳。アーヴィンは十五歳の少年ということになる。

 どんなにがんっても思い出せそうになかったが、なつかしそうに話す彼はうそを言っているようには見えなかった。

「あなたはおてんで、乳母うばにばれてしまうからここで会ったことは秘密にしてくれと言われましたよ。それからボール遊びの相手をしろとも」

 くすくすと思い出し笑いをされ、私は自分の顔がかっかと熱くなるのを感じた。

 今では信じられないことだが、当時の私は人見知りなどまったくしなかったらしい。

「けれどその時、屋敷の庭に野犬が迷い込んできたんです。あなたはゆうかんにも、ボールを投げて犬をげき退たいしようとした。でも残念ながら、子供用のやわらかいボールは犬のとうあおるだけで。犬はあなたに飛びかかって───」

「そんな!?」

 自分がそんなちやなことをしたのかと、悲鳴を上げたくなった。

 危険なのはもちろんだが、おのれどころかアーヴィンまで危険にさらこうだ。

「ご心配なく。ちゃんと追いはらいましたよ。ただ俺は足をくじいて動けなくなってしまいました。あなたは泣きじゃくってしまわれて……」

「本当に、ごめいわくを……」

 穴があったら入りたいどころか、自分で穴をりたいぐらいだ。

 ずかしくて恥ずかしくてたまらない。

 しかしアーヴィンはどうやら、私に謝ってほしいわけではないようだった。

「いいえ。俺はあなたにお礼が言いたかった。当時の俺は、そのまま王族としてまんぜんと生きるだけでいいのかと、将来に迷っていました。そして小さいながらに野犬に立ち向かったあなたの勇気に、俺は感動したんです」

「そ、そんな大層なものでは……」

 私が深く恥じ入っていると、アーヴィンはそれまでとちがう少し意地の悪い笑みをかべた。

「それに、野犬を追い払ったお礼にと、あなたは俺を自分のに任じると言ってくださった。ぼろぼろに泣きながら、ここにちかいのキスをくれました」

 そう言って彼が指さしたのは、右のほおだった。

 おそらく幼い私は、アーヴィンを喜ばせたかったに違いない。頰へのキスは親愛のあかし。父や母にするといつも喜ばれていたから。

 遠い遠い記憶がほんの少しだけよみがえってきて、私はいても立ってもいられなくなった。

「とっ、とにかく今日は突然おじやして大変失礼しました! い、家の者が心配しますので、今日はもう失礼します!」


 ばねのように激しくから立ち上がると、私はアーヴィンの返事も待たず背を向けた。

 これ以上自分の黒歴史と立ち向かう勇気はない。どころか、もうアーヴィンの顔を直視する勇気すらなかった。

(ああ幼いころの私、なんてことをしてくれたんだ)

 マナーなんてかなぐり捨てて、エスコートを待たず自らドアを開く。

 外で待機していたしようの少年は、とてもおどろいた様子だった。当然だろう。貴族の女性がこんなことをするのは重大なマナーはんだ。

 そして転がるように、私は部屋を出た。

 しかし、ハタと気が付く。そう言えばメアリーと我が家の馬車はすでに帰されてしまっているのだ。

 私が自分のしきもどるには、馬車とぎよしやを貸してもらわなければならない。

「そう急がないで。外までごいつしよいたします」

 そう言って、アーヴィンが私のこしに手を回した。

 思わずのどが引きつる。悲鳴はどうにか発せずこらえた。

 家族でもない男性に、腰をかれてエスコートされるなんて人生で初めての経験だ。

 アーヴィンは小姓の少年に馬車と御者を用意するよう伝え、私と並んでしよを出ようとした。

 ところが、私の騎士団訪問はそれだけでは終わらなかった。

 建物を出たところで、あわててえたらしい騎士の集団に囲まれてしまったのだ。

「失礼ですが、次期女王候補フランチェスカ・ファネルじようとお見受けします。どうか我々の話を聞いてはいただけないでしょうか」

 騎士団といえば貴族子息の集団。つまり実技よりもむしろ外見とかいえがらとかの方が重要な集まりだ。

 人見知りでひきこもりをしていた私が、そんなきらきらとした集団に囲まれて平気でいられるはずがない。

 それも、腰には相変わらずアーヴィンの手がえられている。

(ああ、今すぐに気を失うことができたらどんなにいいだろう)

 とつにそう思ってしまったのだって仕方のないことだろう。

「お前たち。一体なんのさわぎだ? フランチェスカ嬢に失礼だろう」

 アーヴィンはこの上なく冷静に、部下たちをたしなめている。

「しかし団長。我々は団長こそ、次期国王に相応ふさわしいと思っているのです」

「そうです。もしあの頭でっかちのモランこうが王位につけば、我々騎士団はないがしろにされるに違いない!」

「そうだそうだ!」

 とつじよヒートアップした騎士たちが、今度はアーヴィンにめ寄る。

 どうやら同世代の彼らの間で、シアンの評判は最悪らしい。

(同世代の貴族からの支持なし……っと)

 現実とうねて、私は心のノートにそう書き込んだ。今のところシアンのこうもくには、チェスの名手であること以外長所は見当たらない。

 さらにアーヴィンの項目には、騎士団団員からの支持が厚いと追記する。まあ既に分かっていたことではあるけれど。

(若手貴族の支持が強いのはスチュワートだけかと思っていたけれど、なかなかどうしてアーヴィンも有力なのね。本人は望まないでしょうけれど)

 私ののうに、先ほどのアーヴィンとのやりとりが蘇る。

 アーヴィンはスチュワートこそ次期国王に相応しいと思っているのだ。けれど当人がいやがるからと、今まで彼の名前を投票せずにいた。

「落ち着け!」

 熱くなる団員たちを、アーヴィンがいつかつする。

「この際だ。お前たちにははっきり言っておく。俺は国王になるつもりは無い!」

「団長!」

「そんな……っ」

 騎士たちの中から、悲鳴のような声が聞こえた。

「俺は、この騎士団を大切に思っている。何より国の危機には、前線でお前たちと共に戦うつもりだ。国王となれば、そうはいかないだろう。どうか分かってほしい」

 朗々と宣言したアーヴィンに、騎士たちが一気に静かになる。

「団長……」

「そこまで我々のことを……」

 騎士たちの目には、なみだが浮かんでいた。

 なんだか、一気に熱い青春に巻き込まれた感がある。

すごい……もう何が凄いのかよく分からないけどとにかく凄い……)

 既にすっかり存在を忘れられているような気がしないでもないが、私は多少あきれながらそんな彼らを見守り続けた。

「お前たちには、らぬ心配をかけたな。立場をはっきりとさせなかった俺の責任だ。俺は明日のこうけいしや会議で、スチュワートに投票する」

 アーヴィンの宣言に、その場にいた全員が息をんだ。

 だれに投票するか公表することは、国王になる意志がないと宣言する以上にとんでもないことだ。

 なぜなら今の王宮は、四人の中の誰が国王になるのかと誰もが息をひそめて見守っている。

 誰が国王になるかで大きく勢力図は書きわるだろう。女である私は望みうすだと思われているのかそうでもないが、ほかの候補の屋敷にはそれぞれ手紙やおくり物が大量に届き、ふくの期間であるにもかかわらず大変な騒ぎだそうだ。

 私としてはもっとお祖父じい様の死をいたんでほしいと思うのだが、次期国王を決めることはすなわち国の行く末を決めることなのだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。

「団長!」

 涙を堪えきれなくなったたちが、次々にアーヴィンにとつげきしていった。

 私はたまらず、目立たないようにそくてつ退たいだ。

 きっと見る人が見れば感動のシーンなのだろうが、いささか温度と湿しつが高すぎる。私は青春群像劇を前におそれをなし、尻尾しつぽを巻いてげ出したのだった。





※カクヨム連載版はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

続きは本編でお楽しみください。

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女王陛下と呼ばないで/柏てん 角川ビーンズ文庫 @beans

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