最後の花火は夜空に溶ける。

夏葉夜

最後の花火は夜空に溶ける



 ふと思い出した。


 それは私が小学2年生だった頃の、夏休みの真っ最中の出来事。

 夕方くらいの事だったかな。


 気がついたら水の中にいた……水面が遥か彼方にあったんだ。

 手で水を掻いても足をバタつかせても、その水面は遠くて……遠いのにもう目の前がチカチカし始めた。混乱しちゃって何を考えていたのかも覚えていないけど、多分死の覚悟とか、もうすぐ死んじゃうんだとか全然考えていなかった。


 ただ息をすること――私はそれだけを願っていたし、その他を考える余裕なんて無かったんだ。きっと心の奥底では、夕焼けに照らされる水面を睨みつけて、絶対にあそこまでたどり着いてやるんだって泣きそうになりながらもがいていたに違いないよ。


 でも意識なんて気合じゃなんとも出来なくて、すぐに限界をむかえたんだ。

 暗転……っていうやつかな。

 ともかく視界が暗くなって、狭まって、ようやくそこで死ぬという単語が脳裏をよぎったのよね。ははは、遅すぎよね。そうやって暴れた分だけ体力を使い果たしていたから、これ以上水に抗う余力は無し。


 絶体絶命。

 ここが私の人生のピリオド。


 だけど、その直前に水面を突き破って誰かが助けに来てくれたんだ――



 

   1




 ――ちょうど、今のこんなふうに。


 「……っ!?」


 私は息を飲んだ……いや、飲んだのはまずい淡水なんだけどね。そういう表現あるでしょ? ともかく私は、溺死しかけだなんて事を忘れて驚いたの。

 あれだけ遠くにあった水面が、飛沫を上げて割れたんだ。


 誰かが飛び込んできた。


 くぐもった泡の音を聞きいてたら、その誰かに腕を掴まれて一気に水面へと浮上する感覚を覚えたわけよ。いままで手足を無闇やたらに振り回していたのが嘘みたいに、私は水上へと顔を出したんだ。腕を掴んで引っ張り上げてくれた誰かに、そのまま引かれて私は岸に運ばれた。


 水中から脱出できた。


 それに気がついた私は、まるで船上に釣り上げられた魚みたいに転がり跳ねて――飲み込んだ水を胃袋の中身ごと全部吐き出した。喉が痛い。鼻もズキズキ痛むし目もしみる。

 最悪の気分だ。


 「大丈夫かい?」


 うずくまっている私に、女性が声をかけてきた。

 見ると私と同い年――高校生――くらいの少女だ。ボーイッシュな短髪に中性的な顔立ちの彼女は、私を心配そうに覗き込んいる。

 もしかしてと思って返事をした。


 「あなたが私を助けてくれたんですか?」


 そう聞いたところで愚問だと理解する。なにせ彼女の全身もびしょ濡れで、かなりの重労働だったのか少し息も上がっていたからだ。

 だけど彼女は嫌な顔せず微笑んで答えてくれた。


 「そうだよ」

 「でもどうして……」

 「僕が君を助けたのは、僕が君を助けたかったからさ」


 ――?

 ちょっと引っかかる。


 「え、溺れていたから助けてくれたってことよね?」

 「いいや、溺れていたのが君だから僕は川に飛び込んだんだよ。まったくどうして泳げもしないのに川に落ちたりするんだい」


 さて彼女のような知り合いがいただろうか? まるで旧知の仲のように話してくる彼女だが、はてさて……記憶にございませんでした。

 それに、どうやら泳げないこともバレているみたいだ。小学生の頃に溺れたことがきっかけで、大量の水にはトラウマがあって、学校のプールの授業も全部プールサイドにすら行かずに欠席していた黒歴史を思い出した……海にも川にも指先すら触れないと誓っていたのに、また川で溺れてしまったらしい。


 だけど彼女の質問で、ようやく前後の記憶が戻ってきた。

 今日は夏休みで、日付は確か八月の一四日……落ちた理由は、えっと。


 「お、落ちたっていうか……ね」


 言葉を濁す。

 だけど彼女は黙って首をかしげるばかりなので、私は続きを話すしかないみたいだ。


 「そこの橋を渡っている時に、持っていた梨をばら撒いちゃったのよ。それを拾おうとして慌てて滑って川にドボンッて感じで……はい、落ちました……その、助けていただいてありがとうございました」


 礼を言って頭を下げる。

 思い返すとこんなに間抜けな話もない。

 それで死にかけているんだから笑えないし救えない。


 「気をつけなよ。君は昔から少しドジなんだから」


 ――まただ。

 彼女の言うように昔からドジだったが、彼女と知り合いだった記憶がない。

 さも旧友のように笑いかけてくる彼女に、こんな事を聞くのはとっても憚られるけれど、助けられた恩もある。


 「お名前を……聞いてもいいでしょうか?」


 聞けば思い出せるかもしれない。


 「ん……? あぁ、そうか言っていなかったね。僕はあやめ、みなとあやめだよ」


 やっぱり知り合い一覧にはあやめちゃんなんて人はいない。

 命の恩人だけれど、なんだか不思議な子だな。


 「私は麗華です。あやめさん、助けてくれてありがとうございました」


 もう一度お礼を言っておいた。

 感謝してもしきれないほどの恩を受けてしまったんだからね。

 だけど彼女は照れるようにして手をわたわたと振る。


 「ありがとうだなんて……言っただろう、僕が君を助けたいから助けたんだよ。それに、あやめさんだなんて……そんな呼び方されると、嬉しくて顔が赤くなっちゃうじゃないか」


 本当によくわからない人だ。

 なんだか熱っぽい視線を向けられている気がするし……もしかして変態さんなのだろうか?


 ともかく、二人ともびしょ濡れのままでは埒が明かない。

 それに気がついたのは、あやめさんも同じだったようだ。


 「一旦、あったかいお風呂にでも入って冷えた体を温めようか。せっかく助かったのに風邪にかかったりしたら喜べるものも喜べないからね」

 「そ、そうですね」


 そういえば、体も心も冷え切っていたみたいだ。

 私はあやめさんの意見に素直に従って、お風呂に行くことにしたのです。




   2




 うん。やっぱりあやめちゃん――村にある旅館の温泉で意気投合して親しくなりました――の詳しい事は良く分かんなかった。


 大量の水にトラウマがあるから、温泉も細心の注意を払ってシャワーを浴びるだけで湯船には入らなかったんだけどね。膝より水位が高いと人は溺れるって授業で言ってたし……水は危険! 以上、トラウマ話終了!


 それであやめちゃんとの会話の端々に、私の事を知っているような印象を受けたんだけど、結局思い出せなかったんだよね。どこかに引っ越していたとかじゃないのに、同じ村に住んでいて知らない同年代の子がいるなんて……正直びっくり。

 これで私が忘れていただけ、なんて事になったら申し訳なさすぎる……。

 しかも話の流れで、明日の河川敷での花火大会も一緒に見に行くことなったの。それなのに私とあやめちゃんに温度差があるのは辛すぎる。何とかしてあやめちゃんとの記憶の一ページくらいは思い出したい。


 なので家に帰ってきた今、確認しておこうかなと開口一番に言いったんだ。


 「ねぇお母さーん!! 卒業アルバムどこ置いてたっけー!?」

 「麗華の部屋に置いてあるでしょう。いきなりどうしたのよ?」

 「んや~、ちょっと気になったんだ~」


 部屋にあることすらも忘れていたみたい。トントントンっと、階段を駆け上がって自室に向かう。何か下でお母さんが話しかけてきてるけど、何言ってるかよく聞こえないから、私はアルバム探しに集中することにした。


 「あったあった~」


 小学校、中学校……旅行に行った時の写真まで出てきて、私は当初の目的をすっかり忘れえてアルバム鑑賞会を始めたのです。あるよね、掃除してたらいつの間にか懐かしいもの眺めて時間経っちゃってるとかいうこと……あるよね!?


 そんなこんなで時計を見たら、もうすっかり夜だったんだ。

 小中学校の頃の卒業アルバムで収穫は無し。

 なんでだぁ!? おかしい。

 この村の人なら、みんな必ず同じ小学校と中学校に通うはずなのに……湊あやめなんて名前はどこにも出てこなくて、あの~見間違いじゃないよね?

 それからもう二十分。


 「あんな如何いかにも旧友って感じで切り出されたのに誰なのかわかんないんだけど!」


 私はアルバムを投げ出して、もう意味が分からん! ってベッドで大の字になって寝た。溺れた時に盛大に体力を消耗していたからすぐ寝れる。

 一瞬で夢の世界へレッツゴーだった。


 あやめちゃんの事は、明日の朝にでもお母さんに聞けばいいか。

 



   ***

 



 そして翌朝。

 いやいや、翌昼だ。

 もう正午を過ぎていた。

 夏休みだからって寝すぎたんだよ。立派に十時間睡眠だよまったくもー!!


 八月一五日だ。世間ではお盆とか言うらしい、珍しく平日なのにお父さんが家にいるあの長期休暇だ。私たち学生に比べたら全然長期じゃないんだけど、不思議と世間ではこれを長期と呼ぶんだとさ。変だね。

 まぁともかく今はあやめちゃんの事だ。

 夕方前には河川敷で落ち合う約束をしているから、聞けるのは今しかない。


 「ねぇ、お母さーん! 湊あやめちゃんって知ってる~?」


 何気なく聞いた。

 知ってたらラッキだなーって。

 でも、なんだかお母さんの反応が普段とは違うかった。


 「え……麗華、湊あやめちゃんの事を思い出したの?」


 ん? 思い出した?

 ともかく、あやめちゃんのことをお母さんは知っているみたいだ。

 だけど引っかかる。


 「いやいや、覚えてないから聞いたんだよ」

 「思い出してないって、麗華あなた誰からその名前を?」


 いぶかしんでくるお母さんの表情と声音に、何やら雲行きが怪しくなってきたことを悟る私。だけど何が原因なのかわからないので、聞かれたことにそのまま答える。私って素直。


 「ああめちゃん本人からだよ。不思議だよね、昔会ったことあるみたいなんだけど、私は全然思い出せないんだ」


 「……、」


 あれ、おかしい。お母さん黙っちゃった。

 何も不思議なことは言ってないと思うんだけど? 

 だからもうちょっとわかりやすいように、経緯から話すことにした。本当はお母さんを心配させたくないから黙っていたんだけど、昨日の事は話した方が良さそう。


 それで転んで川に落ちちゃったことや、それを助けてくれたのが湊あやめちゃんだって事を淡々と話したんだけど……なんだかお母さんの顔がどんどん曇っていく。そりゃ心配させたのはわかるけど、ホラー映画でも見たかのような反応じゃん。流石にこの話にホラー要素はないでしょ。


 「ねぇ麗華、湊あやめちゃんはね……十年前に、死んだのよ」


 ――は?

 う~ん、言っている意味が分からなかったのだけれど、死んでるらしい。死んでるのか。あやめちゃんって十年前に死んだらしいよ。ふむふむ。

 それホラーじゃん!!!!


 「いやいやいやいや、お母さん話聞いてた? 私が昨日、川に溺れたところをあやめちゃんに助けてもらったんだよ? 昨日会って話もしたんだよ?」


 途端に鳥肌立ってきた。

 え、死んでるとか、いくらお母さんでもその冗談はきつすぎる。

 だけどお母さんは至って真面目だ。


 「麗華が覚えていないみたいだったから、これまで敢えて話してこなかったのだけれどね。あやめちゃんは十年前の小学二年生の頃に、川で溺れちゃったのよ。麗華を助けた代わりにね……」


 「私を、助けて?」


 思考が真っ白になった。


 「麗華は覚えているかしら……十年前に一度川で溺れたことがあってね」


 それは覚えている。

 そのせいで、今でも大量の水にはトラウマがあるんだ。忘れられもしない出来事で、昨日も溺れながら走馬灯に見た。そういえば、あの時も誰かが助けに来てくれて……あっ!?


 「麗華が溺れていることに真っ先に気づいたのが、そのあやめちゃんだったのよ。それで彼女は迷わず川に飛び込んで……っ、私がもっとちゃんと麗華の事を見ていれば、あやめちゃんが先走ることも無かったのに!」


 お母さんは懺悔するように唇を引き結んで下を向く。

 知らなかった。

 あの時私を助けてくれたのが、あやめちゃんだったのだ。

 私はすぐに病院に連れて行かれて、意識が回復したのは半日後だったから、助けてくれた人がどうなったとかは気にしたことも無かった。今思えば、自分の浅はかさに嫌気がさす。


 同時に記憶の蓋が一斉に開いた。


 小学生の頃、一緒に遊んだ友達にあやめちゃんがいたことを思い出す。七五三で一緒に浴衣を着たことも、家族ぐるみで花見をしたことも、冬には雪だるまを作ったことも……全部思い出した。どうして今まで忘れていたのか。

 間違いない。

 あやめちゃんは、私の大切な友達だった。

 でも、だけど、それでもしかし、納得できないことがある。


 「じゃあ昨日会ったあやめちゃんって、誰なのよ」


 そこに行き着く。

 あやめちゃんは死んでいるのだ。

 小学校の卒業アルバムに載っていなかったのも、今なら理解できる。あやめちゃんは、小学校を卒業していない。

 だがそれら全ては、昨日の一件のせいで疑問と混乱の渦に放り込まれた。


 「直接、聞くしかないのかな」


 今晩花火を見る約束をしたのだ。

 河川敷……そこに行けば彼女と会える。




   3




 「あ! 麗華ちゃん!」


 約束通り、あやめちゃんは河川敷にいた。

 藍色の浴衣を羽織り、片手にはうちわを、もう片方にはりんご飴を持っている。すでに花火大会に合わせて開かれている出し物を満喫しているみたいだ。


 「おまたせあやめちゃん」

 「ううん、僕が勝手に先に来ていただけさ。はい、これ麗華ちゃんの分」


 当たり前のように差し出されたりんご飴。

 それを見てますますわけがわからなくなっちゃう。

 死んだはずのあやめちゃんのフリをしている彼女は、一体何者なんだろうって。

 でも、直接聞く勇気は私に無かった。

 受け取ったりんご飴を舌先で舐めて、無難な感想しか言えない。


 「ん! これ美味しいね」

 「だろう。僕も小さい頃好きだったんだよ。大体いつも半分も行かないうちに飽きてしまうんだけどね。ははは!」

 「そういえば、そんなこともあったね」


 それって本当に好きなの? って失言しちゃいそうだったけど、それをなんとか押し殺して愛想笑いを返す。彼女が元気で明るいから、私ばっかりモヤモヤしてなんだか気まずい。


 でも一つ、驚いていた。

 確かに十年前の花火大会の日、あやめちゃんはりんご飴を半分で食べ飽きていた記憶があるんだ。今横に居る彼女は、嘘をついていない。だからちょっと探りを……そんな大層なものじゃないけど、世間話を装ってちょっと突っ込んだ質問もしてみようと思った。


 「それでりんご飴に飽きちゃったあやめちゃんってば、お母さんにりんご飴押し付けて川に飛び込みに行っちゃったんだよね。今思うとすごくやんちゃしてたな~って思うわけよ。覚えてる?」


 これも私とあやめちゃんしか知らない話だ。

 つまりカマをかける。

 彼女があやめちゃんを装った偽者なら――


 「あぁ、本当に僕は無知で浅はかで愚かな行為をしてしまったと痛感しているよ」


 ――それは返事に窮すると考えていた私の目論見は、彼女の言葉で粉砕された。


 彼女は下唇を噛んで表情を険しく歪めていたんだ。

 唐突すぎてどういう意味かわからない。今の会話から、彼女が苦悶の表情を浮かべる理由がわからない。だけど全部彼女が吐露する。


 「僕が麗華を無理やり川遊びに誘わなければ、溺れることも無かっただろうに」


 そこまで聞いて、ようやく記憶が完全によみがえってきた。

 溺れた時の記憶が強すぎて、前後の記憶がすっかり抜けていたんだ。

 十年前、私を川に誘ったのはあやめちゃんで、その直後に私は溺れた。


 「そうだ! それで私はあやめちゃんに助けられたって!」


 そう、お母さんから聞いた。

 そのあと溺れて死んだとも……。

 だったら目の前の彼女は誰なのか。

 再三繰り返した疑問が、もう一度頭に浮かび上がったんだ。


 「あやめちゃん……あなたは……」


 直接聞こうと口を開く。

 だけど彼女は遮って、嬉しそうに……だけどどこか寂しく微笑んで頷いた。


 「あぁ……ようやく思い出してくれたかい? そこまで思い出したのなら、僕の正体は薄々勘付いているんじゃないかな?」


 そうして私の疑問に、問題で返された。それこそ私の知りたい一番重要なこと。勘付いてるかって? 全くわからないよ。わかるわけがない。だからこうしてモヤモヤしているんだ。


 だから一つだけ分かっている事実を、今度こそ勇気を振り絞って言ってみる。


 「あやめちゃんは、死んだって……聞いたよ」


 声が、震えた。

 なまじ楽しい思い出が蘇ってきたせいで、親友が死んでいたという事に理解が追いつかないんだ。しかも目の前には成長したあやめちゃんがいる。

 私はもう混乱して何がなんだかわからなくなってきちゃった。

 そんな私の震える頭に、彼女はそっと手を添えて確信を言う。


 「そう。僕は十年前のあの日に死んだ。君を助けるために命を張って死んだんだ」


 「……っ」


 そんなの私が殺してようなものじゃないか。

 だけど、説明になってない。


 「それだけじゃ、今目の前にいるあなたの意味がわからない」


 訳も分からず首を振り、それでも疑問は追求する。

 そんな私に、彼女はあくまでも優しく丁寧に語りかけてくれた。


 「昨日再開した時にいったじゃないか。『僕が君を助けたのは、僕が君を助けたかったから』この身が死んでいようが関係ない、幽霊になってでも君のことだけは助けるって決めているんだよ。それに時期もちょうどお盆だし、僕みたいな霊がこの世に帰ってくるにはタイミングが良かったんだ」


 「……幽霊?」


 「信じられないのも無理はないよ。僕だって自分が幽霊じゃなきゃ信じてない。だけどこれだけは事実だ。僕は君を助けたいからあの世から帰ってきた。紛れもない幽霊さ」


 さて、理解するのに時間がかかった。

 いや、そもそも理解できていない。幽霊だなんて非科学的なもの、私は信じていないのだ。お盆だからって都合が良すぎる。ファンタジーは物語の中だけにしておいて欲しいし、からかうのも大概にして欲しい。


 だけど……それでも彼女には善意しかない。

 恐怖を、不快感を、私は感じなかったんだ。


 だからだろうか、この言葉は自然と口をついて出てきた。


 「そうだったんだ……助けてくれてありがとう、あやめちゃん」


 幽霊? そんなのは些細な問題だったじゃないか。

 あやめちゃんが私を助けてくれたのは紛れもない事実だし、感謝してもし足りない。これほどの恩を仇で返すような人間じゃないよ。


 「僕こそ、君が無事ならそれ以上のことはないよ。幽霊になった甲斐があるってものさ」


 あやめちゃんは今日一番のとびっきりの笑顔でそういってくれた。


 それと同時に夜空に満開の華が開く。


 あやめちゃんに寄り添って一緒に花火を見上げると、これまでの混乱とか不安とか全部がスっと晴れていった。そうか、深く考える必要なんてなかったんだ。あやめちゃんは私を助けてくれた。幼い時からの親友じゃないか。その再開が他とは少し違うだけで、そこに壁なんかない。



 なのに――。



 どうして――。



 「この花火が終わったら、僕たちはまたお別れだ」



 ――そんな悲しい話に収束してしまうのよ!


 あやめちゃんは、涼しい顔してそう告げる。


 「僕があの世から帰ってこられたのは、お盆だからっていうのが大きくてね。そうなるとお盆が終わると必然的に帰らなきゃならないだろう? そういうものなのさ」


 「そんな……」


 せっかくまた会えたのに。

 とは続けられなかった……今の今までこの十年間もあやめちゃんを忘れていた私が、そんなわがまま言えないよ。助けて貰った恩も忘れて、死んだ親友の事をすっかり忘れていた私は……ただ俯いていることしかできない。


 「君には、笑っていて欲しい」


 その優しさが辛かった。


 「でも私、あやめちゃんに何も返せてない!」


 二回も救われたのに、私が不甲斐ないばかりにあやめちゃんに無理させているのではないかと、とてつもなく不安になる。


 「君の笑顔が僕にとっての何よりの幸せなんだよ」


 これほどの親愛を、肌身に感じたのは始めてだったんだ。

 そんなの受け入れられる自信がない。

 でも時間は無情に過ぎていくんだね。


 「時間だ。僕はあの世へ帰る……麗華、もう溺れてはいけないからね」

 「……もう、そんなドジはしないよ」


 あやめちゃんの言葉の意味を理解して、その上で努めて笑顔で返事する。あやめちゃんは私の笑顔が幸せだって言ってくれたから。


 そして――最後の花火は夜空に溶ける。


 私は黙って夜空に星が戻ってくるのを眺めていた。

 隣に感じていた温もりを僅かに残して、あやめちゃんはあの世へと帰ったみたいだ。私はその後もぼんやりと夜空を見上げて、貰った愛の大きさをただ噛み締めていた。




  3




 「ここがあやめちゃんのお墓よ。麗華を連れてくるのは初めてだったわね」


 あれから一日経って、私はお母さんと一緒にあやめちゃんのお墓参りに来た。

 村にある閑静な墓地で、居心地は悪くない場所だ。

 お母さんは毎年お盆に来ていたらしいけど、溺れたことを思い出したくもなかった私に気を使って言わなかったそうだ。本当に、私だけなんにも知らなかったらしい。

 でもこれからは違う。


 「あやめちゃんは、私の笑顔を見るのが幸せだって言ってくれた」


 だからここにいる間は笑顔を絶やさない。

 あやめちゃんに笑顔を見せるために来たといっても過言じゃないから……あやめちゃんのお陰で元気に生きてるよ、って。

 お礼を言う。


 「私を助けてくれてありがとう」


 そしてあやめちゃんのお墓に花を手向けて呟いた。

 こみ上げてくる何かを堪えて、とびっきりの笑顔を……無理やり作って……言えたのはたった一言だけだったんだ。


 「お幸せに――」






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最後の花火は夜空に溶ける。 夏葉夜 @arsfoln

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