貶されても悦ぶ

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「創作者は、褒められても貶されても悦ぶマゾがいい。それは、読んだ上に反応までしてくれた読者に対して、感謝を忘れないことでもある。ただし、放置プレイで悦ぶマゾにはならないことだ」


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■解説

「創作者は、自分が作った作品が褒められたり、理解されたりしたら嬉しいものだ。

 もしかしたら、それは着床させるよりもがんばって創った作品かもしれず、そうなれば喜びは性交よりも快感となるだろう。

 反対に貶されれば、それだけに悲しいのも必然。

 悔しく、辛く、虚しく、なぜわかってもらえないんだと嘆いてしまう。

 作品はまさに我が子。それをバカにされれば、あれだけ激しく男女ともに腰を振って作った子なのに……と、それは怒りになっても仕方ない。

 振った腰の数だけ腹が立つ。

 否。

 腰を振らずにできてしまった子でも、育てながら一緒に暮らした時間をばかにされている気になるものだ」


 弟子に対する講義で、アーダルトは上記のように創作者の心を慮る言葉を語っている(蛇足だが、「腰を振らずにできた」は諸説あり、「彼が早漏だからさして終わってしまったことを想定している」「養子を想定している」等の意見があるが、ここでは割愛する)。


 その上で、彼は「しかし」と続ける。


「しかし、読者もまた時間と労力を割いて作品に触れていることを忘れてはいけない。

 読者が子供を弄ぶ変態ロリコン野郎だったら話は別だが、真剣に子供を愛してくれた結果ならば、その想いは受け止めるべきだ。

 その想いを受け止めるのがつらいなら、マゾになれ。『感想をくれた』という点に感情を向けて快感に変えろ」


 このようなアーダルトの意見は正直、解説者にはついていけないところもある。

 ただ、確かに貶すことが目的の読者でもない限り、自分の作品に時間を割いてくれたことには変わらない。

 まずはそのことに感謝をもって接するべきであるということは同意できそうだ。


 ちなみに最後の「放置プレイで悦ぶマゾ」とは、小説で言えば「読まれないことに悦ぶ作者」ということになる。これはまずいないと思うので余計な心配といったところだろう。

 しかし、わざわざこんなことを書いたということは、まさか彼はそういう性癖があったのだろうか。

 いや、そんなはずはない……そう信じている。

 彼は変態でも、自己表現をする創作者なのだから。

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