小説にあって物語にないもの

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「小説にあり物語にないものはテーマである。テーマのない物語は、私にとって愛のないセックスと同じである。だが、愛がないからこそ享楽できることもある。大事なのは、それに何を求めるのかであろう」


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■解説

 毎度おなじみ、したことがないのに、まるで何度もしてきたかのように語るアーダルトの言葉には、不思議な魅力を感じてしまう。

 彼の妄想の中では、きっと何度もされてきた行為なのであろう。


 それはともかく、この格言も難しいテーマに踏みこんでいる。

 解説するには、いろいろと言葉の定義を述べなくてはならない。

 しかしここでは、アーダルトの趣旨に主眼を置き、言葉の定義については簡単に触れさせていただく。


 まず気になるのが、「小説novel」(長編小説novel中編小説novelette短編小説novelaのすべてを含む)と「物語story」の違いについてだろう。

 アーダルト曰く、「小説<物語」という関係で考えているようだ。つまり、小説は物語だが、物語が小説とは限らないということらしい。


 小説の対義語は、大説で「国家や政治に対する主張がテーマの読み物」である。

 つまり、小説は「個人の主張がテーマの読み物」が始まりのようだ。

 ならば、物語に「個人の主張」が含まれているものが小説ということになる。


 こう考えると、この格言の「テーマ」の定義を本来の「主題」という広義の意味では考えず、「個人の主張」と理解すべきであろう。


 少しまとめれば、彼の言い分は「個人の主張がない物語(小説以外)は、愛のない性行為」ということになる。

 しかし、彼は「愛のない性行為も楽しめる」ということを語っている。彼にとって、「愛と享楽は等しい価値」を持っているのではないだろうか。


 これはどちらが良い悪いという問題ではなく、その作品に何を求めるのかにより、場合によっては「愛さえも邪魔になる」ということなのかもしれない。


 確かに、ドエロ下品ギャグ話に、高尚な愛のテーマを入れられてもしらけてしまう。求める内容(テーマ)に、マッチした入れ物(物語)を用意するべきということだろう。

 場合により、主張ラブのない物語セックス、それもまた一興ということだ。


 ちなみに、この格言が書かれたノートの最後は、彼にしてはあまりに直接的で情熱的な強い想いがこめられた文で締められていた。

 参考までに、記載しておく。





――わが生涯に一遍もセックスなし!

――もう愛などいらぬ。とにかくセックスしたい。





 よほど我慢できなかったのだろう。

 解説者である私は、この世紀末覇者の雄たけびのような文を読んで、胸が締めつけられ、7つの古傷が痛みだしたほどだった。

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