人称の選択

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「キャラに没入させたければ一人称、物語に没入させたいなら三人称という考え方もある。ただし、チャンスにヒロインへ手を出さないヘタレやハーレム状態を無視する朴念仁のような変態主人公達は一人称に向かない。一人称に向いているのは私のような普通人である」


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■解説

 これはアーダルトが弟子の1人から、「小説を書きたいのだが、どの人称を選択するべきか」と聞かれたときの言葉である。

 キャラクターに感情移入させ、それを物語世界への突破口のようにして没入感を出したいなら一人称を利用すると有利である。

 また、特定のキャラに絞らず、多くのキャラやその空気感から物語全体になじむように没入させるならば三人称を利用するとよい。

 アーダルトはそのように語っているが、これはあくまで「という考え方もある」という一例になっている。


 また、この格言には「ただし」と注意書きがあり、「変態主人公は一人称に向かない」とある。

 この理由は簡単で、一人称の目的であるキャラへの感情移入が変態ではやりにくい場合が多いということだろう。


 この話を聞いていた弟子のノートには、アーダルトの言葉が克明に残っている。


「たとえば、主人公がスカ○ロ趣味だとしよう。しかも大トロ大好きで、『う○こ、うまー!』とか言う主人公だ。君はそんな主人公に感情移入できるかね? ……え? できる? ……そうか。しかし、それは特殊な例で一般的にはできないだろう」


「もっと一般的な話をしよう。

 目の前に食べてくださいと言わんばかりにヒロインがいたら襲うに決まっているだろう。たとえ別に想い人がいても、とりあえずヤルのがおとこというものである。

 また、ハーレム状態に気づかず手を出さない朴念仁がいるだろうか? そう、いるわけがない。それこそファンタジーだ。ハイファンタジーだ。ハーレム状態なら手を出しまくるに決まっている。それを気づかぬふりで我慢する……ああ、なんて変態的な『自己じらしプレイ』なんだ。

 そんな変態主人公達に感情移入できるだろうか。否、できるわけがないのだ」


 格言の最後の一文も相まって、人称どうのよりも「普通とは何か?」ということを考えさせられる内容である。

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