文の個性と文体

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「書き始めは己の文の個性や文体など気にせず書く事を薦める。たとえば最初は感じない穴でも開発されて感じるようになるものだ。前と後ろの穴の好みも回数をこなすことで変わり、むしろ胸最高という新境地も見えるかもしれない。結論は経験から自然に導き出される」


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■解説

 敬虔な読者諸君は、そろそろ「経験もないくせに語るドエロスキー」には慣れっこどころか、愛らしささえ感じて尊く思ってくれていることであろう。

 しかし、生前に彼を取り巻く者たちの中には「知ったかぶりをするwww」と小馬鹿にした者もいたのだ。


 それはともかく、言っていることは納得のいく内容ではないだろうか。

 この格言を読み解くために、アーダルトの日記から一部引用する。


「書き始めたばかりの物書きに多いのが、『自分の特徴はなんだろうか』『自分の得意ジャンルはなんだろうか』『自分の文体はどのようなものなのか』などという質問だ。そういう時、私はこう言ってやるのだ。『君たちは特徴が出るほど文を書いているのか?』『君たちは得意ジャンルが比べられるほど種類を書いているのか?』『君たちは自分の文体が固まるほど形ができているのか?』とね。自分で考えてもわからないということは、要するに足らないのだ」


 上記の文から「悩むよりまずは量を書いて一通り経験しろ」ということが言いたいとわかる。

 書いているうちに、最初に得意だと思っていた文体よりも、さらに得意な文体ができるかもしれないということだろう。早いうちに形を決めることは、可能性を狭めることでもあるわけだ。格言では、これを性癖の開発に喩えている。絶妙だ。


 また、別の論文で以下のように語っている。


「自分の文章を研究するときは、書き終わった後に間をおき、読者になりきり読むとよい。すぐに読んでは、鏡を見ながらの自慰行為と変わらない。事後の恋人の気分になることが大切だ。前戯は足りたか、気持ちよかったか、どこが一番感じたのかなどをきちんと聞き出すようにするのだ」


 彼は経験がないため、「事後の恋人が、そのようなエッチなことを語ってくれる」と興奮して夢見ていたのであろう。もちろん、そのようなことまで語ってくれる者は多くなく、彼の喩えは適当ではない。

 しかし、量をこなすだけではなく、研究も大切であるという訴えは伝わってくる。



※追記

 上記の日記の間に「胸はよかった! 胸はいいぞ! おっ○い最高! 価値ありだ!」と走り書きされたメモが見つかった。どうやら彼は胸だけでも経験できたらしい。

 それを知ったとき、私は少し救われた気分で涙したことをここに記す。

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