五日目 7月31日 その1
ひとりぼっち。
いつも通り六時前に起きると、今朝もジィちゃんが家にいた。
縁側に立って、ぶんぶんと手を振り回して、謎の体操をしてる。
その代わりじゃないけど、やっぱりシツジが見当たらない。
もしかして、もう起きてて、バァちゃんと一緒にいるのかな?
そう思って台所をのぞいても、いたのは朝ご飯を作ってるバァちゃん一人だけ。
一体どこをウロウロしてるんだ、と、ぺたぺた廊下を歩き回って探してると、体操が終わったらしいジィちゃんから、勢い良く声をかけられた。
び、びっくりした!
「おはようリョウちゃん! さっきから歩き回ってどうしたの?」
「ジ、ジィちゃんおはよう。……あのさ、シツジ知らない? 昨日の夜から見当たらないんだ」
「えぇ!? ……いつも通り、リョウちゃんの頭の上で大騒ぎしてるけど?」
「えええ、どこ? どこ?」
オレはあわてて上を見てみたけど、見えたのは高い天井だけだ。
ジィちゃん、オレをからかったのかな?
いや、ジィちゃんはそんな事しないよなぁ。兄ちゃんじゃあるまいし。
「シツジ、いないよ? どっか隠れちゃったのかな?」
キョロキョロと辺りを見回しながらそう言うと、ジィちゃんはびっくりした顔をする。
そして、「もしかして」と呟くと、オレの目の前で、パチン! と両手を打ち合わせた。
「うわっ、び、びっくりしたぁ! 何なのジィちゃん!」
いきなりのことで驚いたオレは、二、三歩うしろに飛びのいちゃって、廊下の壁にドスンとぶつかる。
だけどジィちゃんは何も言わず、今度は右のてのひらを上に向けると、オレの顔の前に差し出した。
「な、何? 何なのジィちゃん、さっきから……」
「リョウちゃん。ジィちゃんの手の上、何が乗ってる?」
「へ? な、何も……乗って、ないけど?」
見たままのことを、おっかなびっくり答えると、ジィちゃんはすごく難しい顔になった。
そんな顔したジィちゃんを見るのは初めてで、すごく不安になってくる。
ジィちゃんはそんなオレに気付いたのか、我にかえったみたいに、ふにゃ、と、いつもの優しい顔になった。
「あのねリョウちゃん。今、ジィちゃんは手の上に小鳥みたいなオバケを出してるんだ。シツジちゃんが見えてるリョウちゃんなら、見えるはずなんだけど……見えない?」
「小鳥……? う、ううん、見えないや」
「そうか……って、あ! こら、シツジちゃん! いじめちゃダメだよ!」
ジィちゃんはいきなり慌て出したけど、オレには何が起こってるのかさっぱりわかんない。
もちろん、小鳥のオバケってやつも、全然見えてないんだ。
ジィちゃんがウソなんてつくはずないから……本当に、オレは見えなくなっちゃったんだろうなぁ。
「ジィちゃん、シツジもこの辺にいるの?」
「あぁ、ちゃんとここに居るんだよ、シツジちゃんも。小鳥のオバケをいじめてるけど……リョウちゃん、全然見えてないみたいだね」
「うん。……でもなんで、いきなり見えなくなったのかなぁ?」
オレがそうたずねると、ジィちゃんは腕を組み、考えこんでしまった。
「そもそも、見えるようになったのも、いきなりの事だったからねぇ。まだ安定してないのかもしれない」
「安定……じゃあ、そのうちまた見える様になるかな? 安定すれば」
「それはジィちゃんにもわかんない。今だけ見えなくなってるのかもしれないし、このままずっと……って事も有りえる」
えっ……マジかよ、それ。
突然のことに、頭の中が真っ白になりかけてると、ドン、と肩をたたかれた。
ジィちゃんは目の前にいるし、一体誰だと思ったら……バァちゃんだ。
さっきまで台所にいたのに、いつのまに、こっちに来てたみたい。
「気にしないでおきな、涼。もし見えなくなっても、夏休みのいい思い出になったと思えばいいさ。日記にゃ書けないだろうけどねぇ」
大したことじゃない、といった風に、バァちゃんは笑う。
確かに、夏休みのほんの数日だけでも、お化けが見える様になったのは、良い思い出といえなくもない。
だけど、オレにとっては思い出で片付けられるような、かんたんなことでも無いわけでして。
「でも……でも、じゃあ、シツジはどうなっちゃうの? やっぱり、消しちゃうの?」
一応は「ご主人」って呼ばれるオレが、シツジを見ることが出来なくなっちゃうんだ。
残念でした、ですませられる話じゃないような気がするんだけど。
「大丈夫。心配しなくてもいいよ。もしそうなったら、コイツはここで、私の手伝いでもさせるさ。掃除も洗濯も、根気強くしつければ出来るようになるんだしね。……まぁ、やる事はたくさんあるんだから」
バァちゃんはそう言うと、何もない所を指でつまみながら「アンタは静かにしてな」と怒ってる。
たぶんそこにシツジがいるんだろう。
そして、またヘンなことを言ったにちがいないんだ。
オレには見えないのに、聞こえてないのに……何か、おかしな感じがする。
まるで、自分だけのけものに……一人ぼっちにされたみたいだと、思ってしまった。
シツジが見えなくなっちゃっても、オレの仕事はいつもと変わらない。
今日も水の入ったペットボトルを抱え、せっせとお社へと向かう。
シツジも一緒に行きたがってたらしいけど、今回ばっかりはバァちゃんに止められちゃったみたいだ。
そりゃそうだ、シツジが裏山でイタズラしても、今のオレは気付けないんだもんな。
朝日を浴びたお社は、今日もなんだか頼もしい。
何事もなく水替えをすませた後、オレは目をつぶり、いつも以上に時間をかけて、お社の神様にお参りしてみた。
「神様、また見えるようになるでしょうか。それとも見えないままでいくんでしょうか?」
思わず声に出してみたけど、答えてくれる人なんていない。
どうして見えるようになって、また見えなくなっちゃったのか。
そして、この後また見えるようになるのか。
……それこそ、神のみぞ知る、ってヤツなのかも。
家に戻ってきた後は、これまたいつも通り、バァちゃんの作った朝ご飯を食べる。
今日はナスの入ったミソ汁だ。
お母さんが、バァちゃんの畑で出来たナスはとても美味しいって言ってたから、「バァちゃんの作ったナスおいしいね」って言ってみたら、「それはスーパーで買ったやつだよ」って笑われちゃった。
ううむ……なんかうまくいかないなぁ。
朝ご飯が終わると、ジィちゃんはバァちゃんを連れ、となり町の病院へと出かけてしまった。
ぎっくり腰の診察のためだ。
となり町の病院は患者さんがたくさん来るから、朝早く行かないと、午前中に帰れないんだって。
バァちゃんは、腰に巻いてるやつを外しても良い頃だ、って言ってたけど……オレはまだ早いと思うんだけどなぁ。
ジィちゃんとバァちゃんが乗った軽トラックを見送ったあと、いよいよ一人ぼっちになる。
たぶんシツジはその辺にいるんだろうけど、見えないから、どうしようもない。
だからと言って、何もしないでボーっとしてるのも嫌だったから、オレはいつもの様に宿題を始めた……んだけど、ダメだ。
算数やっても国語やっても、ぜんぜん集中出来ないよ!
しまいには、タタミの上にばたんとひっくり返ってしまった。
あー……バァちゃんちの天井って、高いなぁ。
……。
…………。
……………………あ、そうだ!
あることを思い付いたオレは、玄関の近くに置いてある電話へとダッシュする。
何日か振りに、家に電話を掛けてみることにしたんだ。
今日は平日だから、お父さんもお母さんも、この時間はもう仕事に行っちゃってるはず。
だから電話に出るのは……
『お前なぁ、こんな朝早く電話してくんなよなぁ』
アクビしながら不機嫌そうに電話に出たのは、やっぱり兄ちゃんだった。
朝早くって、もう八時半過ぎてるんだけど。
いつもだったら学校にいる時間なのに。
夏休みだからって、だらけてるなぁ。
……でも、今話したいのはそんなことじゃなくって。
オレは思い切って、オバケが見えるようになって、また見えなくなっちゃったことを兄ちゃんに話してみた。
オバケが見えるのが当たり前になってる兄ちゃんなら、うまい解決法を知ってるかもしれないと思ったんだけど……だけど、返って来た返事は期待ハズレのものだった。
『そんなもん、オレに言われてもわかんねぇなぁ』
「えー……なんで?」
『だってオレって、小さい頃からフツーにあれこれ見えてるし。お前とは逆に『見えない』って状態がわからないんだよ。お前も見えるようになるまでは、『見える』って状態がわからなかったわけだろ?』
「う、うん。それはそうなんだけど」
『ま、元通りになったってことなんだから、あんま気にすることでもないんじゃね? 見えてもあんまり良いことないしな。……もういいか? オレ、まだ眠いんだけど』
兄ちゃんは言いたいことだけベラベラとしゃべると、最後に大きなアクビをして、こっちの返事も聞かずに電話を切っちゃった。
相変わらず自分勝手な兄ちゃんだけど……でも、気にするなって、言われたのは初めてかもしれない。
そう言えば、兄ちゃん、オレが見えるようになったって言っても、あんまり驚かなかったなぁ。
『見える』ことが当たり前っていうのは、そういうことなのかもね。
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