深夜の少女

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

深夜2時にかけて

 俺はある政治家に因縁があるけれどやり返す勇気がなかった。恨みで復讐はできなくて、鬱憤をネットの掲示板に垂れ流す日々だ。今日は安価で政治家宅の周りを彷徨いていた。


「あれ?」


 たまたま、政治家宅の扉が空いていた。俺は気付かないふりをして素通りする。そして、物陰から観察した。これは侵入できるのではないか。

 鼓動が騒がしく目が回る。そういえば、彼は外出し朝になるまで帰宅しない。今こそ、政治家の裏を暴く時だ。


「確か別居中だったよな。だから、大丈夫……。大丈夫だ。俺なら、行ける」


 思い切って玄関を開閉した。初めての泥棒だ。俺は紛らわしい正義感に囚われていた。


「ん?」


 玄関に安そうな包丁が落ちていた。刃先には赤い点がついている。床は付着した赤い点が、まるで道になっていた。その跡を辿っていくとリビングにつく。

 そのリビングのテーブルに少女がいた。

 お腹を抑えた少女は言う。


「貴方は誰なの」


金髪で赤い瞳。真珠みたいな肌に白を貴重としたロリータファッションをしている。


「……手当した方がいいか?」

「先に答えて」


 俺は彼女の射抜く瞳に唾を飲んだ。見るからに年下だけど、相当な場数を踏んでる様子だった。


「誰だと思う?」

「……泥棒?」


 彼女は顎を引いて敵意をむき出しにする。俺は観念して素直に答えた。


「その通り。泥棒だ」


 俺は目線を彼女の顎に持っていく。右手を背中に回しスタンガンを手に取った。


「わっ。当てちゃった」


 彼女はテーブルの上に乗ったままで足を伸ばした。よく見ると抑えている手から血液が垂れている。


「まさか、この家に娘が居たなんて」

「私は娘じゃない」


 よく聞くと、少女は声変わりをしていなかった。


「え?」

「泥棒さんは知らなくていい」


 彼女の顔が歪む。心做しか顔色も青くなっている気がした。金髪の前髪が瞼に当たっている。


 俺はポケットにあるスタンガンから手を離した。不用心に接近し彼女の前に立つ。


「俺に捕まって」

「え?」


 俺は彼女にお姫様抱っこをした。腕を首に回してくれる。彼女の両腕は小刻みに震えていた。


「刃物はいる?」

「会社のものだから、要らない」

「そっか」


 玄関を押して外に出る。今日の夜空は、月が煌々と輝いていた。


 この時間に病院は閉まってるから、手当しか出来ない。深夜に空いている病院までは距離がある。

 応急処置のためにコンビニに入店した。監視カメラから自然に顔を背けながら色々と購入する。ビニール袋は大きな物にして貰った。

 コンビニで少女はロリータ服のままで遠くを見ている。わざと足音を立てて気付かせる。


「傷を見せてもらっていいか」


 彼女は素直に従った。ビニール手袋を装着して傷を監察する。服は乱暴に破かれていた。

 脈を切っていたら既に絶命しているはずだ。しかし、彼女は生きていることからショック死には至らない。血の色も赤黒くなかった。

 俺は白い服の血液を観察した。よく見ると、手首から出血している。


「右手からの出血だったのか」

「私って死んじゃう?」

「死なない。今のところね」

「あ、そ、そうなんだ」


 腕の震えが収まっていく。少女は力を抜いてダランとした。


「その格好は目立つから、着替えを買ってくる」


 目立たない色をした服を購入する。俺達は公園にたどり着いた。人気のない場所でふたりはベンチに腰を下ろす。そして、彼女に着替えてもらった。


「ありがとう」


 彼女の手首にタオルが巻かれている。病院を彼女は望まなかった。


「本当に病院はいいんだな」

「厄介なことになるから」


 少女は傷ついた手の平を擦っていた。タオルは血を吸って固まっている。

 俺は袋からおにぎりを取り出して、彼女に渡した。


「君の両親は?」


 もう彼女は食べ終えた。片手についた米粒を舐めとる。


「知らない。気付いたらこの場にいた。私は日本で生まれてないと思う」


 俺達の前をカップルが通り過ぎていく。全く目もくれず二人の世界に入っている様子だった。


「日本語が上手だな」

「他の子は喋れていなかった」


 彼女は話す事を躊躇っていた。俺に責任が飛ぶのを気にしてるようだ。攫った時点で俺は関わっているというのに。


「私は泥棒さんの話が聞きたいな」


 彼女は無邪気な笑みを浮かべてくる。俺は真っ直ぐに目を合わせてくるのが怖かった。何か薄汚い物を見抜かれそうになる。


「泥棒さんといっても、俺は初めて泥棒したんだ」

「何があったの?」

「あの家の息子と一悶着あってさ」


 俺は妹が病室で寝ている姿を思い出す。カーテンのゆらめきで髪の毛も流れていく。


「俺には陸上部の妹がいて、息子と同級生なんだよ。そんで、息子は俺の妹を突き落としたんだ」

「突き落としたの?」

「そう。でも、周りは事故だって決め付けていた。俺はそう思えない。第一、妹と息子は問題があったみたいだし」


 あの政治家から大事なものを盗むつもりだった。

 すると少女は上目遣いになる。彼女の左腕は無傷だった。触ったら壊れそうな白色だ。


「泥棒さんは成功したね」

「……君には何でも打ち明けてしまいそうだ」


 俺と彼女は間抜けな自分たちに笑った。笑えればなんでもよかった。

 公園の街灯に虫が群がる。一匹の蛾が全身を焼いていた。


「あんた何かやりたいことないか?」

「え?」


 少女は瞳孔を開き、身を縮こませる。傷のある腕を揉んでいた。


「出来ることなら付き合うよ」

「え? 何で?」

「話を聞いてくれたお礼。って、無理があるかな」


 彼女は顔をじっと見つめてくる。俺は荷物にシワを握った。中の衣類を動かす。


「深夜だから、行くところなんて限られているけど」

「……」

「どこか行きたいところないのか」


 彼女は肌が極端に白かった。入院していた妹でさえ生気の篭った色をしている。

 指を口に当て考えている。彼女の唇が動くまで待った。


「学校に行きたい」


 汚れの知らぬ子供が遊園地に行きたいと言ってるように、彼女は心の底から願っている。瞳の奥に諦めも混じっていた。俺は哀れんでいるのか。


「うん、学校に行ってみたい。そこで授業受けたいな」

「分かった」


 衣類の入った荷物を肩に乗せた。ベンチから腰を離す。腰から音が鳴っている。

 振り返ると、彼女は一向に立ち上がらなかった。


「なんで驚いてるんだ」

「本当に行けるとは思わなかった」

「勿論、無断で入るから誰にも見つかるなよ」


 俺は左手を掴んだ。引き寄せると自分から立った。手を離したら逃げそうだ。落とさないように二人で俺の母校まで歩いた。


 二人は中学校に到着した。その中学校は一部分だけ抜け穴がある。


「お、大丈夫だな」

「泥棒さん?」

「この抜け穴から入って来い。俺は金網を登る」


 俺は足を引っ掛けて金網の先に着く。正面の枝を揺する。体重をかけて木に移った。腕の力で下まで降りていく。すると、少女が服の裾を掴んで待っていた。


「心配するなよ」

「だって……!」


 二人は警備員に気をつけながら侵入する。そして、俺だけで部屋を覗いてみる。警備員は持ち込んだテレビを見ていた。


 俺と彼女は3階の階段近くの教室に来た。俺は窓をよじ登って小窓を揺する。空いた窓から入り、扉を開けた。

 少女は怯えながら見渡す。手前の机に触れ、椅子を引いた。夜の教室は満月に照らされて不気味にうつる。


「感想は?」


 俺は聞いてみた。少女は机を漁ったり、黒板を見ていた。


「みんな、ここで勉強しているんだ」

「そうだな」

「泥棒さん。ありがとう」

「連れていかなくて、誘拐がなくなったら困るし」

「泥棒さんはココに通ってるの?」


 危ない。慌てて口を抑え噴き出すのを堪える。


「そんな年に見える?」

「だって! ここの事詳しいから……」

「もう卒業した。前は通っていたな」

「妹さんも?」


 俺は肝を冷やした。彼女は目を逸らさないから息が詰まりそうだ。


「察しがいいね」

「妹さんの落ちた階段ってどこにあるの?」


 教室の鍵を閉め、小窓も偽装した。二人はすぐにある階段に立つ。


「現場に来て何をするつもりなんだ」

「いや、何か証拠とかないかなって。息子さんが悪い理由とか」


 俺は顔が熱くなる。階段を覗き込む彼女が怖かった。彼女は監禁されていたのに、当たり前だと受け入れている。


「あ、迷惑だった?」

「……それより、これからどうする?」

「もう行きたいところない。私は帰るね」


 俺は歩みを止めた。彼女は俺に首を傾げる。耳鳴りがする。


「あの家に帰るのか?」

「他に帰る場所なんてない」

「そっか」


 彼女は気持ちを切り替える。帰ろうと告げる背中は寂しく見えた。同情していた俺を見透かし利用したのは別にいい。


「俺、お前を返すことはできない」

「だったら二人で一緒に殺される?」


 俺は嫌な人間だった。彼女を救いたいんじゃなくて、政治家を困らせるために引き止めたいんだ。それさえも、彼女はわかっている。


「……私は泥棒さんを利用して外に出た。それだけで満足なんだ」

「そんなことは分かってる」


 俺は腕を強引につかむ。警備員とか気にしなかった。来た道を戻り、俺は自宅に到着する。家から車の鍵を取ってから彼女とドライブした。

 少女は流れる景色を傍観している。


「俺の妹って歩けないって宣告されたあとさ。俺になんて言ったと思う?」

「えっ。な、急にどうしたの?」

「もういいから。仕方の無いことだからって、言って笑ったんだ」


 車の運転中は前を向いている。彼女を見なくていいから上から目線で話せた。逃げ腰の自分に嫌気がさす。


「暴走する俺を見て、もういいからって困ったように」

「……」


 車は中学校の横を抜けて公園をすぎて、政治家の家に近づいた。


「待って」彼女が止める。俺はわざと遠回りになる道を選んだ。「もう少しだけ、このままでいたい」


「わかった」


 政治家の家を過ぎた。赤信号に引っかかりコンビニの横に止まる。コンビニはアルバイトの店員が早朝の人間と変わっていた。あの店員も俺が犯罪者だと勘づいていない。


「もう少し、このままで……」


 少女の囁きを聞こえないふりをした。外はもう少しで明るくなる。

 このまま二人で何処かに消えてしまえたらいいなと、現実味のない言葉を呟いてみた。


「また攫いに行くよ」

「また連れ出して」

「なら、死ぬなよ」


 俺達は現実に帰らされる。そして、武器は没収され足掻いて生きるしかない。俺は気持ち悪い偽善を辞めようと誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深夜の少女 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る