一章(3)
1-3
「ディオ! おい!」
天幕の外は真っ暗だったので、目が
ディオは足を止め、俺が追いつくのを待ってくれた。
「……トゥグスか。どうした?」
「どうしたもこうしたも、あるか」
ディオの口調は相変わらず素っ気なかったが、先刻よりは温かみがあるように聞えたのは、俺の自惚れだろうか。
「どこへ行く気だ? お前。通夜は?」
「……伯父貴に言われたのか?」
ディオの言う伯父貴とは、俺の親父のことだ。俺と並んで歩き出しながら、奴は
「いや……まあ、それもあるが」
ディオはフンと鼻を鳴らし、唇を歪めて考えこんだ。星の光に浮かびあがる横顔に黒髪がほつれかかるのを、掻き上げもせず。やがて、独り言のように呟いた。
「どうなのだろうな、奴等は……。俺ならば、どう思うだろう? 親を殺し、兄弟を殺した張本人の男の為に、部族あげての葬礼とは」
「それだけの功績があるからだろう?」
「人殺しのな」
長髪をばさりと掻きあげて俺を見たディオの瞳は、夜目にも恐ろしいほど輝いて見えた。薄い唇から白い牙が――狼の
「皆、承知している……誰も悲しんでなどいない。俺も、親父も。――判るのは、奴のお陰でキイ国と未来永劫たたかわなければならなくなった、ということだ」
『おいおい、お前のじーちゃんだろうが』 という台詞を、俺は口にするのは止めた。確かに、ディオの言う通りなのだ。奴やメルゲン叔父の立場なら、毒づきたくなるのも無理はない。
だが……。俺は、すこし故人に同情した。
「親父は、悲しんでいると思うがな」
「ああ、伯父貴はそうだろうな」
莫迦というか単純というか、裏表のない人だから……。そう思った俺の言葉をどう受け取ったのか、ディオはフッと
珍しい紺碧の瞳は、蒼い星の光を反射して、何とも言えない不思議な
「……済まない。久しぶりだな、トゥグス。元気だったか?」
「あ? ああ……まあな。ボチボチと」
「何だ? それは」
……それで、俺は後悔する。ディオに気を遣わせてしまったことに気づいて。
こいつは確かに頭がいい。こいつもジョクも。だから、ときどき俺は忘れてしまうのだ。こいつらがまだ十代だという事を。
「後で話すよ。俺のユルテ(移動式住居)へ来ないか? ジョクにも逢いたいだろう」
「来ているのか? あいつが!」
これだ……。ジョクの名を聴いた途端、ディオの顔が輝いた。邪気のない微笑が、ぱあっと咲く。
俺の視線に気づき、奴はちょっと照れくさそうにしたが、瞳の煌きは隠せなかった。
「どうして、それを先に言わない? 早く案内しろよ」
「それはいいが……。いいのか? お前」
「何が?」
通夜の方は、盟主が許したのだから良いとは言え――メルゲン叔父も察したのだと思う。解いた黒髪を肩に流している、ディオ。戦場から帰って真っ先に逢いたい女の所にでも居たのではないかと思うのだが……。
しかし、訝しげに俺を見る奴の頭の中に、『そんなこと』が微塵もないのは明らかだった。挑戦的な眼差しで、早く行こうと促す。
俺は、肩をすくめて歩き出した。
「ジョク! おい、起きているか?」
ユルテの外には俺の
通夜の報せは
扉からは明りが漏れ、ジョクは寝台に身を起していた。入ると同時に声を掛けたディオは、ジョクが応える前にその身体を抱きしめた。
ディオがこんな風に手離しで愛情を表現する相手は、一人しか居ない。これからも現れることはないだろう。友人としては少々妬けるが、仕方がない。
俺にとっても、そうだ。成長し氏族の名を冠しても、幼い頃と同じ利害関係ぬきの付き合いが出来る。ジョクは唯一の友人なのだ。
「……来ると思っていた。久しぶりだな。元気だったか?」
「ああ」
「また、背が伸びたのか?」
身体を離したディオを見上げて言う、ジョクの黒い瞳にも穏やかな喜びが見えた。
ディオは親友の傍らに腰を下ろし、さっそく靴を脱ぎはじめる。(どうでもいいが、主の俺より態度がでかいぞ、オイ)。
ジョクの身のまわりの世話をする従者もユルテには居たが、ジョクが帰らせてやった。これで、男三人、多少むさ苦しいが、心置きなく話が出来るというわけだ。
「タオはどうした? ジョク」
「とうに帰った。……お前達、良いのか?
ディオは俺の
「通夜なら、ここでも出来る」
「それもそうか……」
「そう言えば、アラルの姿を見かけなかった。ディオ、あいつはどうした?」
「
それもそうか……。俺とジョクは顔を見合わせ、似た表情をそこに見つけた。
アラル・ミンガン(万騎長)は、この春結婚したばかりだ。俺達には珍しく、恋愛で、四歳年下の同族の娘を娶った。同じ氏族内であり、しかもシルカス族なので、俺達は少し心配している。
ジョクはやわらかく苦笑して、俺に片目を閉じて見せた。
「ま、仲が良いのは、いいことだな」
「そういうことにしておこうか」
だが、俺達の会話にディオは同意せず、ジョクの寝台に寄りかかりながら、ぐう、と呻き声を発した。火の点いていない
「どうした?ディオ」
ジョクが、興味深そうに首を傾げた。
「随分つかれた様子だな」
「別に……。ただ、いつまでこれが続くのかと思って」
「…………?」
「仲が良いのはいい。俺も異存はない。ないが……頼むから、戦場にそいつを持ち込まないで欲しい。いちゃつくのは結構だが、俺の前でしないで欲しい。何より疲れるし……怖くて、あいつを使えない」
「…………?」
「アラルが何かしたのか?」
俺が訊ねると、ディオは、ますます苦々しく煙管を噛んだ。
「あいつじゃない。奥方だ」
「奥方?」
「あのな。出陣の見送りくらい誰でもするだろうが。わざわざ挨拶に来て、『トグル様、主人を宜しくお願いします』なんて言われてみろ。毎日
「…………」
「それくらいなら、ユルテ(移動式住居)に篭って子作りでもしていてくれた方が、気が楽だ。頼むからそうしてくれと、何度言いかけたか知れない。……今度また手をつないで俺の前に現れてみろ。追い返してやる」
「それは、凄いな」
大声を出せないジョクが、息を切らして笑い始めた。俺も、流石に呆れた。
アラル……優柔不断な奴だが、もう尻に敷かれてしまったのか。奥方は可愛い女なのだが、ディオの好みではないらしい。(好みであっても、普通、他人の女が野郎といちゃつくのを見せられて、面白くはないよなあ。)
しかし――俺は嬉しかった。本来無視して当然の、兵士の家族。それが怖くてアラルを使えないという(アラルが幼馴染のせいもあろうが)。言い方が、いかにもディオらしい。
「次代の族長としては、子作りは最優先事項だから、仕様がないが」
ジョクも似たようなことを思ったらしい。笑いを口元に収めながら、瞳には悪戯っぽい表情が宿っていた。
「ディオ。今からそんなことを言っていたら、大変だぞ」
「何?」
ジョクが俺に視線を向けたので、ディオも干し肉を齧りながら俺を見た。鮮やかな碧眼が灯火を反射する。
俺は何と切り出したらよいか判らず、頭を掻いた。
ジョクが小鳥のように笑い出す。
「トゥグス」
「何が大変だって? トゥグス。お前、まさか――」
「……そうなんだ」
「また出来たのか!」
ディオは眩暈がしたらしい。くらっと頭を仰け反らせた。
「ええーっ? 嘘だろう? だってお前、ついこの間……ひと月前に、産まれたばかりじゃないか」
「ああ、女の子だった。だけど、違うんだ。今度は」
「違うって、何が」
「別の女なんだ」
「…………」
ジョクは、ひいひい息を切らして笑っている。ディオは溜め息をついた。
「いいなあ、オルクト氏は、多産で」
「そおいう問題じゃないだろう、ジョク。……本気かよ、トゥグス。三人目か」
「そういうことに、なるか……」
「他人事みたいに言うな。お前、いったい何人嫁をもらえば気が済むんだ?」
「ああ。俺も、そろそろやめようと思っている」
俺の返事は、ディオの疲労を倍増させたらしかった。反論する気も失せたように、頭を抱えてしまう。
普段していることは同じなので、俺は弁解を試みた。
だって、仕様がないじゃないか。子供が出来ちまったんだから……。
「いちいち一人に入れこむからだ。そのうち収拾がつかなくなるぞ」
「……五人くらいまでなら、何とかなると思うんだが」
「その前に、殺される方に賭ける」
「お前だって同じだろう。いったい何人泣かせたんだ、ええ?」
「俺は、子供を作るようなヘマはしていない」
「…………」
前言を撤回しよう。これのどこが子供の台詞だ。少なくとも、十六、七の奴が言うことじゃないぞ。
ディオは、俺同様、族長である特権で、戦場で得た敵の女や
こいつのことだ。きっと、泣かせた女は大勢いると思うのだが。ディオの方が誰かに対する思い入れを示したことは、一度もない。
俺と同じことを考えたらしい。ジョクが首を傾げて言った。
「トゥグスのように、見境なくポコポコ産ませるのも、どうかと思うが――」
ポコポコ……。
「ディオ。お前のように、素っ気なさ過ぎるのも、どうかと思うぞ」
「素っ気なくしているわけじゃない。面倒くさいだけだ」
「なお悪い。そんなことでは、いつまで経っても嫁の来てがないぞ」
「嫁などもらうつもりはないから、別にいい」
ジョクは苦笑した。
ディオは平然と、
ジョクは、柔和な口調のまま続けた。
「クチュウト氏の長が、嘆いていたぞ。娘がせっかく年頃になったのに、
「へえ!」
クチュウト族の長の娘とは、幼い頃に定められた、ディオの許婚だ。確か、十四になる。親として族長の気が揉める心情は理解できた。
ディオは動じることなく馬乳酒を飲み干した。面白がっているような視線をジョクに向ける。
「で。お前は何と応えたんだ?」
「別に。普段、観ている通りを。――おれが観たところ、ディオに、特に執心の娘が居るとは思えません。しかし、奴の所業をみる限り……おれがもし姫御の兄ならば、あんな男に妹を与えるのは、絶対反対です。とね」
「同感だ」
こう言うと、ディオは声を上げて笑いだした。呆れている俺とジョクを尻目に、胡座を組み、肩を揺らして愉快そうに笑い転げる。
ジョクが俺を見て、ひょいと肩をすくめた。奴がいつまで経っても笑い止みそうにないので、俺は声をかけた。
「お前、本当に、気に入っている女は居ないのか?」
「いない」
「遠慮なら無用だぞ。通う先があるのなら、そっちを優先してくれ」
「ないったら。……何だ。そんなことを気にしていたのか?」
ディオの片方の眉が、軽く跳ねた。滑らかな声に、呆れた響きが混ざる。
「おかしな奴だ。俺が、そんな面倒なことをするはずがないだろう」
「だって、お前――」
「機嫌が悪かったのは、寝入りを起されたからだ」
首の後ろをぼりぼり掻き、ディオは無造作に言ってのけた。
「やっと
安心しろと言われても……安心していていいのだろうか?
俺は、呈よくはぐらかされた気持ちがして、ジョクを見た。ジョクは、黙ってディオを見詰めていた。痩せた顔に特に表情はないが、黒い瞳は深く、澄んでいる。
もの言いたげな眼差しに気づき、ディオは、やや決まり悪そうに唇を歪めた。
「俺は、一生、結婚するつもりはないよ」
「…………」
「親父の二の舞は、御免だからな」
肩をすくめて呟いた台詞は、俺達にも理解できるものだった。
ジョクは、悪戯っぽく片目を閉じた。
「そういうことを言う奴に限って、好きな女が出来ると、ころっと宗旨がえするんだよな」
「……俺も、そう思うよ」
ディオは、
いつもの調子が戻って来た。俺は、ディオの腕を捕まえた。
「だったら、今から間口を狭くすることはない!」
鮮緑色の瞳が、まるくみひらかれた。
「おい、トゥグス。酒が零れるだろうが」
「少しでもそういう気持ちがあるんなら、間口は広く開けておかなくちゃいかん。おい、ジョク。ディオを借りるぞ」
「借りるぞって、俺は物か」
「それはいいが……。そんなことをしていていいのか? お前達」
「平気だ。バレなきゃいいんだ。ほら、行こうぜ、ディオ。こんなこともあろうかと思って、いい
「お前の場合、いつもだろうが」
俺とジョクの掛け合いを呆れ顔で聞いていたディオだったが、俺に再三誘われて、その気になったらしい。馬乳酒を飲み干すと、苦嘲いしながら立ち上がった。
俺は奴の腕を抱えて、ジョクに手を振った。
「じゃあな、ジョク。後は頼んだぞ」
「ああああ、行って来い。おれは寝る。……知らないからな、おれは。なにも聴かなかった」
ジョクは眼を閉じて片手を振った。俺はディオを引っぱって、ユルテを後にした。
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