一章(2)


             1-2


「ぶわっかもーん!」


 急いでユルテ(移動式住居)へ戻った俺は、親父の怒鳴り声に迎えられた。

 親父と二人の従者と一緒に待っていたジョクは、涼しい顔で座っていた。


「部族の大事だいじに族長が本営オルドウを放りだし、女子どもと遊んでいるとは、何事だ! トゥグス! 貴様、長の自覚があるのか?!」


 ……そんなこと言ったって。バヤン大伯父が亡くなられたなど、俺は知らないし。戦に行った親父達がこんなに早く帰るとは思っていなかったのだから。仕様がないではないか。

 と、言い返そうかと思ったが、ただでさえ怒り狂っている親父を煽るだけの気がしたので、止めた。その代わり、従者がせっかく煎れてくれた乳茶スーチーにも気付かずに喚きたてている老体を、いたわってやることにする。


「あまり怒ると、ハゲが進みますよ、親父殿」

「…………!」


 親父が顔を真っ赤にして絶句したので、これはいよいよ頓死とんしするかと危ぶんだが。丁度いい具合に、タオが口を挟んで来た。


「伯父上。トゥグス兄者を怒らないで下され」


 お気に入りの姪っ子を見たとたん、親父の頬がゆるんだ。


「狩りに連れて行って欲しいとお願いしたのは、私なのだ。伯父上、兄者を怒らないで欲しい」

「おう、タオか。元気そうだな、こっちへおいで。……よしよし、また少し大きくなったのではないか? 儂はぜんぜん怒ってなどおらぬぞ」

「…………」


 嘘つけ。

 タオを膝の上に抱いて上機嫌になった親父を見て、俺とジョクは密かに溜め息をついた。


「ところで」


 気をとり直して、ジョクが口火を切った。シルカス族の賢者は、折れそうな腕で頬杖をつき、淡々と訊いた。


「先刻の話を詳しく教えて下さいませんか。伯父上。バヤン殿が何故ルーズトリア(キイ国の首都)で命を落とす羽目になられたのですか。タァハルとタイウルト族のことは我等に任せ、メルゲン・バガトルはカザ(キイ国の砦)に向かわれたはずでは?」

「左様。リー・タイクとやらの居城にな……。ところが、こ奴が思いのほか手強い相手だった。更に、我等は長城をこえることが出来なんだ。そうこうするうちにバヤン殿がキイ国の皇帝の許に送られたと聞いて、トグル殿(メルゲン・バガトル)は急いでアルタイ山脈を越えたが、間に合わなかったのだ」


 長城とは、キイ国が、俺たち草原の民の暮らす領域と自分たちの領土を別けるために築いた土塁のことだ。騎馬では越えられない高さで、テンシャン山脈の南から東へ延々と続いている。ところどころにカザやス―といった砦を備え、兵が駐留している。


「おじいさま、亡くなられてしまわれたの?」


 神妙に問う少女の頭を親父は撫で、安心させるように微笑んだ。しかし、続けた声は暗く沈んでいた。


「我等すべての遊牧民に対する見せしめとして、むごい殺され方をなさったのじゃ。タァハルめ……和睦と見せかけて、最初から我等をキイ国に売るつもりで謀りおった。奴等もキイ国も、許すわけにはゆかぬぞ」

「……タァハル族とキイ国が手を結ぶのは、今に始まったことではないでしょうが――」

「何?」


 ジョクが小声で呟いた言葉を、親父は聞き咎めた。ジョクは静かに首を横に振った。血の気のない白い瞼をゆっくりと上下させ、元の口調に戻した。


「それで、メルゲン・バガトルは今どちらに?」

本営オルドウの外だ。穢れを持ち込むわけにはゆかぬ故、葬儀を済ませてから帰られる。バヤン殿が辮髪べんぱつさえ、我等の手には戻っておらぬが。諸族の長がこちらへ向かっているところだ」

「では、無事なのですね。ディオも、アラルも」

「無論だ」

「それを聴いて安心しました」


 ジョクの痩せた頬にようやく微笑が浮かんだ。タオも、ほっとした顔になる。

 親父は少女の腋を抱えて膝から下ろし、立ちあがった。


「さて。儂は、そろそろ行かねばならん。明日の葬儀の前に、氏族長達に話さねばならぬことがあるのでな。シルカス殿には、のちほどお報せしよう。……トゥグス、一緒に来い」

「ラー(承知)」

「行ってらっしゃい」


 薄暗い草原に出ていく俺達をタオは見送ってくれたが、どこか釈然としない表情が灯火に照らしだされていた。


               **



『――汝等、十本の手の指の爪が全部擦り切れ、更に十本の指全部を失うとも、必ず我が為に仇を報ぜよ』


 親父がトロゴルチン・バヤンの遺言を伝えると、天幕は沈黙に支配された。

 それから、嗚咽が――おし殺した男の嗚咽が、重い天幕の空気をふるわせ、居ならぶ男達の間を煙のように流れて行った。部族の英雄の死を悼んで。残酷きわまりない死にざまに、一同は声もなく、口惜しさに歯を噛みしめていた。

 木製の驢馬ろばに手足を釘付けにされ、生きながら全身の皮膚を剥ぎとられ、ラーヌルク河に投げ込まれた。


 俺は、親父がタオの前で詳しく語りたがらなかった理由が判った。あまりに惨い……。

 まず、その死にざまに対する衝撃が胸をいた。

 それから、悲しみが、ゆっくりいかりとともに表れる……。しかし、俺は実のところ、そんなに悲しくはなかった。滲む涙を瞬きで消し、嗚咽を噛み殺さなければならない程には、口惜しくなかった。

 己の冷静さが、親父や長老達のてまえ申し訳なく思えたくらいだ。

 親父や昔日バヤン殿とともに戦った老齢の氏族長達が、溢れる涙を拭いつつキイ国とタァハル部族への呪いの言葉を呟くなか。俺は、何とも決まり悪い気持ちで立っていなければならなかった。

 確かに、バヤン大伯父が殺されてしまったことは残念だ。みすみすタァハル族の計略にはめられて、部族の要である人物を喪ったことは、悔しいと思う。思うが……なにも泣かなくてもよいではないか、親父。いい年をして。

 こういう場面は苦手だった。だが、そんな不謹慎なことを言うわけにいかず……。

 見ると、部屋の奥の椅子には、我が部族の盟主トグル・メルゲン・バガトルが腰掛けて、長い脚を組み、肘掛に頬杖をついた格好で長老達を眺めていた。

 弱冠三十五歳の若い盟主は、その姿だけ見れば充分ひとを喰った態度だが、黒い瞳は深く、男達の感情が鎮まるのをじっと待っていた。

 傍らには、部族の最高長老であるトクシン・サカルが控え、話し始めるきっかけを待っていた。

 俺の視線とメルゲン・バガトルの視線が出会った時、それは始まった。


「このような事態ですので――」

「待たれよ」


 トクシン・サカルの言葉を遮り、氏族長の一人が厳しい声を発した。


「通夜を始める前に、此度こたびの戦の経緯について、盟主ならびにお集まり頂いた安達(アンダ・同盟を結んだ族長のこと)に、申し上げたいことがある」


 メルゲン・バガトルとそう歳の違わないボルド氏の長は、底光りのする黒い瞳で盟主を見据えていた。これに対し、トクシン(彼は俺の親父の兄に当る。本人が文官たるを希望した為、長老職に就いた。)は何か言いかけたが、メルゲン・バガトルが彼を制した。


「よい、義兄上あにうえ


 盟主は、ボルド氏に向きなおった。


安達アンダよ、話されよ。その方が、故人も得心するだろう」

「では、お言葉に甘えて言わせて頂く」


 ああ、まずいな……。俺は、心の中で呟いた。何故だか知らないが、そんな気持ちがした。物静かなメルゲン叔父に対し、ボルド氏の挑戦的な目つきを見て、そう感じたのかもしれない。

 ジョクやディオならば、良い説明ができたろうか。

 ボルド氏は、不穏な口調でつづけた。


「我が安達、諸族の長達よ。そもそも此度の戦は、タァハル部族が和睦と称してトロゴルチン・バヤンを呼び出し、身柄を拘束してキイ国に渡したことが発端だ。かの人が亡くなられて今さら何を、と思われるかもしれないが。今だからこそお訊ねする。……何故、バヤン殿が殺されなければならなかったのだ?」


 一同は、五氏族の長もそうでない者も、無言でこの問いを受けた。『何故?』――ジョクが俺の親父に対してしたものとは意味が異なることは、俺でも判る。

 メルゲン・バガトルは、眼を閉じて聴いていた。


「タァハル部族は、ご存知の通り、我等トグル部族の不倶戴天の敵である。彼族ならびにタイウルト部族をこの草原イリより追い出したのは、バヤン殿だ。いくら和睦を持ちかけられたとはいえ、我等が英雄バガトルをろくな兵もつけずに敵地へ送りだしたとは、何事だ。長老会は何をしていたのだ」


 メルゲン・バガトルは瞼を開けたが、応えたのはトクシン伯父だった。


「お言葉ではありますが、」


 長老会の長は、眉間にふかい皺を刻んでいた。


「辞をひくくし恭順の意をあらわした者に対して威をしめすのは、我等の礼に反します」

「礼はよい。そんなことは解っている。……私が言いたいのは、何故かかる大事だいじを貴様ら文官だけで決したのか、ということだ。シルカス公をはじめ、主要なミンガン(将軍)達は誰も事有るを知らず。あまつさえ、五氏族長になんの相談もなく事を決したのは、いかなる了見か」

「……呼び出しに応ずると断を下されたのは、トロゴルチン・バヤンご本人です」

「その行動をお諌めすることこそ貴様らの務めとは、考えなかったのか。長老会の存在目的は、氏族長の補佐だけではないぞ。何の為にアラド(自由民)の統治権を与えられているのだ。貴様らの報告が遅れた故に、出兵が遅れ、バヤン殿をリー・タイクの手より奪い返せなかったのだ。この責任は重いぞ」

「…………」


 長老は、黙り込んでしまった。


「ボルド殿」


 メルゲン・バガトルは、また眼を閉じていたが、呟くように応えた。


「――それは、結果論だ」


 ……時々思うのだが。メルゲン叔父は淡々としていながら、けっこう過激なことを言う。この時も、俺を含め氏族長の中には内心胆を冷やした者がいたに違いない。

 盟主は、平然と瞼を開けた。

 ボルド氏は、黙って彼を見返した。


「……安達アンダよ、貴公の仰りたいことは解る。貴公が言われるということは、他の安達にもそう思っておられる方がいる、ということだろう。我が義兄はじめ長老会の名誉のために弁解させて頂くが。タァハル部族の申し出に一応の信頼をもって応じてはどうかと、父上に進言したのは、この私だ」

「…………」

「結果的に、奴等の計略に乗せられた形になったが。父上も長老会も覚悟はしていた。……事有るを予期しなかったわけではないが、リー・タイクの出現は、我等の予想を超えていた。準備不足は認めるが、長老会のみに責のあることではない」


 さすがに、バヤン殿の息子本人からそう言われると、ボルド氏の剣幕も減退した。しぶしぶ……と言う感じではあったが。

 彼は、穏やかな盟主に喰い下がった。


「お訊ねしてよろしいですか?」

「どうぞ」

「何故、予想しておられながら、我々にお報せ下さらなかったのですか。事の経緯を御存知だったのは、盟主とバヤン殿ご自身と、長老達と……五氏族のなかではオルクト殿だけであったのは、何故です。得心がゆきませぬ」

「貴公が、先刻、仰ったではないか」


 人影が動いた。


 ボルド氏の言葉と同時に、居ならぶ氏族長達の間に静かな動揺が拡がった。トクシン伯父と親父が口を開きかけ、メルゲン・バガトルがそれを遮った。

 薄い唇に、微かにわらうような吐息を乗せて――だが、盟主の瞳も口調も、決して哂ってなどいなかった。


「安達。仮に私がお報せしたとして、貴公は賛同して下さっただろうか? 他の安達も」

「無論、反対致しました」

「……反対されなくとも、大騒ぎになっただろう。彼族の申し出など信用できぬ。部族を揚げて出陣していただろうな」

「…………」

「それでは、いつまで経っても和睦など成り立たぬ――」


 メルゲン・バガトルの口元には、くらい嘲笑が浮かんでいた。二人の会話に耳を傾けながら、俺と数人の氏族長達は、盟主の後ろに現れた人影に視線を奪われていた。


 ディオ。

 ――音もなく天幕に入り、影のように父親の背後に立った青年は、ただ居るだけで我々の呼吸をとめた。

 曰くつきの、族長の一人息子。わずか八歳で戦場に立ち、父メルゲンも祖父バヤンをも凌ぐ武功を挙げ、《草原の黒い狼》と謳われる。

 バガトル(勇者)の称号を持ち、常に最前線で兵を指揮している猛将は、何故かこの夜は辮髪を解き、豊かな黒髪を腰まで垂らしていた。

 奴は、面倒そうに腕を組み、暗い光を宿した碧眼で、じろりと我々を眺めた。


 メルゲン・バガトルも、己の後方に注がれる氏族長達の視線に気づいた。自嘲気味なわらいが濃くなったが、口調は変わらなかった。


「結果的には、無駄な配慮だったが……。決して諸侯をないがしろに思ったのではないのだ。ご了承いただきたい」

「……もう一つ、納得しかねることがございます」

「何だ」


 ボルド氏も、ディオが気になるらしく、ちらちらそちらを見ていた。


「此度の戦がバヤン殿を奪還する為のものであったことは承知しております。しかし、バヤン殿が命を落とされたとはいえ……葬儀の為とはいえ。あっさり軍を退くのは、如何なものでしょう」


 メルゲン・バガトルは、黒い眼をすうっと細めた。ボルド氏は、やや口ごもった。


「その……氏族の内には、不審に思う者が多数いるのではないかと。兵士達にしてみれば、急な出征に対し見返りがないというのは――」

「安達。貴公の仰ることも解らなくはないが」


 椅子の背に寄りかかりながら言う、メルゲン叔父の声は、少し疲れているように聞えた。


「それについては、私より、ディオの方が事情に明るかろう」


 盟主は肩越しに息子を顧みて、説明を促した。ボルド氏をはじめ、族長達の間に緊張が走った。

 ディオは我関せずと言った呈で頭の後ろを掻いていたが、父の声に視線を上げた。

 低く抑揚のない声が、天幕に響いた。


「……愚鈍な故、ご質問の意味を図りかねているのですがね」


 ディオは項に片掌をあて、重心を右脚に移しながら、ボルド氏に応えた。長い前髪の下からこちらを見据えた眼光は、かの氏族長だけでなく、場の全員を内心で居竦ませるほどだった。

 只でさえ切れ長の眼を細め、奴はぶっきらぼうに問い返した。


「何ですか? 安達は、此度の戦の『勝ちが少ない』と。そう仰りたいので?」

「そ、そういうわけではない――」


 お前が『愚鈍』などという言葉を使っても、謙遜どころか嫌味にしか聞えないぞ。だいたい、勝ちも何も、負け戦だろうが……。

 従弟の皮肉に、俺はかなりびくびくした。そうしながら、奴が初めて従軍した時のことを思い出していた。



 八年前。オルクトの名を継いだ俺が盟主の許へ挨拶に行くと、当時八歳だったディオを紹介された。

『今日から、我々と共に戦場に出る。お前には弟のようなものになるかな、トゥグス。宜しく頼む』 そう言われて、父親の隣で顔を上げたディオは、あの時も、今と同じくらい瞳で俺を見据えた……。



「私が言いたいのは……バヤン殿が亡くなられて即座に退却するというのは、如何なものかと。その、兵の士気にも関わりましょう」

「士気だけで長城が越えられるのなら、苦労はありませんね」


 俺の回想は、冷淡なディオの声に遮られた。冷水を背中に浴びせられたように。――だが、これは序の口だった。

 ボルド氏は憮然とした。一方、息子に話をさせているメルゲン叔父は、どこか面白がっているような表情で眼を閉じた。


「何ですと?」

「それとも、ボルド殿には、長城を越える為の良策がおありですか? 僅か十万に満たぬ軍勢で、百万を越えるキイ国の全軍と剣を交える勇気が。――あるとすれば、失礼ながらそれは勇気ではなく、祖父殿やリー・タイクに劣らぬ暴挙と言い改めさせて頂こう」

「私が言っているのは、そのようなことではない」


 度重なる挑発にも、ボルド氏は怒りを抑えてみせた。俺はディオの言葉に戸惑った。


 トロゴルチン・バヤン殿はともかく……リー・タイク将軍の『暴挙』?


「バヤン殿の奪還に、もう少し力を尽されるべきではなかったかと。せめて、辮髪の一本なり取り戻しては。本営オルドウに対するタァハル族の攻撃も、大したことはなかったのだし。リー・タイクに一矢報いる気概を示すべきではありませぬか?」


 ディオは顎を上げ、見下すようにボルド氏を眺めすかした。


「……俺としては、これでも精一杯いそいで帰還したつもりなのですがね」

「何?」


 ディオは眼を閉じて頭の後ろを掻き、『そんなことも判らんのか』と言わんばかりの口調でつづけた。


「タァハル族が祖父殿をリー・タイクに売った目的が、我が部族の統制を乱し、その隙にイリ(トグリーニ族の縄張りの草原)を掠め取ろうというものなら。――それが事実だと、俺達は知っていますが。俺でも、この時期に本営オルドウを攻めようなどとは思いません。残った手勢で撃退可能な程度の挑発に留めておく。わざわざ総力を揚げて攻撃し、こちらの警戒心と結束を煽って何の得があるのです」

「…………」

「放っておけば、あと十日もすれば、アルタイ(山脈)に雪が降り始める。そうでなくとも、カザ砦(キイ国の砦)周辺はハル・クアラ族の土地だ。盟主が事情を説き、許可を得たとは言え、我が軍が長逗留すれば、それだけ彼族かぞく(ハル・クアラ族)の不審を招きましょう。――我々がリー・タイクの挑発に乗ってアルタイ山脈の東へ孤立すれば、タァハルやタイウルト部族に、本営オルドウを攻撃する好機を与えることになるでしょう」


 ディオが説明するに従い、緊張していた天幕内の雰囲気が和らいでいった。警戒と反感をもって若造の言葉を聴いていた氏族長達が、その正当性を納得しはじめたのだ。

 隣にいた俺の親父が、ぽむ、と手を打った。(おい、親父。情けないぞ。)俺も感心した。

 ディオは、いつもこうだった。ひどく反抗的で無愛想だが。物事の筋は、外したことがない。


「……もっとも」


 黙りこむボルド氏を見て、ディオは、わらうように唇を歪めた。


「機に乗じ、部族内に混乱を生じさせようと謀る者達にとっては、その方が都合が良かったのかもしれませんが」

「…………」

「言い過ぎだぞ、ディオ」


 メルゲン叔父がたしなめたが、決してそう思っている風には聞えなかった。

 ディオは、サッと表情を消した。


「失礼。……で? 俺はもう無罪放免ですか?」

「ああ。下がって良い」


 息子の顔を一度も見ることなく、盟主は言った。ディオの方も、それが当然のように、さっさと天幕を出て行った。ボルド氏や他の氏族長達が、半ば呆然と見送る。

 俺の肘を、親父がつついた。


 メルゲン・バガトルは、沈黙をたのしむように眼を閉じてしばらく考えていた。やがて瞼を開けると、不思議なほど穏やかな表情で氏族長達を見わたした。


「失礼。息子あれは血の気が多いゆえ、気に障ったら、お許しを」


 ディオを追って天幕を後にしながら。俺は、さりげない盟主の声を背中で聞いた。


「さて、安達アンダよ……。得心いただけたなら、通夜を始めるとしよう」

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